11.イライラ棒をやれとは言っていない
目を閉じる。
いつもと同じ、軟派系騎士様のスイッチを入れる。
もう何年も演じてきて、演じすぎてすっかり身体に染みついていた。
今までは女の子に向けてきたそれの矛先を、少しばかり調節する。
問題はどう見ても絵面がBのLになってしまうことだが……幸いなことに、ここにはディーはいない。
何かの拍子に友の会発行のウスイホンが厚くなってしまうかもしれないが、彼女たちは生物の取り扱いに慣れている。きっと私に見えないところでうまくやってくれるはずだ。
目を開ける。まっすぐに、己の進む道を見定めた。
「行こうか、リチャード」
「え、」
そっとその腰に手を回して、さりげなくエスコートする。
リチャードの目が点になった。
私の顔を見て、腰に添えられた手を見て、そしてもう一度私の顔を見る。
「何これ」
「気にしないで」
「するわ!!」
いつもの軽薄スマイルで躱そうとしたが怒鳴られた。
やれやれ、私がこうすることで喜ばない女の子はいなかったというのに。
「アイザックに婚約者っぽくないって言われたから。ちょっと距離感を縮めてみようと思って」
「逆だろ、じゃあ、せめて!!」
「逆?」
言われて、リチャードが私の腰に手を回している様を思い浮かべてみた。
……その状態でやさしく微笑むリチャードがそもそも想像の埒外だということが分かった。
「君には似合わないだろ」
「言いたい放題だなアンタ」
「そんなに言うならやって見せてくれたまえ」
「は?」
彼の腰から手を放して、直立する。
ぽかんとした顔で私を見ていたリチャードだが、やがて私の意図するところを理解したらしい。
ぐっと唇を噛み締めた後、半歩私に近づいてきて、そっと腰に手を……
……回そうとして、空中で手をうろうろオロオロさせている。
何だその予備動作。触れたら電気でも流れるのか。私はイライラ棒をやれとは言っていない。
待っているこっちがイライラしてくる。というかこういうの、やる側がもじもじソワソワ躊躇っている方が何と言うか、いやらしいというか、端的に言ってキモい気がする。
スマートにとは言わないが、いっそ一思いにバッとやってくれた方が清々しい。
いつまでも右往左往している手を掴んで、私の腕に捕まらせる。
「……ほら。無理するもんじゃない」
「…………………ほんとにな」
リチャードは大きなため息をついた後、諦めたようで黙ってついてきた。
そのまま城の中を練り歩く。
騎士団の知り合いや、顔見知りの侍女に会うたびに、リチャードの身体を引き寄せて挨拶をした。リチャードもぎこちない仕草ではあるが、それなりに対応している。少し慣れてきたようだ。
「リジー」
声を掛けられて、振り向く。
そこには、王太子殿下が立っていた。公務の途中なのだろう、背後には友人の近衛騎士、マーティンが控えていた。
念のためにさらに背後の気配を窺うが、お兄様は一緒ではないようだ。
ほっと胸を撫でおろす。まだお兄様とクリストファーには話していないのだ。
お兄様もクリストファーも、私のブラコンほどではないにしろそれなりにシスコンである。婚約者だなんだと言ったら大騒ぎの予感がする。
お兄様たちは昨日と今日は領地に行っていて、帰りは夕方のはず。
それまでにしっかり慣らし運転をして、口裏を合わせておかなくては。
「珍しいね。きみが誰かと……ああ」
王太子殿下が、私の隣のリチャードに視線を移して、にこりと笑顔を顔に貼り付けた。
「これはこれは。聖剣はもうお返ししたつもりだったけれど?」
殿下の笑顔に、リチャードが完全に固まった。
面識の浅いリチャードでも感じ取れるくらいの冷気が漂っているからだ。
何故こんなに冷気を、と考えて思い至る。
そうだった。西の国から帰るときに、王太子殿下とリチャードとの間でひと悶着あったのだ。
殿下はリチャードが妹たちのため、ひいては西の国のため、私という戦力を引き抜こうとしているのに過敏に反応しているようだった。
自分がそれなりに腕が立つのは自覚している。
そして何より、もし私が西の国に行くと言えば、リリアがもれなくついてきてしまう。王太子殿下はその辺りを危惧しているのだろう。
その冷気、ぜひリリアがいるときに出してやってほしい。
せっかくの「わたしのために怒ってくれてるの……?」みたいなキュン展開に本人不在は空しすぎる。
お貴族様用語で「まだいたの?」、京都弁で「ぶぶ漬けにしましょか?」という意味の言葉を口にした殿下が、すぅと開いた瞳でリチャードを見据える。
「どうしてリジーと一緒に?」
「ああ、それは」
「おい馬鹿、」
「彼は私の婚約者なので」





