閑話 エリザベス視点(4)
真っ白な背景だが、無造作に模造剣と藁束が転がっている。訓練場だろう。
ロベルトならやはりここではないかと思っていた。
ぽかんとした顔で立ち尽くしているロベルトに、軽く手を挙げて挨拶する。
「よ」
ロベルトが後ろを振り返った。そして誰もいないのを確認すると、不思議そうな顔で会釈をする。
そしてそのまますたすたと、常識的な速度でこちらに歩み寄ってきた。
たいていロベルトが私に近づいてくる時には駆け寄ってくるので、それだけで何となく、妙な気分だ。
「その制服……新しい教官、か?」
「まぁ、そんなところだ」
適当に笑って返す。
ロベルト、何というかものすごく「どっちか」な気がしていたのだ。
すっかり見事に忘れていても「チョロベルトだなぁ」と思うし、驚異的な動物的勘で何か覚えていたとしても「ロベルトっぽいな」と納得するような、そんな気がしていた。
まぁ大方の予想通り、前者であるらしい。
ぽつんと置いてある模造剣を2本手に取り、一本をロベルトに差し出した。
「まずは一戦、手合わせ願おう」
私の言葉に、ロベルトが頷いた。
一礼して、互いに構える。合図もなく、試合が始まった。
切り掛かってきたロベルトの剣を受け止めて、身体のクッションを使って衝撃を殺す。
それでも手が痺れるほどの重い一撃だ。
おそらくまだこちらの力量を測るための様子見だというのにこれである。
本当に、強くなった。
こちらも力を込めて、彼の剣を弾き返す。そして構えを下段に変え、斜めに切り上げる。
踏み込んでいたロベルトは身体を逸らして躱したが、剣先がかすかに前髪をかすめ、はらりと数本の髪が宙を舞う。
ロベルトはバックステップで一歩、距離を取る。
そして剣を構え直した。
先ほどまでの「様子見」ではない本気をまとった姿に、私はにやりと口元を歪める。
夢とはいえ、楽しい方がいいからな。
◇ ◇ ◇
何回か吹っ飛ばしてやったところで、地面に大の字になったロベルトが言う。
「お前、強いな!」
「それはどうも」
適当に応じながらも、どうにも違和感がある。
違和感の正体は彼の口調だろう。
ロベルトにタメ口で話されたことはほとんどなかったので、何となく妙な気分だ。
身分から言えばむしろ普段が逆なのだが。
声音も普段よりも少しキビキビハキハキさが抜けているというか……こうしていると、こいつもゲームのロベルトと同じ声なんだなぁと実感する。
中の人が同じなのだから当然か。外見はほぼ別人になってしまったが。
「こんなに楽しい試合は久しぶりだ!」
立ち上がったロベルトはずんずんと私に歩み寄ってくると、ぺたぺた私の肩や腕などを触り始める。
そういえばマーティンに似たようなことをしていたなと思い出した。パーソナルサークルが狭い。
ロベルトのことだ。何か記憶が戻るきっかけを掴むならば戦うのが一番だろうと思ってのことだったが……ただ楽しく試合しただけになってしまった。
まぁ、もとよりダメ元だったので構わない。勝ち試合は気分がいいしな。
「細身なのにしなやかな身のこなし、並大抵の鍛錬ではないだろう」
「まぁ、それなりにな」
「それなりなものか!」
ロベルトが爛々と目を輝かせて私を見る。
その瞳から放たれるキラキラは、いつものように私の顔面に次から次へと突き刺さった。
彼はがっしりと私の肩を掴んで、まっすぐにこちらを見て言う。
「この身体。日々欠かさず鍛錬していればこそだ」
ふむ。身体を褒められるのは悪い気はしない。
……ので、そのまま言わせておくことにした。
いや、まだこの身体は発展途上だと自覚はしているのだが、それはそれ、これはこれである。
普段人格を含めて必要以上に持ち上げられると「どんだけ美化してるんだ」と思ってしまうが、こうして肉体や強さだけに特化して褒められるのは悪くない。
崇拝しなくていいから普段もこれくらいにならないだろうか。
「素晴らしい。尊敬に値する。我が国の騎士団にこれほどの逸材がいようとは」
いやいや、私の体脂肪率などまだまだだが、もっと褒めてくれても一向に構わない、と思ったところで、彼の視線が私の身体ではなく顔に向かっているのに気がついた。
まっすぐな若草色の瞳が、頭蓋骨まで透かそうとするかのように無遠慮に私に向けられている。
いつものあれで遠慮していたのかということに初めて気がついた。そんな馬鹿な。
「名前は? 近衛ではないようだが、どこの所属だ?」
「……バートン隊」
「バートン隊?」
もうロベルトに思い出させるのは無理だろうと思いつつ、適当にいつも彼らが名乗っている架空の部隊(※実在する人物とは一切関係ありません)を名乗ってみた。
彼はぱちぱちと目を瞬いたあとで、はてと首を傾げる。
「……聞いたことのない部隊だ」
「だろうな」
そう答えて、模造剣を片付けた。
奇遇なことに私もまったく知らない部隊である。当たり前だ。何なんだあの集団幻覚は。
だいたい騎士団は「師団」なのだから普通に考えたら長は師団長だし、訓練場の長だとしたら訓練場長ではないのか。
訓練場ではすっかり慣れてしまって誰も気にしなくなっているのが恐ろしい。
以前警邏でお世話になっている第四師団の師団長に「なんで隊長なの?」と聞かれて、私まで徐々に疑問に思わなくなっていたことに気づいて愕然とした。完全に毒されている。
何故隊長なのかは、私が聞きたい。
「それじゃ、私はこのへんで」
「待ってくれ!」
踵を返そうとしたところで、腕を掴んで呼び止められた。
振り向くと、ロベルトが私の顔を見て、一瞬視線を彷徨わせる。
そして、いやに真面目な顔をして、まるで縋るように言った。
「また、会えるだろうか」
何だかまるで今生の別れのような真面目な声を出す彼に、縁起でもないなと苦笑いが込み上げる。
今度こそ踵を返すと、後ろ手に手を振って適当に答えた。
「たぶんな」
◇ ◇ ◇
「次は? どうする?」
ロベルトの夢から戻ったところで、姫巫女様にそう尋ねられた。
そろそろもう1人の巫女と、彼女に取り憑いているという怨霊との直接対決も近そうだ。
攻略対象たちの夢を訪れる作戦も、思い出させるまではいかなかったが……何人かは疑問を持ったようだ。私にやれることは十分やった。
あとはもうリリアに任せるしかないだろう。
少し思案してから、答える。
「レイのところにしようかな」
「お兄さんのとこは? 行かなくていいの?」
「うん。やめておく」
姫巫女様が目を瞬く。
雪のように白い肌に、長い睫毛。普段は王族らしくない気さくな態度ばかりに目が行くが、そうして黙っているとよくできたお人形のようだ。
「お兄様に忘れられてたら、流石に落ち込みそうだから」
「エリザベスでも落ち込むのね」
どういう意味だ。
姫巫女様は悪戯っぽく笑うと、頬杖をついた。
「まー、兄弟ってそういうものか。私もあの子に忘れられたら泣いちゃうかもしれないし」
「だろ」
「でも私は、あの子が私の夢にだけ来なかったって知っても泣くわよ」
姫巫女様の言葉に、瞳を潤ませるお兄様の表情が脳裏を過ぎって口ごもる。
それは、我らがお兄様も泣きそうだ。
ノーコメントで返した私に、姫巫女様はくすくす笑っていた。そしてふっと、真面目な顔になる。
「……早く見つけてやらなきゃね」
姫巫女様の台詞に、頷く。
怨霊を何とかすれば私は国に帰れるし、姫巫女様は双子の妹を取り戻せる。
具体的にどうやって何とかするかは怨霊とやらと会ってみないと分からないが……まぁ姫巫女様の方には策があるようだし任せることにしよう。
前世でも霊感とか全くないタイプだったので、そのあたりはあまり明るくない。
前世の必修科目の関係で九字護身法とか急急如律令あたりは一通り覚えているが、付け焼き刃よりプロに任せる方が安全だろう。
私はいつもどおり。やれることを全力でやるだけだ。
◇ ◇ ◇
「きしさま〜!!!!」
レイの夢に降り立つと、弾丸のように飛び出してきたレイに体当たりされた。
ぐりぐりと腰のあたりに顔を埋めてくるレイの頭を、そっと撫でてやる。
「レイ。元気にしてる?」
「元気じゃないよ!」
レイの声に、涙が混じっていた。
その身体を抱き止めて、抱き上げる。
視線を合わせて、くっきり密度で夜までどころか24時間ロングカールキープ中の睫毛に縁取られた銀色の瞳を覗き込んだ。
レイは滲んだ涙を拭いながら、言う。
「みんな騎士様のこと心配してたのに。リリアちゃんも元気ないんだよ」
リリア、年下の男の娘に「ちゃん」付けで呼ばせているらしい。さすがは主人公、職権濫用がひどい。
レイも甥っ子には似ず目鼻立ちのくっきりした美形の類だ。
いっそこのまま美しく育ってリリアのことをもらってくれたら助かるのだが。
今のところ、男性恐怖症気味のリリアもレイとは仲良くやっているらしいし、これはなかなかアリな作戦ではなかろうか。
戻ったら要検討だな。
レイの柔らかな黒髪を撫でながら、こつんとレイの額に自分のそれをぶつける。
「もうすぐ帰るから。それまでリリアのこと、助けてやって。主人公のことだから、心配ないとは思うけどね」
「うん」
レイがやっと笑顔を見せた。
赤くなった目元で、にっこりと笑う。
「騎士様、早く帰ってきてね!」
「もちろん」
ぽんぽんとレイの小さな背中を叩いたところで、夢が終わった。





