10.さすがに。いくらなんでも。
「姉上、大丈夫ですか?」
HPを削られて帰宅した私を、クリストファーが出迎えた。
彼は心配そうに私を見上げている。そんなに疲れた顔をしていたのだろうか。
完全に大人たちの悪ふざけで始まった謎の武道会やら、第十三師団の師団長との邂逅やら。メンタルダメージの元凶には大いに心当たりがある。
しかし今更騒いだところで、国立競技場をキャンセルできるとも思えない。
本当になぜそんなところまで話が大きくなってしまったのか。
だが私が出て行って戦うわけでなし、できるのはせいぜい私にとって都合の良い結果に着地することを祈ることくらいだ。
そのあたりを総合して、苦笑交じりに答える。
「うーん。正直、何か話が大きくなっちゃったなぁという感じかな」
侍女長に上着を預けて、ソファに腰かけた。
クリストファーも後からついてきて、私の隣に座る。
「まぁ、将来のこともいつかは考えないといけないとは思うんだけどね」
じっとこちらを見つめているクリストファーに向けて、肩を竦めて見せる。
ロベルトも、アイザックも、リリアも。ちゃんと決まった将来がある。
もちろんお兄様や王太子殿下だってそうで……目の前にいるクリストファーにもきっと、お兄様の補佐役としての未来がある。
私だっていつまでも先延ばしにできる問題ではないことは理解しているつもりだ。
しばらく私の横顔に視線を送っていたクリストファーが、ぽつりと零すように呟く。
「……ぼくは、無理に決めなくてもいいんじゃないかって思うんです」
クリストファーの言葉に、思わず彼の顔を見た。
しっかり者の我が義弟のことだから、てっきり「姉上も将来について考えるいい機会ですよ」とか、そんな感じの耳に痛いことを言われるのかと思ったのだが。
クリストファーはやさしく目を細めて、私の顔を覗き込んだ。
「ぼくと兄上と、姉上。三人でずっと一緒に、公爵家を支えていくって。そういう生き方もあるんじゃないでしょうか」
そっと彼が距離を詰めてくる。
膝の上に置いていた手を、そっと包み込むように握られた。
「だから姉上がそうしたいって思うなら、こんな大会、いつでもやめにしていいんですよ」
クリストファーの誘惑はとても甘美なものだった。
ついついそちらに流されたくなってしまう。
どうしたのだろう。お兄様から「元気づけてあげて」とでも言われたのだろうか?
正直言ってこの大会、私に権限さえあればすぐさまやめにしたいところだ。
当初想定していたような、条件に合った就職先からのオファーを受け付ける形に変更したい。どうせ悩むならその方が建設的だ。
だが、実際今から中止というのは現実的ではない。
あれよあれよという間に他国まで巻き込んだ事態になってしまっている。
私の就職先のことさえ除けば、私も無邪気に楽しめそうな催しであることも確かだ。
これは「まぁいいか」と思って放置した私にも非があることだ。2%くらい。
それにこのままずるずる実家にいると、とんでもなくダメな奴になる気がする。
お兄様が継いだ家に居座る小姑、一生その面倒を見させられる義弟。
いや、ダメだろう、さすがに。いくらなんでも。
婚約破棄がどうこう言っていられないくらいの不良債権っぷりである。そこまで到達する覚悟はまだ決められていない。
誘惑を振り払って、彼の手を握り返す。
ふっと不敵に笑って見せた。
「単なるお祭りだと思って楽しむことにするよ。就職先が決まったらラッキー、くらいの気楽な気持ちでさ」
クリストファーのはちみつ色の瞳を見つめ返す。
その瞳がどこか、さみしそうに、不安げに揺れている気がした。
立派なブラコンかつシスコンのハイブリッドとして育ったクリストファーだ。
私の将来を案じてくれているのだろう。
もし私が遠くの過酷な土地で働くことになったら寂しいと思ってくれているのだろう。
彼がそうして家族に対して愛情をもって接してくれるというのは嬉しいことだ。
ゲームでの彼のことを思えば、主人公とのあれそれがなくとも幸せに暮らせているのは良いことだ。
まぁ、優遇される攻略対象だからかもしれないが。
「まぁ、いざ十三や西の国が勝つようなことがあったら――その時はちょっと足掻いてみるから、安心して」
「姉上」
先ほどまでの表情はどこへやら、クリストファーが鋭い視線を私に突き刺してきた。
彼には私がどうやって足掻くのか想像がついているらしい。
冗談だよと笑って誤魔化す。
無論冗談である。それが必要な事態にさえならなければ。





