プロローグ
皆様大変長らくお待たせしました!
天下一武道会編、開幕いたします。どうぞよろしくお願いいたします!
しばらくは水・土の週2回、夜に更新予定です。
調子が出てきたら週3回に戻したいという気持ちはあります。気持ちは。
いよいよ書籍3巻・コミカライズ1巻発売直前になりました!
書籍3巻は7/10、コミカライズ1巻は7/15に発売です。どうぞよろしくお願いいたします。
詳しくは活動報告に画像を上げたりしていますので、ぜひご確認ください。
「エリ様、なんか上の空じゃありません?」
「ん? んー……」
リリアに指摘され、右手に持っていたペンをくるりと回した。
この世界、メインの筆記用具は羽ペンである。
羊皮紙ではない紙が流通しているし活版印刷も出始めているし、トイレも水洗だというのにその辺りの時代考証的なものが果たして適切なのか私には判断しかねるが、迂闊にペン回しの気分でくるくるしてしまうとインクが飛んでしまうところには不満がある。
何となく手持ち無沙汰な時など、ついつい無意識でやってしまいそうになることもしばしばだった。
今日は三年生最後のグループ課題のための勉強会、という名目で図書館に集まっていた。
実際のところほとんどアイザックがやってくれたので今日は私とリリアでまとめるだけ、という予定だったのだが、先ほどから手が止まりがちになっているのは事実だ。
身が入っているかいないかで言えば、はっきり言って入っていない。
では普段は勉強に身が入っているのかと言われるとそれはまた別の話ではあるが。
机に頬杖をついて、窓の外に視線を投げる。冬の少しくすんだ空に、ぼんやりとした雲がかかっている。何とも微妙な空模様だった。
「何ていうか。自分の身の振り方を考えていて」
「身の振り方」
リリアが私の言葉を繰り返した。
しばらく目をぱちくりと瞬いて、そしていきなり勢い込んで立ち上がった。
「ね、年貢の納め時ってことですか?!」
「ちがう」
「いつ籍入れます?!」
「座りなさい」
少し離れた机で勉強していた生徒たちが皆怪訝そうな目をリリアに向けていた。それに気づいたのか、リリアは慌てて口をつぐんで席につき、椅子の上で縮こまる。
まったく、周囲が見えなくなってボリュームを見誤るのはオタクの悪いところである。そんなに小さくなるくらいなら日頃から適切なボリュームを心がけて欲しいものだ。
一息ついて、会話を再開する。
「私、卒業した後のこと、何も考えてないんだよなぁってさ」
何となく、最近考えていたことを口に出す。
乙女ゲームの主人公に選ばれて、ハッピーエンドを手に入れて。
10年かけてその目標を達成してからはお兄様の婚約騒動やら魔女やら目先の対応に追われて、あまり先のことを考えていなかった。
いや……あえて考えようとしてこなかった、というのが正しいかもしれない。
将来、というより、進路だろうか。
己の方向性に悩むよりかは肉体年齢相応の、学生らしい悩みと言えるだろう。
学園の卒業がいよいよというところまで迫ってきて、モラトリアムが終わりを迎えようとしている。目を逸らし続けていた自分の進路というものと、観念して向き合う時がきていた。
卒業したら私は、どうするのか。
何かが明確に変わるわけでもない。きっと変わらず、訓練場と騎士団に通って、時折王城や教会に顔を出して。家族や友人たちと、それなりの幸せを享受して暮らす。
それこそが私の望んでいた日常ではあるのだが……学生という身分がなくなると、途端に地に足がついていないような気がするのは何故だろう。
たとえば学生とか正社員とか、そういう何かしらの保証された身分が欲しくなるのは、何故だろう。
別に国保がやたらと高いわけでも確定申告が面倒くさいわけでもないのにそう考えてしまうのは、前世の記憶がそうさせているのだろうか。
「そんなのわたしも考えてませんけど」
「聖女は手に職だろ」
「聖女のこと資格職みたいに言うのやめてもらっていいですか?」
そう言われても、感覚としては看護師とか薬剤師とか、医療系の肩書きに近いだろう。
絶対に腐らない資格というか、労働環境をさておけば需要は必ずある。食いっぱぐれのない仕事だ。
学園を卒業した後は、今もバイトのように行っている教会でのお勤めが仕事になる。聖女という肩書きももちろんきちんと教会が身分を保証するものだ。
アイザックは次期宰相と次期伯爵を継ぐのだろうし、ロベルトは騎士団に入るのだろう。王太子殿下が即位する頃合いで王位継承権を返上して公爵位を得て、やがては近衛の師団長に、とか、そのあたりが妥当な気がする。
こう考えてみると、卒業して「何者でもなくなる」のは私だけなのではないかという気がしてきて、何となく気が焦る。
周りの友人たちが気づいたら皆結婚していた時のような。
もっというと結婚を通り越して妊娠出産を経験していた時のような。
だからといって私は正規の騎士にはなれないし、もし何としてでもなりたいのかと問われたとしたら、「正直ぴんとこない」というのが回答になる。
一応は貴族令嬢の身の上だ。お兄様だって小姑がいつまでも家にいては結婚しづらくなるだろうし、義弟に不良債権の面倒を見させないためにも、いずれは嫁に行かなくてはならないのかもしれないと、そんなことをぼんやりと考えることもある。
だがそれもどうにも、しっくりこない。
焦りながらも心の奥底で、将来のことなど考えず、惰性で今の幸せを享受し続けたいと思っているからかもしれない。
このままではヤバいだろうと思いながらも、はっきり言って考えるのが面倒くさいと思っているのは確かだった。
では何故、そんな面倒くさい将来と言うやつについて、私が思いを馳せているのか。
それは残念ながら卒業を期に自発的に、などという殊勝なものではなく、必要に駆られたからである。
「この話を訓練場でもしたんだよ」
「相談したんですか!? わたし以外のヤツに!?」
将来について考えるのと同じくらい面倒くさい反応をされた。
相談ぐらい好きにさせてくれ。
そもそも私だって好きで相談したわけではない。訓練場で進路調査書を広げていたのをたまたま見つかったのだ。
そしてそれがきっかけで……私はその面倒な将来とやらについて考えなくてはならなくなってしまった。
ため息をついて、遠い目をする。
「そうしたら、『チキチキ☆エリザベス・バートン優先交渉権争奪! 天下一武道会』を開催することになって」
「ち、『チキチキ☆エリザベス・バートン優先交渉権争奪! 天下一武道会』!?」
リリアが私の言葉を必要以上に大きな声で反芻しながら、立ち上がった。
彼女が座っていた椅子が倒れて、音を立てる。
大きな声と大きな音に引き寄せられた周囲の非難ありげな視線がリリアに集まる。
おろおろしながら周囲を見渡し、あちらこちらに向かって頭を下げるリリアを横目に、私は口を噤んで課題に集中しているような顔をしながら、他人のフリを決め込んだ。





