閑話 カイン視点(2)
魔女編の閑話、カイン・フィッシャー先生視点の2話目です。
これでフィッシャー先生視点は終わりです。
第2部第6章魔女編「51.絶世の美女」あたりまでの内容を含みます。
あと閑話のヨウ視点の内容も含みますので、それらを読んでいただいてからご覧いただくことを、おすすめします。
夜の街を歩く。目的はもちろん魔女探しだ。
学園では取り逃したが、あれはとんでもないイレギュラーがあったからだ。次は逃さない。
石畳を踏みしめて、ふと、気配を感じた。
「先生」
呼びかけられて、気配の主を理解する。
まさかこれほど近づかれるまで、まともに感知できないとは。
そして、気配を隠しているおれを、これほど容易に見つけられるとは。
「……エリザベスちゃんさぁ」
街灯の陰から抜け出して、頭をがしがしと搔きながらため息をつく。
声の主、エリザベス・バートンは、にこにこと愛想良くおれに微笑んでいた。
「何をどうやっておれの気配見つけたわけ? これでも隠密行動してるつもりなんだけど」
「一度覚えた気配は探しやすくなりますから」
「自信無くすなぁ」
がっくりと肩を落とす。
もちろんポーズとしてやっているわけだが、内心では彼女に言いようのない底知れなさを感じていた。
間違っても敵には回したくない相手だ。
「見回りですか?」
「そうそう。お前みたいな悪い子を注意するための、ね」
彼女に向き直って、腰に手を当ててわざと先生らしい口調で説教をする。
彼女の前では、普通の人間らしく振る舞いたいと、そう思ったからかもしれない。
「ダメでしょ、子どもがこんな遅くまで出歩いてちゃ」
「警邏のバイトですよ」
「第四師団、どんだけ人手不足なのよ。昼間ならともかく、夜警にまで駆り出すなんて」
自分の所属する騎士団のことながら呆れてしまう。
もちろん彼女の規格外の強さは身をもって体験したが、そういう問題ではないだろう。
おれたちのような日陰者はともかく……正規の師団であれば、騎士道とやらに則って国民の模範となるように行動するものではないのだろうか。
女子どもをこんな時間に働かせるのが騎士道ならば、そんなもの犬にでも食わせてしまえばいい。
彼女はおれの視線を沈黙で躱して、肩を竦める。
そして一瞬、背後に視線を向けた。何だろうと思っている隙をつくように、彼女がにこやかに切り出した。
「そういう第一師団は人手、足りてます?」
「は?」
思わず目を見開いた。
そして彼女が何故そんなことを聞いたのかに思い至り、眉間に皺が寄る。
「ダメダメ、子どもがやるような仕事じゃないよ」
「いえ、私ではなく、ヨウを引き取っていただけないかと」
「は?」
彼女はおれの言葉を遮るように否定して、背後を親指で示しながら、必要以上に愛想よく笑いかけた。
突如、背後の暗がりから男が飛び出してきた。彼女はそれを半身をずらして回避してから、一歩後退して向き直る。
彼女に気を取られていたことを差し引いても、気配をはっきりとは感じ取れなかった。隠密行動に慣れている人間の身のこなしだった。
現れたのは、長い黒髪を一つに束ねた長身の男だ。その肌の色は、男がこの国の人間ではないことを示している。
ゆったりとした黒い衣服は、城で見かけた東の国のものに形が似ている。
そこまで考えて、気づいた。男の顔に見覚えがあったのだ。
「おいおい……東のお坊ちゃんじゃないの」
警戒を強める。袖の中から手の内に暗器を手繰り寄せた。
東の国第六王子にして、我が国に送り込まれたスパイ、ヨウ・ウォンレイ。見覚えがあるはずだ、短い期間ではあるが、おれのクラスに留学生として出入りしていたのだから。
他国の要人とはいえ国賊だ。それが何故こんなところを、見張りもつけずにうろついているのか。
そういえば、昔第一師団で世話になった尋問官が引き取って面倒を見ていると聞いた気がする。
自分も面倒を見てもらった立場だ、そう強くは言えないが……あの人はすぐに人間を拾ってくる悪癖がある。
しかもきちんと最後まで面倒を見たためしがない。
おれの警戒が伝わったらしく、ヨウ・ウォンレイもわずかに身構えた。
スパイだけあって多少は出来るらしい。
「グリードさんが引っ張ってったとか聞いてたけど……何でこんなとこフラフラしてるわけ」
「ワタシはエリザベスの護衛デス」
「付き纏いの被害に遭っていまして。気配の消し方は割とうまい方ですし、そちらで捨て駒として使ってもらえれば」
「いやいやいやいや……無理があるって。外交上の問題で安易に殺せないだけで大罪人よ、そいつ」
「そこはほら。先生なら安心してお任せできますから」
彼女がにこりと微笑んだ。真意を探ろうとじっと彼女を見るが、笑顔は崩れない。
それどころかどこか挑発的な瞳で、不敵に笑う。
「まさか子ども相手に後れを取ったり、なさいませんよね?」
「残念ながら、挑発に乗ってあげるほど若くないよ」
やれやれと肩を竦める。
おれのことを買っているというよりも、厄介払いをしたいというのが本音なのだろう。
どうやらグリードさんはまた拾ってきた厄介者を適当に放り出したらしい。あの人の悪癖には困ったものだ。
「エリザベス! ワタシは嫌デス!」
ヨウ・ウォンレイが騒ぎ始めた。
しばらく二人がぎゃあぎゃあと言い合っている様子を眺める。
ヨウ・ウォンレイが彼女に向ける視線からは、何となくどす黒く粘度の高いものを感じた。
そういえば学園でも求婚まがいのことをしてまとわりついていたなと思い出す。
あれはおそらくスパイとしての演技だったのだろうが……今の彼には、演技の必要はないはずだ。
彼女の方も邪険に扱っているように見えて、「私の所有物」などと喜ばせるようなことを言っている。
どういうつもりなのか……やはり真意は掴めそうにない。
……おじさんは、やめといた方がいいと思うよ、そいつ。
じっと彼女を見つめながら、声をかける。
「……ほんとに困ってんの?」
「ものすごく」
食い気味に即答された。
彼女の顔を見て、そしてヨウ・ウォンレイに視線を移す。
思わせぶりなことをしているものだと思ったが、本当に自覚がないのだろうか。
微笑みを湛えてこちらを見ている彼女の姿と、幼い彼女の姿が頭の中でオーバーラップした。
まさかあの時のまま、純粋無垢なままだとは思っていない。そう思っているわけではないが……
もし本当に、付き纏われて困っているのだとしたら。
やれやれとため息をつく。
「しょーがない。ここはおじさんが一肌脱いであげるとしますか」
おれの言葉に、彼女がわずかに口角を上げたのがちらりと見えた。
嵌められた。やはりフリだったか、と思いつつ、言ってしまった言葉を今更引っ込めることはできない。
せめてもの意趣返しとして、以前の彼女の言葉を引き合いに出して揶揄ってやることにした。
「ああ、違った。『兄様』が一肌脱ぎますか、だね」
彼女がきゅっと唇を真一文字に結んだ。
その表情の変化につい笑ってしまう。こういうところはまだまだ子どもらしくて、勝手に少し安心した。
だがその表情もわずかなもので、一瞬後にはまたにっこりと笑顔を貼り付けておれに応じた。
「知ってます? 十年以上前のことを『この間』みたいに話し出したらいよいよですよ」
「可愛くないねぇ」
「『格好いい』で間に合っていますので」
彼女の言葉に、ふっと噴き出した。
つんと澄まして言うその姿が、機嫌を損ねた時のあの頃の仕草とまったく同じだったからだ。
いくら見た目が変わっていても、変わっていないところばかりに目が行くのは……変わらないでいてほしいというおれの、願望からなのだろうか。
「じゃ、はいこれ」
「?」
「第一師団の詰所の通行証」
彼女の手に金属片を手渡す。
第一師団の詰所に入る時に必要となるもので……普通は、家族に託すものだ。
通行証といっても、第一師団は影の存在だ。自由に出入りすることを推奨するものではない。
主に第一師団の人間が重傷を負ったり、死んだり。そういった理由で、家族や後見人の出入りが必要になるときのことを想定したものだ。
おれの場合良好な関係の家族がいなかったので、ずっと自分の手元に持ったままだった。
部外者とはいえ、彼女は騎士団の人間だ。おれが話す前から第一師団の存在を知っていたようだし、何と言ってもあのグリードさんの関係者である。
出入りに多少の融通を聞かせても、文句を言うものはいないだろう。
「まさか、預けてそれっきりのつもりじゃないでしょーね」
「たまに様子を見に行きます」
「そうしなさい」
彼女の言葉に頷きながら、わずかに罪悪感が頭をもたげる。
いろいろと彼女が出入りするのに足る理由を並べたが、結局のところ第一師団は影の組織だ。
そこに引き込むような真似をしていいのだろうかと躊躇う気持ちもないわけではなかった。
それでも、彼女にならと通行証を渡したのは……おれのエゴでしかないのだが。
罪悪感を振り払うように、わざと先生ぶって彼女に告げる。
「それじゃ、今日はもう帰んなさい。おれから第四に話を通しとくから」
「ご心配なく。私を襲える暴漢は羆くらいだそうなので」
「おかしいなぁ。羆と引き分けた噂、聞いた気がするんだけど」
「では白熊でしょうかね」
「そういう問題じゃないの。女の子がフラフラしていい時間帯じゃないでしょ」
我ながら矛盾したことを言っている。
そんなに大事なら、子ども扱いするなら、女の子扱いするなら。
通行証は渡すべきではない。引き取ったヨウ・ウォンレイも適当に「不慮の事故」に遭って貰えばいいだけだ。
そうでないなら、通行証を渡してこちらに引き込むなら……夜歩きぐらいでとやかく言うべきではない。
分かっている。理解している。
こんなところばかり先生ぶって、年上ぶって……兄ぶったって、仕方がないことくらい。
だが、それでも、おれは。
「世の中にはね、いろんな趣味の奴がいるのよ」
そう言ったおれに、彼女がふと真剣な瞳になって呟く。
「先生みたいに、ですか?」
「ごほっ!」
思わず咳き込んだ。
まるで全てを見透かしたような言葉だったからだ。
十も年下の女の子に、自分の担当するクラスの学生に、その子が5歳かそこらだったころの思い出を重ねているとは。
傍から聞いたら確かに、おれこそがその「いろんな趣味のやつ」に該当するのかもしれない。
そう自覚すると何ともいたたまれない気持ちになってきた。
魔女よりも第一師団よりも、ヨウ・ウォンレイよりも。危険なのはおれなのかもしれない。
咳き込みながらも、何とか反論を絞り出す。
「そ、れは、今は関係ないでしょ」
◇ ◇ ◇
魔女を探して、街を歩く。
第四師団にクレームを入れたおかげか、あれ以来エリザベス・バートンと夜の街で出会すことはほとんどなくなっていた。
魔女について、第一師団を含む騎士団の中枢では、「出会った者に幻覚を見せるらしい」という情報が共有されていた。
魔女というだけあって魔法のような力が齎すものなのか、それとも薬品などを用いているのか。そのあたりは判然としなかったが、目撃証言にある姿があまりにもバラバラだったことから、そう判断せざるを得ないというのが正直なところだ。
そして、魔女に会った人間の中には、口をつぐむ者が一定数いた。
なかなか魔女のことを話したがらない彼らのうちの一人から何とか聞き出した内容によると……魔女は想い人の姿をしていたのだという。
しかしもちろんその想い人とやらは魔女ではない。
魔女の目撃情報があった日に遠く離れた領地にいたことを家族だけでなく多くの人間が証言しているなど、明らかに本人ではありえない証拠が揃っていたのだ。
そこで一つの仮説が成り立った。
魔女は自分の姿を絶世の美女に見せることができる。
そしてそれは……想い人がいる人間にとっては、その想い人の姿に見えるのではないか、ということだ。
カツン。
路地から靴音がした。
その靴音は……いやに軽い。女性にしても、もう少し……
不審に思って、路地の奥へと身を踊らせる。
暗闇の中、街灯に照らされたその姿を視界に捉えた瞬間……思考が止まった。
その人影は、紛れもなく。
エリザベス・バートンの、かたちをしていた。
だが、違う。
本物ではないと直感する。
靴音が違う。特徴的な、彼女がいつも履いている隠し踵のある靴の音ではなかったし、彼女の体型からするとあまりに軽すぎる。
何よりそれが着用していたのは、学園の制服だったのだ。
騎士団の制服ならともかく、彼女がこんな時間に学園の制服で街をうろつく理由がない。
おれが最も強く記憶している姿で表れているのではないか。そう考えると辻褄が遭う。
つまりこれは、幻覚で……あれこそ、捕えるべき、魔女だ。
彼女がこちらを見ている。
瞬間、身体が竦んだ。あの時の恐怖を身体が覚えているのだろう。
得体の知れないものを感じて、背中に冷や汗が伝う。身体が勝手に後退りを始める。
だがあれは、偽物のはず。幻覚で姿をそう見せているだけで、彼女ほど強いとは、思えない。
それがにこりと微笑む。
その表情はひどく無邪気で、普段の彼女よりもあどけないくらいで……それがかえって恐ろしかった。
所詮は偽物だ、このまま距離を詰めて、捕らえてしまえば。
そう思うのに、身体が動かない。
単に彼女が恐ろしいからか、それとも……彼女のかたちをしたものに危害を加えることを、身体が拒んでいるのか。
彼女がこちらに歩を進める。
おれは一歩、後ずさる。
彼女が腰に佩いた剣に手を掛けた。
反射で2メートルほど後方に飛んだ。
瞬間、おれの立っていた石畳が、大きく抉り取られる。
「いやいやいや」
彼女のかたちをしたものが振り抜いた刃が、勢い余って壁を破壊する様を眺めて、思わず独り言をこぼしてしまう。
この惨状を含めて幻覚という可能性もあるが…….もしそうでなければ、掠っただけで頭が吹っ飛ぶような威力だ。
「勝てないでしょ、こんなの」
おれは即座に、離脱を選択した。
路地を駆けて、とにかくそれから距離を取る。それはまるで鬼ごっこでもするかのような笑顔でおれを追ってきた。
幻覚だと分かっていても、本能が警鐘を鳴らしていたのだ。
あれと戦うな、と。
その時のおれは、完全に冷静さを欠いていた。だから、周囲の確認を怠った。
壁を蹴って飛び出した先、こちらに曲がってきた馬車。
衝撃と、暗転。
霞む意識の中で、こんなものか、と思った。
おれの人生なんて、こんなものか。
◇ ◇ ◇
しぶとく一命を取り留めたおれの元に、エリザベス・バートンが訪れた。
しかも、聖女リリア・ダグラスを連れて。
こんなところに友達、しかも聖女様を連れてくるとはどういう神経をしているのだろうか。
止めなかった見張りたちも何を考えているのだろうか。
聖女が「聖女の祈り」を発動させると、あっという間に傷が治っていく。
骨折まで見事に元通りになった。
目の前でこの奇跡を目にすると、聖女というものを信仰する気分も何となく理解できる。
そしてあの魔女が使っていたのも……こういった奇跡の一種なのではないかという気がしてきた。
正面からやり合わなくて正解だったかもしれない。
聖女の祈りのような、それこそ神のような得体の知れない力によるものだとすれば、たとえ本当に幻覚であったとしても……何かしらのダメージを受けた可能性があるように思えた。
傷が治っていく様子に、おれも人間なんだな、と改めて思った。当たり前のことだが……それでも。
彼女と再会してから、気づいたことだった。
「あれは……魔女だ」
「ま、魔女、会ったんですか!?」
魔女に会ったことを告げると、聖女が一歩おれの方へと詰め寄ってくる。
近々教会を通して聖女への協力要請をする手筈だと聞いていた。
もしかしたらすでに聖女にも何か情報が行っているのかもしれない。
年端も行かない女の子に任せるのは気が引けるが……あれほどはっきりと幻覚を見せられるなら、並大抵の者では対処ができないだろう。
聖女の協力は不可欠になるはずだ。
「ど、どんなでした!? 何系!? 美人でした!? セクシーでした!? キュートでした!?」
勢いよくそう問い詰められて、やや面食らう。
学園でも聖女という立場に驕ることなく、勉強にも行事にも真面目に熱心に取り組んでいる印象だ。
魔女探しへのやる気が有り余っている、のだろうか。
答えようとして、しかしおれは口を噤んだ。
何と表現すればいいか分からなかったからだ。まさかこの場にいる人間そっくりの姿をしていたなどと、言えるはずがない。
ちらりとエリザベス・バートンを盗み見ると、何故か目が合った。咄嗟にさっと視線を逸らす。
おれには魔女が、エリザベスちゃんそっくりの姿に見えた。
それが意味するところなど、一つしかない。
しばらく口籠った後で、小さく本音をこぼした。
「まぁ、いい女だとは思うよ」
おれの台詞に、エリザベスちゃんも聖女も、分かったような分かっていないような顔をしていた。
◇ ◇ ◇
「王子様」
そう呼ぶと、ヨウ・ウォンレイが屋根裏から降りてくる。
国賊の世話など誰が見るのだろうと思っていたのだが、意外なことにすっかり第一師団に馴染んでいた。
本人がたいてい屋根裏に潜んでいるのもあるだろうが、もとはグリードさんが拾ったという経緯と時折訪れるエリザベス・バートンとの奇妙なやり取りもあって、「変なやつ」という立ち位置ではあるが皆その存在を受け入れていた。
他の団員にも脛に傷のあるものが多いからかもしれない。
時間のある時には世間話に興じたり、組み手をしたりもするし、ふざけてわざと「王子様」と呼んだりもする。
そういう関係性だった。
ベッドに座ったままで、ヨウの顔を見上げる。
エリザベス・バートンと相対する時以外は無表情なことが多いヨウが、おれの顔を見て珍しく目をわずかに見開いた。
先ほどまで大怪我を負っていた人間がすっかり回復しているのだから、当然だろう。
添木を外し、包帯を解いた手を動かす。
本当に骨は繋がったらしい。それでも身体が妙な倦怠感に包まれており、今にも瞼が落ちてきそうだった。
回復には体力を使うような話をしていたし、すぐに万全とはいかないのは当然か。
「仕事だ。それもお前さん念願の、エリザベス・バートンの護衛だぞ」
わざと茶化して言えば、ヨウは訝しげに眉根を寄せておれの目を見た。
第一師団で引き取って面倒を見ているうちに、気づいていた。
こいつがエリザベス・バートンに向けるどろどろとしたその感情が……彼女への害意や、殺意に根差したものではないということに。
本人は認めないかもしれないが、こいつは彼女に執着しているだけだ。
おれは彼女に救われた。
こいつが奪われたのか、それとも救われたのか。それは分からないが……腹のうちに抱えているものは、きっとおれと似たようなものだろう。
黒々とした瞳をまっすぐに見返して、言う。
「あの子が無茶しないように……頼んだからな」
ヨウが詰め所から姿を消した。
それに満足して、おれは再びベッドへと沈み込んだ。
◇ ◇ ◇
夢を見た。
小さなあの子に手を引かれて、花畑の中を歩く夢だ。
こんなに汚れた手に触れてはいけない、と思う。
こんな、血に塗れた、おれの手に。
それに気づいたらきっと彼女は、おれを怖がるだろうから。
しかし彼女は、おれの手をよりいっそう強く握った。
顔を上げる。おれの手を引く彼女の姿は、今の……18歳の彼女のもので。
おれよりも大きくなって、背中だって広くなって。
それでも、振り向いて笑う顔は、あの頃と変わらない。
いや、あの時よりも……いい女になっていた。





