閑話 アイザック視点(3)
魔女編の閑話、アイザック視点その3です。
これで最後です。
第2部第6章「43.用語チョイスが残念すぎる」あたりまでの内容を含みます。
深夜に備えて仮眠をしていた宿直の用務員を叩き起こして、学園の外を巡回していた騎士たちを捕まえて……校舎へと戻ってみれば、全てが終わった後だった。
破壊された校舎は惨憺たる様相で……魔女の仕業という話だったが、その場にいた騎士も僕も、この被害のいくらかは彼女の手によるものだろうと考えていた。
何故か一緒にいたフィッシャー先生はずたぼろだったのに、彼女は傷一つないところも怪しい。
どんなに怪しんだところで、彼女に「助かったよ」と微笑まれると、そんなことはひどく瑣末な問題であるように感じられてしまうのだが。
僕も相当に現金な人間だ。
「いやはや、しかし、あんなに校舎を壊すなんて、魔女というのはとんでもないなぁ」
「…………」
彼女の言葉にじろりとその横顔を睨む。
僕がどれだけ心配したか、葛藤したかなど知る由もないのだろう。
だが、この学園に紛れ込んだ何者かと交戦したことは確かだ。その不審人物を追い払うために生じた被害であれば、仕方がない。
多少やりすぎのきらいはあるが……褒められこそすれ、怒られるようなものではないだろう。
そのおかげで彼女が無事だったのだと思えば安いものだ。
隣を歩いていた彼女が、また軽口めいた口調で溢した。
「先生と二人きりも気まずかったんだ。ほら、あの人ロリコンの気があるし」
「ろっ」
想像もしていなかった発言に、驚きのあまり手に持っていたカンテラを取り落とした。
ロリコン?
ロリコンというのは、少女性愛者ということだ。
先生というのは、フィッシャー先生のことだ。
つまり、まさか、あの人が?
この王立第一学園の教師が、そうだというのか?
そして、それを彼女が知っている理由は……
さーっと血の気が引いた。
咄嗟に、呑気にカンテラを拾っていた彼女の肩を掴んで揺さぶってしまう。
「まさか、何かされたのか!?」
「されるわけないだろ」
その言葉に、張り詰めていた緊張の糸が緩む。
彼女は年齢よりも大人っぽく見える方だとは思うが、だからこそ時折見せる無邪気な笑顔などは普段との落差で非常に可愛らしく感じられることがある。
それ故にそういった趣味の人間に目をつけられてもおかしくはないと心配になってしまったが、杞憂だったようだ。ほっと安堵の息を吐く。
いや、だがそれならば、ロリコンというのは一体……?
「お兄様曰く、私の初恋の人らしいから。向こうが覚えていたら気まずいなって、それだけだよ」
「は?」
目を瞬く。
思考が完全に止まってしまっていた。ただ彼女の顔を凝視することしかできない。
初恋の、人?
フィッシャー先生が?
バートンの?
そんな話は、初めて聞いた。
以前、まだ恋をしたことがないと、そう言っていたのに。
照れくさそうに言うその表情に見覚えがないことも、僕の心を激しく揺さぶった。
階段のせいで普段よりも下の方にある彼女を見たままで立ち止まる。
早く来いと再度せっつかれるが、足が、いや、指一本たりとも、動かなかった。
震える唇を開いて、乾いた喉から声を絞り出す。
「……初恋?」
「うん。私は覚えてないんだけどね」
「お前が?」
「うん」
「フィッシャー先生に?」
「うん」
けろりとした顔で頷かれて、目の前が真っ暗になるような、頭の中が真っ白に塗り込められていくような心地がした。
僕にとっての初恋は、目の前にいる彼女で。
僕はそれをずっと今も、大切にしていて。
今もそれは、こうして、僕を支え、導いてくれるのに。
もし彼女にとってのそれが……初恋が、フィッシャー先生だとしたら。
僕と同じようにそれを、大切に胸に抱いているならば。
僕に入り込む余地は、あるのだろうか?
今までその話を打ち明けてすらもらえなかった、ただの友達の、僕が。
そう考えると、喉の奥が狭くなって、呼吸が詰まる
その日、どうやって家に帰ったのか、よく覚えていない。
それからもつい、彼女の初恋について思い悩んでしまう日々が続いた。
他でもない、初恋を胸に抱えて十年以上過ごしてきた僕には……それがどれだけの力を持つものか、よくわかっている。
だからこそ、昔のことだろうと簡単に切り捨てることなどできそうになかった。
「アイザック」
「……どうかしたか」
「どうかしてるのは君だろ。何だかよそよそしいし、目が合わないし。何かあったのか?」
「……何もない」
「ふぅん」
その日も、彼女とダグラスと勉強会をしているというのに上の空になってしまっていたらしく、呆れた様子の彼女にため息をつかれた。
気まずくなって視線を逸らす。
僕が彼女に恋をしていることを知らないのだから、僕がなぜ動揺しているのか、何を思い悩んでいるのか……彼女には分からないだろう。
今はただの片想いだ。僕に彼女を問い詰める権限がないことも理解している。
だからこそ、一人でぐるぐると考えているのだ。
僕が顔を背けているのに焦れたのか、彼女が僕の両頬を片手で鷲掴みにして無理やり振り向かせた。
「ふぎゅ」
「何もない奴がこんな顔するわけないだろ」
「は、はなせっ」
つんつんともう片方の手で眉間をつつかれた。
友達としてふざけているだけなのだと分かっていても、こうも不用意に触れられるとこちらとしてはその度に内心で悲鳴をあげそうになるのでたまったものではない。
こんな状況でも距離を詰められるのが嫌というわけではないのが、自分の浅ましさを理解させられて、余計に困る。
彼女の手を振り解き、眼鏡の位置を直しながらややぶっきらぼうに言う。
「関係ないだろう、お前には」
「あるよ」
お前には僕の気持ちは分からないだろう、という意図と……僕なんかに構っていないで初恋の相手のことを気にかけていればいいだろう、という、どこか嫉妬じみた感情がないまぜになって、必要以上に素っ気なく答えた僕の言葉を、彼女が即座に否定する。
あまりに即答されたので、咄嗟に彼女の目を見た。
彼女はやれやれと呆れたような顔で肩をすくめていた。
「親友だろ」
その言葉に、押し黙る。
親友だと思ってもらえていることは嬉しい。僕が上の空なことに気がついて、気にかけてくれたことも……嬉しい。
だが、僕はそれだけでは足りなかった。
親友というだけでは……満足できない。
考えても詮のないことだとは分かっていても……彼女の初恋が僕であったならと、そんなたらればまで思考が及んでしまうのを止められなかった。
それでも、いつまでもぼんやりしているわけにはいかない。彼女にも心配をかけてしまう。
しばらく逡巡したのち、僕は彼女に問いかけた。
「バートン。お前に、聞きたいことがあるんだ」
ダグラスとじゃれあっている彼女に、意を決して切り出す。
「お前の……その。初恋の話が、気になって」
「……は?」
「すまない、詮索するつもりはなかったんだが」
言い訳がましく言い募る。親友という立場上、口うるさく言う権限などないことは承知している。
しかし、いつか彼女にも言った通り……親友という間柄ならば、恋愛相談などに乗ることだってあるはずだ。
少し話を聞くくらいは許されるだろう。そう、心の中でまた言い訳を重ねる。
僕の顔を見てぱちぱちと目を瞬いていた彼女が、突然何やら表情を固くする。
何かと思えば、飛びついてきたダグラスがぎゃあぎゃあと騒ぎ立て、そんな話は知らないだの浮気だのと彼女を問い詰め始めた。
その様を見て、どこか安心した。彼女の友達であるところのダグラスがああまで取り乱すのだから、僕が少しくらい詮索したとてさほど気に留めないだろう。
そして……友達という立場でありながらあそこまで嫉妬と独占欲を丸出しにして騒ぎ立てられるダグラスが、少しだけ羨ましくなった。
もちろんダグラスが一度彼女に好意を伝えているからこそのことだとは思うので、僕が同じように騒ぎ立てたいと思っているわけではないのだが。
ダグラスと対峙していた彼女が、ふっと相好を崩す。
困ったような、ややバツの悪そうな笑顔だ。
「子どもの頃の話だよ」
彼女の言葉と表情が、頭に引っかかる。
このままだとまた一人で思い悩むことになることが予想されたため、僕もダグラスに乗じて、一歩踏み込んで問いかけた。
「今は、どうなんだ」
「ん?」
「今でも、……まだ、その頃の気持ちが」
「私がそんなに一途に見えるか?」
彼女が茶化して笑う。何と答えるべきか分からず、押し黙った。
令嬢たちと接する姿を見ている限り、一途そうには見えないが……だが、将来的なことを考えると……彼女には一途になってほしいと、勝手ながらに思ってしまう。
僕の葛藤など梅雨知らず、彼女が首を横に振った。
「5歳とかの話だぞ。そんな小さい頃のことなんて、ほとんど覚えてないって」
「そういう、ものか?」
「そりゃ、君は頭がいいから覚えてるのかもしれないけどさ」
当然のように言われて、首を捻る。
8歳のころからずっと初恋を引きずり続けている僕にとっては理解し難いが……彼女に嘘をついている様子はない。
どうやら覚えていないというのは本当らしかった。
「覚えてないのにどうもこうもないだろ」
「そう、か」
「そうだよ」
その言葉に、ほっと肩の力が緩んだ。
彼女の初恋がまだ続いていたとして、諦めるつもりはなかったが……初恋というものが持つ力はよく理解している。
尻込みしそうになるくらいには、難航するだろうと覚悟していた。
その心配がなくなって、やっと緊張が解けて……久しぶりに、彼女のことをまっすぐ見られた気がする。
目の前で苦笑する彼女につられて、僕も口元が綻んだ。
その後、僕以上に狼狽するロベルトを見て、そしてそれでもロベルトの気持ちには気づいていない彼女を見て、安心するやら不安になるやら、微妙な心境になった。
僕が彼女に釣り合う地位を手に入れるまで……僕が気持ちを告げるその時まで、どうかそのまま、他の誰の気持ちにも気づかずにいてほしいと、そう思った。





