閑話 ヨウ視点(2)
魔女編で再登場した、ヨウ視点の閑話その2です。
第2部第6章魔女編の「53.私の知るエリ様は(リリア視点)」あたりまでの内容を含みますので、そちらまでご覧いただいてからお読みいただくことをお勧めします。
なお、読まなくても本編を読む上では影響はありません。
また4月の頭にエイプリルフール小話を活動報告にUPした話をしていない気がしてきたので、そちらもまだご覧になっていない方はぜひ。
リリアと攻略対象たちが何かわちゃわちゃしている系のお話です。エリザベスは出てきません。
「王子様」
例の教師に呼ばれて、屋根裏から降りる。
ディアグランツ王国の暗部に所属しているこの男に身柄を引き渡されてから、王城の奥にある第一師団の詰め所が俺の居所になっていた。
曲がりなりにも国賊を城の中枢で拘束もせずに自由にさせているとは、この国はどこまで平和ボケしているのだろうか。
まぁ、この第一師団も精鋭揃いだ。あいつと同じで俺のことを取るに足らない、警戒の必要すらない人間だと思っているからこその対応かもしれないが。
とはいえ、国の平和を陰ながら司る人間に囲まれているのは居心地が悪い。
必然的に訓練だなんだと言い訳をして、詰所に人が多い時には屋根裏やら物陰に潜むことも多かった。
この男が俺を「王子様」と呼ぶものだから、他の第一師団の人間からもそう呼ばれている。
今更俺が王子などとは誰も思っていないだろうが……嫌味として受け取っておく。
男は今、ベッドに腰かけていた。
魔女と行き会って、逃げる際に馬車に撥ねられて怪我を負ったということだった。
骨折したらしいが、普通馬車に撥ねられたらその程度では済まないだろう。
エリザベス・バートンも相当イカレていると思っていたが、こいつも中々だ。
普段は気の抜けた顔と飄々とした態度でいる男が、いやに真剣な目をして俺を見る。
「仕事だ。それもお前さん念願の、エリザベス・バートンの護衛だぞ」
口調こそ砕けたものだが、その眼光は鋭い。
この国でも随一の強さを誇るこの男が対峙して、逃げるしかなかった魔女。それだけでもどれだけ警戒すべき相手か分かるというものだろう。
「あの子が無茶しないように……頼んだからな」
妙に親しげに彼女を呼ぶ男を怪訝に思いながらも……俺はその指示に従って彼女を尾けるために、詰め所から姿を消した。
◇ ◇ ◇
王都のはずれ、騎士団の詰所に程近い住宅街で、彼女の姿を見つけた。
騎士団の制服を着ている。これから勤務か、それとも交代するところだろうか。どちらにせよ向かう先は詰所だろう。
いつ気取られるか分からないが、とりあえず気配を隠して尾行を試みた。
彼女はしばらく路地を歩いていたが、ふと立ち止まった。
かと思えば、ふらふらと覚束ない足取りで、目的地とは別の方向に歩き始める。
「エリザベス?」
咄嗟に名前を呼ぶが、返事がない。
無視されているならそれはそれで興奮するので問題ないが……どこか、違和感を覚えた。
影から姿を表して、分かりやすく足音を立てながら彼女に歩み寄る。
「エリザベス、詰所はそちらでは、」
彼女の肩に手を掛ける。
彼女がこちらを一瞥した。
その眼差しに……ぞくりと一瞬で悪寒が走る。喜びのそれとは似て非なる感覚だ。
その目はまるで、虫けらでも見るような目で。
それだけならばいつもと変わりないが……しかしそこには、明確な……敵意が滲んでいた。
冷汗がどっと噴き出す。
この一瞬で、彼女のほんの気まぐれで、死んでいてもおかしくなかった。
直感でしかないが、そう確信するには十分なほどの――俺を排除するという意思を感じ取る。
「邪魔をするな」
彼女が俺の手を振り払う。
その仕草ひとつとっても、やはり普段と違うと感じた。
彼女が俺の手を振り払うこと自体はいつも通りだ。邪険にされることだって日常茶飯事で、むしろ望むところだ。
だがこれは、違う。
あの恍惚とした感覚が湧き起こらない。
それはおそらく彼女が俺に感じている、不快感だったり、恐怖だったりのマイナスの感情がないからだ。
俺が求めているものがないからだ。
そこで理解する。
ああ、そうか。
この目は俺を、見ていないのだ。
ただ絡みついた蜘蛛の巣を払うような、障害物を払い除けるだけのことで……その障害物が何であるかなど、興味がない。そういう目だ。
俺のことなど、眼中にも入れていない。
というより――他の何も目に、入っていないような。
意識が朦朧としているような、生気のない瞳だった。
彼女が腰に佩いていた剣を抜く。
それを大上段に構えて、そして――何の躊躇いもなく、振り下ろした。
そのスピードは間違いなく、俺に避けさせようという意図のないものだ。その証拠に髪を少々持っていかれた。
すんでのところで後ろに飛びのいて、躱す。
不本意ながら第一師団の連中に鍛えられていなければ――以前の俺ならば、躱せなかっただろう。
だが不安定になった姿勢では、その後に放たれた蹴りは避けられなかった。
脇腹を思い切り横薙ぎに蹴り抜かれて、受け身も取れないまま吹き飛ばされた。
彼女は壁に体を打ち付けてうずくまる俺を一瞥もせず、剣を鞘に戻すと、踵を返して再び歩き出す。
攻撃には力が入っていたものの、歩いている様子はやはりどこかふらついているように感じられた。
まるで夢遊病者のような、自分の意志ではなく――何かに操られているような。
はっと思い出す。
魔女について、第一師団の連中が話していたことを。
出会ったものに幻覚を見せる術を使うらしい。
それによって、出会った人間は骨抜きになったり、ぼんやりしたまま正常に戻らなかったりしているそうだ。
それが薬剤の効果によるものなのか、本当に魔法のような何かによるものなのかは不明らしいが……
彼女のこの状態が、魔女に出会ってしまったからだとすれば、辻褄が合う。
ということはつまり――魔女に幻覚を見せられて、どこかに連れて行かれそうになっている?
いったい何のために? どこに連れて行くつもりだ?
思考するが、魔女については聞きかじった程度の知識しかない俺に分かるはずもない。
魔女に出会ったという男たちは誰も、連れ去られたりはしていなかった。
だが、何故だろうか。
彼女をこのまま見送ってしまったら……二度と。
二度と、戻ってこないのではないかと、そんな想像が頭を過ぎった。
今にして思えば、ここでこのまま逃げてもよかったはずだ。
しかし、その瞬間はそんなことは、一片たりとも頭を過らなかった。
あいつを、連れ戻さなければ。
その思いに突き動かされるように、立ち上がった。
「エリザベス」
呼びかけて、彼女に歩み寄る。
肩に手を掛けようとしたところで、逆に向こうから腕を掴まれた。
凄まじい力で腕を引かれて投げられそうになったのを、身体を捻って彼女の首に足を絡みつけることで回避する。
脚で頸動脈を締めて落とそうとしたが、彼女が俺を肩に乗せた態勢のまま、地面を蹴って体を捻り、近くにあった街灯に俺の身体ごとぶつかるように倒れ込んだ。
受け身の取りようがない姿勢で、硬い金属製のポールに体を打ち付ける。
衝撃に一瞬呼吸が止まる。これは確実に、肋骨が折れた。
たまらず彼女の肩を踏みつけて飛びのこうとするが、離脱の瞬間に足首を掴まれた。
俺の動きの方向に合わせて勢いを生かすようにぐるりと一回転した後、身体を放り投げられる。
辛うじて態勢を立て直して、地面を転がりながらも何とか着地する。
彼女は俺を放り投げた瞬間に興味を失ったらしく、またこちらに背を向けて歩き出していた。
「待ってくだサイ、エリザベス」
呼びかけるが、返事はない。
それどころか、振り向きもしない。
ああ、くそ。
何でだよ。
こっちを見ろよ。
お前が見てくれないと、お前が反応してくれないと、俺は。
息が出来ないのに。
「魔女なんかに負けてんなよ、この馬鹿女!!」
悲鳴のように叫びながら、彼女に突進する。
鞘に入れたままの剣をこちらに構えたので、寸前でしゃがみこんでその足にしがみつき、引き倒そうと試みた。
蹴りが顔面に直撃する。だが、腕は離さない。
何度も蹴りつけられるが、俺はしつこく彼女にしがみついた。
身体中が痛い、はずだ。だが不思議と痛みは感じなかった。
それよりもだんだんと頭がぼんやりしてくることや、腫れた瞼で視界が不明瞭になってくることの方が問題だった。
このままだと殺される、と思った。
それを望んでいたはずなのに……俺の思考はどうやってこいつを止めるかと、そればかりに向いていた。
死にたくない。
死にたくないが、こいつがいなければ――また、どうやって生きて行けばいいのか分からなくなる。
俺が探していたのは、死に場所ではなかった。
生きていくための理由が欲しかったのだ。理由があるから生きていてもいいのだという免罪符が欲しかったのだ。
今、俺にとってのそれは、こいつだ。エリザベス・バートンだ。
こいつにあの嫌そうな顔をされると心が安らぐ。
こいつに苦々しげに拒絶されると胸が躍る。
こいつに吐き捨てるように名前を呼ばれると、生を実感する。
そのために生きている。そのためであれば、俺が生にしがみつくことにもっともらしい理由がつけられる。
それがなくてはきっと、生きていかれない。
このままどこかへ姿を眩まされるなどーー絶対に、許さない。
霞がかった思考の中で、思い出した。
聖女。
そうだ、聖女だ。
第一師団の連中が話していた。魔女の力が薬によるものでも、魔法でも。どちらであっても聖女なら対抗できるのではないかと。
――まだだ。
俺は死にたくない。
どうせおめおめと生き残ったのだ。
こんなところで――何も感じないこいつに殺されてやるなんて、そんな無価値な死を受け入れてなるものか。
まだ、俺には。
出来ることがあるだろう。
ぼやけていた視界がクリアになっていく。
俺はこいつが憎い。大嫌いだ、反吐が出る。そして同時に、恐ろしい。
だが――俺にはこいつが必要だ。
俺が生きていくには、こいつが。
だから、そのためなら、何だってする。
他人だって利用してやる。
もともとこの国へは、そのつもりで来たのだ。
こいつを誑かして利用して、聖女を手に入れるためにここへ来たのだ。
今更他の人間を利用することを躊躇って、何になる。
握っていた手を放す。
彼女はやはりこちらを一瞥もせずに、軽く足を払って歩き出した。
追ってこなかったことを、後悔させてやる。
絶対に連れ戻してやる。
そう思った。
その感情がすでに憎しみや執着と呼ぶには複雑すぎるものになっていたことは――俺自身、よく理解している。
だが、他に名前の付けようがないものだということも理解していた。だから俺はそれを――他の名前で呼ぶことは、ないのだろう。
◇ ◇ ◇
這う這うの体で夜闇が深まる街を駆ける。
聖女の動向は過去に調べている。休日はたいてい教会にいるはずだ。この時間ならまだ、家には戻っていないだろう。
幸い足は折れてはいなかった。腕は怪しい、肋骨は確実に何本か、折れている。
痛みは麻痺しているが、妙な熱さを感じる。
口の中には血の味が広がっているし、瞼が腫れているせいで右目がまともに開かない。
だがそれでも俺は……聖女の元を目指して街をひた走った。
あいつを正気に戻すために。
俺の生きる理由を、繋ぎ止めるために。
◇ ◇ ◇
聖女と、何故か一緒にいた第二王子の姿を見つけた瞬間、身体から力が抜けた。
痛みが思い出したかのように襲ってくる。壁に寄りかかって何とか身体を支えた。
意識が朦朧としてきて、自分が何を口走っているのか、だんだん分からなくなってくる。
ああ、これで死んだら本当に、元も子もない。
だが不思議と……悪くない気分だ。
もちろん死にたくなどないが……もし死んだなら、残るのだろうか。
俺の存在が、あいつの中に。
あいつを助けた人間として……価値を持つのだろうか。
「勝手に生きろと言われまシタから。エリザベスが嫌がりそうなことをして、ニヤニヤ眺めて生きていくことにしまシタ」
勝手に。そう。俺は勝手にさせてもらう。
あいつの都合など知るものか。
あいつが俺に言ったのだ。勝手に生きろ、と。
今更俺が何をしたって、文句を言う筋合いはないはずだ。
霞む思考の片隅で、思い出す。
あの時。「勝手に生きろ」と言われたときに――本当は、少しだけ。
まるで俺は、許されたような気がしたのだ。
俺が俺として――俺のために、生きることを。
だからといって俺はあいつを許せないが、それでも。
そのほんの少しが、俺の中に残ったのだ。
結果として――あいつを、生きる理由にしてしまうくらいには。
だから、そうだ。
俺だけがそう思っていたら、不公平だろう。
「それでも、ワタシでは勝てまセンから。このまま魔女に連れて行かれたら……二度と戻って来ないかも。そうでなくても……ワタシ以外にも誰か、傷つけてしまうかも」
あいつの顔が思い浮かぶ。
余裕ぶった顔、怪訝そうな顔、気味悪がっている顔。
泣き顔は――想像もつかない。
もしあいつにそんな顔をさせるなら――俺がいい。
得体のしれない魔女になど、譲ってやるものか。
体を支えられなくなって、その場に倒れ込む。地面に崩れ落ちながら、俺は意識を失う直前に、うわごとのように最後の言葉を絞り出した。
「――あいつを、止めてくれ」





