閑話 ヨウ視点(1)
たいへんお待たせしました。
魔女編で再登場した、ヨウ視点の閑話その1です。
全部で2話あります。2話目も今週中に上げられたらいいなと思っています。
ずいぶん前の「Bonus Stage 番外編」の第258部分、「別に。理由なんてないよ」の内容を含みますので、忘れちゃったな~という方はそちらもチラ見してからご覧いただくのがおすすめです。覚えていなくても多分だいじょうぶなようには書いていますが……
なお、読まなくても本編を読む上では影響はありません。
死に場所を探していた。
バートン公爵家にも、ディアグランツ王国にも……そして、母を見殺しにした、東の国にも。
復讐してやりたい、見返してやりたい。
その思いは常にあった。
結果として、自分の身がどうなろうと構わない。そう思っていた。
刺し違えることになってもいい。それで誰かを道連れに出来るなら……それでよかった。
そしてそれと同時に、心のどこかで思っていた。
もう生きる意味などない。もしもすべてを成し遂げて戻ったとしても……東の国に、自分の居場所があるとは思えない。
それならいっそのこと、すべて。
すべてを、もう終わりにしてしまいたい。
母の死を知ったその日から……そんな、どこか自暴自棄とも言うべき思いを持っていた。
だというのに、作戦が失敗しても、俺はまだおめおめと生きていた。
死ぬことも許されずに捕らえられ、牢の中で暮らすことを余儀なくされた。
このまま捕虜として、だらだらと牢の中で飼い殺しにされるのは御免だ。
だが……東の国に返されたところで、そこに待っているのは屈辱だけだろう。あっさり死なせてもらえる保証もない。
ならば、せめて。
ここで敵の手にかかって死ぬのが、犬死にの中では一番マシだろう。
そう考えてエリザベス・バートンを呼びつけ、挑発した。
こいつに殺してもらおう。俺のことを助けるなどという余計な真似をしたのだから……責任を取ってもらおう。
「ハッ、結局ビビったんダロウ。お前のようにぬくぬくと育った甘ちゃんに、人間なんて殺せるものカ!」
そう言って嘲笑って見せた俺に、エリザベス・バートンが手を伸ばした。
ああ、やっと終わりだ。やっと楽になれる。
少しでもこいつの心を不快にさせられたなら……それで。
「安い挑発だな」
ぐにゃり。
目の前で、鉄格子が曲がった。
まるで、飴細工のように、簡単に。
目の前にいたエリザベス・バートンが、鉄格子の隙間から牢の中に這入ってくる。
ご丁寧に鉄格子を元に戻していた。
何故だろう。その瞬間。
逃げられない、と。
そう思った。
「ほら、わざわざ近くに来てやったぞ。唾だって掛け放題だ。挑発してみろよ」
エリザベス・バートンが、こちらを見る。
見ては、いるものの。
それはとても……人間を見る目ではなかった。
まるで路傍の石でも、見るような。
ぞくりと悪寒が走る。
ああ、こいつは、本当に。
俺のことなど、眼中にないのだ。
自分を殺そうとした人間のことすら……いや。
殺すことができなかった程度の存在のことなど、どうでもいいのだ。
そう思ったら、怖くなった。
きっとこいつは、何の理由もなく無感情に無感動に、俺を殺す。
何の理由もなく無感情に無感動に、俺を生かしたように。
「どうされたいんだ? おねだりしてみろ。私は甘いらしいからな。叶えてやるかもしれないぞ」
身体が勝手に震えてしまって、がちがちと音を立てるばかりで歯の根が合わない。
怖い、恐ろしい。
言いしれない恐怖が押し寄せる。
死んでもいい、はずだった。
なのに俺は急に、怖くなった。
死ぬことが怖くなった。
こいつに殺されることが、怖くなった。
殺されても、何も、何一つ。残せない気がした。
結局俺はどこかで思っていたのだ。犬死になどと言いながら、自分の死には何かしら、意味があるはずだと。
それを心の拠り所にして、強がっていただけなのだ。
義憤にかまけて、本当の「死」という事象から目を逸らしていたのだ。
その前提があっさりと突き崩されて……途端に、怖くなった。
誰にも平等に無価値に訪れる「死」というものを直視して、戦慄した。
無意味に死ぬことが、怖くなった。
必死で後ずさりしても、狭い牢の中では逃げようがない。
あっという間に俺を追い詰めた彼女は、俺の髪を掴んで引き寄せた。
淀んだ青色の瞳に映る俺は、ひどく惨めな顔をしていた。
それでも彼女の瞳には……何の感情も、宿っていない。
「私はね、興味がないんだ。君が死んでいようが、生きていようが。生かしてやる義理もなければ、殺してやる義理もない。ただ、それだけだ」
嫌だ、死にたくない。
殺されたくない。
殺されたくない、死にたくない。
死にたくない!
「死にたければ、勝手に死んでくれ。生きたければ、勝手に生きてくれ。私の助けをあてにするな」
彼女が俺の髪を掴んでいた手を放して、背中を向ける。
悔しかった。だがそれと同時に、いやそれ以上に、安堵した。
俺はまだ、生きていた。
そうしてまたおめおめと生き延びた俺はベッドにへたり込んだまま、すすり泣くことしかできなかった。
◇ ◇ ◇
結局俺は、死に場所を探しているような気に、なっていただけだった。
それを突きつけられて、頭を殴られたような気がした。
生きる意味もない、だが死にたくない。
では、俺は……どうすればいいのだろう。
時間だけは売るほどあったが、考えてみても答えは出なかった。
だがぼんやりと無気力な日々を送る中でも、俺を見た彼女の目を思い出すと――不思議と生きている実感が湧いた。
まるで路傍の石でも見るような目を向けられたことを何度も思い出しては、生きているだけよかったのだと自分に言い聞かせていた。
「お前、なんかやりたいこととかないわけ?」
ある時、尋問官として俺のところに通っている男からそう問いかけられた。
すでに東の国には見切りをつけられた。
人質として受け渡そうと要請をしても、それを拒否されているのだと言う。
もし母が生きていると信じていた頃の俺なら、そんなはずがないと言えたかも知れない。
だが今の俺には……この男が話すそれは真実なのだろうと思えた。
そもそも、捨て鉢になって俺の知っていることはすべて話した後だ。嘘をつく理由がない。
俺のそんな様子を知っているからか、その男はどこか同情したような目を俺に向けていた。
敵国の人間の同情など、くそくらえだ。
敵国と言っても、もう味方の国などどこにもないが。
「タダ飯食らいを置いとくってのもアレだし、こっちとしちゃ何か使い道を考えてるんだが……」
「…………」
「なんかお前、このまま前線に出したらすぐ死にそうなんだよなぁ」
男が困った様子でぼりぼりと頭を掻く。
とんだ見当違いだ。俺には自ら死を選ぶ勇気すらないというのに。
「さすがに王族だし、死なせたら妙な因縁付けられかねん」
そうか、その手があったか、と思った。
俺がここで死ねば――こいつらに捕まった挙句に殺されたなら、東の国がこの国に攻め入る正当な理由になるのか。
もしかして東の国は、初めからそのつもりで、俺を?
ふと浮かんだその考えは、今まで気付かなかったのが不思議なくらい、真実に近いものに感じられた。
もともと相当に無理のある、特攻じみた作戦であるとは俺も思っていたのだ。
それでも、成功した場合に得られる利益は非常に大きい。
ハイリスクハイリターンの賭けのような作戦で、だからこそ失っても惜しくない俺が差し向けられたのだと思っていたが――もし、失敗したときのメリットの方を、重視していたとしたら。
ああ、本当に俺は、あの国にとっても――不要な存在だったのか。
母が生きていたなら、その策に乗ってやってもよかった。
だが、今となっては……あの国のために死んでやろうなどと言う気にはなれなかった。
東の国も、この国も。憎しみの対象だ。
それに俺はまだ、死にたくない。こんなになってもまだ、死にたいと思えない。
まだ、死ぬことが怖い。
生きている意味など分からない。だからといって、死にたくはない。
では俺は、どうしたい。
ぼんやりと考えてみて、思い浮かんだのは――勝手に生きろ、という言葉だった。
勝手に生きていいと言われたなら俺は、何がしたいのだろうか。
そう考えてみて、気が付いた。
俺は自分や母を不当に扱った人間を見返してやりたいと思ってはいても……結局のところ、あいつらに評価されたかったのだ。
俺と母を軽んじた東の国のやつらに、価値があるのだと認めさせたかったのだ。
だからそれが揺らいだ時……東の国に評価されたいという思いがなくなった時。
自分を評価する物差しを、俺は持っていなかった。
どうしたいかと言われて思い浮かんだであろう母の顔すら――今はもう、まともに思い出せない。
勝手に生きろと言われても、どうしていいか分からなかった。
俺は、どうしたいのか。
牢の中で何度も自問したそれをまた繰り返して、考えた。
やりたいこと。
俺が、やりたいこと。
その時、以前の彼女の顔を思い出した。
学園で俺が言い寄ったとき、不快感を隠さずに顔を顰めていた彼女の姿を。
そうだ、せめて。
あいつを不快な気分にさせてやろう。
「ある。やりたいこと」
俺の言葉に、目の前の男が眉を跳ね上げた。
俺だけがあいつのことをこんなにも恨んでいるのでは不公平だ。
あいつのことを毎日思い出しては苦々しい思いをさせられているのでは割に合わない。
そのために、どうすればいいのか。
その答えは……記憶の中の彼女の表情が、教えてくれた。
◇ ◇ ◇
再会の時は程なくしてやってきた。
例の男に連れられて行った訓練場の教官室。
天井裏から眺めるエリザベス・バートンが、俺のことを話しながら眉間に皺を寄せている。
あの時の、無感情な表情とは違う。
それにひどく、安堵した。
ああ、俺のことを思い浮かべて、気分を害しているのだ。俺があいつのことを思い浮かべて、憎々しく思うのと同じように。
もっと近くで、その顔が見たい。
そう思うと居ても立っても居られなくなり、天井裏から飛び出した。
「エリザベス!」
げ、と彼女が小さく漏らした。
端正な顔立ちがさらに歪むのを見て、心のうちに仄暗い充足感が滲み出る。
それはともすれば……俺が東の国を出て初めて感じた、悦びの感情だったのかもしれない。
「ワタシ、仕えるならアナタが良いデス! どうかワタシを使ってください!」
「嫌」
詰め寄ると、吐き捨てるように拒否された。
嫌悪感の溢れるその声音に、またぞくぞくと心が満たされていく。
ああ、そうだ。俺が欲しかったのは、これだ。
こいつにこの顔をさせるために、今俺はここで、生きている。
「ワタシ、牢の中でいろいろ考えまシタ。アナタに言われたこと。今後の自分のこと。自分がどうしたいか考えて……思ったんデス。もう一度、アナタに罵られたいと」
「は?」
「ああ、踏んでくだサイ! 詰ってくだサイ!」
「はぁ!?」
跪いて足に縋りつこうとすると、彼女が勢いよく後ろに飛んでそれを躱した。
俺の顔を見下ろす表情には、どこか怯えが滲んでいて……それにまた、空虚だった俺自身というものが満たされていく心地がする。
俺のことなど路傍の石のように見ていたあいつが、今は俺を恐れて、気味悪がっている。
得体の知れないものを見るような目に、喜びで体がわなないた。
彼女の手を取って、手の甲に頬ずりする。
一段と彼女の表情が曇る。
俺のことなど一捻りで殺せるだろう彼女が、わずかにその身を震わせるだけで俺のされるがままになっていた。
その様子に、心が昂るのを感じる。
エリザベス・バートンが、俺に逆らえない様というのは――確かにあの頃の俺が願ったものだっただろう。
「また髪を掴んでくだサイ。ああ、もっとひどくして……」
「嫌だ、マジで嫌だ」
「お願いしマス、靴だって舐めマスから!」
手を振り解こうとする彼女に、わざとらしく縋り付いてしがみつく。
まるで虫けらでも見るような顔で嫌がる彼女の姿に、知らず知らずのうちに唇が弧を描いていった。
ここしばらく感じていなかった充実感を得て俺は……どこか安心してもいた。
これなら、俺にも……生きる意味があるのだろうか。





