66.やさしいお兄ちゃん
しばらくぱちぱち目を瞬いていたレイが、小さくこくりと頷いた。
「うん。それは、レイもそうだなって、思うよ」
「いい返事だね」
レイの頭をぽんぽんと撫でる。
レイは一瞬目を見開いて、ふにゃりと嬉しそうに笑った。その表情が非常に無邪気であどけないものに思えて……やはりまだまだ子どもなのだと実感する。
「これから君がどうなるのか、私には分からないけれど……君の『これから』がなくならないように、私も多少口添えしておくよ」
そう言って立ち上がると、レイの後ろで私たちのやりとりを眺めていたマーティンに目配せする。
「これでいいんだろ?」
「寛大なお心、感謝申し上げます」
「堅苦しいなぁ」
私に向かって深く腰を折る姿があまりに見慣れないものだから、思わず笑ってしまう。
言葉遣いこそ敬語だが、彼は基本的に私の扱いがぞんざいなのだ。まぁ別に敬われたいわけでもないのでいいのだが。
「親戚とはいえ、君が来るなんて。家族の誰かに頼まれたとか?」
「……そんなところです」
「違うよ?」
口を挟んできたレイの言葉に、マーティンの顔を見る。
彼は目を見開いてレイの方を向き、停止していた。
貴族的なやり取りから逃げてばかりのマーティンがわざわざ謝罪に来るのは意外だった。
知り合いが行った方が恩赦の可能性が見込めると親戚筋に頼まれ、断りきれず……というのが妥当なセンだと思ったのだが……違うのか。
「マーティお兄ちゃんがね、自分から『一緒に行く』って言ってくれたの」
「レイ」
「自分が一番騎士様と仲良しだから、その方がレイの罪? が、一番軽くなるはずだからって」
「レイ」
マーティンが制止しようとしてレイの名前を呼んだが、まったく効果がなかった。
マーティンは頭を抱えて顔を背けている。
無愛想でとっつきにくいが、彼が面倒見の良い人間であることはよく知っている。
彼にも年の離れた弟がいるし、レイのことも放っておけなかったのだろう。
気まずそうなマーティンを放って置いて、レイに微笑みかけた。
「やさしいお兄ちゃんだね」
「やめてください」
「うん! マーティお兄ちゃん、いつもやさしいから好き!」
「やめなさい」
にこにこと機嫌よく笑うレイと照れ臭そうにするマーティンを見比べて、にやにやしてしまう。
レイのためにと自ら名乗り出たくせに、素直じゃないやつだ。
善行を友達の前で詳らかにされるのは多少気恥ずかしい気分になるかもしれないが……何も隠さなくてもいいだろうに。
漏れ出る笑いを隠すでもなく、口角を上げて彼に言う。
「子どものしたことだ。そうだろ、マーティ?」
「……ありがとうございます」
妙に悔しげに言うマーティンに、また笑いそうになった。
私の顔をじっと見つめていたリリアが、ぼそりと呟く。
「許さないぞ、的なこと言ってたくせに」
「脅かそうと思って言っただけだよ」
素知らぬ顔でそう答えると、リリアはまだ物言いたげな目をしている。
どうも私がレイに甘いのが気に入らないらしい。
まったく、大人げがない聖女もいたものだ。
だいたいそうライバル視しなくとも、レイも今回の件で懲りただろう。リリアが心配するようなことにはならないはずだ。
あとリリアとも何ともなる気はないのでそちらも安心してほしい。
「騎士様、あのね?」
袖を引かれて振り向けば、レイが私の服を掴んで、遠慮がちにこちらを見つめていた。
泣いていたからだろう。頬や目元は赤くなっているし、睫毛には涙の残りが引っかかっている。
どう見ても、女の子にしか見えない。まぁそもそも子どもの性別など、どちらでもたいして気にならないものか。
「レイのこと……嫌いになった?」
不安げに問いかけてくる様子が非常に愛らしく……先ほどまでとは違った意味で口元が緩む。
再び屈み込んで目線を合わせ、その頭を撫でてやった。
「いいや? そんなことないよ」
レイの表情がぱっと明るくなった。
この程度のお愛想で機嫌が良くなってくれるなら、お安い御用だ。
国の平穏のため、ぜひとも聖女業務に精を出していただきたい。
「じゃあ、じゃあ……レイ、ちゃんとお勉強する! いい子にするし、力もみんなのために使う!」
レイが勢い込んで言う。
物事がすべて丸く収まりそうで、安堵する。
これで私(とレイ)が過度に責められるようなこともあるまい。
ふぅやれやれと立ち上がると、レイが私の腰に抱きついてきた。
「そしたら騎士様、レイと結婚してくれるよね?」
「え」
にこやかに、一片の曇りもない眼で問いかけてくるレイ。
対する私は思考が停止していた。
あれ? その話はもう終わったんじゃなかったのか?
記憶は定かではないが、ぶっ倒れる前にレイが泣き出すまで脅かしたはずだ。
好きとか恋とか、そんなことを言っていられないくらいに……何ならトラウマになるくらいに追い詰めたはずだ。
それなのにこれとは……子ども、メンタルが強靭すぎる。





