57.後悔も絶望も今更遅い
「ふ、ざけるな!!!!」
自分の怒声と、大腿部の痛みでふっと身体の感覚が戻ってくる。
目が覚めたような心地だった。
「あ、」
「隊長、?」
若草色の瞳が、私を見下ろしていた。
握り締めていた手を開く。
私が握り締めていたらしいナイフは、私自身の太腿に深々と刺さっていた。
そしてどうやら、私はロベルトに抱きしめられているらしかった。
すぐ目の前に彼の顔がある。涙でぐちゃぐちゃの、ひどい顔だ。
それでもイケメンなのだから、やはり攻略対象というやつは、ずるい。
だが何故、抱きつかれているのだろうか?
「っ、うわ!?」
一拍遅れて、私は叫んだ。
何だ、この状況は。
何だかまるで夢を見ていたようだが……目を覚ますまで、身体の感覚が戻るまで、自分が何をしていたのか……どうして自分で自分の太腿を刺しているのか、まったく思い出せない。
「なんだお前、急にどうしたんだ!?」
「!」
私を見つめていたロベルトの瞳から、ぼろぼろと涙がこぼれ落ちる。
何だ、ますますわからない。
「隊長!」
「ぐえ」
ロベルトがさらにきつく私を抱きしめた。いや、もはや抱きしめるなどという表現では生温い。鯖折りだ、これは。
何だ、この状況は。
「リリア」
「エリ様……」
リリアがふらふらとこちらに歩み寄ってきた。
彼女もまた、泣いていた。
「よかった、よかったです……」
「……ごめん。心配をかけたね」
ロベルトの腕を叩いて、腕を解くように要求する。
その場に自分の足で立った。まだアドレナリンが出ているのか、足の痛みは然程ではない。
リリアが私にしがみついてきた。
少々ふらついたが、何とか堪える。華奢な女の子にぶつかられたくらいで転んでしまうようでは、格好がつかない。
私の胸に顔を埋める彼女の髪を、そっと撫でた。
「もう、大丈夫だから。安心して」
「エ"リ"さ"ま"ぁ"あ"あ"あ"あ"」
泣き喚くリリアの背をぽんぽんと叩いてやって、振り返る。
この場にある、私でもロベルトでも、リリアでもない気配の主。
……魔女へと向き直った。
「君たちがボロボロなことにも、突然の自傷にも全く心当たりがないんだけど。これは、あの魔女の仕業ということで間違いないのかな?」
「はい」
リリアが私のシャツで鼻水を拭いながら、頷く。
……うん、今日だけは許す。今日だけだからな。
「魅了で、エリ様を操っていたんだと思います」
「そうか」
魅了というものは、練度が上がると人を操るところまで行くのだろうか。
リリアが話していたことを思い出す。魔女は、教会に所属していない聖女を指す、というものだ。
魅了が「好みのタイプに見せる」という意味合いを持つのであれば……姿形が変わって見えることもあるのかもしれない。
「ありもしない好意を抱かせる」と言うものなら、心を操ることもできるのかもしれない。
それは確かに……ロイラバ2の悪役、幻惑の魔女グレイシアが使っていた魔法と同じだった。
「き、騎士様」
魔女が私を呼ぶ。
リリアが一緒だからか、一度魅了が解けたからなのか……今の私には、意識を失う前に見た美女の姿ではなく……彼女の本当の姿が見えていた。
そしてそれは……私の予想していた通りの人物だった。
学園で足音を聞いた時から思っていたのだ。
足音が軽すぎる、と。
それは女性だからという域を超えて、そう。
まるで――子供のようだった。
そこに立っていたのは、私の知る少女だった。
黒い髪、銀色の瞳。
そして私のことを「騎士様」と呼ぶ。
髪に留められているのは、見覚えのある髪飾りだ。
「レイ」
私が呼ぶと、彼女の肩がびくりと震えた。
間違いない。警邏で街を歩いている時によく懐いてくれたあの女の子だ。
「大きくなったらきしさまと結婚する」と言ってくれたあの子だ。
「ち、違うの、騎士様、レイは、レイは、」
レイがふるふると首を横に振る。
何が違うのだろう。
感覚が鈍くなった右足を引き摺りながら、彼女に一歩歩み寄る。
「黙っていたけれど……実は私は、悪い騎士なんだ」
「え、」
「相手が子供だろうと、泣いて喚こうと、『子どものすることだから』だなんて言って許したりなんてしない、そんな悪い騎士だ」
レイの喉の奥から、か細く息を吸う音がした。
彼女が再び首を横に振る。細い髪を振り乱しながら、怯えたような声を出す。
「ちが、ちがうの、怪我させるつもりなんか、なくて、レイはただ、騎士様とずっと、」
「私はね」
彼女の目の前までやってきた。
出会った時には幼女だったのに、今は少女と言って差し支えない。12歳かそこらだろうか。
まだ子どもだが……子どもなら何をしても許されるというものでは、ない。
「守ることより壊すことが得意な悪い騎士だ。正義のためではなく、自分の気持ちを優先する悪い騎士だ」
べっとりと血のついた手で、レイの頬に触れた。
ロベルトにちらりと目線を向ける。涙でぐちゃぐちゃになっていたことを差し引いても、服もぼろぼろだし、顔にも痣がある。
リリアに視線を移す。目元は痛々しいほど赤くなっているし、頬には涙の跡が残っている。鼻水がカピカピになってしまっているのは何とかしてほしい。
「私の弟子にしたのと同じことを君にしてやろう。私の友達を泣かせたように君のことを泣かせてやろう」
「あ、」
「さあ、どうする? レイ。後悔も絶望も今更遅いけれど、謝罪するなら今がお勧めだ」
ぼろ、と目の前のレイの瞳から涙がこぼれ落ちる。
次々にこぼれ落ちる目を見ながら、私は悪役らしく唇で弧を描いてみせた。
「まぁ、許さないのだけど」
「ご、めんなさい」
レイがしゃくりあげながら、言う。
彼女の首に、手をかける。
細い首だ。これを手折ることなど、造作もない。
「ごめんなさい、騎士様! お願い、許してぇっ!!」
彼女が悲鳴を上げる。
その瞬間――絞め技を掛けて気絶させた。
ふぅ、やれやれだ。
気を失ったレイの身体をそっと横たえてやると、息をついた。
言い訳はあるのだろうが、今は聞いてやる余裕がない。
頭がくらくらするし、視界が霞む。
太腿から流れ出た血で、ズボンがびたびたに濡れていた。これだけ出血すれば当たり前である。
「……ロベルト」
「は、はい!」
「すまない、運んでくれ」
そう言い残して、私も意識を手放した。





