26.あの日
気配を殺したまま、渡り廊下を進む。
殺気の主もこちらに向かっているようだ。
この殺気を隠せるような手練れだ。隠していてもある程度の動きは悟られているだろう。
渡り廊下の奥に、人影を捉えた。
その姿を見た瞬間、ふっと私の警戒が緩む。
それは私の知っている人物で……そして。
殺気を発することも、隠すことも。容易に熟せるような相手だったからだ。
「何だ。先生でしたか」
気配を隠すのをやめて、人影に向かって手を挙げる。
人影は誰あろう、私のクラスの担任教師、カイン・フィッシャー先生だった。
第一師団所属の彼であれば、あれほどの殺気も、それを隠せることも。
そしてこうして学園にいることも、すべてに説明がつく。
何のことはない。きっと先生も聖女に仇なす可能性のある魔女を排除すべく見回りをしていたのだろう。
これなら殺気など無視して、魔女探しを続行していればよかった。今は目の前の殺気に飲まれてしまって、魔女らしき足音の主の気配は探れない。
「妙な気配がするから、誰かと思いましたよ」
へらりと笑った私の言葉に……しかし先生は、その身にまとった殺気を消しも隠しもせず、そこに突っ立って私を見つめていた。
はて。
違和感を覚えて、先生に近寄ろうと歩いていた足を止めた。
「どうして安心する」
先ほどから沈黙していた先生が、やっと口を開いた。
その声はひどく低く、落ち着いていて……普段の、教師としての彼の無気力そうな声音とはまた違う、感情の抜け落ちたようなものだった。
「殺気の主がおれだと知って、どうして安心するんだ」
「え?」
その言葉に、私は己の失策に気づいた。
しまった。
先生が第一師団の所属であり聖女を陰から守っていることは、ゲームのプレイヤーには周知のことだが、この世界では秘匿されている情報だ。
教員の中には知っている者もいるかもしれないが……一介の生徒たる私が、知るはずがない。
ただの物理の教師が殺気の主だと知って安堵する理由など、ないのである。
ここでの正しい反応は「何故先生がこんなところに」とか、殺気には気づいていないふりをすることだったのだろう。
そして夜遅くまでうろうろしていることを怒られてアイザックと一緒に帰路につく。それが正解だったのだ。
だが、こちらも気配を殺して近づいておいて、今更それは無理がある。
思考をフル回転させて、それなりに取り繕うための言い訳を探す。
先生だって第一師団の仕事でやっているのだ。
私のような者にかかずらわって時間を使うよりも、本音は魔女を追いたいはずだ。
「それなり」の言い訳さえあれば、その殺気を引っ込めてお互い違和感には目をつぶるのが得策だと、そう判断してくれるだろう。
「先生が相当の手練れであることくらい、普段の身のこなしを見ていれば分かります。私にもそれなりの心得がありますから」
「…………」
「まぁ、どうしてそんな人間が教師をやっているのかは、知りませんけど」
咄嗟に思いついた中で、見栄えの良い理由を口に上した。
そしてややわざとらしくはあるが……こちらには探る気がないことも付け加える。
お互い痛くもない腹を探られたくはないはずだ。
これで納得して、手打ちにしていただきたい。
「……お前」
私の思いも虚しく、次に先生が発した声は、非常に重苦しく……そして、冷たいものだった。
「覚えているな、あの日のことを」





