24.「畳の目を数える」の次くらい
息を殺して、気配の訪れを待つ。
アイザック、殿下やクリストファーと違って特に気を遣っている風もないのに、やたらいい匂いがするのは何故だろう。
爽やかな柑橘系というかミント系というか、さっぱりとした香りだ。
男子高校生と言ったら普通はもっと汗の匂いとか何由来なのか分からない獣とか雑巾じみた匂いとかがするものだろうに、攻略対象というのはつくづくチートだ。
気配が近づき、「音」として認識できるようになる。二足歩行の、一人分の足音だ。
足音に耳を澄ませているところに、さっきからもぞもぞ身体を動かしていたアイザックが慌てた声音で割り込んできた。
「バートン、ち、近い!」
「分かっているよ、だから動くなって。動くと君の足が妙なところに当たりそうだ」
「妙なところ!?」
アイザックが悲鳴じみた声を上げる。うるさい、気取られるだろうが。
コツコツと靴の音が近づいてくる。
音が軽いし、ヒールのような音がする。女性、だろうか。
ますます魔女の可能性が高くなる。この学園の教員は皆、それなりの身分の者ばかりだ。
もし教員だとしたら、女性が一人で夜の見回りを担当するはずがない。況んや、女子生徒をや、だ。
だが、どうも奇妙だ。
魔女の噂や、行き合ったという騎士たちの証言として聞いていた情報と比べても――音が、軽すぎる。
これでは、女性というより――
「バート」
アイザックが喧しく喚いて思考の邪魔をするので、その口を掌で塞いだ。
彼の赤褐色の瞳を見つめ、自分の人差し指を唇に当てて見せる。今考えているのだから、静かにしていてもらいたい。
彼は小さく息を飲んで、再び口を閉じた。
誰も息まで止めろとは言っていないのに、暗がりでも分かるくらいに顔を真っ赤にして呼吸を堪えている。
互いの呼吸――まぁアイザックは息を止めているようだが――と、家鳴りと、外の植木が揺れる音。
そして足音だけが支配する空間には、妙な緊張感が満ちていた。
足音が、止まる。かなり近い。
アイザックも緊張しているのか、心臓がバクバク言っているのが伝わってくる。
うるさいので少し止めておいてほしい。息を止めているのがいけないんじゃないのか。
そしてわずかな間があって……カツ、カツ、と音の色が変わった。
これは、階段を登っているらしい。
この教室のすぐそばに、階段があったのを思い出した。
こちらへ来る前に方向転換して、そこを登っているようだ。
上の階に行かれては、気配が読みづらくなる。人工の建築物の中、かつ遮蔽物が多いような場所ではもともと気配が感じづらい。
あまり離されない方がいいだろう。
「追うぞ」
するりと教卓の下から抜け出して、アイザックを呼ぶ。
だが、彼は教卓の中で項垂れたまま出てこなかった。
「おい、どうした。どこか痛めたか?」
「……僕のことはいいから、先に行っていてくれ」
アイザックが教卓の下で体育座りをして小さくなっている。そんなところで小さくなっているとまるで座敷童のようだった。
ゲームの時のおかっぱ頭だったら、完全に完全なやつだっただろう。
今は魔女で手いっぱいなので、他の妖怪の面倒を見る余裕はない。
教卓の下を覗き込んで、彼に手を差し出す。
「よくないだろ。早く出てこい」
「僕は今素数を数えるのに忙しいんだ」
そんな忙しいがあるか。この世で「畳の目を数える」の次くらいに暇な時にやることだろう、それは。
さては、魔女にビビって腰でも抜けたのか?
やれやれ、それでよく1人で見回りに行くなどと言ったものだ。
「肩貸そうか?」
「余計にまずい」
親切心で言ったのに断られた。まぁ腰が抜けていたら肩を貸してもまともに歩けないかもしれないが。
無理矢理にでも引っ張り出して担いで行くか、と考えたところで、咄嗟に顔を上げた。
気配を感じたのだ。
いや、気配などという生ぬるいものではない。
これは――殺気だ。





