36.パンダのことなどどうでもよい
だんだん目の前の悲劇のヒーローごっこに付き合うのが馬鹿らしくなってくる。
お前は確かに攻略対象かもしれない。
だが、たくさんいるうちの1人に過ぎない。この物語の主人公はあくまで、「主人公」なのだ。
主人公に選ばれることが、物語のメインの椅子に座る条件なのだ。
それを、自分が主人公だと勘違いしているなんて。年頃だから、中二病だから仕方ない、とも言えるかもしれないが、はっきり言って思い上がりも甚だしい。
それとも何か? すっかり選ばれた気になって、今からメイン気取りか? ライバル攻略対象たらんとしている私の前で? 良い度胸だな。
だいたい、皆が皆そんなに王族のことばかり気にしているわけがない。
たとえば私はパンダを見ればかわいいと思うし、動物園に行ったら見てみたいと思うだろう。パンダに赤ちゃんが生まれたニュースなど見たら、微笑ましくてにこにこするだろう。
しかし、毎日パンダのことばかり考えているのかと聞かれれば、そんなわけがないと一蹴するだろう。
そんなのは、よほどパンダが好きな人か、パンダの飼育員くらいだ。
パンダよりも、明日のご飯が気になるし、自分の幸せが気になるし、家族の幸せが気になる。皆パンダより、自分が大切に決まっている。身近な人間が大切に決まっている。
つまりパンダのことなどどうでもよい人が大多数なのである。
いずれ玉座に座る人間が、その程度のことを分からないでどうするというのか。それが行きつく先は、自分中心の、ヒロイズムにまみれた独裁ではないのか。
私は独裁国家で暮らすつもりはない。
まぁ、私が放っておいても、きっとお父様かお兄様あたりが、ちゃんと考えを正してくれるような気もするが。
「先日の試合、結果こそ負けていましたがよい動きでしたよ。とても病に侵されているとは信じられないですね」
「……君が信じようと信じまいと、私が病だという事実は変わらない」
「ふむ、それはそうですね」
私は気が短い。
そして、性格が悪い。
考えてもみてほしい。他の攻略対象のイベントを奪おうと画策している人間の性格が良いわけがない。
自分の幸せのために、純真無垢な主人公を利用しようと企んでいる人間の性格が良いわけがない。
そもそも、エリザベス・バートンはモブ同然とはいえ、悪役令嬢だ。
ここは悪役らしく、主人公気取りの他の攻略対象の鼻っ柱を折りつつ、蹴落としておくのも悪くない。
「殿下、お忍びで城下に出たことは?」
「……ない」
私の問いに、殿下が少し言いにくそうに答える。普通の貴族の子どもはお忍びで街に出ない。
ましてや、病魔に侵されているらしい王太子殿下である。そこいらを気軽にうろうろしているわけがない。
「では行ってみましょう」
「は!?」
「服は私のものが入りそうですね。幸い候補生の制服を持っていますのでこちらをどうぞ。ああ、少々汗臭いかもしれませんが……」
「きみは、何を」
「明日の朝、ここに迎えに来ますので。一人で考え事がしたいとでも言って、お人払いをお願いします。ああ、朝食は食べない方が良いですよ」
荷物から候補生の制服一式を出して、目を白黒させている殿下に押し付ける。
王太子殿下の部屋に入るというのに、荷物を没収されないなんて平和な国だなぁと思う。
ちなみに汗臭いというのは嘘だ。ただ警邏の間厩に預けてあったので、馬臭いかもしれない。
「それでは」
不敵に笑って、私は制服の裾を翻しながら執務室を後にする。軍靴の音がカツカツと響いた。
「待て! 何を考えている!? わ、私が近衛騎士にこのことを伝えたらどうなると……」
「捕まるようなヘマは致しませんよ。弟君から私のことは聞いているのでしょう?」
殿下が引き留める声を背中に投げかけるが、私は振り向かない。
閉まるドアの音に、何となく今の自分は転生して一番悪役らしい気がした。本家エリザベス・バートンも、草葉の陰で喜んでいることだろう。
別に死んでいないが。





