30.人望の公爵ですから
「ちょうどよかった。私も本当のところは、貴女と結婚するつもりなどなかったのです」
「え?」
「ああ、誤解しないでください。貴女は魅力的な女性ですよ、とても……ね」
悪戯めかして笑いながら、ぱちんとウインクを投げる。
王女様がきょとんとした顔でぱちくりと瞬きをしていた。
「ですが、私には継ぐべき家があります。帰りを待っている家族もいます。そして祖国を愛しています。ですから、貴女を何とか説得しようと思って、ここに来たのです」
「……それは……申し訳ないことをしました……」
本当に心から申し訳ないと思っている表情で、肩を落とす王女様。
これが演技なのだとしたら大したものだな、と思った。
おそらくそうではないところに、他国のことながら心配になる。
王女様と言うくらいだから殿下の女性版というか、表面上は優美に微笑んでいるものの腹の中では何を考えているか分からない、貴族の貴族らしいところを煮詰めたような人物を想像していたのだが……こんなに分かりやすくて大丈夫だろうか。
西の国は我が国の最大の貿易相手だ。そこの治安は我が国の……ひいては私の生活の安寧に直結する。
悪い男に引っ掛かったりしないと良いのだが。
王女様の手の上に、そっと自分の手を重ねる。
「いえ。むしろこうして本音を伺えてよかった。私たちの目的は同じようですね」
「同じ?」
「この一件を出来るだけ穏便に、なかったことにしたいと思っている。そうでしょう?」
私の言葉に、王女様は顔をあげてこちらを見る。
しかし、すぐには頷かなかった。躊躇うように、金色の視線が逸らされる。
もし今私が帰ってしまったら、彼女は父親の見繕った相手と見合いをすることになる。
「恋をしてみたい」という願いは叶わない。その願いに対する気持ちと、本来無関係である私を巻き込んだ罪悪感とで揺れ動いているのだろう。
彼女を安心させるように、優しく微笑みかけた。
「私も1ヶ月程度はこちらに滞在するつもりで来ていますから。そのくらいでしたら貴女の初恋探しにお付き合いできます」
「え?」
「そちらの王様には、しばらくうまくいっているフリをしましょう。そして私がこちらに滞在している間に、貴女は恋のお相手を探す。それでいかがでしょうか?」
私の提案に、彼女は小さく息を飲む。
見開かれた大きな瞳の中に、きらりと光が揺れた。だが彼女はそれを振り払うように、首を横に振る。
「で、ですが! わざわざお越しいただくというご迷惑をかけたのです。そのように協力までしていただく理由がございませんわ」
「理由?」
自分の顎に手を添えて、わざとらしく首を傾げて見せる。
私がこの提案をしたのは、ほんの少しの打算はあれど、大半は「お兄様ならそうするから」という単純な理由だ。もったいつけるほどのことはない。
だがそれは、今この場では言う必要のないことだ。
お兄様なら絶対に言わないであろう台詞を口に上しながら、私は王女様に微笑みかけた。
「私は次期とは言え、人望の公爵ですから。困っている人を放ってはおけないのです。ただ、そういう性分なのですよ」
「フレデリック様……」
王女様の瞳がきらきらと光り輝く。頬には僅かに赤みが挿していて……やっと彼女が「私」を見たのが分かった。
これまでは私たちを巻き込んでしまった罪悪感でそれどころではなく、こちらを見る余裕がなかったのだろう。
道理で何をしても響かないわけだ。
「エリックで構いませんよ。これから共犯者になるのですから」
「では、わたくしのことも、どうぞ『ディー』と。話し方もどうぞ、楽になさってください」
「ディー」
王女様の申し出に、ありがたく甘えさせてもらうことにする。
自国の王太子にすらあの距離感で接するお兄様のことだ。王女様にそう求められたなら、きっとその通りにするのだろう。
目の前の彼女を見つめて、私はふっと口角を上げた。
「見つかると良いね。素敵な初恋が」





