29.~完~
「あの……本当に、申し訳ございません!」
シャワーも浴びてフルメイクを施し、ベストコンディションでお茶会に参戦した私に、王女様は人払いをして早々に頭を下げた。
「わたくし、別にあなたと結婚したいわけではありませんの!」
その言葉に、さほど驚きはしなかった。薄々そんな気がしていたのだ。
そもそも面識がほぼないわけだし、見かけただけのお兄様を見初めたにしては違和感のある態度だった。予想の範囲内だ。
「申し訳ございません、せっかく来ていただいたのに……」
「いえ。面識もないのにおかしな話だと、私も思っていましたので」
にこりと微笑んで応じる。王女様はまた小さな声で「本当にごめんなさい」と呟いた。
王族ともあろうもの、そう簡単に人に頭を下げるべきではない。
真面目で誠実そうな彼女の人柄によるものなのかもしれないし、それを押してでも謝らなければならないほどのことをしたという自覚があるのかもしれなかった。
そのくらいの自覚はあってしかるべきだろう。お兄様本人や家族の私たちのみならず、こちらは王太子まで出張っている。
事態の大きさで言えばかなりのものだ。
「どうして私を婿に、などと?」
当然の問いを口にした私に、王女様はしばらく俯いたまま答えなかった。
しかし決意を固めたのか、勢いよく顔を上げる。
胸の前――もはや胸の間と言うべきか――でぎゅっと手を握りしめて、こちらに向かって身を乗り出しながら、告げる。
「あの、わたくし、実はまだ恋をしたことがありませんの」
「……恋?」
思わず怪訝さ100パーセントの声を出してしまった。
ここで突然池を泳ぐカラフルな淡水魚の話をするはずがないので、「こい」の漢字変換は「恋」で間違いないのだろう。
だが、恋。ここで、恋ときたか。
その後の展開が読めてしまった。
恋を知らないお姫様が求めるものなど、昔話の時代から決まっている。
「わ、わかっていますわ。王族たるもの、国のためになる結婚をすべきだということは。父の……陛下の選んだ、夫となる人を心から愛するものだと」
王女様の話を聞きながら、眉間を揉む。
半分耳を傾けながら、今後どのように動くべきかを考え始めた。
「ですが、一度も恋をせずに結婚するなんて、わたくしは嫌なのです!」
考えた結果、天を仰ぎたくなった。
何ということだ。「~完~」じゃないか。
「父に会ったこともない方との結婚を迫られて……つい、ディアグランツ王国の次期公爵様と結婚したいと、嘘を」
「……何故、私の名前を?」
「エドワード様から伺っておりましたの。とてもお優しい方だと。余所の国の、しかも人望の公爵として有名なお方であれば、ディアグランツ側もおいそれと手放さないでしょうし……父も無理に連れてきたりはしないと思いましたので」
王様が強引だったと聞いたが、なるほどそういうことか、と得心する。
要は自分の見込んだ相手と結婚させようと思っていたのに宛てが外れ、うちの娘をたぶらかしたのはどこの馬の骨だ、連れてこい! という経緯だろう。
とばっちりもいいところだ。
我が家を巻き込まずに勝手にやってほしい。本当に。
王女様の話を聞いて感じたのは、やはり人間の心というものへの理解においては、お兄様の方が私よりも何枚も上手だということだった。
王女様がお兄様を婚約者に指名した理由がそれなのだとしたら、私が心配していたようなことはもともと起こりえなかったということだ。
私が来なくとも……いや、むしろお兄様が来ていた方が、スムーズに解決したかもしれない。
王女様は私にしたのと同じように事の真相を話したのだろうし、それを聞いたお兄様はきっと「僕が好きになれる人を見つける手伝いをします」とかなんとか、そんなことを言うはずだ。
それで王女様は何やかんやあって、従者に靡いて「~完~」だ。
大量のお菓子をお土産に帰って来たお兄様が、拗ねている私に謝るエピローグ。
そこまで余裕で見えた。
つまるところ……こうして私がここに来る必要は、なかったということである。
まぁだからといって、同じような場面が訪れたら私はふん縛ってでもお兄様を止めただろうし、喧嘩をしてでも自分が乗り込んだと思うので、そんなものは結果論でしかないのだが。
「以前少しだけお見かけした時には、もう少し、ふっくらされていたかと思いましたけれど」
「痩せました」
必要以上に爽やかに微笑んで即答した。





