28.その言い方は完全に完全なやつだろう
翌朝。
日課のランニングに出ると、離宮の前にいたリチャードと鉢合わせした。
昨夜も着ていた制服を着ているので、夜勤だったのだろうか。
いや、昨晩は独断で動いたと言っていた。となると今日は普通に仕事なのだろう。
サービス残業のあげくに早朝から勤務とは。仕事熱心なことだ。
顔を顰める彼に、片手を上げて挨拶する。
「やぁ、おはよう」
「……何? 散歩?」
「いや、ランニングでもと思ってね」
ストレッチをして軽く体をほぐす。
軽く走る程度と言ってもストレッチは重要だ。
いくら鍛えていても、ストレッチを怠ると筋を違えるとか肉離れとか、そういったリスクがある。
ちなみにランニング前に行うのは「ストレッチ」と言って一般的に想像するような筋を伸ばすものよりも、軽くジャンプしたり身体を動かすような動的ストレッチのほうが適している。
妙な動きが多いように思えるが、ラジオ体操第2は運動前にするストレッチとして意外と理に適っているのでおススメだ。
厳しく鍛えればよいという古臭い根性論は、筋トレの大敵である。
より適切なトレーニングで最大の効果を得るために、栄養バランスや丁寧なウォーミングアップ・クールダウンを怠らないことが大切だ。
故障ほど非効率なものはないからな。
私の様子を見ていた彼の顔が、どんどん苦虫を噛み潰したようなものに変わっていく。
やがて、はぁと大きなため息をついた。
「あのさぁ。やっぱアンタ、次期公爵なんて嘘だろ」
「どうしてそう思う?」
「お貴族様は朝日も登らないうちに、護衛もつけずに走ったりしない」
「君も同じだろう」
周りの気配を探るにつけ、彼も一人でここにいるらしい。
昨日の一件も踏まえると、今日も単独行動してここにいるのだろう。
だが王族の護衛につくくらいだ、それなりの身分の家の者のはずだ。
見たところ歳は二十代前半といった雰囲気なので、成人はしているのだろうが……騎士団としてチームで行動しているならともかく、一人で深夜や早朝にふらふらしているのは褒められたことではないだろう。
「……いろいろあんの。アンタとは事情が違うんだよ」
「ふぅん」
彼の「事情」とやらに深入りする気のない私は、適当に聞き流した。
軽くその場でジャンプして、手首足首をぷらぷら回す。
「じゃ、お先に」
「え、?」
軽く地面を蹴った。
目的のペースまで、走りながらスピードを上げていく。
他国の敷地ではあるが、案内してくれた執事も庭園の散歩を勧めていたくらいだ。
王城の敷地内でかつ建物にさえ入らなければ、どこを走っても「迷った」で通用する。
たいしたお咎めはないだろう。
散策がてら、ぐるりと回ってみるとしよう。
「ちょ、待て!」
後ろから声がした。リチャードが追いかけてきたようだ。
私の隣に並んで走る。
……が。あっという間に息が上がっていた。
「何? 一緒に走る?」
「違う」
「でも君にはこのペース、辛いんじゃないか?」
「うるさい」
そう言いながらも、すでにフォームが乱れている。正しいフォームで走らないと疲労が蓄積しやすくなるし、怪我の元だ。
気配を消すのは上手かったが、持久力はないのかもしれない。
体つきもさほど大きいわけではないので、マーティンと同じ斥候タイプだろうか。
「そうだ、昨日のアンタの勘違いを、正してなかった!」
「勘違い?」
「いいか、オレは別に、王女様のことが好きとか、そう言うのじゃ、ないからな!」
「ああ、はいはい」
何かと思えば、何だ、照れ隠しか。
「○○じゃないからね!」はもはや「○○だからね!」と同義だと思うのだが。
「ちゃんと、聞け!」
「聞いてるよ」
「ア、ンタ、な」
リチャードがどさりと地べたに座り込んだ。
何事かとスピードを緩めて、その場で足踏みする。止まると筋肉が冷えてしまう。
筋肉には優しくしなければ。トレーニーは筋肉ファーストなのだ。
「おかしいだろ! そのペースで息が、上がらないとか!!」
はて。ごく普通にランニングをしているつもりだし、このくらいのペースならロベルトはもちろん候補生だってついてきている。
……いや、よく思い出したら候補生たちは半分くらい脱落していたし、教官たちも息くらいは上がっていたかもしれない。
もしかして、私とロベルトがおかしいのか?
「世の中にはいろんな人間がいるんだよ。鍛えている貴族がいたっていいだろう」
「そういう、レベルか!?」
「主人に恋する従者だっているくらいだ。何もおかしなことはないよ」
「だから、違うって!」
一向に立ち上がる様子を見せない彼に、やれやれと私も足を止めた。
ついでなので、昨晩聞き損ねたことを聞いてみることにした。
「それより君、王女様の従者なら何か知らないのか?」
「何かって、何だよ」
「どうして王女様が私と結婚したいと言ったのか」
彼が一瞬目を見開いた。
そして、ふいと拗ねたように視線を逸らす。
「……知るわけないだろ」
「好きなのに?」
「人の話聞けよ」
聞いた結果どう考えても「こいつ王女様が好きなんだろうな」という情報しか出てきていないわけだが。
不満げに眉間に皺を寄せて、リチャードが私を見上げた。
「アンタはなんで結婚したくないわけ? ウチの王女様じゃ不満なの?」
その言い方は完全に完全なやつだろう、と思った。満貫だ。
白んできた空に目を向ける。王女様とのお茶会までにシャワーを浴びられればいいので、特に時間に制約があるわけでもない。
多少なら彼のお喋りに付き合ってやってもいいだろう。
「そうだな。素敵な女性だとは思うけれど」
私は口角を上げると、彼に向ってウインクをした。
「私、一人では満足できない質なんだ。王女様には相応しくないよ」





