18.場合によっては訴訟も辞さない
「動くな」
声がして、振り向いた。
見知らぬ男が、クリストファーの首元にナイフを突きつけている。
クリストファーは怯えているというより申し訳なさそうな顔で瞳を潤ませていた。
足手まといにならないと言って無理矢理ついてきた手前、人質に取られたのが気まずいのだろう。無理もない話だ。
だが、渋々でも何でも、ついてきてよいと言ったのは私だ。
こちらに意識を集中するあまり、クリストファーの方への警戒が疎かになっていた私の失策である。
私は手に持っていた棍棒を地面に落とすと、両手を上げる。
動くな、というからには、クリストファーのことをすぐにどうこうするつもりはないのだろう。
男の様子を注視しながら、気配を探る。
ほかに仲間が潜んでいるような気配はない。少し離れたところに一つ気配があるが……敵意は感じない。
一旦捨て置いていいだろう。
目の前の男に視線を移す。そこら中に転がっている男たちに比べると、幾分か軽装だ。
戻ってきた斥候だろう。
見比べると皆一様に、スカートのような形をした腰布を巻いている。
そういえばうちの国ではあまり見たことがない、かもしれない。西の国か、はたまた他の国か。
なんなとなくヨーロッパっぽい感じがするので、アジアンテイストな東の国ではなさそうだが。
「剣も捨てろ。武器をこちらによこせ」
男は低く唸るように言う。
私に対する警戒心がむき出しであるし、その顎には汗が伝っている。
身なりからして騎士や兵士というよりはごろつきといった風情だが、どうやらきちんと敵の力量を推し量れる程度には実戦経験があるようだ。
「分かったよ」
男の要求に、私は両手を上げたままで頷いた。
片手を下ろして剣帯を緩め、腰に佩いていた剣を鞘ごと落とすと、男の方に向けて蹴る。
男の足元に、剣が滑っていった。
続けて、足元に落ちている棍棒も蹴る。
ただし強度は指定されていなかったので――目の前の男にめがけて、思いっきり蹴り飛ばした。
「がっ!?」
レーザービームよろしく放たれた棍棒が男の顔面に直撃し、クリストファーをその場に残して吹っ飛んだ。
よし、ナイスシュート。
クリストファーがぽかんとした顔で私を見て、吹っ飛んだ男に視線を向けて、もう一度私を見る。
そこではたと気づいた。
しまった。
1人はすぐに話を聞けるよう、残しておこうと思ったのに。
近寄ると、男は白目を剥いて泡を吹いている。どう見てもすぐには起きそうにない。
「姉上!」
クリストファーが私の胸に飛び込んできた。抱き留めて、落ち着かせるために髪を撫でてやる。
猫っ毛というのだろうか、柔らかで指通りがよい。子熊よりもふわふわしていた。
「ごめんなさい、ぼく……足手まといにならないって、言ったのに」
「大丈夫だよ。私こそ一人にして悪かったね」
「でも、」
「心細かっただろう。もう大丈夫だから」
彼ははちみつ色の瞳を揺らしながら私を見上げていたが、やがて潤んだ瞳を隠すように、再度私の胸元に顔を埋める。
背中をぽんぽんと叩いてやった。
クリストファーを落ち着かせたところで、あたりを見渡す。
死屍累々といった情景だが、万一目を覚ましてまた襲ってこられたら迷惑だ。このまま捨て置くわけにもいかない。
男たちの荷物を適当に漁って、ロープを発見する。
「とりあえず縛っておこう」
「ぼ、ぼくも手伝います!」
ロープを手に取って振り向くと、意気込んだ様子でクリストファーも手を上げた。
まぁ、私がすぐ近くで見守っているし、敵は気絶させてある。
リスクはそう高くないと判断して、彼にも手伝わせることにした。
意外なことに、クリストファーはてきぱきと男たちを拘束していく。私よりも手際が良いくらいだ。
いや、それは良いのだが。
「クリストファー」
「はい」
「誰も亀甲縛りにしろとは言ってない」
「これは高手小手縛りです」
違う、そうじゃない。
誰だ。私の弟に妙な縛り方を教えたのは。
場合によっては訴訟も辞さない。
「教官たちが『縛りの基本だ』って」
何を教えているんだ、あいつら。どこの世界の基本だ。
頼むからうちのクリストファーに変なことを教えないでほしい。
情操教育に良くない。ものすごく。
こんなことがバレたら私が家族から正気を疑われる。
訓練場がマゾヒスト養成所だと思われたらどうしてくれるんだ。
弟の将来と私の家庭内での立場が心配になり、賊を縛り上げながら提案する。
「クリストファー、もう訓練場に通う必要はないんじゃないか?」
「でもぼく、姉上に助けてもらってばかりで。今だって」
「もしもの時は、私が守るから。君には無理してほしくない」
思わず真剣に頼んでしまった。
本当に、これ以上変なことを覚える前に通うのをやめてほしい。
基本的には両親とお兄様の惜しみない愛情によって素直な良い子に育った義弟である。
せっかくねじ曲がらずに育ったのだから、どうかそのまま外圧に負けず、性癖もねじ曲がらないで大きくなってくれ。
クリストファーは一瞬驚いたように目を見開いて一時停止したが、はっと我に返って手元に視線を落とし、男を後手縛りでギチギチに縛り上げていた。
バリエーションが豊富なところに不安しかない。
全員拘束したところで、手をぱんぱんと叩いて立ち上がる。
「これで最後か」
「あ、あと」
クリストファーが、雑木林の方を指さす。私たちが来た方だ。
「あっちに、もう一人いるんです。足を怪我してるので、たぶんまだ逃げてないと思います。最初にぼくに襲い掛かってきて、それはぼくだけで何とかできたんですけど……もう一人に背後を取られちゃって」
彼の言葉に、私はぱちんと指を鳴らした。
そうか。先ほどの離れたところにあった気配はそれか。
しかもクリストファーが一人で何とかしたようだ。
でかしたぞと背中でも叩いてやりたいところだが、ここでちょっとでも褒めようものなら候補生たちから「弟だからって甘やかして」とブーイングされそうな気がするのでやめておく。
自分から着いてきたのだから、自分の身ぐらい守るのは当然のことだ。
あと力加減を間違えるとクリストファーが吹っ飛ぶ。
「そいつ、起きてる?」
「えと、痛いって呻いてたので、多分……?」
良かった。これで「全員気絶させるとかどういうつもり?」とか詰問されなくて済む。
クリストファーの先導でもう一人の斥候の元に向かいながら、私はほっと胸を撫で下ろした。





