13.護衛の仕事をするだけです
今週からは月・水・土更新に戻ります。
どうぞよろしくお願いいたします。
(1/4追記)すみません、初回更新時に冒頭10行分くらいが消えてしまっていました。
現在修正済みです。
殿下の実演を交えた編み物談義を右から左に受け流していると、ふと何かの気配を感じた。
集中して、周囲の気配を探る。
山通いの成果として、気配を探ることのできる範囲が広くなっていた。
人の少ないところであれば遠くの物音や気配を拾えるようになったし、何より動物の発する音や気配と、人間のそれとを区別できるようになった。
というより、山で出会う多くの動物たちの気配を覚えたので、それ以外を人間のものとして判別しやすくなったという方が正しいかもしれない。
空気はおいしいし手合わせの相手にも事欠かないしで、あの山は非常に良いところだ。
いつも相撲を取っている例の羆は雌だったようで、この間など生まれたばかりの子熊を触らせてくれた。
ふわふわころころしていてたいへん罪深い愛らしさであった。
動物に嫌われるたちなので、たとえ獰猛な羆であっても円滑にコミュニケーションが取れる存在は貴重である。
馬車で移動中というのもあって精度に自信はないが、どうもこの馬車と似た速度でずっと並走している気配がある。
しかも街道を外れるくらいに、距離を置いて。
ただの偶然と断じるのは容易いが、昨日までは――殿下と合流するまでは感じなかった気配だ。少々きな臭い。
万が一に備えて、様子を見てきた方が良いだろう。
「殿下。護衛の騎士と話がしたいのですが……マーティンは?」
「置いてきた」
「はい?」
殿下の言葉に、私は窓の外に向けていた意識をぐるりと馬車の内側に反転させた。
置いてきた?
近衛の若きエースであり、王太子付きの騎士である彼を?
このクソ大事な時に、少数精鋭で敵陣に乗り込もうとする時に、置いてきただと?
つい心の中で悪態をついてしまった。
思わずクソなどと言ってしまうのもやむを得まい。
師団長と副師団長は別格として、遊んでもらった近衛の騎士たちと比べても、マーティンの実力は上から数えたほうが早いくらいだ。
特に隠密行動や偵察にかけては私よりも上手だろう。
その人材を、置いてきた?
殿下は西の国に何をしに行くつもりなのだろうか。
いや、私と違って国を落とそうとは考えていないだろうが……最悪の場合でも、実力行使を視野に入れていないということか?
「彼を伴っていては『護衛が足りない』という言い訳が通用しないから。別の仕事を頼んである」
「別の仕事」
「バートン公爵家の警護」
そう言われて、浮かせかけた腰を下ろした。それでは仕方がない。
食ってかかる気をすっかり削がれてしまった。
私が不在にすることで、目下守りが薄くなっているのは間違いなくバートン公爵家だ。
今回のお兄様への無理のある縁談そのものが、我が家に害をなそうとする者の計画の一端である可能性も考えられる。
つい先日も、この国への侵略ついでに公爵家に仇なそうとした某東の国の連中が、リリアを誘拐したり廃屋を爆破したりの乱痴気騒ぎがあったばかりだ。
私が今回の一件を片付けてお兄様に謝ってもらうまで、お兄様には無事でいてもらわなければならない。
警戒にあたるに越したことはないだろう。
顎に手を当てて思案する私の様子に、殿下が訝しむような視線を投げてよこす。
「何? そんなにレンブラント卿と一緒が良かった?」
「いえ。万が一に備えて人員を確認したいと思いまして」
何故か不機嫌そうだった殿下が、私の台詞ですっと表情を引き締めた。
編み図がどうとか針の太さがどうとか言っている時とは全く違う――そして人当たりのよい王太子スマイルとも違う、ひどく真面目な顔つきになる。
ああ、これは為政者の顔だ、と思った。
彼の父である国王陛下と、よく似ている。
まぁ陛下と近くで話したことはほとんどないので、ほぼ雰囲気の話だが。お父様もたまに、こういう顔をしている気がする。
「この一団についている護衛の人数は?」
「12人」
「私と同じくらい戦えるのは?」
「騎士団全体を見回しても数えるほどしかいないと思うけれど」
殿下の言葉に、思考を巡らせる。
私たちが公爵家から連れてきた護衛は2人。だが彼らは護衛というより世話係の意味合いが強い。
いざというときに戦闘要員として数えられるのは、殿下の連れてきた12人のみと考えた方がいいだろう。
それに対して馬車は4台。
護衛が警戒にあたりつつ交代で休むための馬車、私と殿下が乗った馬車、リリアとクリストファーが乗った馬車、そして荷物と侍女が乗った馬車という並びだ。
馬車の台数を考えれば――護衛用の馬車は捨ておくとしても――奇襲や強盗など有事の際には、御者や侍女などの非戦闘員を守るだけで正直ギリギリの人数だろう。
急場凌ぎとはいえ、仮にも王太子がいる道行がこれでいいのか、と我が国の国防に対して不安が過ぎる。
護衛が足りないというのはあながち方便ではないのかもしれない。
今後この国で暮らしていくにあたって、国防の強化は必須になりそうだ。
せいぜい訓練場で候補生たちの教育に力を入れるとしよう。
問題はあいつらがきちんと騎士団に就職してくれるかというところだが。
いつまでも訓練場に居着いていそうな気がしている。
「次の休憩の予定は」
「もうすぐ国境を越えるから、その前に一度休憩をして……その後、完全に日が落ちる前に宿を取った街に向かう予定だ」
並走している気配がもしこちらを襲うつもりなら……夕闇に紛れるのが一番都合が良い。
そして街が近づけば、自然とこちらの気も緩む。
狙うならこれ以上ないタイミングだ。
だが、相手が仕掛けるタイミングさえ分かっていれば、いくらでも対応のしようがある。
準備を整えて奇襲に備え、返り討ちにするのが定石だろうが……それには幾分人数が心許ない。
先に叩いておくほうが対応しやすいだろう。
デメリットはこちらの勘違いだった場合に問題になる恐れがあるくらいか。
その場合は王太子殿下の威光を存分に借りさせていただこう。
こちらから仕掛けるならば、タイミングは次の休憩の時だ。
相手もこちらも動きが止まるので気配がより鮮明に読みとれるし、別行動もしやすい。
非戦闘員をひと所にまとめ、私以外の人員を全て守りに充てれば、討ち漏らし程度は問題なく捌けるだろう。
「リジー。どうするつもり?」
殿下の問いかけに、私はふっと口角を上げて、笑ってみせる。
ちょうど馬車の中にも、殿下のご高説にも退屈していたところだ。
筋トレ制限中の身ではあるが、皆に危険が迫っているならやむを得まい。
そう、決して私が身体を動かしたいからではない。
自分に言い訳をしながらも、溜まりに溜まったフラストレーションをぶつける矛先を見つけて、私は内心ほくそ笑んでいた。
「護衛の仕事をするだけです」





