3.王太子殿下のご命令とあらば
リリアを小脇に抱えたまま、ノックと同時に父の書斎のドアを開けた。
「お父様」
「エリザベス、殿下の御前だ。後にしなさい」
「殿下?」
渋い顔で応じたお父様に首を傾げる。
視線をめぐらせると、銀糸の美青年――王太子殿下が余所行きの笑顔でソファに腰掛けていた。
顔を合わせるのは卒業式ぶりだ。
例の「お戯れ」に振り回された記憶が蘇りかけたのを、軽く頭を振ってかき消す。
リリアを下ろして、騎士の礼を取った。背後でリリアも淑女の礼をする。
許可を得て、立ち上がった。
「やあ、リジー」
「殿下。何か事件でも?」
王太子が家臣の家を訪ねるには、常識的な時間とは言えない。
部屋の隅に控える彼付きの近衛騎士からも、普段よりピリついた空気を感じる……気がする。
「うん。どうも早めに動いておかないと、まずいことになりそうだったから」
持って回った言い方をしながら、殿下が足を組み替える。長い脚を見せびらかすような所作だ。
見せびらかさずとも殿下の脚の長さ――もとい、座高の低さはよく知っている。
「急遽、西の国に視察に行くことになったんだ」
西の国、という単語に、私は眉を跳ね上げる。お父様は静かに殿下の言葉を聞いていた。
どうやらお父様は、先に一通り聞いているらしい。
「それで、護衛が必要なんだけれど……何分急なことだから、人手の確保が間に合っていなくて。きみさえ良ければ、同行してもらえないかなと思ってね。まずは公爵に確認しようと、ここに来たんだ」
「護衛?」
「ああ、もちろん女性であるきみが私の護衛というのは、些か外聞が悪いから……そうだな。きみには、お兄さんのフリをして同行してもらえると、ありがたいんだけど」
殿下がやけにお兄様の名前を強調しながら、私に向かって目配せをした。
なるほど。委細承知だ。
お兄様は殿下の補佐役である。これからも殿下を傍で支えていくための人材として教育を受けて、現在も立派にその勤めを果たしている。
殿下としてもお兄様を失うことは避けたいはずだ。
殿下は私がお兄様を西の国にやることに反対していると踏んで、ここに来たのだ。
西の国からの要望に応えた形を取りつつ、お兄様があちらに奪われることを阻止するために協力しろと。
つまりはそういうことだろう。
願ってもないことだ。お兄様のふりをして敵陣に乗り込めるのであれば、いくらでもやりようがある。
私がこの手で、縁談を潰してしまえばよいのだ。
そして何より王太子の勅命である。私のような下々の貴族が逆らえるはずがない。
お父様も私の西の国行きを認めざるを得ないだろう。
そもそもお父様だって、大切な跡継ぎであるお兄様をみすみす他国に渡したくはないはずだ。
そう言う意味で、今この場にいる人間の利害は、実のところ全員一致しているのだ。
私とお父様は、一瞬視線を交わす。
そして殿下に向かって、頷いた。
「王太子殿下のご命令とあらば、謹んで」
ただ一人事情を理解していないリリアが、背景に宇宙を背負った猫の顔をしているのがちらりと視界の隅に過ぎったが、黙殺した。





