近衛騎士マーティン・レンブラントの受難(3)
活動報告にあった小話を引っ越しました。
王太子殿下付きの近衛騎士、マーティン・レンブラント視点のお話その3です。
時系列としては、第4章長い長いエピローグ編の前くらいです。
「見合い」
「はい」
手合わせに付き合わされた際、うっかり週末に見合いの予定があると口を滑らせてしまった。
自分としては、彼女が興味を持つとも思わなかったのだが。
彼女は何やら眉根を寄せて、自分を上から下まで眺めると、顎に手を当てて首を傾げた。
「大丈夫か、マーティ。君、ちゃんと愛想良く出来るのか?」
「貴女に心配される筋合いは」
「心配するだろう。友達なんだし、君は無愛想だし」
友達呼ばわりはもう諦めたが、愛想がないのは元からだし、それで誰かに迷惑をかけているわけでもない。放っておいて欲しい。
「元より期待していません。結婚する気もありませんし、貴族のご令嬢と何を話せばいいのかも分かりません」
「君だって貴族だろう。侯爵家の次男なら、見合いと結婚は避けようがない」
「家には兄も姉も弟もいます。自分は騎士として生きると決めたので」
「そう簡単なものじゃないだろう」
諭すように言われるが、「お前が言うな」にも程がある。
公爵家の長女であるところの彼女こそ、見合いと結婚とは無縁ではいられないだろうに……よくもまぁそこまで自分を棚に上げられたものだ。
「しょうがないな。私が手ほどきしてやろう」
「はぁ?」
「簡単なモテテクを教えてやる」
にやりと笑って彼女が人差し指を立てた。なんとも性格の悪そうな顔だった。
「いいか、別に君はたいして話さなくていい。にこにこ笑って、聞かれたことには答えて、あとはお相手の話を聞いてやれ」
「はぁ」
「時々会話の一部をおうむ返ししてやればいい。そうするとお相手はそのおうむ返しされたところが気になったんだと思って詳しく話す。それを君はまたにこにこ笑って聞く。この繰り返しだ。お相手が満足するまで繰り返す。そうすると『楽しく話した』『聴いてくれた』という印象のいっちょ上がりだ」
「詐欺師の手腕ですね」
嫌味を言ってみたが、まるっとスルーされた。彼女は続ける。
「お相手が無口な場合はお相手のお父様と同じようにしろ。出来たら話題は娘さんのことがいいから、おうむ返しする場所に気を付けろ。2人きりにされたら適当ににこにこして、お父様から引き出した情報をいくつか本人に確認する。お相手が喋るようならまたにこにこして聞く。お相手が喋らなければ、適当に身につけているアクセサリーでも褒めて、あとはにこにこして見つめておけ」
にこにこしておけ、と言われても。
彼女の顔に視線を向ける。どう見ても「にやにや」という顔だが、それが分かっていても騙されてしまうご令嬢が出そうな顔つきをしている。
ご令嬢の好みそうな、人気の舞台俳優のような顔立ちだ。鼻筋が通っているし、目も切れ長だし、顎のラインもシャープだ。
そりゃあその顔ならにこにこしているだけでいいだろう、という気がした。
「自分はご令嬢に好かれる見た目ではありませんから」
「何言ってるんだ。君は塩顔だから化粧でどうにでも盛れるぞ。君の顔、私のすっぴんと系統が同じだし」
「は!?」
予想外の言葉に、思わず彼女の顔を凝視した。
化粧?
どう見ても、男にしか見えないのに?
「あ、貴女、化粧していたんですか!?」
「しているよ。あれ? 結構シェーディングとか濃くしてるんだけど……気づいてなかったのか」
「そう言ったことには、疎いもので」
「ふぅん」
驚く自分の顔を興味深そうに眺めていた彼女が、ぽんと手を打った。
「見合いの日、化粧しに行ってやろうか」
「は?」
「お、我ながらナイスアイデアじゃないか、これ」
「ちょ」
「侯爵家、どこだっけ? 東地区だよな? まぁ騎士団の誰かに聞けば分かるか」
彼女が立ち上がる。そして止める間も無くぽんと近くの木の枝に飛び乗った。
「じゃ、マーティ。またな!」
挨拶の言葉を残して、あっという間に姿が見えなくなる。残ったのは揺れる木の枝だけだ。
自分はシワのよった眉間を揉み解した。
こういうとき、貴族というのは不便だ。黙っていても家の場所がバレてしまう。
騎士団の寮に住んでおけば良かったと、今更ながらに後悔した。
◇ ◇ ◇
妙に上機嫌の侍女に「お友達がおいでですよ」と言われて応接室に向かうと、優雅に足を組んだエリザベス・バートンが我が物顔で紅茶を飲んでいた。
まさか本当に来るとは。
ドアの影から何人もの侍女がかじりついてその様子を覗き見、ほうっとため息をこぼしている。
「マーティン様のお友達ということは、騎士の方かしら」
「あんなに素敵な方、いたかしら……?」
「背も高いし脚も長いわ……」
「ご案内したとき、笑顔でお礼を言ってくださったの」
「紳士的なのね」
小声で話す侍女たちにため息をつく。すぐ後ろに自分が立っているのに、気付く様子もない。
たまりかねて咳払いをすると、侍女たちが蜘蛛の子を散らすように逃げていった。やれやれだ。
彼女も部屋の入り口に立った自分に気づいたようで、こちらを見ると片手を上げた。
騎士団の制服でも学園の制服でもない彼女を見るのは初めてだったが、シャツにベスト、細身のパンツというシンプルな出で立ちだ。
常に「そう」なのだな、と思った。
と言っても、女性らしい服装はまったくもって想像がつかないが。
◇ ◇ ◇
「ほら、出来たぞ」
「…………これは」
彼女の合図で、鏡に映る自分を見る。
そこにいたのは、確かに自分だが……普段の顔とはまるで違っていた。
全体的に彫りが深く見える。鼻が高く見える。えらが目立たないし、目元もどことなく引き締まって見える。
……少しだけ、彼女に似ている気がした。
「まるで別人のようです」
「大げさだな」
彼女がおかしそうに笑った。
だが実際そうなのだから仕方ない。こうも変わるものだとは思わなかった。
言い方はなんだが、普段の自分よりも女性の好みそうな見た目になったことは間違いない。
「タイの色は明るい色がいい。顔が華やぐ。顔面に華が足りてないから他で補え。……かっこよくしてやってね」
化粧道具を片付けながら、彼女は言う。
控えていた侍女が、惚けた顔で頷いていた。
「じゃ、私はこれで」
「本当にこのためだけに?」
ドアから出て行こうとする彼女に問いかけると、何を言うのだと言う顔で首を傾げた。
「うん? そうだけど」
「貴女になんのメリットもないでしょう」
「ちょっと面白そうだったから」
自分の言葉に、彼女は悪戯小僧のようににやりと口角を上げる。
その言葉に拍子抜けした。
てっきりまた、殿下の呼び出しを断る手伝いをさせられるのかと思っていたのに。
「頑張れよ、マーティ。こっから先は君にかかってるんだからな」
「…………ふ」
年下のくせに、まるで言い聞かせるように言うものだから、思わず笑ってしまった。
本当に、何をするのか分からない奴だ。
「そうですね」
「……珍しいこともあるもんだ」
相槌をうつと、彼女が目を丸くしてこちらを凝視していた。
何かと思った瞬間、彼女が両手で自分の頬をぎゅっと押さえるように包む。
「その顔をキープしろ、ほら! 今の位置、表情筋!」
「は? え?」
「あーあ、もう崩れた。全然だめだ。根性と筋肉が足りてないんじゃないのか」
「はぁ」
彼女は自分の頬を掴んでいた手を離すと、呆れたように首を振る。何がなんだかわからない。
「無愛想なクール系で行くのもいいが、そういう系の方が顔で判断されやすいからなぁ。愛想良くするに越したことはないんだが……うーん。今日の君なら及第点か……?」
「愛想よくは、無理です」
「まぁ、なるようにしかならないな」
彼女はいつもの適当さを発揮して笑うと、拳をこちらに突き出した。
「健闘を祈る」
誰がやるか、と思ったが、今日は一応世話になった身だ。
やれやれとため息をついてから、自分も拳を握って彼女のそれにぶつけた。
◇ ◇ ◇
彼女が嵐のように帰っていった直後、応接室に姉が飛び込んできた。
「ね、姉さん?」
「さっきの方は!?」
「帰ったけど」
「ええ!? 馬鹿マーティ、何で引き止めていてくれないのよ!」
いきなり馬鹿呼ばわりされた。
姉さんはいつもいきなりだし、とにかく気が強い。だから行き遅れているのだと父さんが嘆いていたのを思い出した。
何故自分があいつを引き止めなくてはいけないのか。だいたい姉さんは彼女と面識はないはずだが。
「お話したかったのに! ねぇ、あんたの友達なのよね!? どこの人? 恋人は?」
「え? は?」
「さっき化粧道具借りにきたのよ! あたしより背が高くて、ゴリマッチョじゃない男なんてあんまりいないじゃない!? ていうか顔すっごいカッコいいし! もうこれを逃す手はないわ!」
紹介して! とうるさい姉を「これから見合いだから」と言って何とか宥め、大急ぎで準備を整えて馬車に乗る。
どう説明しても面倒な事態になる気がして、頭を抱えた。
一刻も早く騎士団の寮に引っ越すべきかもしれない。
◇ ◇ ◇
見合い相手の反応は上々だったらしい。
また会いたいとの申し入れが父にあったそうだ。2回会ったとなれば、もうその話はほとんど決まったも同然だ。
お相手のご令嬢は、物静かな方だった。伯爵家の次女で、家督を継ぐという重責のない者同士、思ったよりも気楽な関係となりそうだ。
あまり会話がなかったが、お父上の話に少し頬を赤らめたり、小さく微笑んだりしている姿は非常に愛らしく、自分も良い印象を持っている。
背が低く、楚々とした仕草も嫋やかで、顔つきもどちらかというと幼く見える女性だった。
自分にはもったいないほどのお相手が、こちらに好印象を持ってくれているらしいのは、なんとも意外なことだ。
しかし、どうにも「結婚」というものが自分ごとではないように思えてしまう。
剣の道だけに生きてきた。それ以外のものを、他人の人生を背負うということがどういうことなのか、いまいちよくわからない。
こんなに実感も覚悟もないままに結婚するというのは、いささか無責任が過ぎるのではないだろうか。
このような心持ちで結婚することは、お相手にとっても自分にとっても、良いことではないだろう。
話を受けていいものかどうか、悩んでいた。
◇ ◇ ◇
「よっ、マーティ! 見合い、どうだった?」
殿下の指示を受けて王城を出ると、探しに行くまでもなく向こうからやってきた。
いつもの気配の読み合いをすっ飛ばして声をかけてきたあたり、彼女も結果が気になっているらしい。
いつもへらへらとしているが、今日はやけに機嫌が良い。これは完全に、面白がっている。
「エドワード殿下がお呼びです」
「うん、それは分かったから。そうじゃなくて」
「貴女が殿下と話された後でお伝えします」
「なるほど。交換条件だな?」
自分の言葉に、彼女は素直に頷いた。
「やむを得まい。先に殿下の用件をさっさと済ませよう。ほら、行くぞマーティ」
いつもの渋々っぷりが嘘のように、驚くほどあっさり執務室へ向かう。何なら自分を先導する勢いだ。
いつもこうならいいのに、と思う半面、いつもこいつを面白がらせるような話題を提供するのは御免だと思った。
すたすたと自分の斜め前を歩いていくその背中を眺める。
まだ返事をしていないと言ったら、やいのやいのと騒がれそうだ。さて、何と言ったらいいものか。
◇ ◇ ◇
「マーティ! 終わったぞ」
「早すぎませんか」
「適当にはいはい言って出てきた」
「不敬な」
「あまりに私が素直だから、殿下も驚いていたよ」
胸を張って言うことではない。
「それで、話の続きは?」
「……レンブラント卿?」
執務室の扉が開く。
中から殿下が顔を出した。
慌てて膝をつき、頭を垂れる。
城内で、かつ人目がある場所だからか、彼女も騎士の礼を取った。適当にはいはい言って出てきた人間の所作とは思えない、美しい礼だった。
殿下の許可を受けて、立ち上がる。
彼はにこりと微笑んでいたが、その瞳は怜悧な輝きを宿していた。
もしやろうと思えば、一言で自分の首を飛ばせるお人だ。思わず背筋が伸びる。
「驚いた。友人だとは聞いていたけれど、随分仲が良いようだね」
「…………いえ。それなりです」
「それなりって何だ、それなりって」
横から茶々を入れられるが、無視する。
「リジー。君も、年上相手に随分砕けた様子じゃないか」
「はぁ。何と言いますか、彼はあまり年上という感じがしませんので」
どういう意味だ。
少なくともお前のような悪戯小僧よりは、よほど大人である。
「で? 話の続きが何だって?」
「え?」
「私の話を巻きで終わらせて、何の話をするつもりだったの?」
「…………」
「…………」
思わず彼女を睨むと、すーっと視線を逸らされた。
観念して、自分で切り出すことにする。
「自分の、見合いの話です」
「見合い? ああ、侯爵からも聞いたよ。確か……伯爵家のご令嬢だったか」
思わず舌を巻いた。そこまで話が回っているのか。
途端に「結婚」というものが実感を持って襲いかかってくる。その責任が恐ろしくなった。
「私は彼の見合いを応援していまして。結果を聞きたいとせがんでいた次第です」
「なるほど。そういうことなら、私からも口添えしようか? 君が所帯を持ってくれたら私も安心だからね。いろいろと」
二人して勝手なことを言いやがる。
彼女が自分の見合いを応援していると知った途端、手のひら返して優しげに振る舞ってくる殿下を見て、恋とは人を狂わせるのだなと感じた。
いつもの冷静で穏やかな殿下とは思えない、刺々しさに溢れる言葉だった。
主に「いろいろと」の部分に、まさにいろいろな感情が篭っているのを感じる。
薄々気づいてはいたが、自分の主がとんでもないやつに引っかかっているのを目の当たりにして、また頭痛がしてきた。
世の中にはもっと、まともなご令嬢がごまんといるし、殿下であればよりどりみどりのはずなのに、どうしてよりによってそいつなのだろう。
このまま話が進んで行くと、本気で逃げられなくなる。
王太子のお口添えなどあった日には、確実に結婚しなければならなくなる。
しかし自分にはやはり、その覚悟はなかった。
「それには、及びません」
やっとのことで、声を絞り出す。
「今回の件は、お断りすることになるかと思いますので」
「……どうして?」
再び、殿下の視線が冷たいものに変わった。
背中を冷や汗が伝う。
だが、腹を括るしかない。もうここまできたら自棄っぱちだ。持っているカードを切るほかないのだ。
それが、ジョーカーだとしても。
「自分は、胸の豊かな女性が好みですので」
殿下と彼女がぽかんとした顔で自分を見る。
本来女性に聞かせるような話ではない。だが、ここで彼女を下手に女性扱いすることは、殿下の逆鱗に触れるような気がして出来なかった。
嘘をつくような器用な真似もできない。自分の性的趣向に則り、最低限の誤魔化しで済ませたつもりだ。
お相手のご令嬢が、大人しく慎ましやかな……胸部をしていたことは事実である。
「……レンブラント卿」
「は」
「きみに所帯は、まだ早いのかもしれない」
「ぷっ」
殿下が呆れた様子で言うと、隣で噴き出す声がした。そのままけらけら笑い転げている。
「ははは! 正直者だな、君は! 最低だ!」
こちらからしても、これでウケるご令嬢は嫌すぎる。最低なのはお互い様だ。
「マジな話をすると、胸は育つぞ。他に気に入らないところがないなら、育ててみてもいいんじゃないか?」
訂正する。お前のほうが最低だ。
「リジー」
「おっと。すみません。殿下の前で下品な話を」
「誰の前でもそんな話をしないで」
「善処します」
殿下の氷のような冷え冷えとした視線を受けながらも、彼女は飄々と肩を竦めている。
心臓に毛が生えているんじゃないだろうか。
とりあえず王太子殿下の敵意が逸れたことに息をつく。何とかこの場をしのぐことが出来た……はずだ。
殿下の指摘の通り、自分にはまだ結婚は早い。
かのバートン伯は2つ年上だが、まだ婚約者もいなかったはず。
公爵家の跡取りですらそうなのだから、次男の自分はもう少しぷらぷらしていても許されるだろう。
願わくば、一生考えなくて済むとよいのだが。
◇ ◇ ◇
マーティン・レンブラント、20歳。
この後彼のもとに、胸の豊かなご令嬢との見合い話が大量に舞い込むことを、彼はまだ知らない。





