近衛騎士マーティン・レンブラントの受難(2)
活動報告にあった小話を引っ越しました。
王太子殿下付きの近衛騎士、マーティン・レンブラント視点のお話その2です。
時系列としては、第3章学園編2年目の後半あたりです。
目を閉じて、気配を探す。
もう何度もしてきたことだ。目当ての気配はすぐに見つかった。
相手もこちらが探っていることを察知したらしい。一瞬で気配が掻き消える。
ほどなくして、木の上から飛び掛ってきた彼女の相手をすることになった。
と言っても、最近は負け越しているのだが。
今日も、自分の負けだった。
自分に馬乗りになっていた彼女が、立ち上がって手を差し伸べてきた。その手を取って、立ち上がる。
「やぁ、マーティ」
「エリザベス様」
「様も敬語もいらないって言ってるのになぁ」
背中の土を払う自分を見て、彼女は肩を竦めてわざとらしくため息をつく。
「そういうわけには」
「アイザックを見習え」
「学園と王城では状況が違います」
「ふふ。君が同級生だったら友達になっていなかったかもな」
彼女は何が楽しいのか、おかしそうに笑った。
かも、ではない。仕事でなければこんなに粗暴で適当なやつに付き合っていられるか。
「勝手に友達扱いするのをやめてください」
「いいんだ、私が君を友達扱いすると決めたんだから」
偉そうに胸を張って言う。
何もよくない。何とも自分勝手な理由だ。
「エドワード殿下がお呼びです」
「見つけられなかったって言っておいてくれ」
「……エリザベス様」
「今日は殿下の相手をする気分じゃない」
ずいぶんとふざけた理由だった。気分で王太子の呼び出しを拒否できるわけがない。
本当にふざけたやつである。
注意をしようとその横顔を見て、ふと違和感が過ぎった。
適当で飄々として、人を食ったような態度でいるそいつの表情に、僅かな翳りが見えた気がしたのだ。
「いつも簡単に呼びつけてくれるが、私にだって都合と言うものがある。心の余裕がないときに殿下の相手をしていたら、グーで殴ってしまうかもしれない」
「不敬です」
「だからやってないだろ」
軽口はいつもと変わらない。殿下の呼び出しに応じるのを渋るのもいつものことだ。
だが、常に余裕ぶった態度のやつが「心の余裕がない」などというのは、やはりそぐわないように感じた。
そう思って観察していると、目を伏せるその表情も、どこか普段よりも活気がないというか、覇気がないというか……元気がないように感じられた。
「なぁ、頼むよ」
「仕事ですので」
「じゃ、こうしよう。かくれんぼだ、マーティ」
「は?」
「私が本気で隠れるから、見つけてくれ。そうしたら諦めてついていくよ。見つけられなかったら、その時は本当に『見つけられませんでした』と言えばいい」
前言撤回だ。
いつもどおりだ。
いつもどおりの適当で雑な、行き当たりばったりの思いつきだ。
どうも自分の考えすぎだったらしい。心配して損をした。深読みして損をした。
だいたい、多少のことで落ち込んだりするような繊細な神経をしているとは思えない。
「遊んでいる暇は」
「いいのか? 本気で私が抵抗したらどうなるか、一度骨身に教えてやってもいいんだぞ。私も怒られるだろうが君も怒られることになる」
「…………」
とんでもない脅しをかけてきた。
こいつが本気で暴れたときのことを想像してみるが、どう考えても大惨事だった。始末書では済まない。
「はい、10数えて」
「…………はぁ。10……9……」
自分が数を数え始めると、彼女はにやりと笑って気配を消した。
◇ ◇ ◇
10数えた後で城中を探し回ったが、彼女を見つけることはできなかった。
おかしい。
建物の内も外もくまなく探したが、どこにも気配すらも見つからない。
あいつ、いったいどこに隠れたんだ。
徐々に焦りが増してくる。
あいつが本気で気配を消したら、もう自分では見つけられないということだろうか。
いつの間に、それほど実力に差がついてしまったのだろうか。
「エリザベス様。自分の負けです。もう連れて行きませんから、出てきてください」
そう叫んでみるも、彼女が姿を現すことはなかった。
結局他にどうしようもなくなって、殿下に彼女を見つけられなかったことを報告する。
「分かった。……レンブラント卿、今日はもう帰ったほうがいい。体調が悪いのではないか? ひどい顔色だ」
お叱りを受けて当然と思いきや、殿下は自分の顔を見て頷き、気遣わしげな言葉を投げかけただけだった。
何とも情けない限りだ。
肩を落として、城の出口へ向かう。
そういえば、彼女が暮らす公爵家へはこの裏門から出るのが一番近かったはずだ。
ふと気になって、衛兵に聞いてみた。
「ああ、エリザベス様ですか? 帰られましたよ。確か……3時間前くらいですかね?」
「は?」
「え?」
思わず聞き返してしまった。
3時間前と言うと、ちょうど彼女と自分がかくれんぼを始めた時間だ。
――まさか。
◇ ◇ ◇
「…………エリザベス様」
「やぁ、マーティ」
その日、久しぶりに気配の読み合いに勝った。
彼女が衛兵と話しているところを狙うという騎士団の風上にも置けない卑怯な手だったが、もとより明確にルールを定めているわけでもない。勝ちは勝ちだ。
馬乗りになった自分を見上げ、彼女はいつもの調子でへらへら挨拶をする。
衛兵が何事かと駆け寄ってきたが、彼女が地面に転がったまま「大丈夫、じゃれてるだけだ」と告げると首を傾げながらも持ち場に戻っていった。
何が「じゃれてるだけ」だ。一体どこの誰が好き好んでお前にじゃれつくというのか。
「貴女、この前帰りましたね!?」
「帰ったとも」
思わず声を荒げると、彼女はこともなげに頷いた。
「誰も城の中に隠れるなんて言っていないだろう。家の自室で隠れていた」
絶句した。
信じられない。
自分でかくれんぼと言っておきながら、そんな反則技を使うやつがあるか?
どういう神経をしているのだ。
「帰ったら怒るかなー、と思って」
「当たり前でしょう」
「うん、だと思った」
彼女の上から退くと、彼女も立ち上がって服の土を払った。
憤慨しているこちらの様子を見て、彼女はどこか満足そうに目を細める。
「実は少々気が滅入っていて。八つ当たりと言うか、憂さ晴らしでつい、からかってしまった。悪かったよ」
まったく悪いと思っていない顔だった。悪戯小僧のように、にやりと笑う。
「怒っている君の顔を見たら少し元気が出た」
「ずいぶんと、いいご趣味で」
「おや。知らなかったのか? 私は趣味も良ければ、性格も良いんだ」
うっかり本音をこぼすと、彼女は性格の悪さが滲み出ているようなにやけ面で肩を竦めた。
本当に、いい性格をしている。
人が怒っているところを見て元気を出すとか、まともな人間の思考とは思えない。
人の心がないのだろうか。
「で? また殿下が呼んでいるって? 殿下も怒ってた?」
やれやれと面倒くさそうな様子で言われて、はたと気がついた。
今日は特に、殿下から何の指示も受けていない。
それどころか、彼女の気配を掴んだ瞬間、城内巡視の持ち場を放り出してここまで来てしまった。
「……マーティ?」
「……人違いでした」
「いや、そんなわけあるか」
誤魔化そうとしたが、一蹴された。
我ながら無理があるだろうとは思った。
「暇なら手合わせに付き合いたまえ。久しぶりに負けたからね。ちょっと燃えてきたぞ」
「いえ、自分は職務中ですので」
「君、職務中に用もなく一般人に襲い掛かったのか?」
「……付き合います」
観念して答えると、彼女は「そうこなくっちゃ」とまた笑った。
◇ ◇ ◇
「レンブラント卿」
用事を済ませ、一礼して執務室を退出しようとしたとき、王太子殿下に呼び止められた。
「先日、きみによく似た人物が、城内でとあるご令嬢を押し倒しているところを見たという者がいるんだけれど。どう思う?」
一瞬何のことか分からなかったが、理解した瞬間、どっと冷や汗が噴き出した。
話が回るのが早すぎる。
いや、自分でもあれは奇行だったし愚行だったと思っている。持ち場を離れた件については反省もしている。
だが、それで言うならよほど奇行と愚行ばかりのあいつが怒られるべきだろう。
もしかして奇行と愚行が多すぎて周りが見慣れてしまっているのだろうか。
だとしたら、普段真面目に働いている自分ばかりが怒られるのは非常に割に合わない。
そもそも、殿下はあれを「ご令嬢」の範疇に入れるのか?
少々御心が広すぎるのではないだろうか。一緒にしては他のご令嬢方に失礼だ。
殿下に気づかれないようごくりと息を飲み、出来る限り平静を装って答える。
「……恐れながら、人違いかと」
「質問を変えよう」
作り物のように美しい顔で微笑みかけられた。
「リジーとはどういう関係?」
紫紺の瞳が、こちらを捉える。非常に棘のある、凍てつくような視線だった。
そっくりそのままお返ししたい。殿下の方こそ、あいつとどういったご関係なのだ。
妙にあいつを気に入っているらしいが、どういうご関係だとしても「ろくなやつではないのでやめておけ」以外にコメントのしようがない。
それこそ、「いいご趣味ですね」くらいなものだ。
貴族たるもの、感情を表に出してはいけない。
冷や汗だって見えるところには浮かべないような術を身に付ける者もいるほどだ。
だが、自分はそういった腹芸が向いていないがために騎士の道を選んだ身だ。
貴族の最たる者である王族相手に、誤魔化せるはずがない。
言い訳の引き出しもボキャブラリーも貧困だ。自分に勝ち目はない。
下手な言い訳や嘘は却って身の破滅を招く。自分の中の本能がそう告げていた。
結局、自分は屈した。絶対に認めたくなかったことを認める羽目になった。
それ以外にこの場を乗り切る方法が思いつかなかったのだ。
「……友人です」
◇ ◇ ◇
「エリザベス様、そろそろ届いたお手紙や贈り物にも目を通してくださいませ。このままではお屋敷が溢れてしまいます」
「大げさだなぁ……ん? その封筒、騎士団の紋章じゃないか」
「これですか? 確か、近衛師団長様からのお手紙と贈り物ですね」
「師団長さんから? 何の用件だろう。もし卒業後のスカウトだったら、他のものと一緒にしておいてくれ」
「はぁ、それが……『平素より我が団の新人育成にご尽力賜り深く御礼申し上げる』とか何とか」
「新人の育成? ……ああ」
「お心当たりが?」
「……いいや? 人違いだろう」





