15.僕はただ、彼女のために(アイザック視点)
放課後。指定された校舎裏に、僕は一人で向かった。
しばらく待っていると、指定の時間より少し前に一人の女子生徒が現れた。
ある程度の距離を保った状態で立ち止まった女子生徒に、呼びかける。
「デミル子爵令嬢だな?」
「……貴方は」
女子生徒が視線だけを上げて、ちらりとこちらを窺う。
栗色の長い前髪越しにしか表情が見えないが、右の口許に黒子があるのが見えた。
猫背で俯き加減で、見た目はどこか自信のなさそうな、大人しそうな印象を受ける。
だが、その声は見た目に反して妙に落ち着いていて、違和感があった。
「あの。バートン様は、どちらに? わたくし、バートン様にお手紙を差し上げたのですけれど」
「こちらの質問に答えてもらおう」
質問に答えない女子生徒に、僕は問いを重ねる。
「お前は、デミル子爵令嬢で間違いないか?」
「……ええ」
僕の言葉に、女子生徒は確かに頷いた。
「何故嘘をつく」
「嘘など……」
「ここ2週間ほど体調を崩して休んでいたようだが、戻って来てから少々様子がおかしいとクラスメイトから情報を得た」
僕は眼鏡を押さえながら、目の前の女子生徒を観察する。彼女は口をぐっと噤んで、また俯いた。
「もともと仲の良い友人と呼べるような相手はいなかったようだが……いつにも増して猫背で、俯いていることが増えたそうだな。授業で当てられた時、教師に声がおかしいと聞かれて、風邪を引いたと答えたとも」
「……何が仰りたいの?」
「聞いた通りだ。何故嘘をつく?」
揺さぶりに対して、女子生徒は態度を崩さない。
慌てた様子はなかったが……先ほどまでのおどおどとした雰囲気も、掻き消えた。
ちらちらとこちらを窺うのではなく、前髪越しにこちらを睨んでいる視線を感じる。
学園内では身分の差はないものとされている。
だが、それでも子爵家の令嬢が、伯爵家の者に向ける視線ではなかった。
「何故、デミル子爵令嬢の振りをする?」
「……馬鹿馬鹿しい。不愉快ですわ」
「これも聞いた話だが」
踵を返した女子生徒の背中に、僕は言葉を投げかける。
「デミル子爵令嬢は、口元に黒子があるそうだ」
「だから、どうしましたの?」
振り返った女子生徒は、もう俯いてはいなかった。口許の右側に、黒子がはっきりと視認できる。
前髪の奥の顔が少し垣間見えた。迷惑そうな表情で眉根を寄せ、こちらを睨んでいる。
僕はその顔をまっすぐ見つめて、はっきりと言った。
「左側の、口許に」
「え?」
「聞こえなかったのか? 本物のデミル子爵令嬢の黒子は、お前とは逆側だ」
「な……!」
咄嗟に自分の口元に手をやる女子生徒の姿を見て、僕はふっと口角を上げた。
よく知る誰かを思い出すような、嫌味な笑顔になっている自覚があった。
「嘘だがな」
「き、貴様!」
「さぁ。デミル子爵令嬢に化けたお前は誰だ? 目的は? どうして彼女に近づく?」
僕の問いかけに、女子生徒――偽物のデミル子爵令嬢は、答えなかった。
その上半身が、ゆらりと前方に傾く。
そして、一瞬で距離を詰めて来た。僕は反射的に彼女から逃げようとして、僅かに後ずさりして尻餅をつく。
ガサ――ッ!
乾燥した落ち葉と、そこそこの重さの物が落下するような音がした。
「アイザック様!」
「大丈夫だ」
校舎の2階から、ミケーレ侯爵令嬢の声が飛んできた。
尻についた砂を叩いて立ち上がりながら、それに応じる。
1階の窓からは、屈強な男子生徒たちが飛び出してきた。
「まさか本当に落ちるとはなぁ」
「足元がお留守なんじゃないか、偽者さんよ」
彼らは、僕の足元にぽっかり空いた穴の周りを取り囲んだ。
穴は直径2メートル、深さは大体、3メートルほどである。短時間でよくここまで掘ったものだ。
穴の底には、デミル子爵令嬢の振りをした何者かが、大量の落ち葉と共にひっくり返っていた。
何が起きたか理解できていないらしく、目を白黒させている。
かつらだったのだろう、栗色の髪がずれて、一部黒色の髪が見えていた。
端的に言えば、落ち葉でカモフラージュしてあった落とし穴に落ちたのだ。ただそれだけの、子供だましの罠だ。
それでも、入念な事前のシミュレーションと、標的ではない僕が待っていたこと、僕が偽令嬢の変装を見破ったことなど、様々な要因が重なれば――罠に嵌めるのは、十分に可能であった。
「お前の敗因は、僕の前に姿をみせたことだ」
穴の中を見下ろしながら、僕は告げる。
「ここで待っていたのが僕だった時点で――標的であるエリザベス・バートンでないと分かった時点で、引くべきだった」
偽令嬢の顔が悔しげに歪む。とても貴族令嬢がする表情ではない。
「それとも、僕一人なら黙らせられると思ったか?」
僕の隣には、屈強な男子生徒たちが並んでいる。バートン隊なる組織の面々だ。
彼らが崇拝する隊長の危機かもしれないことを伝えると、力を貸してくれた。落とし穴を掘ったのは彼らだ。
2階からこちらを見下ろしているのは、ミケーレ侯爵令嬢を始めとするクラスの女子生徒たちだ。
落とし穴の位置と僕の立ち位置の確認とシミュレーションへの協力、そして万が一の時に教師に連絡する役目を買って出てくれた。
「残念ながら、一人ではない。……僕も、彼女も」
「くッ……覚えていろ!」
低い声で叫ぶ偽令嬢。そしてポケットから取り出した何かを、穴からこちらに向かって放り投げた。
瞬間、ものすごい量の煙が噴き出し、視界を覆った。発煙弾の類だろうか。
口元を袖で覆って出来るだけ煙を吸わないように注意する。
幸い毒や睡眠薬の類ではなかったようだが、煙が切れた時には穴の中はもぬけの殻になっていた。
「……逃がしたか」
「すまん、ギルフォード。取り押さえられなかった」
「いや、問題ない」
歯噛みするバートン隊の面々を見回す。怪我人もいなければ、煙の影響で体調不良になった者もいない。
僅かだが情報も得た。有り合わせの作戦にしては上々だ。
2階を見上げて、心配そうにこちらを見下ろすご令嬢たちに呼びかける。
「とりあえず先生に知らせてくれ。……それから、王太子殿下にも」
「で、ですが、それでは」
ミケーレ侯爵令嬢が言葉を差し挟んだ。他のご令嬢たちも不満げな顔をしている。
理由はすぐに察しがついた。今回の作戦の立案時も、「バートン様に良いところを見せるチャンスですわ!」と妙に意気込んでいたからだ。
僕の恋を応援している彼女たちは、王太子殿下に報告することで、みすみす手柄を渡すことになるのではないかと心配しているらしい。
応援はありがたいが、それで彼女に何かあっては本末転倒だ。僕は小さく首を振る。
「権力のある者の方が都合がいい場合も多い。実際に救うのが僕でなくてもいい。僕はただ、彼女のために持てる手段をすべて使うだけだ」
活動報告にちょっとした小話? 番外編? の続きを書きました。
今回はエドワードがメインです。
例によって本編を読む上では必要ない単なるオマケです。
それでもいいよ、という方はぜひ覗いてみて下さい。
(R3.6.8追記)活動報告にあった小話は本編中の「閑話」、または「番外編 BonusStage」に引越し済みです。





