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猫たちの時間 〜猫たちの時間1〜  作者: segakiyui
2.白い墓標

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5

 そうだよな。

 ふいとそんな気がした。

 こいつの動きはこれでいいはず、だから、さっきみたいに嬉しげに親しげに頼りなげに、見知らぬ相手に笑いかけるはずがない、そう確信する。

 なのに今、こいつは、素直で害意など一切ないように生真面目に振る舞っている。

 でも、たぶん、それはこいつの本当の姿じゃない。

 何かの理由があって、そう振る舞っているにしても、それは、こいつにとってかなり辛くて、必死に我慢しているはずだ。

 でも、なぜ?

 そうまとまった瞬間に、疑問は口を突いてしまった。

「あのさ、何でそんなふうにしてるんだ?」

「は?」

 周一郎が振り返る。サングラスに一瞬室内の光が差し込んで、その向こうの瞳を透かす。

 ガラス玉みたいな空虚な光。

 その目とまともに視線があってしまった。

 あ、やばい。

 今思ってることはヒットしてる、だから口にしちゃいけない。そう思ったのに、こういう時ほど人の口は主を裏切るものだ。

「何でそんな無理をしてるのかな、って」

 ビンゴぉぅ!

 どこかで能天気な司会者の声が響いた。

 一瞬、惚けた、何を言ってるんだろうと言いたげな周一郎の顔が、数秒たたずに激しい動揺に揺れ、相手は軽く息を呑んだ。

「、っ」

 昔話で、いろんな企みをしている最中に正体を見破られた魔法使いは、こんな顔をして相手を見たんだろう。そして、未来永劫呪ってやる、そう叫び立てたに違いない。

 不安と狼狽と激怒。

 周囲を焼き尽くしそうな怨嗟の炎。

 だが、それらは一瞬のうちに、周一郎の内側、躯の奥深くに押さえ込まれる。

「何のことか、わからないな」

 さりげなく窓へ目をやりながら口にしたことばは震えもしていない。姿勢が揺らぐ気配さえない。落ち着き払って、もう一度こちらを見やる。促された気がして口を開く。

 いいのか? 言っちゃうぞ?

「えーと、だからさ、つまり、君は」

「周一郎でいいです」

「周一郎、くんは」

「周一郎」

「周一郎は……えーと、あれ?」

 あれ?

 俺は戸惑った。

 何だか急に自分が何を話したかったのか、何を尋ねたかったのか、わからなくなってしまった。

 俺の戸惑いが伝わったのだろう、くるりと周一郎は完全に振り返った。

 にっこりと笑う。

 それから、絶妙なタイミングと宥めるような口調で、

「仕事の内容のことでしたか?」

「あ。ああ」

 やられた、という気がした。

 うまく言えないけど、何かとても巧みに逸らされた、そんな気がする。

「仕事内容はぼくの『遊び相手』です」

「だから、その、『遊び相手』って、一体何をすればいいのか、まったくわからないんだが」

 そうだ、ここには広い屋敷とそれより広い庭があるんだったっけ。

「ほんとに遊ぶのか? かくれんぼとか、鬼ごっことか」

 確かにここならやりがいがあるだろう。

「まあ、体力なら何とかなるかも知れない」

 知力とか気配りを求められると厳しいところだったが。

 安堵して笑う。

「まさか、庭に迷路があるとか言わないよな?」

 周一郎は不安そうな顔になった。

 高野によく似た表情、目の前に人間以外の生物がいて、それがとても親しそうに人間の暮らしについて意見を述べているのを見てしまった、そんな顔だ。

「わからないのに来たんですか?」

 言ってからおかしくなったのか、くすっと周一郎は笑った。流れるようにソファに腰を降ろす。つられて俺も座る。

「もし、おかしな『遊び相手』だったら、どうする気だったんです」

 おかしな『遊び相手』? 何だ、そりゃ。

 期待満面の相手の顔に口ごもりながら続ける。

「まあ、その時はその時で。第一」

 溜め息をついた。

「正直言って選択肢はなかったんだ。家賃を溜め込んで大家に追い出されたところだったし、バイトも馘になってたし」

「どうして馘に?」

 周一郎は楽しそうに尋ねた。

「まあ、いろいろとな。ハンバーガーを一日20個だめにするとか、客の車の中を水浸しにするとか、宅配の品物を川へ落とすとか」

 途中から周一郎はくすくす笑い出した。

「すごいなぁ」

「ああ、すごいんだ、俺は」

 こうなりゃヤケだ、居直ってやる。

「電車に乗ればチカンに間違われるし、道を歩けば女に笑われ、三輪車のガキにはバカ呼ばわりされるし」

「ああ、さっきも」

「そう、さっきも…へ?」

 きょとんとした。

「さっき、って…?」

 そのことについては話してないよな?

「…ルトがいましたからね」

 周一郎は奇妙な微笑を浮かべた。

「ああ、いたな、それで?」

「ルトがいたから、ぼくも知っている」

「は?」

 俺はふと、ルトの向こうに周一郎の気配を感じたことを思い出した。

 ひょっとして、こいつは猫を通じて見たり聞いたりできるとか。

「まさか、さ」

 俺がおそるおそる口に出そうとしていることばを待ってでもいるように、周一郎は笑みを深めた。品良く足を組んで膝に手を載せ、ソファの背にもたれる。見ようによっては、たちの悪いいたずらをしかけて人をからかっているともとれる。

 だが、その余裕は俺が続けたことばに見事に壊れた。

「俺がちゃんと戻ってくるかどうか確かめた、とか」

 びく。

 それとわかるほど、周一郎が顔を強張らせて体を震わせた。何だか薄く頬に血の色を上らせたようだ。

「どういう意味です?」

 冷ややかな声で尋ね返す。

「どういう意味って…いや、だって、おまえはルトがいると起こっていることがわかるって言ってるんだろ? だから、俺が戻ってくるかどうか心配になって、確かめにきたのかと思って」

「ぼくが、どうしてそんなことをしなくちゃいけないんだ!」

 今度こそ確実に周一郎は真っ赤になった。激しい勢いで怒鳴って立ち上がる。

 あまりにも激しい反応で、かえって俺の方がびっくりした。

「え、いや、どうしてって、それは俺にはわかんないんだが…」

「わからないのに、どうしてそんなことをぼくに…」

「あ、あのさ、おい、落ち着けよ、周一郎」

「馴れ馴れしく呼ぶな!」

 腰を浮かせて宥めにかかったが、何に腹をたてているのか、こちらの言うことを聞き入れようともしない。

 俺もさすがにむっとした。

「わかった!」

 こちらも大声で叫んだ。

 それでようやく我に返ったように、周一郎が口を噤んだ。

「周一郎って呼ばれたくないなら、別の呼び方を教えろ」

 きょとんと目を開いた、どこかひどく幼い顔に向かって言い放つ。

「俺は雇われてるんだし、文句を言う権利はないんだろうが、周一郎と呼べと言ったのは、そもそもそっちなんだぞ。金はもらってるが、奴隷になったつもりはない。俺が気に入らないならさっさと辞めるから、変な絡み方をしないでそう言ってくれ!」

 真っ赤になっていた周一郎の顔がすうっと白くなっていった。

 きっとあんまりこんなふうに怒鳴られたことなんてないに違いない。ましてや、俺はこいつに雇われているはず、なのだ。

 ああ、しまった。

 頭の中で7万円の札が羽根を生やして飛び去っていく。行きがかりとは言え、雇い主を怒鳴りつけるなんて、普通は馘、だよな。

 胸の中では目一杯後悔したが、言ってしまったものは仕方がない。せめて一週間粘れば7万だけは手に入っただろうに、どうして俺っていうのはこうなってしまうんだろう。

 だが、周一郎の反応はまたもや俺の予想を裏切った。


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