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猫たちの時間 〜猫たちの時間1〜  作者: segakiyui
2.白い墓標

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4

 かなりすっきりとした気がして、俺は開いた門扉を通り抜けた。

 背後で緩やかに閉まる扉を振り返り、それからてくてくと玄関方向に向かって歩きながら、ほんとにここは別世界だよなあ、とごちる。女子高生達が笑い転げ、ガキが俺を馬鹿よばわりする賑やかな日常が、扉一つで遮られて切り離される。

 心無しか車の騒音も遠く、空も何だか高くて広く、静まり返った邸内をひたすら歩いても近づいてこない建物の距離感、人の気配も消えてしまっている静寂、それはまるで周一郎の中身みたいだ、と唐突に思って首を傾げた。

「あれ?」

 そうだったか? そんな隔離された感じがするやつだったか? 親しげに人なつこく笑う奴じゃなかったか?

「んん?」

 俺はまた妄想に浸ってしまっているんだろうか。

 なおも歩き続けて、ようやく玄関に立つ高野を見つけた。

「おかえりなさいませ」

「あ、はい、おかえりなさいませられられ」

「っく」

 扉を開いた高野にひきつりながら応じると、すぐ中に居た岩淵とかいう高野の補佐みたいなのが、顔をひきつらせて近くの部屋へ飛び込んだ。慌てて閉めたドアの向こうから,堪え損ねたのか笑い声が漏れてくる。

「…申し訳ございません」

 後で厳しく申し付けておきます。

 高野が表情も変えずに非礼を詫び、いやそれはそれでそんなに丁寧に謝られても落ち着かないよなあ、と唸る。

「滝様のお部屋はこちらでございます」

 滝様。

 俺じゃないみたいだ。

 導かれて広い階段を上がり、途中の踊り場に彫像を置けてしまう階段ってのは絶対一般家庭じゃないだろ、とか、この階段の幅なら壁にかけられた重そうな額に入った絵画が、いきなり落ちてきても十分避けられるよな、とか考えていたが、案内された部屋にはただ溜め息しかでなかった。

「ひえええ…」

「、…、」

 今度はさすがの高野もひくりと顔を引き攣らせた。笑いたいのを必死に堪えてる気配、忙しく瞬きをしながら、かしこまった声で、

「お疲れでしょうから、まずはお荷物のお片づけなどなさっては如何でしょう。御夕食のお時間が参りましたら、お呼びいたします」

 深々と頭を下げて急ぎ足に出ていく高野の背中に、本気かよ、と唸った。

 なにせ部屋は少なく見積もっても二十畳は軽くある。磨き込んだ棚付きの机に、天井近くまである書棚は二重になっている。部屋の片方にはうねるような曲線の豪華そうなテーブルとソファセットが置かれている。

「……おいおい」

 よく見れば続きの部屋もあって、おそるおそる覗き込むと、そこは大人二人が大の字になって十分眠れそうなベッドとテーブルセットと凝った彫り物のされた洋ダンス、奥はひょっとしてクローゼットとか言うやつか?

「………うーむ」

 家具はどれもこれもピカピカだ。埃もない汚れもない、ガラスにもちろん曇りもない。ふかふかの絨毯はスリッパごと吸い込みそうだし、織り込まれた花や草木の模様は複雑に絡む多色のもの、俺でもかなり高価なものだと想像がつく。

 時代がかった花びらのようなランプシェードのついた灯は柔らかく、壁にはやっぱり年代ものの有名そうな作家の絵画、カーテンは光沢と厚みのあるどっしりしたもので、部屋を重々しく外気から守っている。

 そんな部屋に俺ときたら、薄汚れて毛玉だらけのセーターと二十数日洗濯していないジーパンで、埃まみれのボストンバッグと回収する古紙のようにひっくくってまとめた荷物を両手に突っ立っている。

 どこをどう見れば『お荷物のお片づけ』が必要だってことになるんだ。

「…ま、いっか」

 ボストンバッグから本を出して机に積み、残りはバッグに入れたままクローゼットに放り込むと、そのまま艶やかに光る厚手のベッドカバーの上へ、ぼうん、と跳ね上がってひっくり返ってみた。

「ふい~」

 いいねえ。

「雨漏りはしない、風も入らない、騒音もない、あったかい、部屋を間違えて急に誰かが入ってきそうもない、そのうえ飯も食える」

 天国だな。

「まあ問題は」

 既に一般大学生を越えた知識を備えてるらしい、あの周一郎がどんな『遊び相手』を求めてるのかってこと、だよな。

 呟いたとたん、ノックが響いた。慌てて跳ね起き、ベッドに飛び乗った時に飛んでったスリッパを探し、部屋の境を駆け抜け、元の部屋の廊下に通じるドアを開ける。

 がらんと人気のない広い廊下に、周一郎がぽつんと立っていた。

 相変わらずのダークスーツ、家の中じゃかえって見えにくいんじゃないかと思うぐらいの暗い色のサングラスをかけ、妙に所在なげだ。

「構いませんか?」

 品のいい優しげな微笑を浮かべ、少し首を傾げて尋ねる。

 頭がいいけど、どこか頼りなげで、いろいろと力になってやりたくなるような、支えてやると喜んで、とても嬉しそうに笑って懐いてくれそうな、そんな雰囲気。

 面接の時のそっけないやりとりも、この少年が大人と応対するために頑張って身につけた処世術の一つでしかなかったんじゃないか、本当の周一郎は大人しくて丁寧で控えめで寂しがりやで、きっと誰かの保護がいるんだ。

 そんな風に思わせる仕草。

 だが、俺の心の中では別の声が響いていた。

 あれ? 

 どうしたんだ、こいつ?

 訝しげに、呆れ返った、そんな声が。

「あの?」

「あ、ああ、ごめん」

 周一郎が声をかけてきて、我に返った。

 何だろう、この違和感。

 幾重にも重なったベールの向こうに何かがある。

 なのに、それを見ようとすると、その手前に極彩色のネオンが輝いて、その光に邪魔されて、どうにもその先のものがうまく見えない、そんな感じだ。

 そのネオンは派手派手しくこんな文字を描いている。

『ぼくは無害で安全です』

「滝さん?」

「えーと、何だっけ、」

 俺はそのイメージを無理矢理追い払った。

「じゃなかった、何の御用でしょうか」

 いかんいかん、相手は子どもであっても雇い主、つまりは俺の上役、と思い出して口調を改めると、周一郎がくすりと笑った。

「敬語を使わなくても構いませんよ」

 否定はしたが、それでも上品で静かな命令口調、自覚はなくても俺は自分より下だとしっかり『認識済み』らしい。

「あの、滝さんとちょっと話してたくて……今、いいでしょうか? お邪魔じゃありませんか?」

「ああ、うん、どうぞ、はい」

 ことばに戸惑いながらも、入り口を塞ぐように立っていた体を避けると、頷いた周一郎が隙間を擦り抜けるようにするりと部屋に入り込んできた。

 ルトそっくりの、しなやかで無駄のない、気配一つも揺らさない動き。滑らかだけど安心してるんじゃない、むしろ綱渡りをしているような緊張感があるからこそのしなやかさだ。


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