2章_12話
今日は手土産に魚の干物を持ってきた。
猫先生から特別に魔法を教えてもらっているので、なにか差し入れをしようと考えたのだ。
魚の干物は、実はヴァインからの贈り物だ。
川で大量に旬の魚が釣れたみたいで、それを干物にしてくれたのだ。
はじめは大量に贈られた干物を見て、愕然とした。
捨てることになったらどうしよう、と心配したのだが、これが食べてみると存外旨いではないか。
旬の魚と言うだけあって、干物にしてもその脂身が美味しく感じられた。
それに燻製にしただけだと聞いたが、しっかりと味が付いており、食べだしたら止まらない美味しさなのだ。口の中に広がる香りと言い、歯ごたえある身の弾力と言い、ヴァインのこの一品はたまらない旨さが詰め込められていた。
と言う訳で、これを猫先生にも御裾分けしようと思い持ってきたのである。
手に2匹の干物をぶら下げ、教室の前まで来た。
猫先生が指定した部屋だ。
一応ノックをして、中に入る。
猫先生がいるのと思ったその部屋だが、どこにも見当たらない。
代わりに、広い教室に一つだけある椅子に腰かけている美女が一人。
椅子のひじ掛けに肘を乗せ、その手は頬に添えられている。
俺が入って来たというのに、その人は微動だにしなかった。
目が合う。
第一印象で気づいてはいたが、かなりの美人だ。
出るところは出ているし、引っ込むところはひっこんでいる。体型までもが美人のそれだ。
スラッと伸びた手足が美しく、素肌がさらけ出されている。女性はその美しい脚を組んで、ただこちらを眺めていた。
なんだか急に恥ずかしくなって目をそらした。
胸の鼓動が速くなるのを感じた。
俺は今、ドキドキしているのだろうか?
「いらっしゃい」
女性の美しい声が、静まり返った教室に響いた。空が若干の赤みを帯びて部屋も少し暗い。
なんだか少しエロティックな雰囲気に思えた。
「ええ、こんにちは」
「あら、そんなにかしこまらないで?こっちまでかしこまってしまうわ」
「すみません。なんだか胸が高鳴ってしまって」
「んふふ、若いのね」
女性が唇に手を乗せ、そっと微笑んだ姿がなんとも優美に見えた。それと同時に大人の色気も感じる。
自分の心臓がさらに高鳴るのを感じた。
初めて出会うタイプの女性だった。
まさしくこれこそが大人の女性の魅力だと言わんばかりの人だ。
「手にもっているそれは何かしら?」
女性の問いかけに、手に持っている干物を素早く後ろに隠した。
「いえ、なんでもありません」
なんだか干物を持っている自分が恥ずかしく思えたのだ。
「そう?いつまでも入り口に立っていないで、こちらへ来たら?クルリ」
「えっ!?俺を知っているのですか?」
名前を呼ばれた瞬間、心臓がドッ震えた。
でも、少し間をおいてなんだか自分を知ってくれていることにすごく喜びを感じた。
「もちろんですよ。あなたは私が誰だかわからないのですか?」
「すみません。こんな美人を忘れるはずはないのですが、どうも思い出せないみたいで」
「んふふ、ひどいわ。私がわからないだなんて、お仕置きしてあげましょうか」
「からかわないでください。それで、あなたはどちら様なのでしょうか?」
俺の問いかけに、女性は頭を斜めにした。少し考えるそぶりを見せ、うなずいて話し始めた。
「本当にわからないの?私ですよ?」
「いえ、それが本当にわからなくて」
本当に頭を絞って思い出そうとしているのだが、全く記憶にない。
こんな美人を忘れるなんてことありえないのに!
「そうですか。これは予想外です。やれやれ本当にわからないとは・・・アタイだニャ」
「・・・」
魔力が解かれ、ボンッと現れたのは巨大な毛玉の猫先生だった。
鏡を見なくとも俺にはわかる。今俺の顔からは、喜びとか、悲しみとか、怒り、真の心などはスーと抜け落ちているだろう。心同様、顔も無になっているはずだ。
何も思うまい。何も考えまい。心を無にするのだ。そうすれば太平の世が訪れるはずだ。
俺は記憶が飛ぶことを切に願った。
「来たぞ、猫。あれ?なんでお前死んだような顔してるんだ?」
遅れてやってきたアークに話しかけられたが、残念ながら俺は右耳から左耳状態だ。
「さて、本日の魔法研究に入るニャ。アーク坊やにも見せてあげようと思っていたけど、クルリ坊やが全然気づかないから、変身魔法は解いたニャ。今日はもう疲れたからできないニャ。また今度見せるニャ」
「お前、何を見たんだ?」
「・・・なにも」
「今日はこの前の続きニャ。前は片手だけの変身だったニャ。今日は両手を試してみるといいニャ。毎年ここで何人かは脱落するニャ。難易度上がるから頑張るニャ」
「・・・わかりました」
なんとか気力だけで返事をした。
アークはすぐさま練習に入った。前回同様苦戦中みたいだ。
ふー、俺はしばらく座り心を落ち着かせてから練習に入った。
やる前から大分疲れてしまったな。今日はだめかもしれない。
「そうだ忘れないうちに、これ」
手に持っていた干物を猫先生に手渡した。
「干物ニャ?嫌いじゃないけど、レディにあげる物じゃないニャ」
・・・はい、俺が悪いです。猫扱いしてごめんなさい。
猫先生はそれを受け取ると、教室の夕日が当たる部分でごろ寝をうった。
さて、練習に入るか。
前回同様繰り返しが必要になるだろう。まずはおさらいとして、片手だけ猫先生の手をイメージして変身させてみた。前回何度もやったおかげで難無くできた。できなくなってたらどうしようという不安が解け、少しリラックスできた。
「ニャニャニャ!?うまいニャ!これ旨いニャ!」
興奮した声の先を見ると、ごろ寝しながら魚の干物に噛り付く猫先生がいた。
「これクルリ坊やが作ったニャ?」
「いえ、ヴァインから貰ったものです。ヴァインが釣って、一から作ったものです」
「へー、ヴァイン坊やが作ったニャ?やるニャー」
ようし、集中して両手変身に挑もう。猫先生も難易度が上がるって言ってたし、ここは集中しないと。
「あのヴァイン坊やにこんな特技があったニャ?魔力はちょろちょろなのに、すごい特技持ちニャ」
いざやってみようと思うが、確かに魔力をまとったまま、複数の部位で魔力変化を起こさせるのは難易度が高い気がした。あっちに集中したらこっちの集中が切れると言った感じだ。
「うまいニャー。止まらないニャ、歯ごたえもいいニャ。香りも素晴らしいニャ。あと味もいいニャー」
でもできない感じはしなかった。集中する部分が増えるが、今日中に出来上がる気もする。不思議と自信はあった。
「ニャニャニャ、これはいいニャ。また貰いに行くニャ。絶対行くニャ」
静かにしてくれないかな!!!
干物を持ってくるんじゃなかったよ。どんだけ気に入ったんだ。
アークは特に気になっていないみたいなので、俺だけが気になっているのか?
いやいや、とにかく集中しないと。
思いっきり息を吐き出し、イメージしたとおりに魔力を操作した。
左手と、右手が同時に猫先生同様に毛むくじゃらの猫の手になっていく。
あれっ!?これ上手く行ったんじゃないかな?
「猫先生・・・」
「すごいニャ。もうできたニャ?やっぱりクルリ坊やは天才ニャ」
やっぱり成功みたいだ。不思議と特に難しい感じはなかった。何ならこれから何度でもできそうな気さえする。
「じゃあ次は、尻尾をはやすニャ。端部分から徐々に中心部分に寄って変身していくのが一番楽ニャ」
「やってみます」
今度は猫先生の尻尾をイメージする。
お尻の辺りに魔力を集め、両手の魔力が解けないように集中した。
スポっ、きれいに尻尾もできた。
「すごいニャ、すごいニャ。そのままどんどんつづけるニャ」
今度は足、それもうまくいき、膝から腿、肘から肩もうまくいった。
胴体も徐々にうまくいき。
最期に、頭まで上手く変身できた。
自分でも恐ろしいほどの出来だ。
なぜこうも上手くいったのだろうか?自分でも全く説明がつかない。
「猫先生、うまくいったニャ!!」あれ!?
「すごいニャ。アタイ以外で初めてできたニャ。それにものすごく早いニャ」
「ありがとうございますニャ!」
あれ!?語尾が・・・。
「先生、俺の語尾がおかしいニャ」
「おかしくないニャ。普通だニャ」
「・・・そうですかニャ」
なんだか、ちょっとだけ気分が沈んだ。
「そのまま魔力を圧縮してみるニャ」
「圧縮?やってみますニャ」
言われたとおりに魔力を圧縮してみる。
すると体がみるみる小さくなっていく。
ちょうど体が半分ほど小さくなって、少し躊躇したら縮小がおさまった。
「そうやって小さくなることも可能ニャ。どうニャ?すごいニャ?」
「すごいですニャ!」
ちょっと興奮して大声で返事したら、魔力が途端に切れて、元の人間の姿に戻った。「あ」
サイズも戻っていて少しほっとした。
「まだまだ維持はレベルが低いニャ。1,2時間継続できるように練習するニャ」
「はい」
よかった、語尾も治ってる。
これを見ていた王子のアークは納得しない。
もちろんすぐに捕まり、コツを言えだの、秘密を言えだのと詰め寄られた。
猫先生は相変わらずすぐにだれるので、俺が手取り足取り教える。
夜まで続いたのだが、結局は両手までしか変身はできなかった。
「悪くないニャ。でも、良くもないニャ。王子のくせに今日も普通だニャ」といういつもの猫先生節で魔法研究会はお開きとなった。
王子が今日も部屋に来るとか言い出したら、と不安に思っていたが決定的な差を見せつけられて落ち込んだのだろうか。今日は来なかった。
それにしてもなぜ俺だけこんなにも早くできたのだろうか?
もしかしたら猫先生と通じる物でもあるのか?
・・・それだけは嫌だ。
もう寝よう。部屋に戻りベッドに入った。
そして、今日の夜は定石通りに悪夢をみた。
「うわっ、美女が猫先生で、猫先生が美女で、うわわああああ」




