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『 バーブな堺 』(天文十六年、夏)

因みに、サブタイトルの「バーブ(Barb)」とは、「引っかかり」「棘」の事です。

誤字・誤表記の訂正を致しました。御指摘に感謝を!(2020.10.28)

 クヨクヨと悩んでいても朝は来る。明日はどっちにあるのだろうと探さずとも今日が昨日になれば、今日が明日となるように。


 などと思考の迷路に陥りそうな詮無きことに現実逃避しているのは、今日も今日とて実のない報告を受けているからである。五日連続で溜息と欠伸が一緒に漏らしてしまうような報告を聞かされる身としては、厭世観が高じて浮世離れした哲学者を気取りたくなるのは仕方ないことだろう。

 報告する三淵伊賀守とて気分は俺と同じに違いない。表情を見ればウンザリの四文字が浮き出ている感じだもの。仲裁役としては聞き分けのない相手をぶん殴る訳にも無礼討ちにすることも出来ないのだ、そりゃあMP削られるわ。

 トンチキ管領陣営VSライバル二郎陣営の対話は初日から、“わきあいあい”としたものであるそうな。和気藹々、ではない。血沸き肉躍るような睨み合いと罵り合いを略した、“わきあいあい”である。

 神聖なる場所に刃を持ち込むは不敬不忠の極みとか何とか言い立てて、対話の場へ入場する前に脇差も含めた武器類を全て強制的に没収しておいて正解だよな。殴り合いならまだしも、殺し合いをされては迷惑千万だもの。

 和平交渉の会場で祭られている御祭神もさぞや呆れておられることだろう。人間、度し難しとね。

 因みに会場は、俺が宿舎としている海会寺(かいえじ)の真裏に建つ開口(あぐち)神社の社殿である。御祭神は塩土老翁神(しほつちのをじのかみ)。海幸山幸の物語では山幸彦に、天孫降臨神話では神武帝に、それぞれアドバイスすることで大いなる助けをもたらす知恵の神様だ。

 長年に亘り飽きもせずいがみ合う阿呆共をどうにかする智恵はありませんかね、御祭神様?

 またこの神社の境内には天平年間に行基法師の指導で、密乗山念仏寺って寺院も建立されている。神仏習合の神社でもあるのだ。御本尊は薬師如来。

 世代を重ねても争いを止めぬ馬鹿共につける薬はありませんかね、御本尊様?

 社殿も本堂も古代は住吉郡の津守氏が守護していたが、津守氏が消え去った後は堺の商人達が共同で護持している。然様な由緒ある境内が会場となったのは、室町時代初期の応永年間に朝廷と公儀の祈願所に指定された経緯があるからだ。

 護持する商人達の一人が、武野一閑斎師だったりする。

 そんな神聖なる場所で毎日毎日飽きもせず口合戦をしている罰当たりは、高畠甚九郎と遊佐越中の二人だ。

 高畠甚九郎は六郎の野郎の側近衆の一員で、インケツ野郎の茨木伊賀守と共に以前は洛中の仕切り役をしていた男である。仕切り役といっても茨木同様、いらぬ口出しばかりして公儀の仕事の邪魔ばかりしていたのだけどね。口先ばかりの無能とはいえ、口先だけは無駄に有能なのだとか。

 遊佐越中は、二郎の野郎を支える有力者の遊佐河内守とは別系統の遊佐氏で、畠山尾州家の奉行人を拝命したばかりの若造だった。老練な遊佐河内守に激しい対抗意識を持っているらしく、ここが盛名を高める働きどころと無駄に張り切っているらしい。

 つまりアレだ。無駄と無駄が無駄にがっぷり四つに組んでいるってことで。仲裁をせねばならぬ三淵としては働き甲斐もなく、我慢を強いられての毎日は大層苦痛だろうなぁ。

 いやはや本当に、報告を聞くだけで済んで良かった良かった……って全然良くねぇよ!

 そろそろ、交渉担当者のチェンジを宣告すべきだろうか?

 尚、俺が交渉の場に立ち会っていないのは、未だそのタイミングに非ずだからだったりする。

 異なる陣営が交渉をする際、いきなりトップ同士が面つき合わせて会談を行うなどありえない。況してや憎しみ合う陣営同士であれば猶更だ。先ずは何の裁量権も持たされていない下っ端が送り出され、吠え合いするのが通例である。

 戦場に置き換えれば失ったとて惜しまれもせぬ者による索敵行動。今時のいい方だと物見だな。高畠甚九郎も遊佐越中もそれぞれの陣営では局長級以上に相当するので通常ならば、単独で物見に出されるような軽輩などではない。

 だが将軍家が高みから上覧する場となれば本物の軽輩を送り出す訳にはいかないらしい。妥協ラインが中の中以下ではなく、中の上以上で上の下以下の幹部クラスの派遣だったのだそうな。それでも俺レベルの知識では記憶にも引っかからないランクの人物だけどね。

 戦国趣味の沼に頭が沈むほどどっぷり浸かった人であれば知っていて当然かもしれないが、肩までしか浸かっていない俺には名前を聞いたことがある程度。前世では、爺さんはそれなりの歴史研究家だったけど、俺は臨時アシスタントでしかなかったからなぁ。

 閑話休題それはそれとして。

 俺の出番は成立するにしても決裂するにしても最終局面、交渉が完全に煮詰まってからである。

 ではここで問題。俺がここにいる意味って何でしょう?

 答えは簡単、いることに意味があるのである。……禅問答じゃないよ。まんま、その通りなのだ。俺が最初から堺にいることが、そのまま両細川へのメッセージになるのである。将軍家は本腰いれているぞ、お前らはどうなのだ、お茶を濁すなど許さないぞ、ってメッセージに。

 こちらの本気度が伝わらなければ、対話の場に臨みながら兵を進めるは必定。俺が堺に出張ったことで、例え一時だとしてもトンチキ管領側もライバル二郎側も双方共に矛を収めるのだ。

 和平交渉が開始早々物別れとならぬ為に、俺はここにいる。将軍自らが現場に出張ることは両細川のみならず畿内の隅々にまで、今回の交渉へ臨む将軍家の真剣さが広く知らしめられるのだ。

 どれだけ効果があるのかも、効果があってもそれがいつまで続くのか甚だ疑問だけどねぇ? それはいわない約束よ、ってか。

 遥か古代から二十一世紀の現代まで、和平交渉と同時並行で、小規模であってもわざと軍事的圧力をしかけるのは当然の行為として行われていた。話し合いを優位に進める為に相手の足元へ砂をかけるなど、交渉ごとのいろはのいである。

 事実としてトンチキ管領陣営はそれをやりやがった。

 三好長慶の弟達が多数の軍勢と共に本拠地の阿波国を発し武庫の浦へ上陸した、と多羅尾の一党が知らせて来たのは、三日前のこと。俺が洛中を離れる頃に出陣の準備を終え、六郎の野郎がいる越水城の直ぐ傍へと渡海したのだ。

 弟達とは、長慶の代理として阿波一国を取り仕切る次男の三好之相(ゆきすけ)、淡路水軍を統率する三男の安宅(あたぎ)冬康、讃岐一国を差配する四男の十河一存(そごうかずまさ)。三好兄弟の揃い踏みだ。

 率いて来た軍勢はその数、軍船五百で兵は二万。ライバル二郎軍のほぼ全部である畠山尾州家の軍勢と同規模の軍勢が、突如として畿内に大挙出現したのである。越水城から堺までの距離は通常ならば一日ほど、行軍だと二日もあれば余裕で到着するだろう。

 これで戦力比は五分五分ではなく三対五くらいに傾いてしまった。六郎の野郎からすれば和平交渉などいつ決裂しても概ね問題ない状況へと推移したのである。ヤバイねこれは、レッドアラート寸前だ。

 概ねである理由は、決裂させれば将軍家や朝廷の面目を率先して潰したとあらゆる方面から非難されたくない、ってことだろう。つまり六郎の野郎の企みは、汚名を遠ざけた上で和平交渉を決裂させることだと察せられた。

 物質的に過大な圧迫を感じた二郎の野郎側が自暴自棄となり交渉のテーブルを自発的に蹴り上げれば、トンチキ管領側は大義名分を得て堂々と戦を仕掛けられる。増強した戦力で畿内の勢力図を一気に塗り替えられるのだ。

 併せてオマケに、俺の立場も失墜させられる。

 仲裁失敗の責任をライバル二郎だけではなく俺にもなすりつけられるからね。大軍という過剰暴力が裏付けとなり道理など一瞬で粉砕してしまうのは、自明の理だろう。

 その結果として世に喧伝されるのは、“将軍家、頼りなし”だ。

 細川京兆家がいなければ何も出来ぬお飾りであると、改めて世間に印象づけされた俺は為す術もなく今まで通り、いや、今まで以上の傀儡となるに違いない。

 仲裁者でありながら俺にはライバル二郎側に傾注し、間違っても暴発せぬように何とか宥めるしか手立てがなくなった。

 高畠甚九郎が強める高圧的な挑発的言動の前に、経験値不足の遊佐越中は今日も一方的に遣り込められたのだそうな。誠に哀れでござった、とは三淵の正直な感想である。

 やはり、チェンジだな。

 チェンジを口実に時間稼ぎをするとしよう。

 問題の先送りともいえるが、棚上げするよりはマシだろう。交渉が物別れに終わるのは予定通りであっても、一方的な決裂ってのは望む結末じゃあないし、な。

 牽強付会と指さされようと、両細川双方の都合での不成立って形にしなければ。堺くんだりまでノコノコと出て来たこの俺は、満座の恥晒しとなってしまうじゃねぇかよ、こん畜生!

 

 それにな、俺はお前らばかりにかかずらってばかりはいられないのだ。

 もっと大事な要件を果たさなきゃならないのだから。

 この和平交渉を茶番だと思っているのは両細川陣営だけじゃない、主催者で仲裁者の俺自身が誰よりもそう理解しているのだ。

 だけどな、幾ら茶番でも俺は手抜きはしないぞ。朝廷に不首尾を報告しても笑って許してもらえる程度には真剣に仲裁してやるからな。お前らも面倒臭いと思わず真面目に茶番劇の舞台で踊れよな、本当に頼むぞ……。


 取り敢えず俺は、三淵に和平交渉を仕切り直しとすべく七日間の休止を命ずることとした。双方に、新たな交渉担当者を派遣すべしと。

 何故に七日なのですか、と問われたので“竹林の七賢”にあやかろうと思うたまでよ、と煙に撒く。幾ばくかでも知恵が欲しいからの、といったら細川与一郎までが珍しく尊敬の目でみてくれた。

 本音は“一週間くらい休もうぜ”なのだけどね。

 さてこれで猶予が作れた。たった七日で事態打開の妙案が浮かぶとは思えないが、無為に過ごさぬようにしなければ。

 肩を落として退出しようとする遊佐越中を捕まえ、七日の内に何としても味方を増やせ、新たな協力者をみつけろと忠告する。然もなくば、将軍家としては二郎氏綱を見捨てることもやむなしである、と。

 他人事じゃないぞ、我が身のことだぞ、ピンチから逃れたきゃ死に物狂いで考えろよ!

 青い顔した役立たずを追い出し溜息ついていたら、ニヤニヤした高畠甚九郎に背後から囁かれたよ。

“細川京兆家の正統は既に決着済みと御理解戴けましたでしょうや。大樹公におかれましては疾く、洛中へと御還御遊ばされませ”とな!

 ああ、ムカつくなぁ、畜生!

 こんなことなら“舎利寺の戦い”の経緯についてもっと爺さんから学んでおくべきだった。長慶の弟達の乱入などすっかり記憶から抜け落ちていたぜ、後悔先に立たずとはよくいったものだよな。

 まさかこんな風に後悔するとは夢にも思わなかったけどな!



「大樹公、少し気晴らしを致されませぬか?」


 和平交渉の一時休止を公表した日の午前中。悶々としながら宿舎の応接室で茶を喫していた最中にそういい出したのは、天王寺屋の助五郎であった。やけに他人行儀ないい回しをしやがるが、それも理由あってのこと。師匠である武野一閑斎師が同席為されていたからだ。

 武野一閑斎師の御点前に比べればイマイチだが茶席の亭主としてそれなりに格好がついているのはやはり、結婚しておちついたからだろうな。そういや以前より太りやがったな。さては恋女房とのラブラブ生活からくる幸せ太りか、この野郎!

 口をひん曲げながら“結構な御点前で”と茶碗を突き返したのは少々大人気ないかもしれないが、如何にも俺の様子を楽しんでいる感じを隠そうともしない助五郎には丁度良いだろう。

 ニヒヒと笑う助五郎をジロリと睨みつけたなら、武野一閑斎師がウオッホンと咳払いをなされた。

「天信殿、客の心を解さぬとは……まだまだ精進が足りませぬな」

 禅の師匠である大林宗套禅師より授けられた法名で呼ばれた助五郎は背筋をピンと伸ばし、“恐れ入りまして”とやおら平伏する。ケケッ、いい様だ。

「大樹公におかれましても、茶席にてはもそっと伸びやかにお過ごしあれ。然様な御心構えでは如何なる美味を口にされたとて、砂や泥を召されるようなもの。時と場を切り分けられぬでは、思慮足りぬ者共にも侮られましょうぞ」

 いや、そう仰られますけれど……などと反論しようと思ったが武野一閑斎師の眼光の鋭さに負けて、反射的に首を竦めてしまう俺。浮世の表と裏を知り尽くした人生の達人の前じゃ、武家の棟梁も形無しだぜ。元々形無しだけどな、あっはっはっはっ……はぁ。

「それで、天信殿。気晴らしとは如何に」

「は、実は……」



 ザザーン、ザザーンと寄せては返す波の音。夏の太陽がやけに眩しいぜ。今年も冷夏だから汗塗れにならず助かった。グッジョブ、小氷河期!

 助五郎に案内されて赴いた気晴らしとは、堺の町を東西に貫くメインストリートの大小路の終点を南に折れて行きついた浜辺の近くにあった。

 砂よりも土が多めの原っぱに幔幕が広げられており、小さな本陣が準備されていたりする。その周囲には見知った顔と見知らぬ顔が片膝就いて俺の到着を待ち受けていた。ほほう、これはもしかして?

 淡い潮風を受けながら用意された床几に座すと同時に、道案内係を務めた石成主税助が広げた扇を高々と差し上げる。

 おやまぁ、主税助も助五郎のグルであったか。だとすれば俺の背後で神妙な顔して控えている与一郎達もそうなのだろう。ならば安心して気晴らしをさせてもらうとしようか。


「御始めなされ!」

 

 主税助が大声を発してから間もなく、約三十メートル先で平面を大きく見せながら土器(かわらけ)の皿が宙に高く舞い上がった。

 凡そ五メートルを最大高度として山なりの放物線を描いて落下し出した途端、間近で耳をつんざく派手な炸裂音が轟く。

 直径約二十センチと大ぶりの皿は甲高い破裂音を宙に残し、木っ端微塵となる。それが五度連続した。むせかえるような硝煙に思わず咳き込みそうになるが、眼前で屹立する男達は慣れているのか気に留めた様子もない。


「如何でございましょうや?」


 いつの間に現れたのか、主税助の隣で田中久太郎重政が珍しくドヤ顔をしてみせた。いたって凡庸なモブキャラっぽい顔立ちでも決め顔が出来るのだなと感心してしまい、思わず拍手しちゃったよ。

「御悦び戴けましたようで恐悦至極。(それがし)も励んだ甲斐があったというものにて」

 うんうん、俺の感心ポイントとは違うけど今それを指摘するのも無粋だろうからいわないでおいてやろう。

「皆々様も御苦労にござった」

 火縄銃の向きを変えて銃口を背後へと回し一斉に跪く五人の男達。年嵩の者から順に津田監物算長(かずなが)、その弟の妙算(たえかず)、鈴木佐大夫重意(しげおき)、土橋平次胤継(たねつぐ)、その弟の平之丞重治。

 もしかして……いやもしかしなくても雑賀と根来のオールスター大集合だよ、皆の衆。信長と戦い秀吉に下った所謂“雑賀孫市”はいないけど。そういや土橋守重もいないなぁ。いや、時代が少しばかり早過ぎるから当然か。

 何れにしても、戦国時代末期に大暴れした雑賀と根来の鉄砲衆のプレメンバーであることに間違いはないだろう。どいつもこいつも赤銅色の厳つい顔をむさくるしい髭で覆っているので、一回の自己紹介では誰が誰だかはサッパリだけど。

 ジロジロと無遠慮に観察していたら、ふと懐かしいものを覚えた。それは何だろうと考えて気づく。雑賀と根来の者達が醸す粗野な雰囲気が、出会った当初の藤堂虎高や滝川彦右衛門と重なったのだ。

 どこの野盗か山賊かといった風体だったなぁ。黒田や真田の者達もそうだったが、洛中から離れれば離れるほどに所作も野暮ったくなるのは当たり前か。

 そう考えれば遠国在住でも今川氏や北条氏の家臣団は鄙には稀な部類であったな。それはやはり今川・北条の両氏共に洛中文化をよく知る家柄だからだろう。あくまでも他の田舎者に比べればマシ、ってレベルだけどね。

 中には久太郎のように相変わらずあか抜けない者もいるが、それは個人の問題だから仕方ないか。並んで立つ主税助が生粋の都人だから余計に田舎臭さが目立つのだよなぁ。

 などと失礼千万なことを考えていると、田舎者からシティボーイに成りあがった男がここぞとばかりにしゃしゃり出て来やがった。

「然れば我らも負けてはおれず。鍛えし技を御披露致しましょうほどに!」

 呼ばれずとも現れたのは、いわずと知れた滝川彦右衛門である。大学デビューしたばかりの俄かチャラ男っぽさを振り撒きながら飛び出すや、待機している的投げ役へと格好つけた合図を送る。

うむ、板についた胡散臭さが頼もしいね、ってのは皮肉だぞ。

「ぜんじッ!」

「へいッ!」

 勇んだ彦右衛門に呼応して幔幕の陰から飛び出たのは、小汚い以上薄汚れ未満の墨染め衣に身を包んだ僧侶もどきの少年、杉谷善住坊だ。……他に衣装はないのか、お前は?

 着たきり雀の少年僧が投げ渡した火縄銃を素早くキャッチするなり、チャラ男はろくに狙いを定めず引鉄を引く。

 銃口が火を噴き轟音を上げるや、宙を舞う的が一瞬で消し飛んだ。ほほぅ、腕を上げたなチャラ右衛……いや、彦右衛門。

「次ッ!」

「へいッ!」

 放り出された火縄銃を左手で掴んだ善住坊は、いつの間に用意したのか右手に持っていた別の火縄銃を投げ渡す。再び轟音が鳴り響けば、中心を撃ち抜かれた的の残骸が宙に散らばる。

「もう一丁ッ!」

「へいッ、って、熱ッ!!」

 どうやら善住坊はうっかりと焼けた銃身を掴んでしまったようだ。先ほどまでの見事な連携プレイはどこへやら、意図せぬ勢いで放り投げられる火縄銃。それを掴み損ねた彦右衛門の額に鉄の塊がぶち当たれば、出来の悪いコントの成立である。

 調子に乗り過ぎた粗忽者の額に痣をつけた火縄銃が、地に落ちた際に暴発していれば惨劇となっていたかもしれぬ。浅はかさが生んだのがお粗末な結果で済んだことに安堵した俺は、背後に控える者達へ軽く手を振った。

 虎高と脇坂外介に奥襟を掴まれ、幔幕の裏へと引き摺られて行く悶絶状態のお調子者二人。

 それを半眼で見送り一呼吸おいてから、紀伊国の男達に俺は何事もなかったかのように笑いかける。こめかみと口の端の引き攣りを我慢しながらの笑顔は、さぞや奇妙に見えることだろう。

「余興である。……笑ってくれても良いのだぞ」

 だからといってアッハッハッと笑い出すような空気の読めない奴は一人もいなかった。いやマジで笑ってくれた方が良かったのだけど。別に青い肌した宇宙人の総統みたいに粛清スイッチは押さないし。

 誰も何のリアクションもしてくれねぇから、俺の一言がシラケた空気を倍増させた感じになってしまったじゃないか。これも全てお調子者二人の所為だ。どうしてくれよう、この野郎共め!


「いやいや、紀州の御仁方々も大樹様の御仁も、どちらも素晴らしき仕儀にてございましたな」


 脳内で彦右衛門と善住坊の二人をサンドバッグにしていた俺は軽やかに寸評を発せられた方向へと首を傾けた。

(それがし)が火縄銃を初めて手にし、見たこともない絡繰りに心を躍らせてから……もう四年となりまするな」

 地に落ちた火縄銃を拾い上げたのは悠々自適の楽隠居生活を決め込む三十路男。種子島加賀守恵時は燻ったままの火縄に目を細め、やおら片膝をついて構える。

 彼方で高々と天を目指す一枚の土器。不意に海風が強くなった。それに煽られた土器は綺麗な弧を描かず、宙で不規則な動きをする。

 カチリと引鉄が微かに音を立て、雷の如き轟音が鳴り響くなり、小さな鉛球が眩い火花と共に銃口から飛び出せば、乾いた破裂音を残して宙をフラフラと泳いでいた土器は姿を消した。

「まさか(それがし)が世にいる間に、日ノ本の鍛冶師が造りし火縄銃を手にする日が来ようとは思いもしませなんだ」

「御気に召されましたでしょうか?」

「田中殿、誠大いに気に入りましたぞ」

「それは重畳にて。南蛮より伝来せし火縄銃を日ノ本にて誰よりも早う手にされた種子島の大殿様が御悦び下されたぞ。……苦労の甲斐があったのう、与左衛門、又三郎、清右衛門」

 久太郎に名を呼ばれた大中小と体格の異なる三人の鍛冶師が、片膝就いて深々と頭を下げる。大が紀伊国根来の芝辻清右衛門で、中が堺にて“鉄砲又”の異名をとる橘屋又三郎で、小が近江国から連れて来られた国友与左衛門だった。

 大と中は三十がらみのオッサンだが、小は二十歳にもならない少年である。何の因果か故郷から姉婿に連れ出されること約三ヶ月、毎日毎日トンテンカンの手伝いを強制させられているそうな。

 因果の大元である俺がいうのもなんだけどさ!

 あれ、そういえば与左衛門の親父さんもいた筈だが、と思って田中久太郎に尋ねたが既に帰宅したとのこと。そりゃそうか、村長がいつまでも不在では国友村も困るものなぁ。息子を置いて行ってくれただけでも御の字か。

「根来衆の方々と雑賀庄の方々の優れた手技には誠、感服致しました」

 ありゃ、物思いに耽っていたら話題が変わっているじゃないか。いつまでもむっつりと黙り込んでいたのを気にしてか、久太郎が盛んに目配せしてきやがる。ああ、判った判った。判ったからその目配せを止めろ。まるで疲れ目の仕草みたいだぞ。

「監物と申したな。見事であった」

「は、ははぁ!」

「余の者共も誠に天晴れな腕前なり」

 鍛冶師同様に地に平伏する紀州の国人達の姿に何ら感慨もなく溜息すら漏れないことに、今更ながらに気づく。……慣れってこういうものなのだなぁ。頭を下げられるより下げることの多かった前世とは真逆の環境なのにね?

「頭を上げよ、遠慮せず立つが良い。余はこの通りの背丈ゆえ、見下ろされることには慣れておる。いつまでもそうしておっては、まともな話しが出来ぬゆえな」

「大樹公は……」

「気さくな御人柄ですよって、そないに畏まらんでも大丈夫でっさかいに」

 セリフを先取りされて唖然とする久太郎の横で、今回の気晴らしの仕掛け人が腰を屈めながら胸を張るという腰を痛めそうな姿勢で満面の笑顔を湛えていた。

「……助五郎の申す通りである。無礼討ちなどはせぬゆえ、安心せよ」

 即座に“ヨロコンデー!”という即答がないのは、仕方がないか。こちらは武家社会の最高権威で、そちらは最底辺に位置する国人衆だもの。

 然様に考えれば、彦右衛門はどれだけ厚かましい野郎であったことか。飛び込みで“雇って下され”だったのだからなぁ。今考えれば相当に舐めた野郎だよ……まぁ当時の俺は無位無官のガキだったからハードルが低かったのかもしれないけどね。

 ちょっとばかり気まずい感じのファーストコンタクトであったが、平伏姿勢を止めぬ紀州の男達の気持ちを鑑みて、今日のところは一旦お開きとするか。後のことは、人柄だけはピカ一である久太郎の手腕に委ねるとするか。

 人見知りとは無縁の彦右衛門にも命じておくか。上手く懐柔してくれれば第二種接近遭遇の機会も得易くなるに相違ないし。

 ……ところで。洛中でのほほんと過ごされていた筈の種子島の御隠居が、何故ここにいたのだろう?

 射撃演習実見の帰途に尋ねたら“鉄砲再現の指南役として御招き致し、先月末より御滞在戴いておりまする”と助五郎が答える。

 なるほど、確かに。

 日ノ本で最初に鉄砲の国産化を目指した戦国武将は種子島加賀守の息子なのだ。その意思決定には隠居の身であっても関与しているのは確実だ。そう考えれば指南役に、種子島加賀守ほど適任はいないよな。

 しかも、堺と種子島は遠くとも古くから通商が行われているし、その繋がりは銭金の交易のみならず、日蓮宗という宗教でも結びついている。堺の商人達の多くは法華宗の信者で、法華宗布教の最南端が種子島だ。

 両者間の紐帯は意外と太く強固なのだから、種子島加賀守も気安く洛中の隠居所から出て来たのだろう。そういえば、洛中の隠居所にしていた本能寺はつい最近まで堺にあったのだったな。

 堺での宿所は顕本寺だそうな。開口神社から徒歩数分、大小路を越えて直ぐの場所に建つ法華宗の大寺院で、天文法華の乱後に朝廷から放逐の勅を受けた本能寺の避難場所であった所。

 そして今から二十年前の大永七年、後年に堺幕府と称される行政府がおかれていた場所でもある。堺幕府の首班は堺公方、トンチキ親父殿のライバルである足利義維その人だ。

 尤も、堺幕府の寿命はありがちな内憂により約五年と短命であった。内憂の根源は例によってトンチキ管領。六郎の野郎に嫌われ憎まれた三好元長が排除されたことで後ろ盾を喪失した堺幕府はあっさりと瓦解し、義維は阿波へと逃亡した。

 堺の顕本寺とはトンチキ親父殿のライバルが繁栄と没落を体験した場所であり、トンチキ管領に唆された一向宗門徒の大群の襲撃から逃れられず元長が腹を切った場所でもある。


 そんな曰く因縁ある場所で、楽しく宴会するってさ!


 射撃場からブラブラと宿所へと戻った俺を待ち受けていたのは会合衆からの使者。書状を受け取り広げてみれば、明日の夕刻に顕本寺にて俺を歓待するべく演能会を行いますので何卒御来駕賜りたく云々と記されていた。

 おいおいおいおい、よりによって顕本寺かよ!

 吃驚して改めて差出人を確かめれば、天王寺屋・能登屋・三宅屋・小島屋・和泉屋・茜屋・油屋・以木屋・薩摩屋・紅屋と、会合衆十名全員の名が連ねられているじゃないか。……さては手の込んだ嫌がらせか?

 もしも俺が元長の嫡子である三好長慶だったら、売られた喧嘩とばかり大暴れするところだぞ。どういう意図あってのことだ?

 それとも、嫌がらせや果たし状ではなく額面通りに単なる招待状であるなら……堺公方を敵視したままの現将軍家の腹の内を探りたい、ってことかもな。

 堺公方を支持する立場であった会合衆のことを俺がどう思っているのか、それをハッキリクッキリとクリアーに知りたいのだろうな、きっと。

 そんな見え見えの意図が仕込まれた演能会だなんて面倒ごとにしか思えぬし、出来れば欠席したい。そもそも俺は能舞台には無茶振りされて苦労した思い出しかないからな!

 胡散臭さプンプンの招待状を前にさて返事をどうしようかと考えていたら、三淵が“是非とも出席なされませ”と俺が問いかける前に薦められてしまった。

 三淵が積極的過ぎる理由は、堺公方の所為で縁が薄くなりつつある会合衆との関係改善を早急に図る必要性が現将軍家にはあるからだ。理由をぶっちゃければ、“銭”である。

 自慢じゃないが俺が転生してからのこの五年、現将軍家の財政状況は劇的に改善された。俺が生き残りを図る為にした様々なことと、日々の不便を解消する為にしたアレコレと、うっかりやらかした何やかんやが、大いなる富となり懐を潤したのだ。

 財政が健全化したことで将軍家の威光を支える公儀の存在感も増したのだが、万々歳とはまだいえない。借財をしなくても生活出来るレベルでしかないのだから。将軍家が、公儀が、本来の力を自在に発揮するには、まだまだ銭が足らない。

 その為には出資者が必要となる。喜んで銭を差し出してくれるスポンサーが必要なのだ。わざわざ俺が堺にまで足を運んだ真の意図は、出資者探しである。

 当てはあるのかと問われれば、あると答えよう。それが会合衆だ。やるだけ無駄だと誰もが理解する和平交渉開催に尽力した会合衆の姿勢を見て、俺はそう判断した。俺の判断を伊勢も三淵も了としてくれたから、俺は洛中を出立したのだ。

 俺が関係改善を望む理由はそんな実も蓋もないものだが、会合衆側の理由は何だろうか?

 直ぐに思いつく理由としては、公儀の支配体制が強まった洛中と安心して商売をしたいからだろうか。

 だが頭を下げてまで相手より先に関係改善を申し出れば利益よりも損失が大きくなるのは、お互い様。出来れば差し出された手を勿体ぶって握りたいのもまた、お互い様である。

 俺が顕本寺を訪れるってのは、過去をチャラにして現将軍の方から歩み寄ることになるだろう。少なくとも外野にはそう見える。これは会合衆が用意したちっちゃなハードルになるのかな。

 不用意に足を動かせば躓いて無様を晒す程度の障害であるのは確かだ。

 意に介さず跨ぎ越すか、それとも不敬であると踵を返すか、さてそれが問題だ。

 ふと書状から顔を上げれば、下座で控えておられた武野一閑斎師と廊下に座していた助五郎が、期せずして同時に首を縦に振る。……ふむ、師と友も同席してくれるのか。ならば安心だな。

 処世術の肝要とは、強いものに巻かれることとか。当世において、銭より強いものはなし。媚も売り方次第では高値で引き取ってもらえるに違いない。

 オッケー了解、腹を括ってやろうじゃないか。

 腹を括るくらい、真一文字に切り裂くよりは何ほどのことか。もしも望まれるなら今様の一曲でも吟じてやろう。会合衆のことだ、所詮俺のことなど刀を差した子供芸者程度にしか思ってないだろうし。

 よっしゃ、開き直ったぞ。

 こうなれば演能会の主賓として笑いさんざめくのではなく、能舞台の主演として散々に笑われてやろうじゃないか。

 御代は高くつくけれど、値引きはしてやらないからな、覚えてろ!

 さて当初の予定よりも長くなりました夏の物語。出来れば後一回で終了したいところですが、はて?

 最近とみに誤字誤表記の指摘を受けてから訂正のみならず一部改訂が増えましたのは、歳の所為でしょうか。……もう疲れ目、ショボショボで(苦笑)。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 誤字羅「ぎゃおーす!」 さきほど1件送りました [一言] 面倒な連中ばっかりですなorz だからこそここまで拗れているんでしょうけど 流石に喧嘩両成敗と言う訳には行かないか(苦笑 気…
[一言] 現状は細川政本の時代に比べれば、細川の内部が分裂している分、楽ともいえるし、大変ともいえるのですよね。 細川政本も若いころは一門衆に拉致されたりしてるのですが。
[一言] 拝読させていただきました。 会合衆……ここに一発逆転和平の成立の可能性を賭けるしかないのでしょうかね。 裏で何を考えているのかが不気味ではありますが。 無事に和平が成立することを願いながら、…
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