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『 殿上桟敷の人々 』(天文十六年、夏)

 二か月近くも投稿せず申し訳ございませんでした。

 新型コロナで法務スケジュールがグダグダになり、意欲がガッツリと削られたのが原因で、決してサボっていた訳です!

 お待たせしました、御免なさい(平身低頭)。

 誤字を訂正致しました。御指摘に感謝を!(2020.04.04)

 将軍様は、気楽な稼業ときたもんだ!


 ……などと思っていた時期がありましたことをここに謝罪させて戴きます。

 誰に? と訊かれたら即答しよう、トンチキ親父殿にだ。

 毎日のようにお呼ばれし、毎晩のように宴会するの見聞きしていたらそう思っても仕方がないだろう、ワトソン君?

 うん? お呼ばれと宴会なら気楽じゃないかだって?

 違うのだ、違うのだよ、ワトソン君。人と人とが繋がることで成り立つのが社会ってヤツじゃないか。言い換えれば、社会を形成し続けるためには、人と繋がり続けなければならないのだよ。“~しなければならない”とは“努力が必要”と同義なのは了解してくれているよね、ワトソン君。

 努力しなければならない宴会とは、もう既に娯楽でも遊興でもない。単なる仕事だ。仕事であれば報酬が発生するのは当然のこと。しかし斯様な仕事の報酬とは金銭ではない。

 それが何か判るかね、ワトソン君?

 答えはズバリ“安全”だ。つけ加えれば、報酬を受け取るのは己独りの為ならず、一家・一族・一党の為である。宴会なる飲みニケーションでベロンベロンになるのも、当世最良の働き方の一つなのだ。

 ……ところで、ワトソン君って誰のことだ?


 まぁ、いいや。そんな些事など切り捨てよう。目下の話題は将軍のお仕事についてなのだから。

 さて復習がてらお仕事について掻い摘んで語ってみよう。

 例えばだ。

 ある日の朝に、正二位権大納言西園寺公朝(きんとも)公が琵琶の演奏会を開かれる、或いは、正二位権大納言の三條西実枝(さねき)公が聞香の会を催される、などと招待状が届く。

 ここで気にせねばならぬのは、会合の内容ではなく開催者の名前である。内容に全く興味がなかろうが是が非でも、両方へ出席の返事を出さねばならぬ。理由は明白、主催者がどちらも“お偉いさん”だからだ。

 西園寺家や三條西家の正二位に比べ将軍家は親子揃って格下である。トンチキ親父殿の官職は右近衛大将と立派だが従三位で、俺はやっとこ従四位下左馬頭なのだもの。

 軍隊に例えれば、あっちは将官級でこっちは精々が佐官クラス。俺など少佐を拝命したばかり、ってとこだろう。仮面は着けても宇宙服は着ない三倍速野郎だったら慇懃無礼を平気でかませるだろうが、生憎ながら生まれついての小心者だ五体投地接足作礼なら得意だけどな!

 しかも公朝公は、近衛家のサー・グランパの末子である晴通叔父さんが継承した久我家と縁戚だったりする。三條西家は九条家や卜部神道宗家の吉田家、それにトンチキ管領とも繋がる名家。どちらにしても徒や疎かには出来ぬ上流貴族様。無下には出来ぬ御二方なり。

 演奏会の開催は概ね夕暮れ以降だから基本的にはほぼ宴会で、昼頃から始まる聞香の会も終了は夕方頃だから必然的に宴会となる。人が集えば理由はどうあれ即宴会、それが当世のジャスティスだ。

 アルコール度数が低く雑味ばかりで美味くないらしいが、それでも酒は酒なり。元服済みでも数え十二歳がベロベロになるまで飲んで良い物ではない。ならば酔わない程度に飲めばいいじゃないかと思うのだが、宴会となればベロベロになるまで飲み倒すのが平安時代以来の上流階級の伝統だったりする。

 吐くまで飲むのが、宴会の定番なのだ。例え子供であっても出席したなら容赦なく飲まされてしまう恐ろしい会合、それが宴会だった。何て野蛮な時代風習であろうか!

 ゆえに現代的文明人である俺は然様な中世的野蛮行事には一切出席していない。

 主催者ならば何とでも誤魔化しようも逃げようもあるが、招待されたらそうもいかぬ。ならばどうする? そうだ、身代わりを立てよう。行け、先代将軍。死なない程度に飲んで来い!

 そんな訳で今の公儀は、俺が内政を担当しトンチキ親父殿が外交を担当している。隠居して大御所になったとはいえ、暇など与えてやるものか。小人が閑居すれば絶対に不善を為すからなぁ。

 ……だから無理矢理にでも働かせようとしているのか、与一郎達は!

 人を見る目が確かだな、この野郎。悔しいけれど反論の余地がないから黙って大人しく従おうじゃないか、畜生め!


 それなのに現時点から凡そ十日前のその日、俺は内裏にいた。


 あれ? 朝廷との折衝ごとも外交だよね?

 だったら内裏へ参内して御公家さん方々と議定したりするのは基本的に、トンチキ親父殿の役割だった筈。元服したから子供じゃないが、高が少年の将軍様ではお飾りにもなりゃしないからね。

 何故だ、どうして、WHY?

 首を傾げながらドナドナ気分でトンチキ親父殿の後を追い宮中へと昇殿してみれば、半月前に挙行した“馬揃え”に対しての褒賞であった。

 それならそうと先に言えよ、と与一郎や三淵に文句の一つでもつけてやろうと思ったが、恐らく俺が聞き漏らしたに違いないと思い直したので口を噤む。過去の経験からして、多分そうだろう。彼らは常に正しく、俺は常に正しくない。つまりプラスマイナス・ゼロで相殺だから問題ないってことだ。

 いや問題はある。宮中参内なる一大事がそれである。

 なーんだ、そんなことか……と思う勿れ。

 現在の身分立場はさておいて、中の人である俺はまごうことなきパンピーなのだ。将軍就任の際も実感したが正真正銘のお偉いさんが住まう畏き所など、俺みたいな者がヒョイヒョイと訪れてよい場所ではない、と未だに思っている。分不相応だとも。

 沿道で手旗を振るのが丁度いいのだ。それなのに、両手を膝に置き小さく背を丸めているのが現状である。褒賞だか何だか知らないが、俺にとっては罰ゲームにしか思えない。誰か助けて、ヘルプ・ミー!

 豪奢な飾りが施された上段の間の御簾をチラリと伺いつつ、上座にも視線を投げかければ……いるじゃないか唯一無二の味方が!

 正二位に昇格したばかりの内大臣少年、龍丸こと近衛晴嗣が上座の方にしれっと澄まし顔で座っていやがる。おい、龍丸、俺はここでどうすりゃいいのだ、手取り足取り黒子となって助けろよ!

 あ、畜生め、そっぽ向きやがった。しかも薄ら笑いまで浮かべてやがる。さては俺を見捨てる気か!? 俺がお前の立場なら確かに見捨てるかもしれないが、そこはそれ大事な血族だろうが。助けられてやるから助けろよ、この野郎!

 手前この野郎……さては忙しさにかまかけて最近遊んでやらなかったのを逆恨みしているのか?

 だとすればこの怨み晴らさでおくべきか!

 今度会ったら気の済むまで遊んでやるから許して下さいませませ。

 などとアイコンタクトを送ろうにも視線が合わなければどうしようもないぜ、困ったな。やれ仕方がない。他に縋れそうな蜘蛛の糸はないかな、と素早く視線を巡らせるが……。右大臣の一条兼冬公は目を瞑っておられ、左大臣の二条晴良公はどこか冷ややかな感じ。

 そもそも論だがお偉いさん方々との交流はトンチキ親父殿に丸投げしていたのだから、他の参議の方々も武家伝奏役の勧修寺尹豊さん以外は知らぬ顔ばかりだし。

 だがこの場で勧修寺さんに頼ると、もう一人の武家伝奏役の広橋蔵人頭国光公の面目に泥を塗ってしまいそうな。正二位の勧修寺さんよりも広橋公は位が低い正四位下だが、一条右大臣と近しい親族だった筈。うむ、下手なことは出来やしないな。

 とはいえ俺の後ろで空気みたいにひっそりとしているトンチキ親父殿は当てにしても、いいのかどうか果たして何とも疑問である。うーむ、微妙な孤立無援だよ、こりゃ参ったね。四面楚歌じゃないだけマシか。さぁどうしたものか……いや、待てよ。

 何もネガティブになる必要などないじゃないか!

 本日の招集は俺への褒賞なのだ。ならば堂々と胸を張っても良いに違いない。よし、覚悟を決めたぜベイベー。俺は頭を上げるぞ!


「御成りにござりまする」


 杓を手にしたまま深々と一礼するお偉いさん方々。俺は勿論、初志貫徹だ。これ以上はないってほどに下座で五体投地接足作礼で平伏さ!

 将軍就任時に参内した時よりは意識が明瞭だが、自己診断だから信用度はゼロだ。あの時は主役であってもトンチキ親父殿の手荷物感覚だったからなぁ。ところが本日は俺が前衛である。後衛のトンチキ親父殿を楯には出来やしない。やれ困った、進退ここに窮まれりだ。メンタルポイント、大ピーンチ!


「典厩(=左馬頭の唐名)よ、此度の“馬揃え”は楽しきものであった。まこと大儀であるぞ」


 うっわー! いきなりきたよ、御簾の向こうからだが直のお声掛かりだよ。緊張メーターが振り切れそうだよ、いや瞬時に振り切れちゃったよ。もうにっちもさっちもどうにもこうにもブルドッグ気分だよ、わお!

 平伏したまま“ははー”か“畏れ多きことにて”かを口にしたと思うが、覚えちゃいない。多分どちらかか、どちらもかを口にしていたのだろう。自慢じゃないが、最初は“典厩(=左馬頭の唐名)”を“センキュー!”と空耳したくらいに、テンパっていたからな!

 その時の俺は見事なくらいにへどもどしていたらしい。何故なら翌日会った晴嗣に散々馬鹿にされたからな。ムカついたので兵法鍛錬の一環だと言いつつ、サソリ固めをかけてやったが。

 であるからして、御上が前振りなしで御下問なされたのには正直慌てた。突然に何を仰られたのだろうか、と。


「典厩は智恵を巡らすのが得手と聞き及んでおる。ならば“なぞたて”など容易きことであろう?」


 ……へ? “なぞたて”って何だ? ……どこかで聞いたことがあるようなないような?


「後嵯峨院の二の姫、延政門院が幼き頃に詠まれたという歌が朕は好きでのう。

 “二つ文字、牛の角文字、直ぐな文字、ゆがみ文字とぞ、君はおぼゆる”

 典厩は存じておるか?」


 ……え?

 圧迫面接かと勘違いするくらいの不意打ち的質問に対し、俺が出来たのはフリーズだけだった。瞬く間に脳内の九割九分が困惑の二文字で埋め尽くされる。何が何やらどうしたものやら、と機能停止に陥った俺の姿は周りにどう見えているのだろう?

 そんなよしなしごとを考えていたら、誰かが“ふっ”と鼻で笑うのが聞こえた。


「典厩殿は元服なされて間がござりませぬ。況してや洛中よりも(ひな)で御過ごし遊ばすことが多き身なれば、御上の思し召しに叶うは難しきことではござりませぬか」


 何だと、この野郎!?

 精神安定指数の九割九分が動揺状態を示す中、一分だけ残っていた冷静さが脳天で弾けた。どれだけ混乱していても、馬鹿にされたのが即座に判った……どうやら俺も大分室町気質に染まってきたみたいだな、あははは……って笑いごとじゃねぇぞ!

 よくも馬鹿にしてくれたな、この野郎!! 上等だ、出るトコに出やがれ! ここ以上に出るトコなど日ノ本のどこを探してもないけどな、恐れ入ったかこの野郎!

 御蔭で色々なことを思い出せたぜ。“なぞたて”が当世の“なぞなぞ”だってこともな!

 言いたくはないが礼を言ってやろうじゃねぇか、月夜の晩ばかりじゃねぇぞ!

 ……ところで俺を馬鹿にしたこの野郎はどこのどいつだ!?

 犯人捜しをしてやろうと必要以上に目を細めて首を持ち上げた途端、真横から鼓膜をかすめるように鋭い声が飛んで行った。


「それは聊か申しようが過ぎるのではございませぬか、左府様」


 まさかの犯人特定と援護射撃。目的を掻っ攫われたことで、俺の闘争心は出鼻を挫かれてしまった。どうやら俺のターンはベテランの公卿様に奪われてしまったようだな。

 ならば仕方がない。ここは様子見に徹するとしよう。願わくば、俺を虚仮にしやがった二条左大臣がコテンパンにやっつけられますように!


「鄙の全てが悪い訳ではございますまい。現に先の関白様も何処へかと下向なされたままではございますまいか。もう既に二年もお過ごしの由。さぞや住み心地が宜しいのでしょうなぁ」

「何を申したいのだ、勧修寺亜相(あしょう)(=権大納言の唐名)?」

「将軍家がお過ごし遊ばされた東山や近江国が鄙ならば、更に遠国の周防国などは蓋し化外の地になりましょう」

「……此方(こなた)の御父を愚弄するか!?」

「いやはや……然様な心算は毛頭ござりませぬ。ただ……御上の前では御慎みあるべしと。年長のいらぬお節介にござりまするよ」

「なるほど……長きに亘り武家伝奏を務める家系だけはある。然様な片腹痛き申しようで公方に取り入り、父祖代々治めし井家庄(いのうえしょう)を掠められたか」

「……これはまた聞き捨てならぬことを仰る」

「真でござろうが!」

「はて、然様でございましたか」

「弁官上がりの半家(はんけ)風情が横紙破りを致しおって!」


「そこまでにせよ」


 どこまでヒートアップするのかと冷や冷やしつつも途中からワクワクしていた言い合いだったが、御簾越しの停戦命令で中断を余儀なくされる。


「本日は典厩を褒賞すべき日なり。そなたらの口合戦見物に非ず」


 “平に御容赦を”と慌てて平伏する堂上人二名。横目で視線を走らせれば、左大臣は冷や汗タラタラであったが勧修寺卿は余裕綽々のようだ。流石は御公家歴三十年以上のベテランであること。

 などと感心していたら、大きな溜息が御簾の向こうで吐き出された。


「興がそがれたの」


 再び恐々として深く額づかれるお偉方達。ふと視線を感じたので視線を這わせたら龍丸と目が合った。平伏しながら軽く顎をしゃくるという珍妙な行動に首を傾げるが、直ぐにそれが催促であると理解する。

 え、この雰囲気を何とかしろってか?

 そんなの無理だと僅かに首を左右に振って見せれば、龍丸が鼻に皺を寄せて幾度も顎をしゃくりやがる。その様があまりにも滑稽だったのでついクスッと笑ってしまったよ。


「……如何した、典厩?」


 微かに御簾が擦れる音がしたと思ったら何とも軽やかな足音が鳴る。そして衣擦れの音が俺の前で止まった。え、マジか?


「いつまでもそうやっておってはまともに話も出来ぬ。面を上げよ」


 いやいやいやいやいや……そりゃあ無理な相談でしょう。沿道で大漁旗を力一杯振りますから、どうかそれで御勘弁を。


「朕の命である」


 ……へい、合点で。


「ふむ……ありふれた顔立ちよな」


 やったー褒められて……ないよな。まぁ、いいや。取り敢えず挨拶だけはしておこう。

「御尊顔を拝し奉り誠に恐悦至極に存じまする」

「気負うな典厩。朕は名ばかりの帝ゆえな」

「さ……然様なことは……」

「よいよい、気遣いなど無用。顕徳院(=後鳥羽天皇)の御代以来、内裏は公儀ではのうなった。今はその方ら武家が公儀である。世の政を司るは王家ではなく将軍家である。朕の言に異論はあろうか?」

「ござりまする!」

「左府よ、そちの気遣いは嬉しく思う。諸卿らもまた同じ思いであるのは常々から感じておる。まこと嬉しく思う。然れど実を見よ。現に天下様と尊ばれておるは朕ではなく、ここにおる典厩ではないか」

「然れど、御上こそが日ノ本を治める至高であるに相違はござりませぬ」

此方(こなた)も然様に心得ておりまする」


 いっそ黙秘権を行使して寸劇じみた現況を傍観していようかと思ったが、それもどうかと思ったので取り敢えず一石を投じてみる。決して阿諛追従ではない。真実、そう思っているからだ。ならば踊る阿呆に見る阿呆とか。同じ阿呆ならば茶番劇に参加するとしようじゃないか。


「ほう、典厩も左府と同じ心持ちであるとな」

「然様にございまする」


 現役の天皇陛下と直接会話するなど十日も経っているのにブルッてしまうが、その時の俺はなけなしの勇気を搔き集め清水の舞台から飛び降りる気持ちで、言葉を続けたのである。

 だがやはり、慣れないことはしちゃダメだよな。大人しく黙っておくべきだった。言を左右にしておくのが賢明だったと今にして思う。どうして自ら虎穴に飛び込んでしまったのか……もう既に後の祭りだけどね。


「“二つ文字、牛の角文字、直ぐな文字、ゆがみ文字とぞ、君はおぼゆる”

 幼き姫宮様が想われたように、此方(こなた)も御上を“こいしく”想うておりまする。

 足利家が武家の棟梁であるのは全て、代々の御上が御認め下さられた賜物でありますゆえに。……賜りました御恩へ十全に報いることがままならず、誠に申し訳なきことにて」


 床板に額を擦りつけながら“恥じ入るばかりにて候”と過剰めに振舞えば、リアクションは短い沈黙と軽やかな笑い声であった。

「我意な者(=放埓で無礼な者)かと思うておったが……やはり柳営(=近衛大将もしくは征夷大将軍の唐名)の後継よの」

 カラカラと一頻り笑われた御上は、俺の頭越しに同意を求められる。

「そう思わぬか、柳営よ」

「汗顔の至りにございまする」

 背後から聞こえる衣擦れの音。トンチキ親父殿も平伏したようだ。武家の最高位とはいえ出る所に出れば所詮はこの程度。真に日ノ本で崇められるは神に等しき御方のみ。臣下に出来ることなど只管に平伏するのみである。

 そんな親子揃っての米つきバッタ状態は長くは続かなかった。御上が再度、面を上げよと命ぜられたからだ。


「柳営に似て典厩も健気よな。誠に有難いことよ……然れば典厩よ、朕の願いを一つばかし叶えてくれぬか?」

此方(こなた)に出来ますことでございますれば」


 後悔先に立たず、って真理だね。不用意に言質を率先して差し出すなど、阿呆の所業というしかない。そんな阿呆の親の長男の顔が見たいぜ、全くよ。鏡があればいつでも見られるけどな!

 だがしかし、今更前言撤回など出来やしない。朝令暮改モドキをすれば、御上が抱いて下さっている親近感など瞬時に消え失せてしまうだろう。頼りない武家政権の正統性も木っ端微塵だ。

 気にし過ぎだろうか?

 将軍家が日ノ本における最大の軍事組織であれば、権威しか持たぬ朝廷との親和性など気にする必要などないだろう。事実、徳川幕府はその治世の大半で朝廷の存在を必要としていなかった。儀式ごとなど必要とした時だけ、朝廷の権威を恭しく奉っていたのである。

(もし)王なくて叶まじき道理あらば、以木(きをもって)造るか、以金(かねをもって)()るかして、(いき)たる院、国王をば何方(いずかた)へも皆流し捨奉らばや”云々。

 不可侵だった朝廷を禁中並公家諸法度で縛った徳川幕府の意図するところは、『太平記』巻第二十六に記されたものと近しいものだったに違いない。それは偏に徳川幕府は何ものにも覆されない軍事力を備えていたからだ。

 だけど、足利将軍家には無敵の軍事力がない。ピアノもなければ君に聞かせる歌もない。テレビもラジオもバーもないのだ。ない袖は振れないというが、今の将軍家はツンツルテンのノースリーブ状態である。金太郎も真っ青なファッションなのだ。

 史実を紐解けば、俺ではない俺こと足利義輝は朝廷からの信任を失ったことで哀れな末路を辿った。永禄の変で落命したのは偶然ではなく、朝廷に一度見捨てられたことが遠因だと思っている。

 将軍家が不在でも天下は運営出来るという実例を三好長慶が先駆け、織田信長が事実として定着させたのも、これまた史実。どうして三好と織田がそれを成し遂げられたのか? それは朝廷が両者を事実上の天下人だと認定したからだ。

 実力もなく京都を離れて逼塞する足利将軍家など征夷大将軍に非ず、と断じたのは現親王殿下、後の正親町天皇だけど……ここで下手を打てば史実よりも早く見捨てられるのかもしれない。

 こういう時、史実を知っていることが恨めしく思えるなぁ。

 知らなければ言を左右にして逃げることも出来たであろう。なまじ先々を知っていたが為に自ら背水の陣を敷く羽目になってしまった。逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ、と卑屈な主人公っぽい精神状態に陥ってしまったのである。

 無茶振りは勘弁して下さい、といいたい気持ちをグッと抑えて“畏まりまして候”と安請け合いすれば、御上は先ほど同様カラカラと楽し気に笑われ“新たな褒賞を考えねばならぬな”と申され去って行かれた。


「御下がりにござりまする」


 御簾の内側に控える女官が御前会議の閉会を告げた途端、場の空気が一気に弛緩する……かと思いきや、古今東西必ずKY野郎がいたりするのが世の常だったりする。

「二両引き家紋の威光、眩く天下を照らすのが楽しみであるな」

 マジでムカつくな、この野郎! 上等じゃねぇか。その喧嘩、適正価格の三割引きで買ってやろうじゃねぇか!


「……左府様におかれましては何卒、黒き犬の如く見守り戴きますよう願い上げ奉りまする」


 そういい捨てて、俺は背筋を曲げながら朝議の間を後にする。如何なる意味かと首を傾げる左大臣や龍丸達を残して。敷居を跨いで回廊に踏み出した足並みは威勢よく……トボトボと。ああ、やっちまった、やらかしちゃった。

 背中を丸めてクヨクヨしながら溜息を漏らす俺の少し先には、いたって普段通りに歩いているトンチキ親父殿と勧修寺卿。不意にその片方がブフッと吹き出された。

「なるほどなるほど、然様であったか!」

 場所を弁えず高らかに哄笑する勧修寺卿は“愉快愉快”といいながら友人の肩を叩かれる。

「新しき公方様は何と頓智の利いた御方であることか!」

 今にもスキップし出しそうな足取りで二三歩進まれた勧修寺卿は、器用に首だけをグルリと巡らされた。

「“黙って見ておれ”とは実に天晴れなり!」

 お願いですから褒めないで。安易に売り言葉を買い叩いてしまったことを滅茶苦茶後悔している最中なのだから。

 序でながら“黙=黒い犬”ネタも大学の指導教授から教えてもらったパクリなのですよ。俺の考案じゃないのです。咄嗟に思い出して口走っただけなのですよ、本当に。

 ああ畜生、現代文明人に生まれ育ったのにさ。気づけば中世的脳筋野蛮人気質に汚れつちまった悲しみに日が暮れるぜ、全くもう。怒りに任せて啖呵など切るのじゃなかったよな。

 これじゃあ背水の陣どころか八方塞がりじゃねぇか。

 ああ、しまった、しくじった!

 ションボリと内裏を出て、ガックリしながら仮御所へと帰宅する。泣き濡れながら蟹と戯れたい気分だったけど、門前での別れ際にトンチキ親父殿がかけてくれた声援が少しだけ頼もしく、何とも嬉しく思えたのがその日のハイライトであった。


「気負うでないぞ、菊幢丸よ。気負わずとも其方は立派な武家の棟梁なり」


 有難うよ、トンチキ親父殿。そのセリフだけで俺は勇気百倍だよ。相対する敵共はパワー百万倍の強者ばかりだけどな。


 まぁそのような訳で俺は今、堺にいる。

 御上から与えられたクエストを達成する為だ。

 クエストの内容は、トンチキ管領の六郎の野郎と二郎の野郎との間に和議を結ばせること。諍いを治め畿内に平穏をもたらせ、との上意を叶える為である。

 ………………いやいやいやいや、無理だろう。絶対、無理だ。どう考えても無理ゲーだよ。

 そう思わないか、ワトソン君!?

 本当にどうしてこうなったのだ、ってさ!!

 書けば書くほど「これってホンマに戦国時代の物語だろうか?」と自問自答の日々。

 血沸き肉躍る合戦シーンが皆無だし。

 ワトソン君、君はどう思う?

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 誤字羅「やあ」ノシ >マジでムカつくな、この野郎! 上等だじゃねぇか。 上等””じゃねえか [一言] ワトソン君は何処にw おいこのクエストどうすんだマジで(^ω^;) クソゲーかム…
[良い点] 血湧き肉踊る合戦が無くても良いじゃない、将軍だもの。 よしてる [一言] 更新、お待ちしておりました!
[一言] うーん、ワンマンアーミー(玉砕)やってみる?
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