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『 リライト・スタッフ 』(天文十六年、夏)

 さぁついに始まりましたよ、今年の大河『ペギラが来た』。

 拙著の主人公並みに躓いたスタートですが、第1話を視聴した限り、一年間楽しめそうな感じで。

 歴史考証警察には不評な面もありましょうが、初っ端から三好の旗指物が翻り、松永久秀公がちょい役じゃない、って点だけでも素晴らしいですね!

 誤表記を訂正致しました(2020.05.21)。

 どうにか友好的な感じで宗哲と崇孚とその他大勢を無事に送り出せたぜ、ああ疲れた、草臥れた。色々と御土産も持たせたが、忘れちゃならないのが両家の当主宛の手紙である。

 今川義元には“治部大輔は何ものにも代えがたき身内なり”と書き記した。“鎌倉府や平島よりも得難き一門なり”とも。

 “国人衆は飢えた山犬の如しなれど手懐けらば良き走狗となるべし、仁徳で遇せよ”って書いたのは余計だったかな。まぁいいか。三河・遠江二ケ国の国人を上手く取り込めれば、桶狭間で後れをとることもなかろうし。

 北条氏康には“関東の次第は自儘にせよ”とはっきり(したた)めてやった。“鎌倉府の血筋を上杉氏の残党共々駆逐したとて苦しからず”とも。

 “然れど上野国には攻め入るべからず、長野信濃守には手出し無用なり”って箇所は強めの字で紡いだ。ここ重要。主要部を抑えたとはいえ武蔵国は広大である。上野国との国境まで支配領域を広げるのは当分先だろうけど、早目に釘を刺しとかないとね。

 まだ大丈夫が通じないのが時の流れってヤツだもの。油断大敵火の用心おせん泣いても蓋取るな、……ちょっと違うか。

 序でながら両者への手紙の末文は同じことを縷々記す。

 “向後は河東にて血を流すべからず。手を携えるべき地なり。両家の結びし約定は双方への信義のみに非ず、将軍家との約定と心得るべし。努々異心を抱くなかれ”云々かんぬんなどと。

 まぁ実際にどう考えて行動するかまで拘束する気はないけどね。新幹線や電話がある未来世界なら指呼の距離も、生憎ながら室町の世では遠国である。距離と時間が正比例するこの時代ではこちらの思いを届けようにも限界があるのだし。

 上手いことやっておくれ、とエールを送るのが関の山。ああ、やんぬるかな、むべなるかな。


 そうこうする内に二日が経った。

 本月本日は、武家社会にとっての大事な祝祭日。端午の節句だぜ!

 一昨年に刻んだ柱の傷から一センチばかり背が伸びた俺様の成長に、遠慮なく平伏せ皆の衆!

 ほほぅ、与一郎も弥四郎も五センチ以上伸びたのか。赤井五郎次郎は五寸も伸びたらしいじゃないか。おい誰か、五寸釘を持ってこい、藁人形も忘れるなよ畜生めが!

 まぁいいや、良くないけどな、それはそれ。

 床の間の大きな花瓶に生けてあるのは青々とした菖蒲。すっくと伸びた葉が刀によく似ているという理由で、端午の節句の縁起物だ。勝負や尚武と同じ発音だからって理由もあるらしい。ダジャレじゃないぜ、(まじな)いじみてはいるが、大事な語呂合わせなのだ。

 武家にとって重要な年中行事である本日の早朝、仮御所へと集まった者達は全員が晴れ着である一張羅に身を包んでいた。馬子にも衣装っぽいのもいるけどな。

 トンチキ親父殿ら大人達は朱塗りの盃を手にしている。博多からの到来物である上等品の練貫酒の白さが、浮かべた笹の葉の青さを際立たせていた。どれくらい上等かといえば、ピンク色のドンペリ並み。超高級品なのだ。

 一方、元服前の近習達が手にした小振りの茶碗を満たしているのは熊笹の葉を煮出した御茶、“星合(ほしあい)の雫”。銘は申し分なけれども、価格は比較にならぬ超安物。百円玉で求めれば御釣りに五十円玉が返ってくるくらいの代物なり。

 さては児童虐待案件か!? などと思いきや、そうではない。一部の意地汚い大人達が“童に飲ますは勿体なき代物にて!”と駄々を捏ねたからである。そもそも、未成年にアルコール摂取を薦めるのはどうかと思うしね。

 因みに元服をした筈の俺も何故か御茶である。子供舌の俺には未だに酒を美味しいと思えないから別にいいけどさ。早く、大人の階段を一段抜かしで駆け上がりたいものだぜ、全力疾走で。

「大樹様、大御所様、将軍家の弥栄を賀し奉りまする」

 幕臣最長老の大館常興がしわがれた声を発すると、参集した幕臣家臣達が“賀し奉りまする”と唱和した。

「有難し。余も皆の健勝を祝着致す」

「皆々の忠勤を謝すものなり。向後も身を大事にせよ」

 俺が答礼すれば、トンチキ親父殿もいつになく上機嫌で返礼をする。

 座に連なった全員が一斉に盃や茶碗を一息で干せば、式典は終了である。小者達が祝膳を運び入れたら今度はささやかながら祝宴の始まりだ。

 端午の節句の決まり物である粽が載せられた膳の主菜は、猪肉の焼き物カレー風味。御飯物は鯛や鮑の柿の葉寿司だ。雉肉のツミレと青菜が具材の汁物や漬物を除けば“当世風”或いは“東山流”などと称されている内容であった。

 ……少しずつ室町時代を浸食している現代の味覚。発信源は勿論俺だが、こんなもんじゃまだまだ足りない。何れはステーキにかぶりついて歓声を上げたいものだよ、ギブ・ミー・ビーフ!

 俺にとってはまだまだ物足りない祝膳ではあるが、当世ではそれなりの贅沢品である。朝っぱらからそんな贅沢品を呑んで食べれば渋面と眉間の深い皺が売りの伊勢伊勢守でさえも表情を緩めるのも当然だろう。

 本来ならば二の膳、三の膳も用意すべきなのだが、質素でなければ運営出来ぬ室町将軍家の(しわ)い台所事情を勘案すれば、この程度の贅沢で納めねばならないのが悲しいところ。皆の衆、勘弁しておくれ。

 尚、最高級品である練貫酒も、今日の為に態々取り寄せた物ではない。実は九州から帰還した町資将卿の御土産だったりする。

 近衛家の依頼を受けて薩摩国へと下向した町卿。往路と同じく復路も寄り道ばかりしていたようだ。博多に滞在中、大友氏の接待を受けた際に頂戴したのだそうな。……貰い物の頂き物かぁ。まぁ、朝っぱらから飲んだくれを輩出するほどの量じゃないのが幸いなのやも。

 午前様ならぬ午前中から幕府幹部が千鳥足では、都雀の嘲りを受けるからな。だから常興よ、そんな切なそうな目で俺を見ても二杯目はないぞ。他の者もだ。無い物は無いのだ、潔く諦めて茶でも飲みやがれ!



 どこかみみっちい余韻を残し、誰ひとりとして酩酊しない祝宴は無事にお開き。

 さぁさぁ仕事の時間だ皆の衆。さっさと重い腰を上げて職場へ赴け、キリキリ働きやがれ。ああ、俺もこれからお仕事さ。

 但し、足取りは軽い。もうスキップしちゃうくらいに。細川与一郎が胡乱な目で小言を口にする前に止めるけどな。

 どうしてそんなにウキウキ気分なのか?

 それは待ちに待ったお待ちかねのメインイベントを主催するからである。

 とうとう京師所司代の発足式だよ、万歳三唱!

 トンチキ管領との小者比べで一歩リードしている間に出来ることは確りとやっておかねば。“やりたいことはやったもの勝ち”、それが世の中の真理じゃあーりませんか!

 室町テイストだと“殺りたいヤツ、殺ったもの勝ち”になるのが悲しい事実だけどね。

 とはいっても、“やりたいです”“ではやりましょう”でことが進むほど世の中は単純に出来てはいない。予算と根回しを尽くした上での合意がなければ号令しても、無理なものは無理と突っ撥ねられてしまうのが現実だ。

 だから伊勢に相談……いや、御願いをして関係各所に働きかけてもらったのである。何もかも伊勢に丸投げしようかと思ったが、流石にそれは申し訳ないから出来ることは担当する。何も出来ない口だけ野郎だと思われるのも癪だしね?

 俺に出来ること、それは必要経費を用意することだ。

 これがまた大変だった。無い袖を振らなければならないのだから。然様な訳で、有る袖に縋ることとした。惟高妙安禅師ら臨済宗だけではなく他宗の寺院にも声をかけて廻り、何とか用立ててもらったのだけどね。

 ああ早く、自前の財布だけでことを為したいなぁ、畜生め!

 しかしそれは設立費用だけで、運営費は別途用立てる必要があった。

 最初は洛中の各座に負担させようかと思ったのだが、伊勢が“宜しからず、恨みの基となりましょうぞ”と申すので止めにした。恨みを買うのじゃ本末転倒だしね。然れば如何にすべきか?

 結局、洛中の町衆達に有志となってもらい資金を募ることにした。強制ではなく依頼って形で。頼母子講よりもリアルに御得だし、これなら恨みも買わず問題ないよね?

 協賛してくれたのは後藤小一郎に中島四郎左衛門に吉田与兵衛ら市井の友人達の親達、洛中の顔役クラスの富裕層である。知己となった塩合物問屋の今村政次に禁裏御蔵職の立入宗継も巻き込んだ。勿論、桔梗屋も一味同心なり。

 連歌師の宗養師や里村昌休師にも設立趣旨を伝え、広く宣伝してもらったので出資者は他にもいた。饅頭屋の林宗二に呉服商墨屋の辻玄哉などの有徳者がそうである。頂戴する資金は、安全保障という形で還元しますので……今後とも一つ宜しく、ギブ・ミー・マネー!

 運営費の一部は与兵衛の実家や立入ら土倉業に預けて利殖してもらうので、先々は何とかなる筈だ。頼んだぞ銭ゲバなトレーダー諸君!

 当分の間は徳政令なんて発布しねぇし、する心算もないし。金に困った弱きを挫き、業突く張りの強きの味方だぜ、今の俺は。だから安心してくれ、ブラックとグレーの金融業者達よ!

 神は死んだかもしれないが、金は死んでないのだ。だからどうか、我に力を、大量の銭を!

 協力を仰いだのは市井のみならず、殿上人のお偉いさん達にもだ。ここぞとばかりに利用出来るものは片っ端から使わせてもらうぜ。人脈は使って何ぼだろう、ベイベー?

 その筆頭がグランパこと近衛尚通爺さんと、近衛稙家伯父さんである。グランパに教えてもらい吃驚仰天したのだが、近衛家は法華宗(=日蓮宗)とも近しい関係なのだそうな。

 何でもグランパから遡ること五代前、十代目当主の道嗣公の子供一人が法華宗の僧侶として出家し、開基した寺院があるのだそうな。聞けば“洛中法華二十一ヶ寺”に数えられる大寺院なのだと!

 山号は広宣流布山、名称は本満寺。

 ……それって、近衛邸の東向かいに建っている御寺じゃなかったっけ?

 俺が……この時代の俺がってことだが、この世に生を受けた天文五年に勃発し洛中の大半を焼き尽くした所謂“天文法華の乱”に連座して破却・追放の憂き目に遭ったのだったが、七年前に赦免され再建したのだそうな。

 その斡旋をしたのも近衛家だそうで。少々どころか相当な横紙破りの要求をしたとて唯々諾々と従ってくれる、誠に都合の良い御寺なのだとか。

 ならば、と厚かましく申し出てみれば、遠慮なくお使い下さるべし、といってくれた。……当事者である本満寺の都合は聞かなくてもいいのかな、と思ったけれどグランパと伯父さんが声を揃えて“万事お任せあれ”と言うので有難く御好意を頂戴したのだった。タダで秘密基地……じゃねぇや、好条件物件をゲットだぜ!

 こうして組織の本部を設置する場所も決まった。本音は、京師所司代と言いつつも行政能力を省いた組織なので実質は京都守護職的な感じだから、幕末と同じく黒谷の金戒光明寺に設置したかった、ってのは内緒の話だけどね。

 だが生憎、黒谷は東山の裾野にある。つまり洛外の地だ。

 洛中を護持する組織の本部を洛外の東山一帯に設置するとなれば、それはとある組織を連想させる。京都を支配するのに鎌倉幕府が設けた六波羅探題がそれだ。

 室町幕府誕生に至る足利将軍家のビクトリーロードのスタート地点は、初代尊氏の六波羅攻めである。それなのに六波羅探題に似た組織をよりにもよって似たような場所に設立するには幾ら何でもちょっと拙いよね?

 やはり駄目だよな、それに不吉極まりないしと思い考え直したのである。黒谷と六波羅は違う場所だからと力説したとて、直線距離なら目と鼻の先だしね。それに寺域もさして広くはなかったし。

 金戒光明寺の境内が城郭のように堅固で広大になるのはもっとずっと後のこと、なのだと思う。

 そんな訳で出来れば上京に、少なくとも下京を含めた洛中に良い物件がないか探さなければと思っていたのだが、まさか上京の中心近くの好物件が確保出来ようとは!

 持つべきものは、権力使い放題の実家だよなぁ。有り難や有り難や、ハッピー、ハレルヤ、ビバ、ウェーイ!



「大館左衛門佐、その方を京師所司代別当職に任ずる。組頭に指図し数多の足軽衆を従え、日ノ本の要たる京洛をよくよく警護致すべし」

「承りまして候」

「摂津摂津守並びに一色式部少輔、その方らには京師所司代左監察、右監察を任ずる。別当を助け、遅滞なきよう相務めるべし」

「「畏まりまして候」」


 本満寺の本堂内に座す奉公衆達。盃の一杯程度では酔いもしない大人達を前にして、ほんの少し感無量に浸る本日である。やっと一歩目を踏み出せたぜ。この一歩目は銀河系じゃあミクロ以下の価値だろうが、日本史としては大きな一歩である筈。

 京師所司代とは言うなれば新たな侍所である。守るべき対象は天皇がおわし公家と町衆と寺社が共存する日本の首都、京洛だ。御番衆が将軍家の近衛軍だとすれば、京師所司代は国軍となる組織である。

 それを明確にするため、制服のようなものも誂えた。瑠璃紺地の袖なし陣羽織、背中には白抜きで五七桐紋をあしらっている。

 中国において鳳凰が棲む神聖な木とされた、桐。中国文化を色濃く受け継いだ日本においても同様に特別視され、天皇の衣装にもデザイン化された桐があしらわれていたりする。鎌倉時代には桐紋とは菊紋と同じく天皇家専用のエンブレムだった。

 そんな格式高い特別な桐紋だが、天皇家は度々臣下に功績への褒章として下賜している。五つの花に三枚の葉でなる五三桐紋がそれだ。初代尊氏が拝受し、丸に二つ両引き紋と同じく足利氏の家紋となっている。

 その五三桐紋を背負うってことは、足利将軍家だけじゃなく天皇家の権威も背負うってことだ。奉公衆は足利将軍家の単なる部下から格上げされたに等しいともいえる。これを誉れと言わずに何と言うべきか。

 縁取りは金襴にして、金属製の肩章もつけてやった。別当は星型三つ、監察は星型二つ、組頭は星型一つ。襟には各家の家紋を刺繍してある。これぞ、洛中随一の彫金師の後藤家と呉服商墨屋がコラボした一張羅なり!

 何れは揃いの具足も用意してやりたいと思っている。……潤沢な予算が確保出来たらの話だけどな。期待せずに待っていろ。

「大館兵部少輔、大館伊予守、細川中務少輔、斎藤越前守、佐竹出羽守。その方らは組頭として足軽衆を率い、京洛危難の際には別当の指図を以て先手となり大いに働くべし」

「「「「「必ずや御期待に添うべく働きまする!」」」」」

 大館兵部少輔藤安は左衛門佐晴光の一つしたの弟で、大館伊予守晴忠は亡き兄の子である。細川中務少輔は京兆家の庶流奥州家の当主で、俺の元服式の際に理髪役を務めてくれた者だ。斎藤越前守基速は義冬に出仕していた経歴の持ち主で、佐竹出羽守基親は常陸国佐竹氏の遠縁になる者だった。

 人材としてはビミョーな者もいるが、誰も彼もが一軍を率いた経験ゼロなので気にしないことにした。一応全員が合戦経験者のようだが、トンチキ管領や定頼の軍勢が戦うのをトンチキ親父殿の傍で傍観していたってレベルだし。

 ……それを経験だと言うのは幾ら何でも厚かまし過ぎるだろう。出不精が通信教育で黒帯になりました、ってのと同じくらいだよね?

 然れど低品質でもいないよりはマシ。経験値はこれから積み重ねていってくれれば良いさ。俺だってまともに刀一本振れないのに武家の大棟梁様やってるのだから。今直ぐに出来なくとも何れ出来るように克己奮励しておくれ。

 因みに京師所司代の配下となる足軽衆であるが、常備兵ではないし専任職でもない。ぶっちゃければ、日雇いのアルバイトである。常時雇うほどの予算はないし、戦う以外に能のない者達など現状では不必要なのだ。

 そんな訳で、緊急時にのみ動員される足軽衆の正体とは洛中洛外の工事現場で働いている人足達だったりする。

 臨時召集される彼ら人足だが、役立たずの素人集団って訳でもない。工事現場での作業はトレーニングにもなるし、上位者の命令に従い同僚と連携が取れなければ工事は捗らないものだ。

 周囲への注意を怠れば事故の元となり、生涯治らぬ怪我を負うかもしれない。下手すれば命を失う。工事現場が死と隣り合わせなのは今も昔も変わらない。

 自衛隊隊員が災害現場で過不足なく働けるのは、日々の鍛錬の賜物だ。今の世であれば、黒鍬と称される者達が自衛隊隊員なのかもしれないな。武器を携帯するも積極的に戦闘行為に関わることを期待されていない、ってところがね?

 まぁ足軽衆要員は人足仕事も専門ではないので、黒鍬衆とも言い難い。現代用語で一番近いのは民兵だろうな。

 戦うことに慣れた一般人が日本全国の合戦の主役であり続けるのは、兵農分離が行われるまで変わりはしない。天下泰平の世が訪れるまでいつまでも。

 犠牲の少ない連戦連勝が出来れば一般人でも短期間で熟練兵に仕立て上げられるのだろうが、犠牲の少ない戦いと連勝を合致させるのは例え越後の軍神でも無理ゲーに違いない。

 大体、今の時代で足軽共にまで配慮して合戦するヤツなどいないし。近代になっても、日露戦争や第二次大戦中の南方戦線で兵隊に優しい戦いしてないし。戦争が日常から遠ざからなければ、兵隊の命など二束三文以下なのが現実ってヤツである。

 ……何の話だったっけか?

 傍で控える細川与一郎のあからさまな咳払いで(うつつ)へと引き戻された俺は、改めて本堂を広く奥の方まで見渡し、奉公衆の後ろに視線を定めた。

 ああ、そうだった。

 組織とは、命令するたった一人と命令を実行する大多数だけで成り立つものではない。上と下を繋ぐ中間、軍隊ならば士官がいなければ機能しないものだ。

 実戦経験の乏しい奉公衆の指揮を実践に相応しいものに変換し、命令がなければ動けない足軽衆を手足のように動かす戦場往来の者がいなければ。

 視線を定めた先に座す十数名の者共。彼らこそが京師所司代の肝であった。

 見慣れた顔はゼロ、全員が初対面である。京師所司代を立ち上げるに当たり新たに雇用した者達ばかりだし、採用時に面接はしないで黒田下野の推挙に任せたからなぁ。

 だって忙しかったのだもの、言い訳ではなくね。決してむさくるしいオッサンの面ばっか見たくねぇよ、という理由ではない。確か、きっと。

 本来ならば顔も見ていない新参者ばかりで固めず、俺の供侍達を配置すべきなのだ。それは重々承知しているが、御番衆に配置した供侍達を手放したくはないのでしなかった。俺の身辺が心許なくなるじゃないか!

 かと言って折角創設する京師所司代が張子の虎では困る。

 そこで目をつけたのが、九州から漸く帰って来たばかりの黒田下野の仲間達だったのだ。何というナイスアイディアだろう! 自分で自分を褒めてやりたいぜ。だから褒めよう、エライエライ。

 さてそんな、愉快な仲間達を紹介するならば次の通りである。

 先ずは播磨国出身者が七名。

 上月采女景勝と息子の八郎清景と十郎景貞親子。

 神吉(かんき)下野太郎頼氏と上野次郎定行と藤大夫定光の三兄弟。

 魚住九郎兵衛頼長と九郎右衛門忠純の兄弟。

 何れも赤松氏の庶流に連なる者達なのだが、没落真っ最中の赤松氏本家を支えることなく放り出した危機回避能力の持ち主達である。天晴れだと褒めてやろう。

沈みゆく泥船を義理堅く守るのも結構だが、機を見るに敏でないボンクラなどノーサンキュー。戦国時代は生き残って何ぼ、だと俺は思うからな。……俺も見捨てられないようにしないとなぁ。

 備中国人を名乗る者が二名。

 大饗(おおあえ)左兵衛と甚四郎の親子。

 以上の九名は、近衛家の意を奉じ薩摩国へ下向する町卿の護衛として出発する直前に黒田下野から名前くらいは聞いていた……ような気がする。

 言い換えたら名前しか聞いていなかったのだけど。

 老いも若きもいるが、どいつもこいつも戦塵を浴びたいい顔つきをしているのが実に頼もしいや。大饗親子だけはちょっと違い、品のある面立ちをしている。何だか気になるが、まぁいいか。

 名前を聞くのも初めてなのは、九州への往路で加わったとかいう美作国人の花房又七郎正幸と十郎兵衛職勝の青年二名。兄弟ではなく従兄弟なのだそうな。

 そして黒田下野の保証書無しで採用したのが四名。

 ひとりは、伊勢国人の木俣清左衛門盛時。木俣って確か……名古屋で大活躍した往年の強打者だよなぁ。燃えるエースの球を受け続けた名捕手だったっけ。ならば大丈夫だろう、具教君の書状も持参していたし。……キョロキョロし過ぎで挙動不審気味だけど、ね?

 ひとりは、赤井五郎次郎輝直の実家が送り出した籾井越中教業なる細マッチョ青年。籾井氏は新興の丹波国人だそうで、国許よりも働き甲斐のある場所を求めて出て来たらしい。まぁやる気があるのは良いことだ、うむうむ。

 残る二人は興福寺の関係者だった。

 大和国人の中で最大兵力を誇る筒井順昭の義弟、松倉弥七郎秀政。正確には筒井氏先代の順興が他所から迎えた猶子なので、系図上では完全に赤の他人となるのだとか。付き従う森縫殿助好之も何だか影が薄いし……。

 経緯はともかく何れも訳あり物件っぽいけれど、目を瞑った。理由は、京師所司代を見栄えだけが整った鉛の兵隊にしたくはないからだ。どうしても、実戦に耐え得る組織にしたかったのである。

 ならば経験豊富な戦場往来者を採用するしかないのだが……残念ながら使えそうな奴が近場にいなかった。何故いないのか? それは畿内が立身出世には不向きな土地柄だからである。


 一見さん御断り、と言ったら語弊だらけだが見知らぬ余所者が入り込む余地などないくらいに、ガチガチの縁故関係が物言う場所なのだ。地方もその傾向が強いがその反面、“都から来ました”の一言に弱かったりする。いやホント、田舎って大都会へのコンプレックスがマイナスにもプラスにも、強いよね。

 そんな訳で、自他共に認める腕自慢は成長著しい新興大名がせっせと勢力拡大に腐心中の地域、例えば東海や関東や山陽や九州北部へと散らばってしまっていた。

 笑えない話だがその証拠として、黒田下野が集めた愉快な仲間達からも五名が九州に居残ってしまっているのだ。

 播磨国人から三名と摂津国人から二名である。

 前者三名は、後藤藤次郎純基と明石修理介長行と衣笠豊前守範景。

 後者二名は、渡辺惣官家当主の次男と三男、小源次(ただし)と蔵人(たけし)

 何てこった……槍の又兵衛の父親だか爺さんだかと、キリシタン大名の明石全登の血縁者っぽい奴と、鉄人と称えられたプロ野球選手の祖先かもしれぬ三名がいないとは!

 色々な意味で是非とも雇いたかったなぁ、特に衣笠何とかを。

 ところで、町卿の護衛役に雇われ要員の大半を占めた渡辺惣官家の者達は、ほぼ全員が地元である摂津国一之宮である坐摩(いかすり)神社周辺にRTBしやがった。御所警護の滝口武者を多数輩出した家系ならば京都へ戻って来いよ!

 当主の渡辺与左衛門(たね)も帰京後直ぐに挨拶しに来たものの、挨拶したらさっさと自宅へ帰りやがったし。

 どうやら渡辺惣官家が警護役に応募した目的は、瀬戸内航路の関係各所への顔繫ぎと、渡辺氏の庶流である肥前国の松浦氏との紐帯を太くすることだったようだ。植の成人した息子二人はその為に肥前国滞在を延長したようである。残留を選択した本人らも、兄の(よし)を間近で補佐するよりも遠地での独立を選んだようだ。流石は海の男だと、ここは褒めるべきだろうなぁ。

 まぁね、仕方ないよね。

 龍造寺の若きリーダーの隆信君の協力者が増えたと思えば、それも良しだろう。衣笠も後藤も明石も隆信君を新たな主君として仰ぎ、一生懸命支えて欲しいものだ。


 もし仮に即戦力クラスが残っていたとしても傍目には斜陽に見える、事実そうだけど、足利将軍家に仕官を求めるよりも手っ取り早く功名を得られそうな細川氏の内紛に挙って参加するだろうし。

 陣借りして手柄を認められたらフリーターから正社員に即採用となるのだから当然だよな。トンチキ管領やそのライバルの直臣に成れずとも、陪臣くらいには成れそうだからね。例えば三好長慶や遊佐長教などは積極的に戦力拡大を図っているらしい。

 自由人(プータロー)が気儘に過ごせるのは平和で豊かな時代だけだ。それ以外の時代は(はぐ)れ者には実に厳しい。仲間じゃない者を助けるような酔狂はほとんどいないのだもの。

 良くて普通に行き倒れ、悪くて最悪の状態で行き倒れだ。将来に不安を覚えるような先見の明を持つ者は安定を求めてとっくに行動しているし、行動していないようなボンクラは雇うだけ無駄だしね。

 そんなちょいと切羽詰まった事情ゆえに、逃してなるものかと黒田下野の仲間達は全員採用したし、少々怪しい経緯があろうと他の推薦組も残らず取り立てることにしたのだ。

 雇う方に事情があるのだから、雇われる方にも事情があるに違いない。

 木俣にしても松倉主従にしても、具教君や興福寺の覚譽伯父さんの心遣い……だけではない筈だ。密接な連絡係、もしくは変化著しい洛中の最新情報を収集する偵察要員ってとこだろう。籾井何とかは脳筋系肉体派っぽいから、人選ミスに思えるけれど。

 だが、それぞれが態々推薦したのだ。どいつもこいつも使えない人物じゃないだろう。但し、それぞれの家中では然程必要とされていない、のだと思う。必要な人物を他所へ送り出せるほど、人材豊富な家中などある訳ないからね。甲斐国に限らず日本全国どこでも、人は石垣、人は堀、なのだ。

 ならば安心して使ってやろう。見事に使いこなしてみせようじゃないか!

 何れは帰りたくないと、涙ながらに言わせてやろう。具教君達には、お願いだから返してくれと懇願させてやろうじゃないか。

 彼らにもいつかは特別誂えの甲冑を着せてやりたいが、今は揃いの陣羽織が精一杯。常盤色の袖なし陣羽織、背中には一回り小さめの白抜きで五七桐紋をあしらっている。

 縁取りは鮮やかな緋色にして、金属製の肩章は菱形にした。全員が同じ階級ということで数は一つである。襟に家紋を刺繍するのも一緒だ。洛中一の彫金師である後藤小一郎の父と、洛中トップクラスの呉服商である辻玄哉は良い仕事をしてくれたよなぁ、ホントにさ。

「物頭を任ずるその方らの役目は大任なり。他国者なりと嘲る輩がおるやもしれぬが、些事だと思え。今日この時よりその方らは余が直臣なり。余の意図するを忘れず、励むべし」

 “お任せあれ!”と野太い唱和に鼓膜がビリビリする。うむうむ、戦場で鍛えた胴間声が今は頼もしい限りだよ。一先ずは薄給でも頑張ってね。いつかは高給取りにしてやるからさ。それまではブラックすれすれで、我慢しておくれ。


「その方らに改めて申す。洛中静謐とは無体を働くならず者共を処断することのみに非ず。洛外を跋扈する野盗共を撫で斬りにするのみに非ず。誠に意を払わねばならぬは、“自検断”と“宗論”の停止(ちょうじ)なり。

 諍いの正否は、御所代等持院殿様(=足利尊氏)の定めし『建武式目』にて断ずる公儀の専権なり。巷の者共が勝手に扱うものに非ず。洛中にて自検断を行う者は世を乱す者として厳しく取り締まるべし。

 宗論もまた同じ。仏法は諍いの道具に非ず、退屈を紛らわす遊戯に非ず。優劣を競うなど以ての外なり。仏法を悪戯に弄ぶ者共は須らく世を乱す輩なり。同じく厳しく取り締まるべし」

 俺がありったけの目力を込めて職務の要諦を申し渡したら、別当に任じた左衛門佐晴光以下全員が一斉に床へ手をついた。

「各々、手抜かり致すべからず!」

「「「「「委細、承知にて!」」」」」



 後はこれで、朝廷にて御上や堂上人に御上覧頂ければ正式発足だ。足軽達を総動員すれば人数は格好つくが、薄汚い不揃いの衣装と武装の野郎共を並べるべきか、いや……それ以前に垢塗れで悪臭芬々だし。

 一揆の土民よりもマシだけど、野盗か野伏と見間違うばかりの数百人を内裏前に並べるなど、どう考えても地獄絵図でしかないよな。不敬罪で叱責されそうだよ、全く。かてて加えて口にするのも恥ずかしいが、お揃いで着せる衣装も用意出来そうにないし。みんな貧乏が悪いのだ。

 うーむ、これは思案のしどころだぜ。

 それはそれとして。本当に草臥れたよ、今日は。まだ昼頃だけど、とっとと寝床に潜り込みたい気分だよ。跨った馬の歩みもトボトボとしていやしないかな?

 行きは良いよい帰りは昏い、って気分である。

 全くね、慣れないことはするものじゃないよね。人を殺すことにあまり躊躇の無い大人達を並べ、偉そうに号令するなんてさ。前世でもそんな経験したことないし、そもそも義務教育で習わなかったかったし。

 何れは無頓着に出来るようになるのかもしれないが、出来るようになったらなったで喜ぶべきことだろうかと首を傾げるばかりだよ。

 だけど、それをするのが将軍様の役目なのだ。辛くとも、やらねばならぬ。でなきゃ、洛中での安穏は遠のく一方でもあるのだし。出来ることは出来る時に。夏休みの宿題にみたいに“出来ませんでした御免なさい”では許されないのだから……やれやれ。

「御疲れでありまするか?」

 一色七郎が気づかわし気な表情をする。何て優しい少年だろうか、七郎君は。誰かさんとは大違いだぜ、全く!

「うむ、ちと疲れた」

「気の所為でございましょう」

 与一郎が平常運転の氷の眼差しで俺を一瞥する。何て優しくない少年だろうか、与一郎は。少し周りを見習って、大違いを改めてくれても良いと思うが?

 判っているよ。甘言ばかり聞かされるよりはピリリと辛い意見の方が大事だって理解しているよ。でもさ……激辛ばかりもノーサンキューなのだぜ、与一郎よ。鞭ばかりじゃなくて、偶には飴もプリーズだ。

「気の所為で済めば良いが、な」

「何か御懸念でも?」

「いや、懸念だらけである。もう懸念しかないと言い切ってもいいくらいだろう。……全く難儀なことよ」

「それはやむなきことにて」

「何故だ?」

「大樹がお務めに精励なさっておられる証左にございますから」

「ふむ……然様か」

 頑張れば頑張るほどに頑張らなければならない、ってとんでもないジレンマだよなぁ。穴を掘って穴を埋めるみたいな非生産作業じゃないだけマシだけど!

 いや、復興真っ盛りの洛中が戦火で焼かれ灰燼に帰すれば、これまでの努力が全て無駄になるのだ。これからも気を抜かず職務をせねば。漸くにして洛中で親も家も失くし、腹を空かせて行き倒れる子供の姿がなくなったのだから、な。

 以前は毎日のように出没していた人買いや子攫いの輩を一掃出来たのは、実に大きな成果だと自画自賛しておこう。二十世紀の歌詞だと知らずに童謡を歌う子らの笑顔の為にも頑張るぞ!

「ああ、そういえば」

「何か?」

「仮御所を頼って来た家無しの童共の先行きも考えてやらねばならぬな」

 そう呟いた途端、腹の虫が盛大に鳴り出しやがったぜ。

「与一郎よ。……余は腹が減ったぞ」

「然れば仮御所へとお戻り次第、直ぐに昼食(ちゅうじき)と致しましょう。……十兵衛!」

「は、お呼びでしょうや」

「先駆けし、急ぎ膳部の支度をさせよ」

「心得まして候」

 見た目が何だか涼やかな青年が颯爽と走り出した。天駆ける麒麟か天馬のように軽やかな後ろ姿を馬上からぼんやりと眺めながら、そっと溜息を漏らす。

 あいつは多分、水色桔梗紋がよく似合うあの男なのだろうなぁ。

 だとしたら石成主税助や村井吉兵衛みたいに、早目に迎え入れてやるべきなだよなぁ。滝川彦右衛門にでも預けて、鉄砲衆要員にしてやるか。何せ史実では、将軍家直臣の経歴を持つ鉄砲上手なのだからさ。いっそのこと、本能寺で暮らしている種子島氏の御隠居との取次役にでもするか?

 などとつらつら取らぬ狸の皮算用をしつつ、さてどうやって与一郎の小者から、陪臣の地下者から一端の直臣へと取り立ててやるかだが……急がず慌てずおいおい考えるとしよう。

 腹が減っては(いくさ)も何も出来ないからな!

 主人公が明智光秀公なので、光秀公が一時属した将軍家も多少は良く描かれるでしょう。

 ドキュメンタリーじゃなくドラマですから、盛り盛りな脚色も当然の事。ドラマに史実への忠実さを求め過ぎるのはお門違いですから。

 ですが。

 苦悩する姿が恰好良い足利義輝公や、トンチキじゃない細川晴元公が登場したら、ヘソで沸かした茶で乾杯ですね。プークスクスと片腹痛い思いをしながらで(苦笑)。 

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 誤字報告しますた [一言] 大河始まりましたね 早速色んな人がw 事情があるのはお互い様ですか まあしゃあない しかし懐事情が何とも(苦笑 それにしても、実家すげえなw
[一言] 拝読させていただきました。 少しずつ、京都を守る体勢が整って来たようで何よりです。 是非とも、大樹さまが意のままに出来る兵力が増えていって欲しいところです。さすがにこのまま野球殿堂みたいにな…
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