『 3人の坊主と 』(天文十六年、春)
洛中絵図をでっち上げるのに、ちょいと時間がかかってしまいました。
参考資料は、滋賀県立安土城考古博物館が作成せし地図にて候(平身低頭)。
天文14年に再建された本能寺の位置を誤認致しておりましたので訂正致しました。
併せて、より“らしい感じ”に作り直してみました(2020.05.21)。
その日、主殿として使用している堂宇の板の間に広げた絵図を前に俺は頭を捻っていた。あーでもないこーでもないと、朝からずーっと。
俺と同じように頭を捻っているのは、三淵伊賀守、進士美作守、三淵弥四郎藤之、細川与一郎藤孝、石成主税助の五人もである。何故に男六人が雁首並べてウンウンと唸っているのか?
答えは現実という厳正なる型に有り余る理想を必死こいて詰め込もうとしている所為である。無理が通れば道理が引っ込むではなく、無理に通れば道理で苦しい。何て笑えぬ滑稽譚だろうか。
かといって現実に甘んじればモチベーションはダダ下がりだしなぁ、参ったねコレは。などと愚痴っても仕方ないので、状況を整理してみよう。
洛中が大水害に見舞われたのは三年前の夏のこと。復興事業は被災直後から始まった。そして一年とかからぬ内に、自然災害からの復興事業は応仁年間より度重なった戦災からの復興事業へと自動的にスライドする。
序でに衛生面での環境改善も図った結果、洛中は見違えるほどに美しくなった。まぁ以前と比べて、だけどね。以前が酷過ぎただけなのだ。どこが“花の都”だよ、廃屋と汚物と行き倒ればかりじゃねぇか、って状態だった。
しかし洛中の自助努力と互助関係が有効に機能した結果、廃屋は減り、汚物は片づけられ、行き倒れはいなくなっている。彼方此方の焼け跡が少しずつ整地され、街路も日に日に整えられている。都人の顔にも笑顔が多くなっているなぁ、と実感出来る今日この頃。
但しそれは上京と下京に限ってのこと。
高さ1mほどの土塀と水濠もどきの水路をぐるりと廻らせた上京と下京を除けば、未だ手つかずの場所ばかり。釘貫(=閂完備の門扉)と土塀でガッチリと守られた所との差は歴然だ。
誰のものか定かではない田畑と荒地が広がり、バラック小屋が点在する中を矢鱈と厳重な土塀を備えた道が一本通っている。上京と下京を繋ぐ室町通がそれだ。上京と下京を行き来するのに安心出来る道は去年まで、その一本しかなかった。
今年になってから漸く内裏の西側にある烏丸通の整備の目処がついたので、室町通の渋滞が多少は緩和される模様である。
あくまでも多少でしかない。
ヒョロッとした出来の悪い砂時計みたいな形状をしているのが、今の洛中だ。平安時代の重厚な長方形と比べたら何と頼りない形だろう。
ただでさえ人口は右肩上がり、増加の一途なのだ。比較的安全で住み良くなった日本の首都なのだから当然といえば当然である。働き口が豊富で銭が稼げる、食糧事情も安定しているから飢えずに済む。
そんな場所は現在の日本では他には、堺と博多くらいだろう。ああ、大坂の本願寺寺内町もそうだったな。次点は坂本、駿府、小田原、奈良だろうか。両手の指で数えられるほどしかないのは間違いない。
それらの大都市を差し置いて、日本で一番住民が多いのが都である。先日、惟高妙安禅師らの協力を取りつけた開墾計画が成就すれば、人口は尚いっそうドカンと増えるのは予想するまでもない。
主要路が一本から二本になったところで、焼け石に水でしかないだろう。安全に通行出来る道をもっと増やさないと。出来れば堀河通を西の障壁として、高倉通を東の障壁とした街へと早急に拡大したいのだ。
だがここで問題が生じる。問題とは即ち、拡大方針と防衛計画のミスマッチ。
ただでさえギリギリの要員で洛中の警備を行っているのである。間もなく帰還する黒田一党と仲間たちも漏れなく投入する予定だが、それでも足りるかどうか。
平和な時代なら交番を数箇所設置すればこと足りるのかもしれないけど、残念ながらそんな暢気な時代じゃない。現在地から30kmも南西に移動すれば戦場だし、いつまた一揆の集団が来襲するかもしれないクレイジータイムなのだから。
落ち武者や食い詰めた乱暴者で構成される野盗達も最近は逼塞中だが、銭と食が溢れている洛中の防衛体制の綻びがあからさまになれば、またぞろ狼藉の限りを尽くすだろう。
都を守る。それが俺の至上命題だ。
禅師ら寺院勢力、後藤小一郎に中島四郎左衛門に吉田与兵衛ら商人達、サー・グランパら近衛家の方々、善阿弥ら河原者達、彼ら全員と友好関係にあるのも俺が洛中第一主義を貫いているからだと思っている。
彼らの信認を失うことがあれば、将軍の立場も命運もあっという間に風前の灯となるに違いない。
それに俺自身の為に安全に生活したいが為に散々っぱら知恵を絞ってここまで改善して来たのだ、今の安穏を絶対に失いたくはない!
しかしである。志高いと自画自賛する俺の前に最強の敵が立ちはだかったのだ!
凶悪なラスボスの名は、乏しい予算、である!!
どうする俺? 逃げる? 諦める? 泣く?
……いや、どれもダメだろう。何が悲しくて今までの食っちゃ寝生活……寝食を忘れた懸命の努力を捨てねばならぬのだ!?
何が何でも諦めないぞ!
成せば成る成さねば成らぬ何事も成さぬとあれば情けないよね、とか何とかと誰だったかも申したり申さなかったりしているじゃないか。見た目は子供、中身はナイスミドルの俺様に、不可能という文字はないはずだ、多分きっとだったらいいな。
「誠に悩ましきことにございまするな……」
泰然自若が丁髷結って刀を差しているような男、三淵の太い眉も厳しい口元も珍しくへの字になっている。便所に百ワット電球を地でいく無駄に明るい男、主税助も無駄口を叩く余裕を失くし黙りこくっていた。
与一郎の弾くパチパチという算盤の音が、屋内に空しく響いている。
うら寂しいBGMを奏でている算盤は、去年知らぬ間に開店していた上立売の明国人の店で買い求めた物だ。前世で、算盤塾に通いさえすれば直ぐに取得出来た準六級の腕前で指導したら、あっという間に使い方を会得しやがった与一郎。最近は何かにつけて算盤を弾くようになってしまった。お前は、前田利家か!
何でもかんでもいとも容易く習得するとは、栴檀は双葉より芳しいのか、そうなのか。流石は神童だよなぁ、この野郎。
「幾ら計りましても、足りませぬ」
そんなことは計算するまでもなく判っているよ、畜生め! みんな貧乏が悪いのだ! 金がないのは首がないのと一緒だよなぁ、全くね!
土塀を造るのも、釘貫を設置するのも、篝屋を建てるのも、材料費と工賃がいる。そして上京や下京と同じ規模の中京を新設するとなれば、防御施設たる土塀と釘貫と篝屋がどれだけ必要となるか、考えるだに恐ろしい。
更にいえば、造った物には維持費がかかるってことだ。馬鹿な経営者ならばランニングコストを無視して計算するのだろうが、生憎ながら俺は賢くなくとも馬鹿じゃない。維持費をけちれば、折角の施設も単なる飾りとなるくらい理解している。
設備費に維持費、言い換えれば人件費と材料費だ。どちらも安くはないのが当たり前。もしも安ければそれは社会構造の欠陥だろう。……バブル以降の日本がそうだよなぁ。貧すれば鈍すが常態化した社会に明るい未来などあるはずがない。
……何の話だったっけ。ああ、銭の話だ。
必要経費に計上されている項目は他にも装備費なんかがある。楯に弓矢、槍に刀、鎧兜。丸々用意する気はないけれど、ある程度は補填してやらねばなるまい。 篝屋には弩も設置したいしな。
……三代義満以来収集している唐物を幾つか手放すか。売りつける相手は堺の天王寺屋だ。助四郎ならば高く買い取ってくれるだろう。後は興福寺かな。少なくとも洛中で売り捌くようなみっともないマネはしたくないし。
六角定頼にも諸々の御礼として一つ二つは進呈しようかな。近江一国を完全支配するのだ、箔がついて見栄えが良い物が良いだろうな。
「大樹」
ん? 何だ? 誰が呼んだのだろうと首を伸ばせば、眉根に皺を寄せた進士の向こう側で一色七郎藤長が片膝ついている。
「御客人が二人、お目通りを願っておられますが、如何致しましょうか?」
あ、そうだった。先日顔見知りとなった蒲庵古渓君が来るのだった。すっかり忘れていたぜ。
「うむ、対面するゆえに招き入れよ」
「対面の儀は会所で宜しいでしょうか?」
「そうよなぁ……こちらで良かろう」
「然らば、案内仕ります」
七郎が去って行くのを見送った俺は、一同を見渡してニヤリと笑う。
「者共喜べ。足利学校の俊英が余らの懸念を払ってくれようぞ」
面長で顎の確りとした凹凸の少ない布袋さんのような円満の相、なのに目が猛禽類みたいに爛々と輝いているので、何もかもが台なしな感じ。首は太く、肩はいかり型。墨染の衣姿が全然似合っていない、驚くほどに矍鑠とした御老体。
そんな人物が俺の前でどっかと胡坐を掻いておられるのはどういう訳だ、え、古渓君よ?
二人で来たっていうから、てっきりこの前の中年僧と一緒だと思ったのに。え、江隠宗顕師は越前国へと里帰りなされたのか。あっそう。そしたら入れ違いで、パパがやって来たってか……って、パパ!?
この爺さんが、古渓君のパパだと!?
「拙僧は越前に住する照葉と申す愚禿にござる」
はぁ、“しょうよう”さんですか。それはそれは遠路ようお越しで。
「時折は、宗滴とも号してござる」
ほうほう“そうてき”さんで……って、まさか……宗滴!?
マジか!? マジなのか!?
吐き出しかけた息と吸い込んだ息が喉の奥で正面衝突をした結果、思いっきり咳き込んでしまいゲホゲホとむせ返る俺と、呼吸を忘れてしまったような三淵達。
「本日は可愛い末っ子の付き添いでしかござらぬ故に俗の名はお忘れ下され」
坊主には到底見えぬ戦国武将の面をしたジジイは大いに口元を歪め、凶悪な笑顔で深々と頭を下げる。
「新しき大樹公の御尊顔を拝し奉り誠に恐悦至極。大樹公並びに大御所様、将軍家の弥栄を衷心より言祝ぎさせて戴きます。天下泰平、万々歳哉」
それが坊主の祝賀の辞かよ!?
前言を激しく訂正。懸念を払拭するどころか、万馬券並みの深刻さになっちゃいました。
……どうしてこうなったッ!?
「ほほう、これは面白き次第にござりまするな」
与一郎が急遽立てた茶を飲んで一息入れて落ち着いた頃、抹茶って沈静作用があるよねぇ、雑器の茶を飲み干した宗滴が剣呑な目を瞬かせている。
最初はクレーム含みで礼儀正しく、慇懃な対応をしてやろうかと思ったが、流石に大人気ないので止めた。そもそも本人が越前朝倉氏を代表して来た訳じゃないといいやがったし。
それじゃあ申し出通りに、一介の坊主扱いすることで歓待してやらねぇという雰囲気を言外に滲ませたら、“御斟酌、誠に忝うござる”と人食い狼の牙みたいな歯を見せて笑いやがる。
そこまでいわれたら無言で顎を引くしかない。だって、口を開いたら“もう勘弁して下さい”以外の言葉はいえそうになかったからな!
武田信虎や六角定頼も大概だと思ったが、彼らよりも長く戦場で暴れ捲っている闘将の存在感たるや正直、半端ねぇ。気分はコンボイトラックに追いかけられるミニバイクだ。
パンピー根性上等の俺が敵わないのは当然として。それなりに修羅場を潜って来ているはずの三淵でさえやや及び腰であるのを見れば、やはり戦国武将にも歴然とした格の違いがあるってことを、嫌でも理解させられる。
だが俺は将軍だ。今直ぐ逃げたい……けど、グッと堪えて正々堂々と向き合わねば。俺は胸を張って宗滴から視線をずらすや、古渓君と正対した。
「足利学校では四書六経、荘子、史記など唐土の古典のみならず軍法や兵法も学ぶと聞く。古渓師が学びし智恵ならば如何にするであろうかを、お諭し願えまいか?」
「滅相もございませぬ。小衲は未だ道半ばの学徒ゆえに、お諭しなどとてもとても。然れど……」
「然れど?」
「父ならば御意に添えましょうかと」
足利学校の秀才だっていうから古渓君に話を振ったのに、俺の思惑を右から左にさっさと受け流しやがった。……出来るだけ宗滴の相手をしたくないなぁって思っていたのに、空気読めよ!
まぁ仕方がない。幾ら強面の戦国強者とはいえ、立場ならこっちの方が上だ。相手をしてやろうじゃないか。さぁかかって来いや!
「大樹公は如何にして都を守るべきやと御腐心なさっておいでのようでござるが、それは無駄な足掻きと某は考えまする」
はい、バッサリと斬り捨てられました、チャンチャン。
「無駄な足掻きとな?」
三淵が“無礼でござろう”といいかけたのを遮るように宗滴は、“いやこれは誠に無礼な申しようでござった。平に御容赦を”などとぬかしやがる。
しかもピシャリと剃り上げた頭を叩きながらなので、俺としても憮然と唖然をミックスした表情をするしかない。
「然れど御無礼を承知で更に言上致さば……大樹公のお考えはそもそもが間違いにござる」
ほう?
「都とは元来、攻めるに易く守るに難き所なり。なればこそ将軍家の御初代様は鎌倉の執権に叛旗を翻らせる証として、六波羅探題を攻め落としたのでございましょう。
都とは真に難しき所にござる。所以は常に数万を越す民が寝起き致しておるからにござる。いとやんごとなきお方々おられ、途方もなき数の寺社があるからにござる。例え天下無双の剛勇を百、二百と揃えたとて守り切れるものではありませぬ。
仮にいざ篭城を図ろうとしたとて、果たしてどれほどの兵糧を抱えれば良いのやら検討もつきませぬ。早晩、幾千幾万の飢えた者をこさえるだけにござりましょう。すれば戦など始める前に負けは必定。
故に、無駄な足掻きと申したのでござる」
「なるほど。確かに理に適った申しようである。その方を無礼と断ずれば、余は道理に耳を貸さぬとんだ阿呆であることよな。
宗滴よ。そこまで指南してくれたのであれば、如何にすれば良いかも余に指南してくれるのであろうな?」
「さて、それは」
「未熟である、進むべき道が間違っておると諭してくれたのだ。未熟者に教え諭すのが大人の務め、正しき道へと案内するのが僧の務めであろうが。
遠慮するな、ささ、あたら未熟者の余を導くべし」
やられっ放しじゃ悔しいので当て擦り気味に問いかけたら、宗滴は目を閉じてむっつりと黙り込んでしまった。ふふん、俺だって多少は小賢しいことが出来るのだ。無駄に戦国時代を生きちゃいねぇのだぞ、どうだ参ったか?
「然ればでござる」
カッと目を見開いた宗滴が俺の方へとにじり寄る。不意を突かれた俺は不覚にも僅かに仰け反ってしまった。やっぱ付け焼刃じゃ正真正銘の人斬り包丁には勝てないや、畜生め。
「四方を見渡しますに、都を襲わんと企む輩など北と東には近来おりませぬ。
嘗て山科には一揆の奴原が根城の本願寺がござりましたが、既に灰燼に帰し、生き残りし門徒共は大坂や加賀国へと逃散致しておりまする。
予期せぬことにて当主を失いし浅井は膝を屈し、近江一国は大樹公と親しき間柄の六角が治めておりまするな。我ら一乗谷からすれば切歯扼腕するしかござらぬが、それも世の趨勢でござりましょう。
近江国が佐和山城と観音寺城に分かたれておりますれば、強欲な北嶺(=比叡山)のみならず落ちぶれし京極の小勢すらも大手を振って跳梁出来ましょうが、これよりは然様な無体は出来よう筈もござりませぬ。
南都(=大和国)も、これまた大樹公と親しき興福寺の元に纏まりつつあるようにて。筒井が勇み足をせぬならば概ね静謐と申して宜しいやと。
西と南は、細川京兆家の正統は己であると号する者同士が相争っておりまするが……仄聞するに、大樹公も大御所様も何れか一方に加担してはおられぬ由。なれば何れが勝ち果せても将軍家が傷つくことはござらぬ。
宜しきを見極め損ねぬ限り、火の粉を被りて大火傷することもござりまするまい」
「なれば境を見極められるほどの土塀で良いと断ずるか?」
「然様。洛中と洛外の境目が明らかであれば宜しいかと愚考仕りまする。大樹公が気にかけるべきは外より内でござりましょうな」
「内、とな?」
「然様に候。そもそも人が作りし物が崩れ去るは外よりも内に難が起こりし時にて。負ける筈なき戦に負けるがそれなり」
「あ!」
俺と宗滴の問答に耳を傾けるだけの置物と化していた車座。誰が声を上げたのかと思えば、進士であった。目も口も丸くしている。さて何に気づいたのかと尋ねれば、ゴクンと唾を飲み込む。
「法度にございまする」
「法度? それが如何した?」
「今の洛中は先ず先ず治まっておりまするが、かと申して憂いがなくなった訳ではございませぬ。大事になっておらぬだけで懸念すべきがございまする」
「ああ!」
今度は主税助がヘッドバンギングをし出すした。いや、激しく同意とばかりに頷いているだけか。新手のコントかと思ったぜ。
「人が幾人も集えば諍いの基など勝手に生まれるは世の必定。数千数万の人が集う洛中ならば夥しい数となりましょう。
であれば、諍いの基が争いとならぬようにせねばなりませぬ。灰の中に潜みおる置き火を燃え上がらせぬように」
禅問答よりは具体的だが何だかピンと来ない言葉が、その日の宗滴が残していった置き土産であった。一体全体、何がいいたかったのだ?
その答えは、期待したのに期待通りではなかった少年僧と呼びもしないのにやって来やがったエセ老僧を送り出した直後、進士の口から語られたのだけど。
“自検断”と“宗論”。
そういうことか、と俺のみならず三淵親子らも強かに膝を打つ。もう腫れ上がるくらいに。それならそうとハッキリと言葉にしろよ、宗滴!
人々が激しく争う基は概ねこの二つであるのは当世の常識だ。つまりこの二つを抑え込むことに成功すれば、争いの火種は潰せるのである。ならば洛中に限っての停止令を発布すべきだろう。彼方此方の辻に高札を立てるくらいは造作ない。
どうしても決着を着けたい場合は、争いが拡大せぬようにコントロールすれば良いだけで。それこそ自検断は政所で、宗論は“花の御所”にて裁定するのがベストだよな。
取り締まりは、発足予定の“京師所司代”の職務となる。これは直ぐにでも伊勢に伝えねば!
「麦を飯に炊き込めむは然して美味くもござりませぬが、粉にすれば索麺(=素麺)の他にも美味し物となるのですなぁ」
音を立てず上品に啜る宗滴を見ながら、俺は何度目かの溜息をつく。いい加減、帰国してくれないかなぁ、と。
俺の前に突然現れてから十日ほど。思わせ振りな台詞で俺をおちょくって気が済んだと思っていたのになぁ。今日で三回目の出現だ。しかも昼飯時を狙ってやって来るとは。もしかして仮御所をファミレスと勘違いしてるのじゃなかろうか、などと勘繰りたくなる。
昨日、奉行衆見習いと働き出している高五郎右衛門師尚が伝えてくれたのだけど。二日経ったら北条氏と今川氏の使節が上洛するのだそうな。俺の将軍就任を奉賀する為にしては遅れ過ぎの感があるが、ご苦労さんにも東海道を下って来る者達だ。丁寧に迎え入れなければ。
北条氏は母方の縁戚になるし、将来に亘って末永く友好を結びたいと思っている存在。今川氏は足利氏の縁戚だから出来れば不仲にはなりたくない相手。縁戚とは油断出来ぬ相手ではあるが、頼り甲斐のある存在でもあるからだ。
然様な訳だから、余計なことに気を取られたくはないのだけどな、本当に。
「御馳走になり申した」
だからといって、汁一滴も残さず食べ終えた宗滴に“空気読めよ”とは言い出せないのが俺の立場である。
気に入ってくれたなら何よりだ、とか何とかと曖昧な笑みを浮かべるしかないのが悲しいところ。まぁ今更だから致し方ないよな、畜生め。
“さっさと帰れ”といいたいのを我慢しつつ食後の一服を縁側で肩を並べて喫する。抹茶オレをチビチビと飲みながらの歓談タイムだ。武田信虎ほど物騒な雰囲気を矢鱈と撒き散らさないから、意外と話し易いのだけは有り難いけどね。
含蓄に富んだ話題を語る宗滴は何だか童話の語り部っぽい。外見はどう見ても童話のキャラクター、それも赤頭巾のおばあさんや七匹の子ヤギを丸呑みしそうな面構えだが。語る内容の大半が物騒なものだから然もありなん。
特に四十年ほど前に九頭竜川で行われた一向一揆との戦いは酸鼻を極める惨たらしいものだったそうな。
「かほどに一向に念仏を唱うる一揆の者共は恐ろしきものにござる。
腹を空かせし土民共は千や万おろうとも怖くはござらぬ。鎌をふるう力すら持たぬゆえに。然れど心の飢えし本願寺の衆徒共は例え百でも恐ろしゅうござる。血を浴びれば浴びるほどに貪る心が猛らせますのでな。
彼奴らは人にござらぬ。獣にござる。武具を纏うも武士にあらざる、言の葉は発せど話せぬ輩にござる。理非の埒外に住する者共にて。
然れど、元は人にござる。たかが人にござる。
大樹公に於かれましては、人を獣にせぬには如何すれば良いかを考えられませ。ろりろりめされることなきよう肝を太くお持ちなされ」
厳しい面で“ろりろり”などといいだすから思わず吹き出しそうになったが、意味は恐怖で動揺すること。決して“ロリロリ”ではない。将軍に就任してから三淵にも偶にいわれるが、未だに慣れぬ当世の言い回しなのだ。
無理矢理に表情を引き締め“うむうむ”と頷いていたら、後ろから小さく呼びかけられた。振り返るまでもなく与一郎と知れたので“何用か”と聞けば、惟高妙安禅師と伊勢が揃って目通りを願っているという。はて二人同時とは珍しい。
然らば某はこれにて、と宗滴が頭を下げた。お、漸く帰ってくれるか。これは重畳、名残惜しいがそのまま遠慮せず一乗谷まで帰ってくれていいよ。などと思いつつ、大儀であったと送り出した。
ああ、やれやれ疲れた疲れた。
同じ僧形でも、隠居の証に頭をツルツルにした程度のなんちゃって坊主ではない本物の出家僧ならばこんなに肩は凝らないのだけどなぁ。
……などと思っていたこともありました。
急に罷り越しまして誠に申し訳なく、と肩を窄めた伊勢が両手をつけば、相済みませぬ、と背中を丸めた禅師が深々と頭を下げた。
すわ、何事なりや!?
こんなに低姿勢の伊勢と禅師などこれまで見たことないぞ。一体全体どうしたというのだ?
「如何様にも断り切れず、同道の者を連れて参りました。誠に申し訳なきことながら、不調法を承知で御願い申し上げます」
「どうか同道の者にお目通りをしてやって戴けませぬでしょうや」
ああ、連れがいるのね。しかも伊勢や禅師が浮世の柵とやらでどにもこうにも依頼を断れない奴が。いつの時代でも物事の順序を守らぬゴリ押し野郎っているよねー。
「良かろう。目通りいたそう」
「宜しいので?」
「構わぬ構わぬ気にするな。日頃から伊勢にも禅師にも世話になっておるのが余である。伊勢がおらずば公儀は成り立たず、余は将軍ではおられぬ。禅師は我が師父である。弟子として師父の申されることに否など非ず」
「誠に忝く」
「与一郎、同道の者らをこれへ」
「畏まりまして」
……考えなしの安請け合いって、しちゃダメだよね、全くね。
伊勢の隣に座しているのは老境に差しかかったと思われる、青白いひょろりとした坊主であった。
「これなるは当家の支流、関東に住する一党が内の長老なり。箱根権現社にて別当(=長官)を務めておりました、宗哲と申すものにございまする」
……そうてつって……まさか、宗哲?
「これに控えまするは建仁寺にて修行せし者にて九英承菊……いや、今は崇孚であったな」
禅師が紹介した僧侶は、巌の如き立派な体格をしていた。髷を結っていたら相撲取りだと勘違いするところだよな……って。あれ、すうふってもしかして、崇孚?
「お初に御意を得ましたること誠に恐悦至極に候。
某は伊勢氏庶流より興りて後、居を移しましたる伊豆国を本貫と致す北条氏が初代は早雲庵宗瑞の末子にござりまする。名を三郎長綱と申しておりましたが箱根権現社別当職を継いで後は、幻庵宗哲と号しておりまする」
「御前に侍りましたること僭越の極みなれど御慈悲で以って座を穢させて戴きまする。
愚禿の出自は駿河国の庵原氏。上洛して建仁寺にて戒を授かり、常庵龍崇を師と仰ぎ九英承菊を名乗っておりましたが、前駿河国太守たる修理大夫増善寺殿(=今川氏親)様のお声がかりにて下向の際に、太原崇孚と改めました者にてござりまする」
……抹茶オレを飲み干していて良かったよ。でなければ半分を霧吹きして、残りは気管に詰まって窒息しているところだよ、マジで!
前者は元祖戦国大名の北条氏の重鎮にして時代の生き字引。後者は今川義元を東海一の弓取りに押し上げた黒衣の宰相。戦国時代を代表する化け物じみた人物である。それがどうしてここにいる!?
国許では肩で風切る大幹部が、のこのこと中堅クラスで充分務まる上洛使節一行に混じってんじゃねーよ!
「大樹公におかせられましては早くから数々の御厚情を賜りしこと、誠に忝く存じまする。主、相模守(=北条氏康)もくれぐれも御礼をと申しておりました」
「主、治部大輔(=今川義元)の岳父たる無人斎殿の請願をお聞き届け下さりましたこと、重ね重ね御礼申し上げまする。御蔭様にて伊豆国との積年の懸案も解消出来、駿河国を無事に一つと出来申した。これも偏に大樹公の御尽力の賜物にござりまする」
呆気にとられて二の句も告げられぬ俺に、二人は再び平伏するのだが……その言葉通りには受取れぬような言葉の平坦さに、逆上せそうだった頭が冷静になる。熱意の感じられぬ謝意って、吃驚するくらいに薄ら寒いなぁ。
ならばこちらも、わざわざの言上大儀、と務めて冷静に返してやった。すると二人は更に深く頭を下げてから、落ち着いた所作で身を起こす。
似て非なる視線と視線が容赦なく俺に注がれた。
宗哲のは、背筋が凍りつきそうなくらいに寒々しい感じである。獲物ではなく、餌を見つめるような。いやどちらかといえば、コイツは餌だろうかと吟味しているような。
崇孚のは、ガラスに映った自分を見ているような、即座に逃げ出したいと思わせる奇妙な感じだよ。振る舞いも何だか血の通わぬ人工物めいていたし。
つまりどちらも、俺が何者なのかを試しているのは判った。ジッと見詰めるその四つの眼に意志を感じるからだ。気分としては信用度ゼロのCTスキャンを受診中ってとこかな?
どのくらい黙り込んでいたのだろうか。五分か十分かあるいはそれ以上か。
不意に誰かがフッと笑った。笑ったのは一人ではない。宗哲と崇孚の口の端が微かに緩んでいる。
「如何であったかな、御両人」
いつの間にか俺の側へと身を寄せていた禅師が挑むみたいに問いかければ、
「恐れ多くも大樹公を試すとは失礼の極みぞ」
伊勢は手にしていた扇子の先で床をトンと突く。
「「誠に申し訳なく候」」
全く別個の存在であった宗哲と崇孚が声を揃えた。初めて聞く、人間らしい声で。
与一郎と七郎が運んで来た茶を喫しながら俺は改めて二人を見遣る。
黒尽くめのタキシードと尖った牙が似合いそうな宗哲。継接ぎだらけの衣装と太いボルトが似合いそうな崇孚。
ここに野獣めいた印象の宗滴がいたら、俺はきっと怪物ランドのプリンスだろう。残念ながら宗哲の語尾は“ざます”じゃないし、崇孚は“フンガー”とはいわない。宗滴も料理が得意じゃなさそうでがんす。
「何やら楽しそうでございまするな、大樹公」
「生半な性根では斯様な二人を前にして和やかな顔など出来ぬものやと思いまするが」
「大樹公には夢窓国師様がついておられますからでしょうな」
「ああ然様でございましたな」
俺を挟んで左右に座す禅師と伊勢が勝手な評価をしてくれたけれど、単に笑うしかない気分だったからだよ。やけっぱちにならずに済んでいるのは禅師と伊勢がいてくれるからだ。
……でなきゃ、とっくにちびっていたとも。信虎や六角定頼や宗滴でかなり耐久性がついたけれど、ガチでヤベェ感じの宗哲や崇孚に無表情で睨まれて、大丈夫な筈がないじゃないか。そんな抵抗力などある訳ないって。
何がどう落着したかは知らないが、化け物二人も今は大人しく茶を飲んでいる。もう試すような威圧は止めてくれよ、本当にさ!
「一つお尋ね致して宜しゅうござりまするか?」
茶碗を置いた宗哲が、見下ろし加減で口を開く。だから止めてってば、と拒絶したいがそうもいかないよな、畜生め……。
「余の答えられることであれば」
「然ればでござる。大樹公は何故に我が北条の家にお優しい御言葉をかけて下さりましたのでしょうや? 身共は大樹公の御身内、鎌倉様に叛旗を翻しておりましたのに」
「然様にござる。治部大輔も首を傾げておいででありました。河東郡の扱い、斡旋は大樹公の肝煎りでございましたと、聞き及んでおりまする」
「関東から遥か離れた洛中におわす大樹公に於かれましては、北条と今川の諍いなどお気になされずとも宜しかろうと思いまするが」
「斡旋がなくば今川と北条は未だ刃を交えておりましたでしょう。例え刃を引いたと致しましても、それ相応の瑕疵を負っていたやと」
「大樹公の御心に得心致しましたが故に、我らは関東にて大いに覇を唱えることが出来申した」
「河東郡を手放した御蔭よの」
「今川も、我らのことを気にせず三河国へと進み小豆坂にて“尾張の虎”を散々に打ち破れたのであろうが」
「然様然様。三河国は熟柿の如きにて」
「御蔭様にて北条も今川も大いに得を致しました。これも偏に大樹公の御厚情の賜物でござる」
「誠忝く、有難き次第にて」
「然ればでござる。大樹公は如何なるものを得られましたのでござりましょうや?」
「慈悲や気まぐれなどではござりますまい」
零れんばかりの笑みを浮かべながらギロリと睨む宗哲と崇孚。視線を横に滑らせれば、禅師は静かに微笑んでおられ、伊勢は取り澄ました表情で口を真一文字に結んでいる。
さて、何と答えれば良いだろうか、どう答えるのがピッタシ大正解なのだろうか?
これは思案の為所だよなぁ。
長くなりそうなので、ちょいと切りました。
『戦国僧侶列伝』(編/日本史史料研究会、刊/星海社)ってホンマに便利な資料本ですなぁ。




