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『 みすみす都を出る 』(天文十五年、秋)

 長らくお待たせ致しました。何だかしっくりこなくて、何度も書き直している内に一ヶ月以上も空白が……。

 遊んでばかりいた訳ではなく、法務も忙しく、東京では一泊二日で美術館と博物館とアートスペースを六ヶ所しかハシゴ出来ませんでした。

 取り敢えず、御免なさい。次話投稿は、もっと励みますので御容赦を(平身低頭)。

 誤表記を訂正致しました(2019.07.08)。誤字を訂正致しました。御報告に感謝を!(2019.07.13)

“にほてるや ()ぎたる朝に 見わたせば 漕ぎ行く跡の 浪だにもなし”


 “にほ”とは鳰海(におのうみ)。つまり、今の淡海乃海(=琵琶湖)を眺めて詠んだ歌なのだそうな。詠み下せば、朝の穏やかな琵琶湖は綺麗だね、って感じだろうか。うむ、そのまんまで捻りなしだなぁ。

 この世も早く戦国時代を脱却して、眼下に広がる琵琶湖のように波風が立たず静謐であれば良いのだけど……ねぇ?

 前世での俺が生まれる前、この世に天国も地獄も国も宗教もなく誰もが我欲を捨て去れば幸せだよね、って歌う曲があった。想像してみようよ、夢物語かもしれないけどさ、と呼びかける歌が。

 だがそんな世界が果たして訪れる日が来るのだろうか、と考えれば、そりゃあ無理だろう、って即答するしかない。

 天国は救済の象徴だし、地獄は倫理観と道徳教育の要だ。国とは公共と安全の代名詞で、宗教とは生きる上での道標である。我欲がなければ、人類は進歩せずとっくの昔に滅んでいただろう。

 どれ一つ欠けたとて、人の世は治まりがつかないに違いない。とはいっても、過ぎたるは及ばざるが如し。過度に求めれば何れもが諍いの基となるのは当然のことで。

 止せばいいのに態々、波風を立てる者がいる。

 それは誰かと尋ねたら、毎度御馴染みのトンチキ親父様だった。

 嗚呼何ともはや、思わずサビの部分しか知らない英語の歌をリフレインしてしまうよ、全くもう!

 などと今更グダグダと愚痴っても仕方がないのは判っちゃいるが、それでも愚痴ってしまうよな。俺こと、菊幢丸の人生にとっては最大にして最高のイベントフラグではあるのだが、現代人の俺からすればもうちょっと何とかならないのか、と。

 ホント、頼むよ、史実さん。


 さてそれは、夏が終わった頃だった。無断使用中の同仁斎に差し込む西日も朱色の鮮やかさが増し、あっという間に沈んで行く時分である。

もう秋なのだなぁ、と解消せねばならぬ課題の山から現実逃避しかかっていた、とある日に届いた“花の御所”からの緊急召集令。

 ついに予定が決定になったのか、と肩を落として行ってみれば案の定、伊勢伊勢守ら政所の幹部たち、大館常興ら主だった側近たちが畏まった表情で会所に座していた。

 進士美作や細川与一郎たち近習を下座に残し、傅役の三淵伊賀守のみを伴い上座の一角に腰を下ろせば程なくしてトンチキ親父がやって来る。床を踏み抜かんばかりのドカドカという足音を聞けば、いつもよりテンションが高そうだ。

 どうやらかなりの激昂状態であるらしい。

「者共、大儀!」

 全員が一斉に下げた頭へ甲高い声が降って来る。

「余は六郎(=細川晴元)と手切れを致す。彼奴には、ほとほと愛想が尽きた。これよりは次郎(=細川氏綱)を頼みと致すがゆえに、その方らも左様心得よ。然ればこれより暫くは畿内が荒れるであろう。よって明日早々にも余は坂本へ動座する。者共、怠るべからず!」

 座に座ろうともせず早口で述べ出すトンチキ親父。礼儀が微塵もない所作には少々呆れるぞ。もうちょっと、落ち着こうよ。後ろに控える秘書役の大舘左衛門佐も目を丸くしているじゃないか。

 言いたいことだけを言うや、トンチキ親父は“後は任せた”とだけ言い残して去って行く。畏まりまして、と恭しく承る伊勢と常興。然れば各々方支度を急がれよ、と申次衆の上野民部大輔が言い、やれ大変なことよ、と奉公衆の長老格たる斎藤越前守がこぼした。

 慌しく立ち去って行く大人たち。子供である俺は実にうんざりとした気分だよ、全く。

「若子様、我らも急ぎ支度をせねばなりませぬぞ」

 いやまぁ準備は出来ているけどね。そう告げると、三淵は目を見開いて息子たちの方を見やる。“誠でございます”と声を揃える三淵弥四郎と与一郎の兄弟。進士までが頷くのに、三淵は安堵の吐息を漏らした。

「流石は若子様、恐れ入りました」

 いえいえ、どう致しまして。

 それじゃあさっさと帰ろうか。明日の出立は早いみたいだし、それまでにしなければならないこともあるからね。

 三淵たちの尻を叩くようにして慈照寺へと戻った俺は、直ぐに会所へ境内にいる全員を呼び集めた。何事かと訝しげな近習たちに、明日から近江国へと都落ちする旨を告げる。すると皆が“またか”といった顔をした。

 うんうん、判るよ。俺もそう思うのだもの。だがなぁ、今回は前回までと違うのだ。

 さてどうする、三好神介よ。お前の一族はトンチキ親父によって敵の配下であるとされてしまったぞ。赤井五郎次郎よ、池田弥三郎よ。そなたらも同様だ。丹波国人も摂津国人もそのほとんどがトンチキ管領の与党だからな。

 俺と一緒に都落ちをするか、それとも一時帰宅するか。留守番役をさせるのは危険だから提案しなかった。都を占領する氏綱勢に目をつけられたら拙いしね。取り敢えず三人には一晩よく考えろと伝え、他の者には出立の準備を命じる。

 留守番役の吉兵衛のみを同仁斎へ招き入れ、これから約一年は戻って来られそうにないこと、留守中のことは相国寺や近衛家とよくよく相談することを告げた。序でに年末には将軍就任式がありそうだとも。

 畏まりまして、と鷹揚な態度であった吉兵衛だったも“将軍就任式”の五文字には目を丸くして束の間、息を止める。誠でしょうか、との問いに大きく頷き返せば、左様ですかと言いつつ深々と頭を下げた。

 おめでとうございまする、などとフライング祝辞を苦笑いで受け流した俺は、威儀を正して宜しく頼むと頭を垂れる。

 吉兵衛の役割は重要だ。九州に行ったきりで未だ戻らぬ黒田一党や堺に常駐している滝川彦右衛門、美濃国に滞在中の関東派遣組などとの音信の仲介役をしてもらわなければならないし、洛中の状況を余さず逐一伝えてもらわないと。諜報部門が充実していることの有難さよ。

 ああ、そうそう。

 就任式は近江国で挙行するが、帰宅したら年明け早々にも朝廷にて叙任式をせねばならないから、その準備も頼んでおく。御仕事を山積みにするけれどブラック就業が当たり前の封建社会だ、問題ないよね、頼んだよ!

 その後、廊下で控えていた三淵も招き入れて様々な打ち合わせをしている内に日は暮れる。寝て起きれば、もう旅立ちの朝だ。

 吉兵衛と源太左衛門ら真田一党の見送りを受け、俺は意気揚々……とは言い難い気分で洛中を後にする。義輝人生のハイライトといってもよいイベントのためだと判っちゃいるからこそ、責任感が微妙に湧いてくるし。あーあ、どうしてこうなっちまったのかなー。

 因みに近習たちは一人として欠けることなく、全員が都落ちに同道することと相成った。勿論、神介と五郎次郎と弥三郎も一緒だ。出立前に最終確認をしたら声を揃えて、どうかお連れ下さいませ、だとさ。

 本当に良いのかと再確認をしたら、実家に帰っても飯が不味いし面白くないし、だと。やはり人心掌握の肝は、パンとサーカスってことだったか。胃袋をガッチリと掴み、娯楽を用意し捲くって正解だったよ。

 さてさて責任重大でもあるけれど、近江国では彼らを確りと守ってやらないと。……だって大事な仲間だものな!


 どこかで風でも吹いたのか、足元からチャプンチャプンと水音が聞こえて来た。その間の抜けたリズムに合わせて飽きもせずにサビを繰り返しながら、思わずふと数ヶ月前のことを振り返る。

 時は未だ蝉の声が喧しい頃のことをね。


 後醍醐帝が倒幕の旗を振り翳したことに呼応した足利高氏らが六波羅探題を攻めてよりこの方、都は常に踏んだり蹴ったりであった。二百年以上に亘り至るところ死屍累々の有様だったが、幸いにしてこの二年ほどは何事もなく、洛中の有徳者たちの御蔭で返って以前よりも活況を呈している。

 全てこれ、復興事業の資金源たる寺院と土倉の御蔭なり。

 ガッチリと稼いだ銭を金庫に仕舞い込むことなく、未来を明るく豊かにするため積極的に投資してくれたからだ。嗚呼、素晴らしき哉、御大尽。

 提供してもらうばかりじゃ格好悪いので、俺は惟高妙安禅師のみならず吉田与兵衛と中島四郎左衛門の親たちに少しだけアドバイスをさせてもらった。出す金はないけれど、口出しならタダだからね♪

 提供したのは、“防災”って概念だ。

 案の定、それは何だと問われたので、大通りと公園と用水路のことだと答える。 解説してから気づいたのだけれど、大都市と大火災は密接不可分な関係だってのは中世人には思いつけぬ発想であるようだった。

 ……現代人でも常識となっていないのだから仕方ないか。

 近代以降に整備された大都市部が公園を持つ理由とは、誰もが共有出来る公共地だけじゃない。いざという時の避難場所であり類焼を防ぐためでもあるのだ。都市が持つべき“ゆとり”と言い換えてもいいだろう。

 衛生観念と共助の充実の大切さを既に理解してくれていた禅師ら知識層兼富裕層は、都市設計の重要性もあっさりと理解してくれた。正直、眞に安堵である。ここで躓いてしまっては、復興したとて再び灰燼に帰すこと請け合いだもの。

 過去の戦災から立ち直るたびに行われた住民らの自主努力を無にするのは申し訳ないとは思うが、縦横に走る大路を不法占拠していた町屋や店舗の多くが水害に遭い取り壊さねばならなくなっていたのは、勿怪の幸い。

 従来の町割りや境界線すら泥水で押し流された今だからこそ、少々強引にでもやってしまわないとね。レッツゴー、スクラップ・アンド・ビルドだぜ!

 街路を押し広げ、加茂川浚渫で取り除いた砂利を敷き詰める。再利用には使えぬ瓦礫は全て、洛中洛外の境界となる土塀の強化用材に転用だ。使えそうな物は勿論リサイクルする。正確には民間需要品として払い下げるのだけどね。

 賀茂川へと排出する下水道代わりの用水路もついでに拡充致しましょう。疫病の発生源とならぬよう、清掃要員の巡回も密にしないとね。頼んだぞ清目の者たち、任せたぞ庭掃の衆よ。

 そんな風に何だかんだとしている内に、大水害以降の洛中は、被災前とは比べ物にならぬほど見違えてしまった。まさに驚きの白さ的な?

 貧民はほぼ全員が何がしかの役割を与えられた労働者へとクラスチェンジし、給金を得た者は皆が消費者となっている。吐き気を催す臭気を放っていた貧相なあばら家群も、臭気が薄れちょっとマシなバラックにビルドアップだぜ。

 禁裏を中心としたアッパークラスの住まう上京は(いにしえ)の流麗さを取り戻しつつあるし、ブルーカラーたちが集まる下京は活気に満ち日が暮れても賑やかな地区となっていた。

 上京も下京も依然と同じくパズルみたいな区画割が施され、区画毎に設けられた釘貫や木戸や構えといった防御設備や監視台である篝屋なども万全を期している。そして都の守りの向上はハード面だけじゃない。

 侍所を中核とした京師鎮護の巡邏隊、という拡充されたソフトウェアが二十四時間体制で職務に精励してくれている所為でもあるのだ。

 因みに。

 モデルチェンジした巡邏隊を構成する者たちの大半は、放っておけば野盗や一揆勢に為りかねぬ足軽のような者たちであった。ファンタジー風にいえば、騎士団の下に傭兵やら冒険者やらを配置したって感じかな?

 日々是好日としたいがために案を出し、策を講じて、三百体言の徒となった俺だけど、無数の協力を得られた御蔭でどうにかこうにか絵に描いた餅を食わずに済みそうだなぁ。

などと思った矢先に教えられた不穏な兆し。禍福はあざなえる好事魔多しだよなぁ、畜生めが!

 桔梗屋がもたらした不穏な兆しとやらを判り難く例えるなら、史実の野郎が街角に潜みながら拳を握り締めているようなもの。うかうかしていたら、メガトンパンチを後頭部に食らうところだったぜ、危ねぇ危ねぇ。

 暢気に過ごしすぎている間に、トンチキ親父がトンチキ管領と仲違いする日までのカウントダウンがスタートしてしまったようだ。こんな事では折角のフェニックス計画もオジャンじゃん? 夢のグータラ生活がパーじゃないか!

 こいつぁいけねぇ、てぇへんだ。京洛が戦場となってしまうよ、どうするどうする、ど・う・す・る!? ……まぁ、どうするもこうするもないのだけどね。

 ならば早速、手を打とう!

 この時のため……でもないけれど築き上げた人脈をフル稼働だぜ、スイッチオン!

 召集に応じてくれた全員に御礼を述べたら早速にも、今年の年末までに起きることを(つぶさ)に説明すると致しましょう。さぁ御立合いだよ皆の衆、遠慮せずに座って茶飲み話を聞いてくれ。苦いお茶が渋くなるような内容だけど気にしちゃダメだぜ、ジェントルメン♪

 話の枕は、トンチキ親父の都落ちのこと。本題は、激化する一方のトンチキ管領とライバルによる合戦に次ぐ合戦。そしてオチにならないサゲは、細川氏綱って名のライバル勢による首都占領。実にお後が宜しくないようで、チャンチャン。

 何とも胡散臭い予言者じみたことをしているなぁとは思いつつも未来日記を語って聞かせれば、参加者の全員が然もありなんと頷いてくれる。まぁここ数年のことに思いを廻らせれば、容易に想像つくことではあるけどね。

 ああ、それと。

 毎度のように俺も拉致られて琵琶湖の方まで行くけれど、三ヶ月くらいでとっとと帰ってくるので、とも言上する。さて、これからが正真正銘の本題だ。俺の留守中のことを皆さん方にお願いせねばならない。

 将軍家トンズラ中に都を取り仕切るのは氏綱の一派。一応味方ではあるけれど決して信用してはいけない者たちだ。何せ細川一門ではトンチキ管領同様、濁り切った血を引いているのだもの。

晴元の野郎と氏綱の違いなど所詮、目糞鼻糞レベル。

 同じ細川の血を引いていても傍流となって累代の宿痾が薄まれば、三淵親子みたいな信用の塊みたいな者も生まれ出るのだけどなぁ。

 そのような訳で信用するに値せぬ輩に期待をするよりは、絶大なる信頼を寄せられる御方々に平身低頭しつつ全てを委ねよう!

 先ずは近衛稙家伯父さんへの、お・ね・が・い。

 出来れば朝廷に掛け合い、都を戦火と略奪から守るため“無防備都市宣言”のような何かを発布してもらえないだろうか、と聞いてみれば“京師無事”の御言葉を御上に発して貰うよう計らう、と請け負ってくれた。

 (みことのり)でも勅でも女房奉書でもなく、御言葉ってトコがミソだね。

 左近衛大将を兼ねる右大臣の二条晴良を長とし、右近衛大将を兼ねる大納言の一条兼冬を補佐として、絶賛形骸中の近衛府を実働させれば良い、と提言してくれる。

 さてさて実働すると簡単にいうけど、手足となって動く兵隊がいないでしょ……ああそうか、現在の京都の治安維持部隊である侍所に丸投げすれば良いのか。どうせ大半が都落ちに同行しないのだし。

 近衛家重代の被官である地侍の調子氏一党。(いにしえ)の都、長岡京のあった辺りを領する地侍たちも動員すると、鷹揚に請け負ってくれたよ、有難う!

 真田源太左衛門に目配せすれば“身命をとして我らも合力致しまする”と頭を垂れるものだから、俺は“左様に気負わずとも良い”と軽口を叩いてやる。

 敵は恐らく三千か四千の兵を率いて進駐するだろう。対するこちらはシャカリキに搔き集めても五百がいいとこだ。敵いっこないし、勝てるはずがない。そもそも戦いともなれば洛中が無事であるはずがない。

 何よりそれだと本末転倒じゃ、あーりませんか。

 ならば争わずに済ませるが大々吉だろう。用意するなら兵の数より御旗だろうな、といったら稙家伯父さんが同意してくれた。菊の御紋が目に眩しい錦の御旗を盛大に掲げて、トコトンヤラナイを宣言しさえすればバッチグー……のはず。

 禅師には土倉の者たちと談合し、洛中の安寧を下支えしている銭を上手くコントロールして下さいますようにと依頼する。敵による占領下ともなれば洛中洛外の流通が絶対に滞るはず。滞り方が拙ければ、日本一の大都市は即座に末端から壊死していくだろう。

 末端とは即ち、元貧民たちだ。困窮した彼らは忽ち一揆予備軍となるだろう。然すればこれまでの努力が水の泡、大水害発生以前に戻ってしまうじゃないか!

 すると桔梗屋が、塩合物(=塩魚・塩干物)座を牛耳る今村政次なる者を引き込みましょう、と提案する。ああ、そうだな。海から遠く離れた洛中の生活必需品は、何といっても塩だものな。塩がなくなれば、武田信玄でさえ白旗を揚げるのだし。

 それだけではございませぬ、と桔梗屋が追加情報を開陳する。何でも今村とは、洛中と山科を結ぶ渋谷(しぶたに)街道一帯を領している山城国人の今村紀伊守の実弟なのだそうな。

 へぇ、そいつは知らなかった!

 今村紀伊守ならばメル友だぜ。

 善阿弥ら山水河原者を山科近辺に引越しさせる際に挨拶状を送ったことがファーストコンタクトさ。三好長慶がトンチキ管領から独立した暁にはその部下となる者だから、早めに繋ぎを持っておこうって下心もあったのでね。

 以来、季節の節目毎に手紙の遣り取りをしている仲なのだ。直接対面する機会がないのでどんな(つら)をしているのかは知らないけれど、文面を見る限り能筆で几帳面そうっぽい。

 であるならば、今村兄弟は絶対に巻き込もう。そして進駐して来る氏綱勢との交渉役を任せてしまおう。土地柄、居残り組の筆頭たる政所執事の伊勢とも顔見知りのはずだし、占領政策を受け入れる際には最良の行政代表ペアとなってくれるだろう。

 うむうむ、ヨッシャヨッシャ。

 では次に考えなければならないのは御邪魔虫の排除だが……これは真田の得意分野だよな。トンチキ管領の部下である茨木の野郎を追い出さないと、俺の留守中に何をしでかすやら判ったものじゃない!

 どうにかしろ、と宜しくない笑顔で命令すれば、どうにか致しましょう、と真っ黒けの笑みを返す源太左衛門。謀略の専門家は本当に頼りになるなぁ♪

 残す課題はトンチキ管領の主戦力、三好長慶に手前勝手な御願いをするだけか。

出来るだけ洛中洛外、出来るだけ都から遠く遠く離れた場所で戦って下さいませませ、ってね。例えば宇治の辺りとか。

 槙島城の者たちにとっても次期城主の眞木嶋六郎にとっても傍迷惑だろうけれど、都からの位置関係だと宇治がギリギリのラインだからなぁ。

 可能ならば淀川の対岸側、ちょいと向こうの大山崎近辺ならば尚結構。本心を述べれば山城国に立ち入らず、北摂ぐらいを戦場にしてくれれば万々歳なのだが。

 よし、これは和田新五郎改め池田五郎左衛門君の交渉スキルに期待をしよう。

 長慶との直通連絡(ホットライン)はないけれど、武の重鎮である三好長縁と文の最高責任者である松永久秀との間には信頼関係が構築出来ている。二人をパイプ役にして一方的に貸し付けた恩を押し込めば、何とかならないかな?。

 貸し付けた恩とは勿論、処刑寸前から救出した五郎左衛門君のことだ。貸し付けた恩自らが交渉するのだ、真っ向から拒絶はしないだろう。

 史実では確か、洛中洛外は戦場とはならなかったはず。

 然れどいつまでも史実が史実として大人しくしていてくれるとは限らないし。保険がかけられるなら盛大にかけてやろうじゃないか。どれだけ頑丈に作った石橋でも、破城槌で叩いて渡れば、途中で崩落するかもしれないじゃないか。

 なぁ五郎左衛門君よ、御主の主君にとくと聞かせてやってくれ。日ノ本最大の消費地を戦場と化す愚をな。喧嘩をするなら他所でやれ、ここではやるな絶対に、とな。頼んだぞ、任せたぞ。責任重大だぞ。

 俺だけじゃなく、近衛家の当主と臨済宗のトップにも鋭い眼差しで見つめられた五郎左衛門君は額から滝のような汗を迸らせ、畏まりましてと這いつくばった。

 いやいや、そんなにビビるなよ。これじゃあ俺たちが権威に傘来て強談判をしているみたいじゃないか。念入りにお願いをしているだけだよ、念入りにね。


 バタバタと扇子を忙しなくして暑さを凌ぎ、てんてこ舞いと大童(おおわらわ)の狭間で過ごした、今年の夏。何度か知恵熱で倒れたりもしたけれど、出来る範囲の準備は全て整え終えた、今年の夏。

 そんな暑過ぎない今年の夏が過ぎる頃、都の周囲が俄かにヒートアップし出した。氏綱を親分とする軍勢が攻勢を強めたからである。河内国の畠山氏の家宰である遊佐長教の軍勢が摂津国へ侵攻しやがったのだ。

 狙われたのはトンチキ管領グループが有する拠点。しかも複数個所が同時にである。尚その内の一つが茨木城だ。居城の危機を何故だかいち早く察知出来た茨木の野郎は、そそくさと手勢を纏めて都を飛び出して摂津国へひた走るや、滑り込みでセーフとなったらしい。

 どこの誰だか知らないが、親切な人が御注進してくれて良かったねぇ。洛中の屋敷は蛻の空になったけれど、居城を失わずに済んで本当に良かったねぇ。城主が帰着したことで士気も上がった茨木城を手強しと思ったのか、敵の進路は他所へとずれたようで誠に何よりだねぇ。

 無事に勝る幸いなし。誰が何といおうとホームは大事にせねば。

 御蔭様で将軍家御一行は、誰にも邪魔されずに準備万端怠りなく都を出られましたとさ。めでたしめでたし。

 取り立てて慌てることなく威風堂々と進む一行は、渋谷街道を通って山科へ。そこで今村紀伊守の居城にて束の間の歓待を受ける。初めて邂逅した件の人物が纏う雰囲気は実直そのものって感じで、実に地味な印象であった。

 但し、俺へと投げかけられた眼光の鋭さたるや中々のもの。無言で受け止め会釈したのに対し、深々と平伏してくれたのは正直いって安堵の二文字。どうやら弟のほうからもキチンと連絡がいっているようだな。桔梗屋、グッジョブ!

 留守中のことはたのんだぞ、という意味を込めて目礼をすれば今村は口角を少し上げて頭を垂れる。以心伝心は完璧だ……と思うけど、どうだろう?

 まぁいいか。今更何が出来るでもなし。

 さて今村城を出たら直ぐに進路は北へ行こうぜランララン、二回ほど小休憩を挟み、昼過ぎにはもう坂本の地だ。遠目でも賑わっているのが判るくらいに建物が乱立している琵琶湖畔の商業都市、それが坂本だ。

 栄えている理由は比叡山の門前町であるからで、寄進やら収奪物やらがここを通じて山の上へと運び込まれ、山の上からはたっぷりと銭を持った坊主崩れと坊主モドキが降りて来て散財する、そりゃあ栄えるよな。だらしない格好をした遊び女も多数抱えた、まさに悪徳の都。

 正の上澄みと邪の澱を雑にブレンドした極東のプチ・バビロン、それが坂本なのだ。

 一応は天下往来の場でもあるので、近隣の国人領主や土豪ら武士たちも気兼ねなく出入りしていたりする。ゆえにもっと大きな武家も憚ることなく足を運んでいた。

 坂本の門前に翻る数流の旗印は、“隅立て四つ目”。出迎えてくれたのは六角氏の嫡男だった。十数名の配下と共に左京大夫義賢に対し、想定外の人物を含め百名近い同行者を伴ったトンチキ親父が “出迎え大儀”などと鷹揚な態度で接していやがる。

 何度見ても出来損ないのコントみたいだよなぁ。俺も将軍となった暁には、このシチュエーションをせねばならないのか……。全く以ってテンションはダダ下がり。もともと高くもなかったけどね。

 義賢の手配りで用意された宿所は当地の古刹、西教寺。何と巨大な寺院だろうか。興福寺には及ぶべくもないが、境内地と伽藍の大きさは“花の御所”よりも立派だよ、マジで。これなら百人乗っても大丈夫、だな。いや、乗らないけど。

 西教寺は天台宗に属しているものの、比叡山延暦寺を頂点とする天台宗与党派とは少し距離があるらしい。かといって延暦寺と喧嘩ばかりの天台宗最大野党の園城寺と近しい訳でもない。ポジション的には中道系野党らしい。

 近衛家との縁戚関係で園城寺に近いものの、延暦寺と敵対する訳にもいかぬ将軍家にとっては実に理想的な宿所である。西教寺としては迷惑だろうけど。まぁ迷惑料を弾むから勘弁してくれ。払うのは六角氏だけどな!

 酒だけは豊富で食材に乏しい宴席を早々に切り上げ、色々と愚痴りながら不貞寝したのが悪かったのかダウナー気分は一晩では解消してくれなかったよ、トホホのホ。なれば仕方がない、気分転換に物見遊山でもするとしよう。

 いつものメンバーに若干のプラスアルファをした同行者たちを引き連れ向かったのは、前世では一度も訪れたことのなかった場所だった。手入れの行き届いていない古ぼけた桟橋の先、湖面に浮かぶ小さな御堂。

 与一郎たちを遠ざけて、独り佇む浮御堂(うきみどう)

 朝日を浴びて煌めく水面。微かに波立たせる風はそよそよと。片手を翳して彼方を見やれば帆を畳んだ荷船が数艘、穏やかな水面に棹差しつつ行き来していた。目を閉じて耳を傾ければチャプチャプと、微かなさざめきが聞こえてくる。

 前世では数えるほどしか訪れたことがない琵琶湖。久々に見たが改めて思う。デカイよな、ってさ。左右に大きく首を巡らせても捉えきれぬ雄大な景色には、日本史誕生以前からの悠久の歴史が静かに溶け込んでいる。

 昔から人間も自然の一部だというけれど、琵琶湖のような圧倒的な存在を前にすると象と蟻以上の差を感じる。本当に人間なんてちっぽけなものだ。

 そんなちっぽけな人間であろうと、権力者となればその行いがもたらす結果は決してちっぽけなものとはならない。後世から評論すればコップの中の嵐みたいな諍いも、体感だと観測史上最大の暴風雨となる。

 権力者が一人ならば暴風雨は一つで済むが、今の畿内には足利氏と細川氏と権力者が二人もいる。更に間もなくもう一つの細川氏が権力構造に加わる。状況は拮抗から鼎立へと順調に悪化の一途だ。そんな順調、捨ててしまえ!

 憂鬱気分で欄干に凭れるこの身も足利氏に連なるのだから、偉そうなことはいえないのだが。深まり行く秋の絶景に身を委ねながら、ふと思う。いい加減にしてくれよ、ってさ。


 そもそも、トンチキ管領とその終生のライバルとやらの争いが始まったのは八年前。しかし畿内全域を舞台とした内紛は約四十年前から続いている。常態化しているといってもいい。応仁の大乱よりも長いって、どういうことだ?

 切っ掛けは永正年間に起こった細川政元暗殺事件である。

 政元は応仁の乱で東軍のリーダーとなった勝元の息子で、細川氏本家の京兆家の当主となるや辣腕を振るい捲くった権力者だ。

 どれほどの権力者だったかといえば、意見の合わぬ十代将軍義材を放逐し、義澄を還俗させて十一代将軍に就任させたくらいの実力者だった。会社に例えるなら、専務取締役がクーデターを起こして社長の首を挿げ替えたようなものだろうか?

 絶大な権力を握り、天下を思いのままにしていた政元。しかし思い通りにならぬことが一つだけあった。跡継ぎ、である。血を分けた息子を得られなかったのだ。

 しかししかし悲しいことに、どれだけ隆盛を極めようとも後継がいなければ、儚い一発屋である。悩んだ政元は養子を迎えることにした。

 先ず迎えたのは五摂家の一つ、九条家出身の聡明丸。聡明丸って名乗りは京兆家の嫡流の独自の幼名である。

 次に迎えたのは一門の細川阿波守護家から、六郎。六郎という名乗りもまた、嫡流が名乗るべきものだったりした。

 無理をして九条家から迎えたのに何が気に入らなかったのか、聡明丸は廃嫡となり改めて後継者に選ばれたのは六郎である。喫緊の悪しき前例である八代義政の後継者選定を反面教師にしなかった、政元最大の失策だ。馬鹿だねぇ全く。

 こうして家中が、聡明丸こと元服名・澄之を支持する派閥と、六郎こと元服名・澄元を支持する派閥に分かれてしまった。優勢なのは勿論、澄元派。支持母体は阿波の武将たち、中心人物は長慶の曽祖父である之長。

 廃嫡され劣勢に立たされた澄之を支持するのは、讃岐出身の香西元長と摂津守護代の薬師寺長忠たち。二人共、之長のライバルだ。共存出来るはずがない。共存出来ないならば殺すしかない、ってのが中世の競争原理である。

 下手の考え休むに似たりとかいうけれど、それは棚上げして考える。

 中世と近世の分水嶺となる要素は無数にあるが、その内の一つとして考えられるのが“一は全、全は一”の捉え方ではなかろうか、などと。

 某錬金術師作品で巷間有名になった言葉“一は全、全は一”。戦国チックにしたら多分“大一大万大吉”。更に意訳すれば“全”とは“天下”もしくは“共同体”となるだろうか。

 残念ながら中世の思考では天下も共同体の枠組みも、実に小さかった。そりゃまぁ農業が発展途上で食うや食わずが当たり前なのだから仕方がない。分け合おうにもパイの大きさが一口サイズなのだから、これはもうどうしようもない。

 天下泰平とは何ぞや、と問われたら、食糧事情の安定化と生活の向上だと即答してやろう。衣食足りて礼節を知る、ってのは人類社会の絶対真理なのだもの。

 生産よりも略奪が容易な手段であると武士の誰もが認識していた中世において、“全ては一人のために”であっても“一人は全てのために”ではない。

 決して、だ。

 武士の考える全てとは自分の属する“御家”が精々なのだ。だからこそ家名を守り残すために、易々と腹を切るのである。

 室町時代後期の現在において、唯一の管領である細川氏は実に大きな組織だ。しかし澄之と澄元で分け合うには余りにも小さい、そのように澄之派の者たちは考えた。このまま手を(こまね)いていては全てを失ってしまう、と。

 左様な訳での実力行使。それが政元暗殺である。政元が澄元に全てを渡してしまう前にやっちまいな!……だ。

 ところがこれが誤算となる。第三の男が現れたからだ。ハリー・ライムかよ!

 突然に表舞台へとしゃしゃり出て来た男の名は、細川野州家に生まれた高国という。

 明応年間に政元が起こしたクーデターで擁立された十一代将軍の名は、義高。高国の高は、義高の高である。後に義高は義澄と改名。澄之と澄元の澄は義澄の澄だったりする。澄の字よりも五歳年長の高の字は、ちゃっかりとお兄ちゃんポジションにおさまったのだ。

 忽然と登場したダークホースに澄之派は当に大・迷・惑。政元を殺し澄元を都から追い出せたと思ったのに、いつしか細川氏一門と家臣たちが高国の許に纏まり出したのだから、当然だよね。

 高国の勢力拡大に負けじと近江国へトンズラしていた澄元が逆襲を企て、澄之派を討ち果たす。哀れ澄之の人生は十九年でジ・エンド。親殺しのライバルを成敗した澄元は晴れて京兆家の当主となりハッピーエンド……とはならなかった。

 世情は更にややこしくなるからで。

 永正の政変で畿内から追い出された足利義材が義尹(よしただ)と改名して、西国の雄である大内義興をバックにして中央政界にカムバックして来たのだ。まさかまさかのストライクス・バック!

 しかも高国が義尹と(よしみ)を通じてしまったのだからどうしようもない。細川氏の跡目争いは気づけば将軍家の継承戦争に転化してしまったのである。

 それから凡そ四十年。その間に、義澄が亡命先の近江国で死に、澄元が逃走先の播磨国で死に、義尹が義稙に改名後に逃亡先の阿波国で死に、帰国した義興が尼子氏との争いの最中に死に、高国が大物崩れで敗死。当事者だった者たちは全て、そして誰もいなくなった。

 だのに未だ争いは終わっていない。

 義澄の後をトンチキ親父が、澄元の後をトンチキ管領が、高国の後を氏綱が、義稙の猶子となった義維(よしつな)が、それぞれ先代の意志を継承したかのように争い合っているからだ。

 義興の後を継いだ義隆が西国から上京しないのでキャストが一人減っているけれど、ちゃんと新たな登場人物が引っ掻き回し役となっている。

 没落し消え去ったと思われていた細川遠州家……の分家である玄蕃頭家の当主の国慶。よほど詳しい解説本にしか名前が出て来ないような男が氏綱の仲間となって畿内で暴れ回っているのだ、偉そうに。

 おまけに元管領の畠山氏一党も氏綱陣営の一員となっている。……何というか室町時代の澱みが氾濫したみたいだよな。ヘドロよりもドロドロとした欲望をエネルギーとした戦いは続くよどこまでも。全く以って難儀なことだ。

 ああ早く、天下泰平という一つの目的に向かって“one for all all for one”とならないかなぁ。将軍就任して洛中に戻ったら、星条旗柄のシルクハットでも被った俺の肖像画を狩野派にでも描かせて辻辻に貼り出してやろうか? “I WANT 天下人!!”ってさ。

 あーあ、リフレインばかりの鼻歌さえしょんぼりしてるぜ、畜生めが。


「何事かお悩みでございまするや?」

 いつの間に現れたのか、俺の横に継接(つぎは)ぎだらけのボロっちい衣装を(みやび)に着こなした御方が立っていた。何故か将軍家の都落ちに同行してきた山科言継卿だ。疑問に思い道中で理由を尋ねたら、面白そうだからと仰られた御仁である。

「……益体もないことではあるのですが」

「宜しければ此方(こなた)に聞かせて戴けませぬか?」

 ふむ、それでは御言葉に甘えるとしよう。

「内蔵頭様、如何にすれば天下は泰平となりこの世は楽土となると思われますか?」

「さてそれは、何とも難しき問いにございまするな」

「国の境をなくし、誰もが我欲をなくせば世界は平和で幸せになるだろう、左様に考えるのは戯け者の空言でありましょうか?」

「如何にも、空言でございまするな。そもそも人は我欲で生きるものにて候。我欲なき者は何事も成せず惨めに死ぬるのみにて」

「なるほど。我欲で生きる人が全て死に絶えれば、確かにこの世は泰平となりますね」

「人のおらぬ世が泰平かどうかは……此方(こなた)には判りかねまする」

 やっぱそーだよなー。

 ありえないことを想像するだけ時間の無駄だよな。夢想家の想像など、戦国時代を化け物並みにしぶとく生きる貴族にかかっては一刀両断、見事にバッサリだな。()んぬる哉、()んぬる哉。

 湖面をそよぐ風が俺の頬を撫でて過ぎて行く。世は全てこともなし、と告げるかのように。

「そういえば世子様、先ほど何事か口ずさまれておいででしたが、新しき今様でありましたか?」

 あ、しまった。聞かれていたのか。

「うむ、まぁ、その、左様なものだ」

「“暇人”がどうとかと」

「いや“ひま”ではなくて“いま”でな」

「ほう、“ゆいま”でございますか。ならば『維摩経』を下地とした今様であるのですな。それは趣向が気になりますな!」

 ぐいぐいと白粉臭い顔を近づける山科卿。止めて、寄らないで、近衛家でキャッキャウフフしているであろう姫君様方や美しくも恐ろ……頼もしいサー・マザー様方の白粉の匂いならともかく、加齢臭交じりのオッサンの臭いは勘弁してくれッ。

 暫く暫くといいながらスルリと身を交わし、湖岸で待機していた近習たちの輪に飛び込んだ俺は、全員撤収と叫んで走り出した。後ろからは、何卒何卒と悲痛な嘆願が聞こえるけれど気にするな!

 何とか西教寺にて与えられた個室へ逃げ込めたけれど、それで諦めてくれるような御方ではなかったよ、山科卿は。流石は内蔵頭。御家お取り潰し後も雌伏二年で殿様の敵討ちを果たした、粘着質な大石内蔵助よりも階級が一つ上なだけはある。

 無駄にねちっこいよなぁ。

 お昼を過ぎても襖一枚隔てた廊下から、延々と悲痛な声で哀訴され続けた。このままでは月が夜空を照らす頃になっても“何卒何卒”と訴え続けるに違いない。どれだけ娯楽に飢えているのだ、妖怪貴族は!

 二日連続でグッタリ気分の朝を迎えるのは絶対に嫌だ。どうする……ってどうにかするしかないよなぁ。またもや灰色の脳細胞を無駄にフル回転させて、でっち上げたよ今様を。


“維摩に王座を灯す遺法を尋ぬれば、利便なり、泥を(よな)げる求法なりと”


 考えたらずの漢文だから、出来の悪いのは許して欲しい。などと思いつつサラサラと書き殴った短冊を渡したら、山科卿は本当に飛び上がって喜んでくれた。伝家の法灯なりとか何とか叫びながら。大丈夫か、オッサン?

 大丈夫じゃなかった。

 余程嬉しかったのか、誰彼構わず短冊を見せびらかしては朗々と歌い上げている。今夜の宴席は、多くの呆れ返った武士たちを聴衆にした山科卿の独演会と成り果てた。

 悦に浸る演者を無視して、トンチキ親父も三淵も、与一郎たち近習すらもが俺を冷たい目で、無言で見やがる。煩いな、文句があるなら座敷のど真ん中でヒラヒラと舞い踊る可笑しな貴族にいいやがれ。五郎次郎と神介は、しょぼい副菜で何度も御飯をオカワリするのは止めておけ!

 どうする心算だ、とは聞くな。どうにかしろ、とも命令するな。俺はノット・ギルティだ。ただただ今を暢気に生きていたいだけなんだ、平穏無事にな!


「“維摩尋王座灯遺法、利便求法淘泥”とは、実に含蓄のある教えにございまするなぁ」

「全く以って」


 無駄に感心してるんじゃねぇよ、常興と義賢!

 これくらいの遊びは大丈夫かな、と不安一杯での投稿でありまする。

 どうか警告されませんように、と星に願いを。

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