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第25話 シンデレラ・コトハッ!

 放課後、龍太郎は帰ろうとして立ち上がると同時に、隣の席を見つめた。

 女生徒たちの話で、コトハは体調不良から保健室にいると聞いたが、机にはコトハの鞄が掛けられ、未だ帰ってくる気配がない。

「楠君。一緒に帰ろう」

 そう言ったのは、数人の女子たちだ。

「あ、ごめん。ちょっと用があるから……」

 女子たちに掴まっては逃げられない。龍太郎は、急いで教室を出て行った。

「大丈夫かな、トコのやつ……鞄持ってきてやりたかったけど、ああも女子たちに囲まれちゃ無理だよな……」

 そう言って、龍太郎は保健室のドアを開ける。

「どうしたの?」

 保険医の先生が、龍太郎にそう言った。

「いえ。ここで休んでる子の様子見に来たんですけど」

「え? 今は誰もいないけど……」

「そうなんですか? 一年の小桜って子が来ませんでした?」

「ううん。来てないわよ」

 龍太郎は首を傾げてベッドを覗く。だが、本当に誰もいないようだ。

「じゃあ、なんか勘違いしてたみたいです。すみませんでした」

 そう言って、龍太郎は保健室を出て行った。

「入れ違いかな……」

 そう呟きながらも、今日は用事があったため、コトハのことは気になりつつ、そのまま帰ることにした。


 コトハは、体育館の隣にあるトイレで一人、掃除をしていた。体は全身ずぶ濡れで、目からは涙が溢れ出す。

 朝、コトハは女子たちに、この場所へ連れて来られた。叩かれるような暴力はなかったが、代わりに大量の水を浴びせられ、トイレ掃除の名目で、放課後までここから出るなと約束させられたのだ。

 このトイレはほとんど使われておらず、コトハの存在に気付く者はいなかった。

「コートハちゃん」

 放課後。そんな声に、コトハはビクッと立ち上がった。

「ちゃんといたんだ。エライ、エライ」

 もう反論する気も起らず、コトハは俯く。

「今日一日、反省した? これからは、司佐様や楠君に近付かないこと。じゃなきゃ、本気出して二度と学校に来られないようにしてやるから」

 女生徒の言葉に、コトハは静かに口を開く。

「どうしてこんなことを……? 何かあるなら、口で言えばわかることなのに……」

 コトハはそう言った。だが女生徒の一人が顔色を変え、コトハの髪を掴む。

「口で言ってもわかんないからやってんでしょ。頭悪いんじゃないの?」

「で、でも、司佐様とは話もしていません」

「楠君は? 有森兄弟とも仲がいいし。本当、何様のつもりよ」

 その時、やっと乾いた体に、またも水が浴びせられた。何度も何度も、バケツやホースの水が襲いかかる。

「あーあ。また水浸し。もう一度ちゃんと掃除しておきなさいよ。それから、もう二度と司佐様たちに近付かないこと。あんたが司佐様と話してないって言ったって、桃子ちゃんはあんたの存在すら不快に思ってるんだから。うちらもそう。イケメンみんな取られて、いい気してるのあんただけでしょ」

 女生徒たちはそう言って、その場を出て行った。

 コトハはしばらくその場にいた。ただ、なぜこんな仕打ちを受けるのかわからず、放心状態でいたことも確かである。


「コトハはまだ帰らないんですか?」

 夜、昭人が辻にそう尋ねる。

 昭人たちが帰ってから一時間も経つが、未だコトハは帰っていないようだ。

「どうした? 昭人」

 そこに、二階から降りてきた司佐が尋ねた。

 昭人は言いにくそうに、溜息をつく。

「いや。なんでも……」

「コトハがどうだと聞こえたけど?」

 言い逃れ出来ない状況に、昭人は頷く。

「また帰りが遅いみたいなんだ」

「……放っておけよ。また初恋の君とでもいちゃついてるんだろうよ」

 司佐はすっかりそう信じ込んで、そう言い放つ。

 その時、玄関のドアが開き、コトハが入ってきた。

 さすがにずぶ濡れでは帰れず、服が乾くまで外にいたのだが、髪の毛は濡れたまま乾き、とても良家に仕えるメイドとは思えない。

「コトハ! そんな格好で……裏口から入りなさい」

 すかさず辻がそう言ったので、コトハはすぐにお辞儀をすると、玄関の扉に手をかける。

「待て」

 そんなコトハを、司佐が止めた。

 司佐に仕えることを禁じられ、ここ数日は口さえ聞いていない司佐に、コトハは肩をすぼめる。

「……今日は水泳でもしてきたのか?」

 皮肉に笑った司佐に、コトハは悲しく微笑む。学校にまで通わせてくれている主人に、いじめに遭っているなどと言えるはずがない。

「はい……」

 コトハはそう頷いた。

 それを聞いて、司佐は歯を食いしばる。今やすれ違っているコトハの心情はわからない。コトハが初恋を引きずっていると思っている司佐には、今日も龍太郎とプールにでも行ったのかと考えるだけで、嫉妬に押し潰されそうになる。

「おまえみたいなメイドはいらない……早急に、この家から出て行ってくれ」

 声を押し殺すように言った司佐に、コトハは目を見開いた。

「お、お許しください! 私は、司佐様にお仕えするのが夢だったんです。もう遅くなったりしませんから!」

「数日前、昭人にそう言ったのは誰だ? 二度目はないはずだ」

「それは……」

 コトハはもう、何も言い返せなかった。

「距離を置こうと言われて、冷静になってみてよくわかった。べつに俺は、おまえがいなくても生きていける」

「司佐様……」

「出て行け」

 最終宣告のような言葉を受けると、コトハは頷き、玄関の扉を開く。

「おっと」

 その時、扉の向こうにいた男性が、そう言った。

「も、申し訳ありません!」

 客人だと思い、コトハは亥の一番に頭を下げる。

「コトハ……? もしかして、コトハなのか!」

 客人は、コトハの顔を覗き込んでそう言った。

 コトハは顔を上げ、客人の顔を見つめる。だが記憶にはない顔である。

「え……?」

「ああ、君にとっては初めましてだね。僕の名前は、沢木悟さわきさとる。君の実の父親だよ」

 コトハは驚いて、これ以上ないというくら目を見開いた。

 目の前にいる男性が、自分の父親だというのか。思えば父親の写真は一枚もなく、同じ使用人であったが事故で亡くなったと聞いただけで、それ以上の情報は何一つない。

 驚いたのは、コトハだけではない。司佐と昭人もまた、互いの顔を見合わせた。だがその男性は、確かに以前見た写真の男によく似ている。

「……このようなところで立ち話もなんです。どうぞお入りください。辻、客間の用意を。昭人は父さんを呼んできてくれ」

「はい」

 司佐の命令に、辻と昭人が瞬時に動く。

 それを見て、沢木と名乗った男性は優しく微笑んだ。

「君は司佐君だね。立派になられた」

「ありがとうございます。とにかく中へ……コトハも一緒に」

「は、はい……」

 コトハは何が何だかわからず、沢木とともに客間へと案内された。


「沢木?!」

 司佐の父親の驚きぶりも、半端ではなかった。なにしろ死んだと思っていた友人が生きていたのだから、無理もない。だが同時に飛び上るほど喜んでいるので、仲の良い友人だったことがうかがえる。

「いや……生き延びちまったよ。まるで浦島太郎だ」

 少し照れながら苦笑し、沢木はそう答える。

「いったい何がどうしたっていうんだ? 奇跡なのか、それとも我々を欺いてたというのか」

「さて、何から話せばいいのかわからないけど……」

 そう言って、沢木はコトハを見つめる。

「この子の笑顔が、僕をここまで連れて来てくれたんだ。僕は死んだと思われていた分だけ、失ったものも多いが、徐々に落ち着きつつあるのも事実だ。僕は、コトハを引き取りたいと思っている」

 その言葉に、コトハと司佐は驚いた。

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