第3話「スープと沈黙と仮面の素顔」
夕暮れの空は、淡い橙色に染まっていた。
セレナは小屋の中で、薬草と野菜を煮込んだスープを静かにかき混ぜていた。
ルゥは焚き火のそばで丸くなり、時折鼻をくすぐる香りにくしゃみをしていた。
「今日は、少しだけ贅沢なスープよ」
セレナは微笑みながら、器を三つ並べた。
女はまだ名乗っていなかった。
記憶が曖昧だと言いながらも、目の動きや姿勢には“訓練された者”の気配があった。
それでもセレナは、問い詰めることはしなかった。
「食べられそう?」
女は静かに頷き、器を手に取った。
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第一章:沈黙の食卓
三人の食卓は、静かだった。
スープの湯気が立ち上り、薬草の香りが空気を満たしていた。
女は慎重にスープを口に運び、少しだけ目を細めた。
「……温かい」
それは、彼女が初めて口にした感情のこもった言葉だった。
セレナは、何も言わずに微笑んだ。
ルゥは彼女の様子をじっと見つめていた。
その瞳には、警戒と興味が混ざっていた。
「この村では、誰もあなたを追い詰めたりしない。
だから、ゆっくりしていいのよ」
セレナの言葉に、女は少しだけ目を伏せた。
「……そんな場所、あると思ってなかった」
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第二章:仮面の素顔
夜。
セレナは小屋の片隅で、女の荷物を整理していた。
濡れた布を乾かそうとしたとき、包みの中から小さな金属の筒が転がり出た。
それは―ー毒針だった。
セレナはそれを手に取り、 じっと見つめた。
王都の舞踏会で起きた暗殺騒ぎで見たことがある。
暗殺者が使う、静かで確実な武器。
「……やっぱり、訳ありな人なのね」
彼女はそれを元の場所に戻した。
何事もなかったように。
その夜、セレナはいつも通りスープを作り、女に器を差し出した。
女は驚いたようにセレナを見つめた。
「……見たのね」
「ええ。でも、あなたがそれを使う人かどうかは、私には分からない。
ただ、今ここにいるあなたは、傷ついていて、助けを求めていた。
それだけで、十分よ」
女は器を見つめ、そして静かにスープを飲んだ。
その瞳には、揺らぎがあった。
仮面の奥にある、素顔が少しだけ見え始めていた。
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第三章:夜の静けさ
焚き火の前で、三人は並んで座っていた。
ルゥは女の隣に座り、鼻先をそっと彼女の手に寄せた。
女は驚きながらも、その手を動かさなかった。
「……この子、私のこと、嫌ってないの?」
「ルゥは、嘘を見抜くけど、心を見捨てたりはしないの」
セレナはそう言って、空を見上げた。
星が瞬き、風が静かに吹いていた。
「ここでは、誰も仮面をかぶらなくていい。
あなたが誰でも、今のあなたを信じたい」
女は、何も言わなかった。
けれど、その沈黙は――拒絶ではなかった。
風が吹いた。
それは、仮面の奥にある素顔をそっと撫でる風だった。




