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魔法銀の悪魔の救済  作者: 緑名紺
第一章 幸せな幼少期
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5 二人の選択


 

 ミシュラが過去の世界に舞い戻ってから、一か月の時が流れた。


 悪い予感は的中し、毎朝目覚めとともに激しい頭痛と動悸に苛まれた。

 いつも同じ方角に意識を向けると痛みは治まる。祈りの宝樹を訪れなければならないという強迫観念は日に日に強くなり、眠ることに恐怖を覚えるほど痛みは増していった。

 ……もう我慢できない。

 ミシュラは大好きな両親を欺いてでも、宝樹に向かうことを決意した。


 家出をするわけにはいかない。捜索に出た人間が怪我でもしたら申し訳がないし、両親に疎まれることはミシュラも望んでいなかった。


 よって、レムナンドと二人で遠出をする許可をもらう。それしかない。

 隠遁中の耳長族に同行するともなれば、普通の旅よりも厳しくなるのは目に見えている。根回しは大変だった。


 まず、ミシュラは魔物狩りをした。

 奇色化――暴走状態になっておらず、比較的おとなしい魔物ならば、森の奥にも生息している。それらを倒すことで己の戦闘能力を示したのだ。


「ずっと魔法の練習をしてたの。私、強くなったよ」


 父は少し悲しそうだったが、素直に誉めてくれた。母は勝手に危ないことをするなと怒ったが、娘が魔法士の才能を持っていると知って満更でもなさそうだった。


 それから、社会勉強を兼ねて遠出をしたいことを告げた。

 レムナンドがとある素材を求めて出かけることになり、同行をお願いしたという経緯を説明する。安全性が高いこと、さらに“心”を鍛えられるというアピールも忘れない。

 父は可愛いおねだりを数日続けたら陥落できたが、母には通用しなかった。レムナンドに迷惑をかけるのが目に見えているからだろう。

 しつこく食い下がったら平手打ちをされ、ミシュラは演技ではない涙を流す羽目になった。


 屋敷に気まずい空気が流れること数日、父が母を諭し、最終的にはレムナンドに説得してもらった。

 どのようなやり取りがあったのかはミシュラには分からない。レムナンドは母が子どもの頃から付き合いがあるので、何か弱味でも握っているのか、あるいは。


「ママの初恋の相手ってレムナンドだったりする?」

「さぁ? もしそうなら、光栄だけどね」


 油断のならない吸血鬼である。父の心の安寧のためにも、彼をあまり母に近づけないことをミシュラは密かに誓った。


 一悶着を乗り越え、ミシュラとレムモンドは二人きりで旅立った。

 両親には祈りの宝樹に向かうことは伝えていない。最悪の場合、戦闘になることも考えて、後から心配させないために、王国内の別の町に向かうと嘘を吐いていた。

 誰にも目撃されないよう、身元を特定されないよう、二人は慎重に行動をした。


 途中の町から良い飛獣を借りられたおかげで、大幅に旅程を短縮することができた。深い森を歩かずに済んだのは幸いだった。

 夜の闇に紛れて、遠くにぼんやりと浮かぶ光を頼りに進む。

 そしてようやく辿り着いた祈りの宝樹を前に、ミシュラは感嘆の声を上げた。


「綺麗……!」


 淡く輝く巨大な樹。幹はレムナンドが暮らす小屋よりも太く、根元から仰ぎ見れば夜空を覆い尽くすほどに枝葉が広がっている。

 人々が祈りを捧げに来る場所、と聞いてはいたが、夜のためか他に人影はなかった。

 近年では町に教会が増え、祈りを捧げる対象が身近にあるため、昼間でもさほど訪れる者はいないのかもしれない。


 ――来たよ。私を呼んだよね? 一体何があるの?


 ミシュラは宝樹に問いかける。

 軋むような音が聞こえて、絡み合っていた根が動き出した。ミシュラとレムモンドは身構えるが、根は隠されていた洞をむき出しにして停止した。洞の中は緩やかに地下に続いているようで、ここから中に入れと言わんばかりである。


「罠じゃないか?」

「かもしれないけど、せっかくのご招待だから行くよ。閉じ込められたら困るし、レムはここで待っていて」

「……怪我をするなよ。ジオたちへの言い訳が面倒になる」

「はーい」


 ランプを手に、ミシュラは洞の中に足を踏み入れた。

 地下には何があるのだろう。悪の秘密基地や研究所だったら面白そうだな、とワクワクしながら下っていったが、人工的な施設は一切なかった。


「っ!」


 ぽっかりと空いた広い空間に、人の形をした塊が座り込んでいる。


 相対して、直感で誰なのか分かった。

 顔は相変わらず黒で塗り潰されており、体格もミシュラと同じか少し小さいくらいだったが、巻き戻し前の世界で自分を殺しに来た呪いの殺戮人形と同じ人物だ。

 どうして分かるのだろうかと自問して、ミシュラは胸の上に手を置く。


「…………」


 ミシュラと目の前で座り込む人物――少年の間には、目に見えない繋がりができていた。意識しないと分からないほど弱々しいが、確かに感じる。

 未来の世界で殺し合った仲だ。奇縁ができていてもおかしくはない。


 毎朝の頭痛と動悸は、この少年と出会えという啓示に違いない。

 ミシュラからすれば、願ったり叶ったりだった。未来を変えるためには、必要なことのように思える。


 そしてミシュラはその少年に話しかけ、殺してほしいと懇願された。

 てっきり助けを請われるかと思っていた。想定外の展開だが、少年の現状を見れば死にたくなるのも分からなくはない。


「そうなんだ。じゃあ……とりあえずお外に行こっか」


 軽く流して、ミシュラは少年の手足にまとわりついている宝樹の根を銀の刃で攻撃した。


「あれ、硬いな。さすが宝樹」


 ランプをかざしてよく観察してみるが、根の表面には傷一つついていない。少年を捕らえて離さない根に、ミシュラは少し苛ついた。入り口は簡単に開いたのに、どうして拘束を解いてくれないのだろう。宝樹に文句を言いたい。


「……どうして」

「え、何?」

「どうして、殺さない? 悪魔なのに」


 表情がないので分からないが、少年は戸惑っているようだった。

 ああ、とミシュラは合点がいったように頷く。


「今は悪魔じゃないよ。世界を滅ぼすつもりもないから。ごめんね、あなたも呪いのお人形さんじゃないね。もうあんな殺戮兵器にならなくていい。というか、ならないでね?」

「……俺を殺せば、それで済む」


 確かに、ミシュラからすれば少年は危険な存在だった。成長しきった自分を殺せるほど強い呪いを宿せる存在なのだから、今のうち排除しておくという手もある。

 しかし、安易に殺してしまうのも不安があった。二人の間には絆に近いものができてしまっている。

 少年を見ても悪い感じは少しもせず、それどころか一緒にいられれば心強い気がしていた。こんな感覚は初めてだ。彼を殺して繋がりを断つことで、どのような影響が自分に現れるのかミシュラには見当もつかない。


「殺すのが正解か分からないから。それに、少しお話ししたいんだよね。あなたのことを教えてほしいし、未来の情報を交換できたらお得でしょ。ねぇ、それともあなたは好きでここにいるの?」


 少年は愕然としたように固まり、たっぷりと考え込んだ後、静かに首を横に振った。


「じゃあ、ここから出ようよ。大丈夫。悪いようにはしない」

「でも、俺は……生きていても仕方がない」


 ミシュラはランプを地面に置き、俯いてしまった少年の頬を両手で持ち上げ、その顔を覗き込んだ。

 初めて目が合う。暗くて瞳の色ははっきりしないが、怯えているのがよく分かる。


「私はあなたのこと何も知らないけど、多分、巻き戻し前の人生よりは楽しい思いをさせてあげられると思う。ごめんね、お願いは聞いてあげられないよ。あなたを殺さない。……私と一緒に来るか、ここに一人で残るか、選んで」


 不自由な二択を強いながら、父の優しい微笑みを真似して語りかける。また悪魔だと思われてしまうかもしれない。

 少年の瞳は混沌に満ちて、体は震えていたが、やがて、すっと全身の力が抜けた。全てを委ねるという意思表示に思えた。


「ここから、出る」


 その悲壮感たっぷりの声に応えるように、少年の手足を拘束していた根が解けた。

 宝樹が何を考えて少年を捕らえ、この瞬間に解放したのかは謎だが、連れ出してよいと許可をもらえたようでミシュラは安堵した。


「良かった。……あれ?」


 少年は座り込んだまま意識を失ってしまったらしく、ミシュラは慌ててレムナンドを呼んだ。






 レムナンドに諸々説明して少年を連れ帰ることを告げると、これ以上ないほど文句を言われた。


「は? 軽率すぎる。こいつが危険人物で、ここに封印されているのかもしれないのに」

「そうかな。むしろ宝樹がこの子を守ってるような感じがした。この子の意志を尊重してるみたいだったよ。それに、ここに置いておいたらまた呪いの殺戮兵器にされちゃうかもしれないでしょ。連れて行った方が安心できると思う」

「お前の意見には何一つ根拠がない。感覚で生きるな。こいつのせいで、お前の知っている未来が変わるかもしれないんだぞ」


 レムナンドの言い分はもっともだったが、ミシュラは今回の自分が間違った選択をしたとは思えなかった。

 激しい痛みで誘導された以上、少年との出会いは避けられなかったのだ。ミシュラに与えられた選択は三つ。

 殺すか、取り残すか、連れ出すか。


「もちろん未来は変えるよ。良い方向に。……私は悪魔にはならない」


 ミシュラは、最も“悪魔らしくない”ものを選んだ。

 レムナンドは諦めたようにため息を吐いた。


「……ジオたちへの説明が大変だな」

「ごめんなさーい」


 渋々といった様子でレムナンドが少年を背負って、洞から出る。再び根が動き、入り口はすぐに閉じてしまった。

 去り際、一際強く宝樹が発光した。


「わ」


 頭上に何かが落ちてきた。ミシュラは咄嗟にそれを掴む。

 掌に収まるサイズの金色の果実だった。ほのかに甘い香りがする。


「祈りの宝樹の果実なんて、聞いたことがない」


 レムナンドの目には好奇心の熱が宿っていた。確かに、どの枝にも果実どころか花のつぼみすら見当たらない。相当に貴重なものだろう。

 このままではレムナンドに奪われて錬金術の研究材料にされそうだ。ミシュラは果実を懐に仕舞って「渡さない」というポーズを取った。


 ――この子にあげればいい?


 宝樹を仰いで尋ねれば、肯定するように葉が縦に揺れた。



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