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魔法銀の悪魔の救済  作者: 緑名紺
第二章 それぞれの成長期
39/40

39 神の試練、あるいは悪魔の嫌がらせ

 

 テレシアは糸が切れたように口を閉ざし、痛いくらいの沈黙が室内に満ちる。

 代わりに、ミシュラが声を上げた。


「ふふ、あはは……っ!」


 前回と同じだ。預言は一言一句変わっていない。

 腹を抱えてミシュラは笑う。おかしくてたまらなかった。


「な、何を笑っている。あまりのことに壊れたか」

「え? ああ、ごめんなさい。そうですね、とても驚いてしまって……」


 目尻に浮かんだ涙を拭いて、ミシュラはまだ肩を揺らす。


 ――だって、はっきりと分かっちゃったから。この預言者は“偽物”だね。


 ミシュラは知っている。

 この一連の預言が実現しなかったことを。


 そして、その未来を知るミシュラという“異物”が存在していても、預言の内容が前回と全く変わらない。これはどういうことか。

 全知全能の神の力なんて介在していない。この預言は、何者かの思惑によって捏造されたものなのだ。


 もしかしたら先日の鬼の出現についても、教会が関与しているのかもしれない。ただ、結びつける材料が少ない。何を目的としているのか定かではなかった。


 ――黒幕はテレシア? コルネリウス? うーん、そうは見えないな。傀儡っぽい。まぁ、どこの誰の陰謀でもいいや。受けて立つ。


 四年以内に毒蛇の怪物を倒して、その計画を根本から壊してやる。

 だいぶ気が楽になった。この預言が捏造ならば、好き勝手にしても問題ないように思える。


 笑い疲れたので、ミシュラは改めてコルネリウスたちに向き直った。


「要するに、このままだと四年後にリリトゥナ姫様がヴィクセル皇子に殺されてしまう。その最悪の未来を変えるために、私に代わりに死ねということですね? 同じ日同じ場所で生まれた私にしか、死の運命の肩代わりはできない」

「あ、ああ……」

「でも、私が犠牲になれば、姫様と皇子が毒蛇の怪物を倒してくださる。父や兄を救いたいのなら、私に選択肢はありませんね? ああ、なんということでしょう。こんな運命の悪戯、あんまりです」


 特に声を荒げることもなく、ミシュラはセリフを読むように淡々と述べた。

 予想していた反応と違ったのか、コルネリウスは呆気に取られている。

 きっと、巻き戻し前の自分は彼にとって予想通りで、理想的な反応をしたのだろう。


『どうして! 私から命と未来も奪うの!? 私はなんのために生まれて……!』


 リリトゥナと同じ日に生まれたために、祖父を、本物の心臓を、人間として生きる資格を失ったというのに、さらにリリトゥナを庇って死んで見せよという。

 なんて屈辱的な運命だろう。

 まるで、リリトゥナに全てを奪われるためだけに生まれたみたいだった。


 怒りながらも、結局は預言の神託を受け入れた。

 自分の命一つで、大好きな家族を守れるのなら。

 そう、リリトゥナではなく家族を守るためだ。それならば、死への恐怖も我慢できた。

 父にも母にもレムナンドにも、誰にも相談できない。彼らを悲しませるのは本意ではなかった。全てを一人で背負うことを固く決意し、この日以降ミシュラの心はひたすら摩耗していった。


 悔しさのあまり唇をかみしめた時の血の味を、今でも鮮明に覚えている。

 もちろんあの時のコルネリウスが、ミシュラの不幸を嘲笑っていたことも忘れていない。


 ――今日はもう、これでおしまいにしよう。


 クローゼットの中の様子が気になる。リリトゥナが恐慌状態に陥って、今にも飛び出してくるかもしれない。

 ミシュラは道化を演じて早々に会話を切り上げることにした。


「お話は分かりました。私はどうすればよいのでしょうか?」

「う、うむ。四年後の魔法の都の祝祭……その場に居合わせるためには、エーテルシア魔法学校への入学が必要となる」

「私に入学資格はあるのですか? “人間”だと認められていないのに」

「……神託を違えぬためだ。その身を聖王女のための犠牲とするのなら、貴殿を“人間”だと認めよう。私の方で出生届を受理する手続きを進める」


 こんなことで十二年の拒絶を覆すなんて、と乾いた笑いが漏れた。

 教会のいい加減さには反吐が出る。


「教会から多少の便宜は図ってやれるが、入試の成績次第では入学できないこともあり得る。なにせ、大陸一の魔法学校だ。最低限の魔法の才は必要。不合格の場合は、魔法銀を身に宿す実験体として学校に行ってもらう」

「あはは、それはものすごく嫌ですね。では、領地に帰ったらすぐに受験の準備をいたします。確か、入学できるのは十五歳からでしたか? それに間に合うように勉強を頑張らないと」


 コルネリウスは気味の悪いモノを見るような目をしていた。


「随分あっさりと、己の運命を受け入れるのだな……死が恐ろしくはないのか?」

「え? おかしなことをおっしゃいますね。教会の認識では、私は生きていないはずでは? なら、死という概念も存在ないでしょう」

「…………」

「ふふ、もちろん私は生きています。鼓動も呼吸もありますし、知能も知性もあって、心や情だってありますよ。死への恐怖も。ただ私は、合理的に行動しているだけです。預言に従えば、私以外の全員が幸せになれるのですよね? だったらそれが、私にとっても最上の幸いです!」


 ミシュラが無邪気に微笑みかけると、コルネリウスは青ざめた顔で息をのんだ。まるで化け物に出くわしたかのような反応である。

 せっかく聖女のように自己犠牲を尊んで見せたのに、つまらない。


「く、くれぐれも、聖王女にこのことを告げぬように。運命がどのように転ぶか分からなくなる。教会を逆恨みせず、己の役目に務めよ!」


 コルネリウスはテレシアを連れて、逃げるように帰っていった。見送りすら固辞されたミシュラは、足音が遠ざかってからクローゼットの扉を開ける。


「あ……」


 リリトゥナは今にも死にそうなひどい顔色をしていた。チェカもカーフも同様だ。

 暗がりの中で、フレインが薄っすらと微笑んでいる。良い刺激を提供できたようで何よりだ。


「こんな、こんなことって。わたくしは、一体どうしたら……」


 ミシュラがリリトゥナの手を取ると、力を失ったようにその場に崩れ落ちた。声にならない悲鳴を上げて泣きじゃくる姿が、ミシュラの心を動かした。


 ――うんうん、ショックな話だったよね。良かった。ようやく私、あなたのことを少しだけ許せそう。


 これから運命の日まで、リリトゥナが何も知らずに生きていくのは許せなかった。身代わりに死ぬ予定の自分だけが苦しむなんて不公平だ。

 震える背中を優しく撫でて、ミシュラはリリトゥナに甘い言葉をかける。


「何も心配は要りません。私に任せてください。姫様のことは私が守りますから」

「っ! み、ミシュラ、それでは、あなたは預言の通りに?」

「もちろん、運命を良い方向に変える努力はします。でも預言よりひどい未来になるようなことはあってはなりません。私一人の犠牲で、ムンナリア王国を、ルナーグ家を蝕む怪物を倒せるのなら……甘んじて受け入れますよ」


 もちろん嘘である。偽物だと分かっている預言に従うつもりは毛頭ない。しかし周囲には従順な振りをしないと、何かとやりにくくなる。

 悄然としているリリトゥナの心によくしみこむように、ミシュラは優しく囁いた。


「だから、姫様、ルナーグのことをよろしくお願いしますね。私亡き後、絶対に毒蛇の怪物と戦って倒してください」

「!」


 それは、呪いの言葉だった。

 帝国の皇子に命を狙われる恐怖、自分の代わりに死ぬ人間がいるという負い目、毒蛇と戦わねばならぬ重責、全てがリリトゥナに圧し掛かる。


「大丈夫、神々の仰せの通りにすれば、全てが上手くいきます。だってあなたは、選ばれた聖王女なのだから」

「…………」


 これから、リリトゥナはもがき苦しむだろう。

 運命を変えるために必死になるかもしれないし、毒蛇の怪物と戦う力をつけるべく研鑽を積むかもしれない。自分の命を守るためなのだから、頑張るのは当然だ。

 諦めて泣き暮らすのなら、それはそれで構わない。

 もちろん、ミシュラに犠牲を強いて悲劇のヒロインを気取り、今まで通り幸福に包まれて暮らすというのなら、それでもいい。その代わりリリトゥナは慈悲深く清廉な“聖王女”ではなくなる。少なくとも、チェカとカーフからの敬愛は失われるだろう。


 リリトゥナがどの道を選んだとしても、ミシュラは彼女のことを当てにはしない。毒蛇の怪物は自分の手で倒すと決めている。

 ただ、自分と同じくらい血反吐を吐くか、何かを失って台無しになってもらいたいだけだ。


 ――きっと来年の誕生日は、一緒にお祝いできないね。


 運命の日が近づくことを、きっとリリトゥナは恐れるだろう。何も知らずにいられた子ども時代の誕生日は、昨日で最後だったのだ。


 結局リリトゥナは呻くだけで何も言葉を発せず、チェカに支えられて城に帰っていった。姫の尋常ではない様子に、別室に控えていた護衛騎士たちが驚いていた。


 ――私が身代わりになろうとするのを止めない辺り、聖王女のメッキが剥がれかけてるよね。本当に聖女ララトゥナの生まれ変わりなのかな?


 預言者テレシアの信憑性が薄れた今、リリトゥナの華々しい称号も嘘くさく感じる。


 さて、国王夫妻はどう動くだろう。

 おそらく教会から預言のことを知らされるはずだし、現時点で既に知っていてもおかしくない。たとえ知らなくても、どうせそのうち思いつめたリリトゥナに打ち明けられるに違いなかった。

 ミシュラが表向きは預言に従うように振舞えば、文句は言えないはず。むしろ帝国のヴィクセル皇子に対してなんらかの対策を取るかもしれない。王子の動きを封じてくれるのなら、有難い話だった。

 リリトゥナが預言のことを知ったと分かれば、教会も慌てるだろう。何が目的かははっきりしないが、計画を狂わせたことは確かだ。


「……これは全て、あなたが仕組んだことなのですか?」


 ずっと押し黙っていたカーフが揺れる瞳で、ミシュラを睨む。


「聖王女様に、あんなことを聞かせて……テレシア様たちと共謀しているんですか?」

「そんなわけないでしょ。教会と私が手を組むなんて、あり得ないことだよ」

「では、今日この場所に聖王女様を招いたことも、預言の話を聞くことになったのも偶然だと?」


 そんなことはあり得ない、とカーフは強く吐き捨てた。そして、何かを堪えるように俯く。


「明らかにあなたが誘導していたじゃないですか。全部性質の悪い冗談だと、言って下さい」

「えー? 最上の預言者様の言葉を疑うなんて、聖騎士として大丈夫なの?」

「だって、あんな恐ろしい預言……」

「恐ろしい? 最終的には姫様たちが毒蛇の怪物を倒す、栄光の物語になりそうなのに。もしかして、姫様の代わりに私が死ぬことが嫌なの?」


 ミシュラが微笑むと、カーフは何も言えなくなってしまった。

 巻き込んでしまったことに罪悪感を覚える。こちら側に引き込もうと誘惑めいたことを囁いてきたが、まさかここまで心を痛めてくれるなんて思わなかった。


 それとも、教会への信頼が揺らいでいるのだろうか。

 神官バヤにミシュラの暗殺を命じられたかと思えば、コルネリウスとテレシアはミシュラをリリトゥナの身代わりに仕立てようとしている。そのために長年の見解を覆してミシュラを“人間として認める”とまで言った。

 何を信じればいいのか分からなくなっても無理はなかった。


「これは、神様の与えた試練かもね。私にとっても、姫様にとっても。もしかしたら、カーフ様にとっても」


 カーフは周囲に惑わされず、己の神だけを信じればいい。

 そんな思いを込めて笑いかけると、カーフは拗ねたように顔を背けた。


「やっぱりあなたは、普通じゃない。こんな時に笑っているなんて……まるで全てを知っていたかのようです。本当に、何者なんですか?」


 鋭い指摘に対し、ミシュラは答えなかった。

 未来から来た元悪魔だなんて言ったら、聖騎士に首を刎ねられてしまいそうだった。



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