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【本編完結済み】頑張り屋で甘え下手な後輩が、もっと頑張り屋な甘え上手になるまで  作者: 木ノ上ヒロマサ
第4章

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第168話『男の人ってこういうのが好きなんですよね?』

「……あのさ」

「はい?」


 朝食、と言いつつ半ば昼食も兼ねたものを済ませたお昼過ぎ。台所のガスコンロの前に立ち片手鍋の中身を火にかける優人は、クッションに座ってくつろいでいる雛へ声をかけた。

 鍋の中でふつふつと小さな泡を立て始める牛乳から一旦目を離し、視線を雛へ。色んな意味で呻きそうになるのを堪えつつも改めて口を開く。


「今日一日、本当にそれで過ごすつもりなのか?」

「いけませんか? 私としてはとても着心地がいいんですけど」


 わざと一オクターブは高い声で、明らかに楽しんでいると言わんばかりの態度で雛は微笑む。あまつさえ必要などないのにその場で立ち上がると、フッションショーのモデルよろしく軽やかにくるりと一回転。動きに合わせて服の裾が空気を含み、微かに浮かんだ。非常に、その、よろしくない仕草である。


 雛が身に付けているものは一枚の白い(トップス)だ。

 見るからにサイズが大き過ぎて、なんとか指先が出るぐらいのぶかぶかの袖。同様に余り気味の裾は太ももの半ばまで覆い隠しているが、そこから下は何も身に付けておらず、むき出しの魅力的な白い素足が惜しげもなく伸びている。

 第二ボタンまで開けた緩くて少々防御力に難のある胸元を指で摘み、雛はにっこりと百点満点の笑顔を見せつけた。


「こういうの、男の人のロマンなのでは?」


 優人の持ち物であるワイシャツに身を包む、俗に言う彼シャツモードの雛ははにかんでそう言ってのけた。

 ……まったく、なんて格好だ。

 さすがに下着は着けているらしいので『裸』という修飾まではされないが、そうでなくとも危うい可愛らしさには変わりがなく、目を凝らせば色まで透けて見えそうなのが心臓に悪い。


 服に着られているようなオーバーサイズのくせに、かえって見事に着こなしてるようにも思えるアンバランスさ。見てるだけでこちらの胸を射抜くだけに留まらず、ガリゴリと理性を削ってくる。

 男女としての一線を越えたからこそ、雛も少しだけ頬を赤くするだけで済んでいるようだが、逆にその完全には捨て切れない恥じらいにぐっとクる。


 結局言われるがままにワイシャツを貸した優人もだが――昨夜の一件で雛のパジャマを皺だらけにした負い目はあったし――、自ら進んで着る方も着る方である。優人が手を出そうとするまでに至らないのは、二日連続で事に及ぶことが雛への過剰な身体的負担になるからだけなのに。

 男のロマンだなんてよからぬ知識もいったいどこで仕入れたのやら。大正解だ。


 なんだか少し成長した気がする恋人の小悪魔っぷりに内心で嬉しい悲鳴を上げつつ、コンロの火を止め、用意した猫の絵柄のペアマグカップに鍋の中身を均等に注いでいく。


「ほい、完成」


 食後に雛からリクエストされたいつものホットミルクを作り終えた。

 ぺたぺたと素足の足音を微かに響かせる雛へカップを手渡せば、彼女は手中の温かさで溶かされたように「ありがとうございます」と顔を綻ばせる。

 優人がソファに腰を落ち着けてホットミルクに口をつけると、すぐ隣に座った雛も静かに喉を震わせ、ふにゃりと落ち着いた様子で眉尻を下げた。


「優人さん」

「んー?」

「温かくて、とても美味しいです」

「どういたしまして」


 この一杯を雛に振る舞った数なんて、とうに両手の指を合わせても足りないぐらいだというのに、今でもこうして色褪せない称賛を彼女はくれる。一昨日の花火大会でなおさらそのありがたみが身に沁みたからか、優人の片手は自然と雛の頭上に伸び、お礼代わりにやんわりとした手付きで彼女の頭を撫でていった。

 ホットミルクを飲みつつも器用に首を傾けた雛はご満悦だ。


 しとしとと外から届く雨音。お互いの吐息。たまに混ざる、ホットミルクを啜る音。

 時間の流れが緩やかなその雰囲気の中、やや深く息を吐いた雛は空になったカップをテーブルに置いた。


「たまにはいいですねえ……こんな風に、ただゆっくりしてるだけの時間も」

「夏休みに入ってからも何だかんだで色々してたもんなあ」


 それだけ充実した夏休みを過ごしているわけなので良いことだが、時にはこんな一日も悪くない。一人だと暇でも、すぐそばに恋人の温もりがあればそれだけで天国のようなものだ。

 ともすれば居心地の良さと食後の満腹感が優人を(そそのか)し、堪え切れない欠伸が口からこぼれ落ちた。


「あれ、もしかしておねむですか?」

「みたいだ。結構寝たはずなのにな……」

「眠りが浅かったのかもしれませんね。あとはやっぱり昨日の疲れとか」


 そう分析した雛は優人の方に傾けていた身体を引き戻すと、足を揃えて背筋を伸ばし、優人に向けて花が咲いたような笑顔を浮かべた。


「さあ優人さん、いらっしゃい」


 楽しげにぺちぺちと自分の太ももを叩く雛。しなやかさと柔らかさを兼ね備えたその表面がほんの微かに波打つ。


「え、膝枕してくれるってこと?」

「ご明察です。さあどうぞ」

「どうぞって……」


 膝枕の申し出自体はとても嬉しいのだが、今の彼シャツモードでやるのは如何なものか。

 何の隔たりもない生足なのはもちろんのこと、頭を乗せる場所の文字通り目と鼻の先に無防備過ぎるほどの雛の下半身が広がっているのだ。見たところぶかぶかのワイシャツの裾でなんとか隠れてはいるが、その気になれば息を吹きかけるだけで暴けそうなほど心許ない。


「…………」


 まあ、危険性をどれほど考えたところで膝枕の魅力はそれを軽く上回るわけで、


「失礼します」

「はーい」


 結局ものの数秒で陥落した優人は素直に恋人の厚意に甘えることにした。


「ふふ、直接だと少しくすぐったいですね」


 と言いつつも楽しそうに、頭を乗せた優人が仰向けの体勢に落ち着いた頃合いで雛は両手を伸ばすと、片手を優人の頬に、そしてもう片方で寝癖の残る髪を整えるように頭を撫で始める。

 前からの淡い刺激もいいが、後頭部も幸せな感触に包まれており、無駄な贅肉なんて無いはずなのにもちもちとした太ももの寝心地は控えめに言っても最高だ。


「よしよし、眠くなったらいつでも寝ていいですからねー」

「……さっきのおねむと言いさ、俺を子供扱いしてないか雛さんや」

「いえ? 優人さんが立派な男の人であることは分かってるつもりですけど」

「どうだかなあ……」


 慈しみような眼差しを注ぎながらでは説得力に欠けるというものだ。優人が手を出さないのは二日連続だと雛の負担が以下略。

 とにもかくにも、甘えさせくれるのならこっちもそうさせてもらおう。


 ごろんと寝返りを打って雛のお腹に顔をうずめる。

 一瞬だけ驚いたらしい雛もすぐに身体の力を抜くと、優人の頭をそっと抱き抱えてそれを受け入れた。


 たった一枚の布地越しに伝わる温もりと甘い香り。優人を夢の世界へと誘うそれらによって徐々に意識を手放していく中、「いい夢を」という優しい囁きが耳元を撫でた。

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