第144話『恋人らしい滑り方』
「外側から見た時点で分かってはいましたけど、結構高いとこまで昇るんですね」
「こういうものは高ければ高いほど面白い。色々と乗ってきた私が保証する」
「あはは、なら姫之川先輩の言葉を信じますね。スライダーは初めてだから楽しみです」
流れるプールでゆらりゆらりと泳ぐことしばらく、優人たちは目当てのウォータースライダーの根本にある入り口に到着した。すでに形成されていた順番待ちの列に並び、着々と上へと続く階段を上がっていると、雛が階段の手すりから下を覗き込みながら呟いた。
怖い、というよりは単純に圧倒されたような声音であり、優人も抱く感想は大概同じだ。
じきにスライダーのスタート地点に辿り着くだけあって雛の言葉通りであり、そもそも数種類あるコースの中から一番長いものを選んだのもあるので確かに高い。安全面を考慮した結果、年齢及び身長制限も設けられているらしく、「これに乗りたい!」と駄々をこねる子供と優しくあやす親の横を通り抜けるのは少し気まずかった。
「……ここまで並んでおいて今さらだけど、お前さんの彼女はこういうのって大丈夫なのか?」
雛とエリスが会話する中、その後ろに並ぶ優人は隣の一騎からこっそりと肘で小突かれた。先輩に気を遣い、雛が無理に流されていないかを心配しての確認だろう。
「大丈夫だと思うぞ。ホラー系はてんでダメだけど、高いところは別に苦手ってわけじゃないし。本当に無理そうなら俺がフォローする」
「おうおう頼もしいねえ」
「まあな」
頼もしさに関してはついさっき雛からお墨付きを頂いたばかりなので、一騎の軽口にも胸を張って答えられた。
ほどなくして優人たちの順番へと回り、スタートの補助に付いている女性の係員がこちらに向けて手の平を向ける。
「次の方どうぞー」
「一騎たちが先でいいぞ」
「それじゃお言葉に甘えて。エリス」
「ん」
このスライダーは一人はもちろん、二人で滑ることも許可されているタイプであり、順番待ちの間でも男女のペアが仲良く滑り落ちていく光景を何度か目撃している。
さて一騎たちはどうするのかと様子見の意味で先を譲ってみたのだが、阿吽の呼吸と言わんばかりに二人の動きは淀みがなかった。
エリスが先に座り、その後ろに足を広げた一騎が腰を下ろす。人前であろうとも、いかにも恋人らしい密着した体勢にすぐに移れる辺り、先輩カップルの経験値が垣間見えたようだった。
やがてスタート地点上部に設置されているランプが赤から緑に変わると同時、優人の方に振り返り、ぐっと立てた親指を見せつける一騎。そして意味深な笑みを残すと、一騎たちは水の流れるスライダーの奥へと消えていった。
あの笑みから察するにここで恥ずかしがって雛と別々に滑ろうものなら、ゴール地点で呆れ顔の一騎に迎えられるとみて間違いないだろう。そんな釘はわざわざ刺されずとも無用だ。
「次の方どうぞー」
「俺らも一緒に行くか、雛」
「は、はい」
微妙におっかなびっくりな雛の手を引いてスタート地点へ。
ありがたいことに先んじて手本は見せてもらえたので、それをなぞるように雛をスライダーの中へと座らせ、続いてその背後へと座った優人は思い切って彼女との距離をゼロにする。
ぴくん、と優人の腕の中で雛の身体が強く震えた。
スタートのタイミングを示すランプはまだ赤のまま。出口の混雑具合によっては緑になるまでの時間が変わるのかもしれない。
中途半端に空いた待ち時間の中、ふと視線を少し下に向ければ、真っ赤に茹で上がった恋人の耳が目に留まる。敏感な反応を見せるそこへ、口付けの一つでも落とせばさぞ可愛らしい姿が拝めることだろうが、さすがにここでは我慢だ。
代わりに前へと少し体重をかけ、雛の耳元へと口を近付ける。
「どうしたんだ、そんなに縮こまって」
「だ、だって、こんな人前で」
「……そうは言うけど、さっきは雛の方から俺の腕に抱きついてきただろ?」
「ここまで密着はしてないじゃないですかあ……」
「まあ、それは確かに」
腕を絡めて歩くの延長線上であった先ほどに比べると、肌が触れ合っている面積は確かに段違いだ。二人でスライダーを滑るのに最も適した体勢とはいえ、そうでなければ人前でするには些か大胆だろう。
ぶっちゃけ優人の背中には現在進行形で視線が突き刺さっている気もする。
「ふふふ、滑ってる最中に力を緩めるとかえって危ないですから、彼氏さんは大事な彼女さんをちゃんと掴まえとかないとですよ?」
「肝に銘じときます。――だそうだ」
「うう……」
優人たちの姿に微笑ましさでも感じたのか、そばに控えていた係員から笑顔で茶化された。恥ずかしさを代償に得ることのできた援護射撃を幸いにと腕の力をわざと強めると、雛はなおさら羞恥で顔を俯かせて縮こまる。
しかし、やがて踏ん切りがついたように大きく息を吐くと、優人の腕の上から自分のそれをぎゅっと重ねた。
振り向いた金糸雀色の瞳が、潤みを帯びつつじとりと優人を見上げる。
「そこまで言うんなら、滑り切るまでちゃんと掴まえといてくださいね?」
「言われなくても」
ランプが緑に変わる。
係員に背中を強く押され、優人は腕の中の恋人を決して離さぬよう強く抱き締めながら、長いコースを滑り落ちていくのだった。




