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魔導書と古代神聖文字

 シーラが読めないと言ったそれに視線を落としたカリーネは、即座にその理由を把握した。

 魔法に関係があるとは思っていなかったため、カリーネは今まで魔導書を読んだことはなかったのだが……こうして初めて見たそれは、古代神聖文字で書かれていたのである。

 それは読めるはずがなかった。


 古代神聖文字とは、古代遺跡と同等、或いはそれ以前に存在し、使われていたとされる文字だ。

 今では完全に廃れてしまっているため、読める者などはほとんど存在していない。

 聖典がそれで書かれているため、聖神教の司祭などであれば多少は読める者もいるらしいが……それ以外でとなると、この学院にも居るかどうか、というところだろう。

 当然のように、カリーネは読むことが出来ない。


 故に。


「……ん、読んで」


 シーラがそう言った瞬間、どういったものか激しく悩んだ。


 自分も分からない、と言ってしまうのは簡単である。

 しかしこれでも一応、王立学院の講師であることには誇りと自信を持っているのだ。

 古代神聖文字ならば仕方ないと思いはしても、生徒相手にそう言ってしまうのは躊躇いがあった。


 だが即座に、それが自分の勘違いであったことに気付く。

 シーラが魔導書を向けた先に居たのが、ソーマであったからだ。

 とはいえ、それはそれで無理があるだろうと思った。


 確かにソーマの知識量はずば抜けている、という話は何人もの講師から聞いている。

 それだけではなく、実際自分が魔導の授業をやっている中でも、そう思うことは幾度もあった。


 今までのやりとりから、どうやら二人は以前からの知り合いのようではあるが、幾らソーマでも古代神聖文字は――


「ふむ……まあ構わんであるが、今後どうするつもりなのである? さすがにシーラが魔導書を読もうとするたびに、我輩が読んだり翻訳したりするのは厳しいであるが」

「……とりあえず、これの内容次第? ……本当に無意味そうなら、別のを考える。……何かありそうなら……なんとか、覚える?」

「その心意気は買うであるが、覚えるための教材等がまったくないであるからなぁ……」


 当たり前のようにそんなやり取りをしているソーマ達を、カリーネはポカンとした表情で眺めていた。


 いやだってそうだろう。

 今のは、ソーマが古代神聖文字を読めるということを前提としてされたものだ。

 それが意味することとは……つまり?


「……え? もしかしてソーマ君……古代神聖文字を、読める、のー?」

「うん? まあ、読めるであるが?」


 事も無げに頷いた少年に、カリーネは再度言葉を失った。


 どころか、ソーマはそんなこちらを見ると、不思議そうに首を傾げたのだ。

 もしかすると、事の重要性を理解していないのではないだろうか、と疑問に思ってしまうのは当然のことだろう。


「えー、っとー……疑ってるわけじゃないんだけど、それじゃあそれを実際に読んでもらってもいいかしらー?」

「そのつもりだったので構わんであるが、図書館なのであまり声を出すわけにも……いや、今更であるし、人がいない以上あまり気にする必要もないであるか」


 そんなことを言った後で、ソーマはシーラから魔導書を受け取ると、それを眺めた。

 そして。


「『――117年4月3日。晴れ。今日も特に何もなく、いつも通りの一日だった。そろそろ百周年を祝ってのイベントでもあるかと期待したが、見事なまでにそんなことはなく――』……って、これ本当に魔導書なのであるか?」

「魔導書は全て同じ装飾で作られているから、間違いないと思うわよー? 古代神聖文字を使ってまで悪戯するなんて、手が込みすぎるしー」

「ふむ、ということは、本物なのにこれなのであるか……」

「……日記?」

「ページを飛ばしてざっと見てみたであるが、どうにも同じようなことしか書かれていないようであるな。……とりあえず、他のも一応読んでみるであるか」


 そう言ってシーラの持つ他のものも眺めた後で、ソーマは一つ溜息を吐き出した。

 どうやら大体似たようなものであったらしい。


「これはまあ確かに、無価値と判断されたのは妥当でしかないであるなぁ……」

「……残念」

「ま、わざわざ古代神聖文字を覚える手間が省けてよかったと考えておくべきであろう」


 その様子に、嘘めいたものは見られない。

 それに一月にも満たないとはいえ、これまで見てきたソーマの人柄から考えれば、わざわざそんな嘘を吐くとも思えなかった。


 つまりは、彼は本当に古代神聖文字を読むことが出来る、というわけである。


「……なるほどー。どうやら本当に、古代神聖文字を読めるみたいねー」

「ふむ……? そういえば、以前もかなり驚かれたであるが、そこまでのことなのであるか? 我輩の中では、ただ古いだけの文字、という認識なのではあるが」

「そうねー……正直に言ってしまえば、それも間違いではないわー。でもそれが具体的にいつ頃の文字なのか、というのが問題なのよねー」


 先にも述べたが、古代神聖文字は古代遺跡と同時期に存在していた文字だとされている。

 要するに、古代遺跡の中には古代神聖文字が刻まれていることが少なくないのだ。


 聖神教の司祭も多少は読めるとはいえ、それは正確には、聖典ならば読める、というだけなのである。

 そこに書かれていない文字は当然のように読むことが出来ず、古代神聖文字は使用されている文字の数が異様なほどに多いことでも知られている文字だ。

 大雑把に数えても数万は優に越すと言われており、遺跡などに刻まれているのはほぼ読むことが出来ないのが現状なのである。


 だからこそ、古代神聖文字を本当の意味で読める存在は希少極まりなく、同時に物凄い価値があった。

 それがどれほどかと言えば……この国でほぼ唯一と言っていいぐらい、その能力があればスキルに関係なく特定の職に就くことが可能、と言えばその価値が分かるだろうか。


 農民などの、そういった誰でもなれるようなものではない。

 限られたものしかなることの出来ないものに、古代神聖文字を読めるというだけで、なることが可能なのだ。


 まあ、もっとも――


「ふむ……正直に言ってしまえば、どうでもいいであるな」

「……まあ、でしょうねー」


 凄いといえば凄いのだが、同時に人によってはどうでもいいものでもあるのも、事実なのである。

 魔法が使いたいと言っている人間に、考古学者になれると言ったところで、嬉しくはないしそこに価値を感じることもないのは、当然のことだろう。


「本当に凄いことではあるんだけどねー」


 そもそも古代神聖文字は、その詳細が不明なのだ。

 読める読めない以前に、その経歴が、である。


 いつ頃、何処で、どのように、といったことを遡っていけば、それは明らかだ。

 どう考えても、ある時期に唐突に現れた言語にしか見えないのである。


 そのため神に与えられた言葉とも、さらに超古代にあった言語を復刻させたとも、果てには異世界から伝えられたなどと言う者もいるほどなのだ。


「異世界、であるか?」

「ああ、うん、そこに引っかかるのは分かるけど、別にそれ自体は珍しいことじゃないのよー?」


 実際百年ほど前までは、稀に異世界からやってきたという人が発見されていたらしい。

 異世界人が関わっていたとされることも多く、現在にまで伝わっている技術の幾つかは異世界人によってもたらされたものなのだとか。

 銃などもその一つであるし、邪神を滅ぼした英雄も実は異世界人だという話もあれば、古代遺跡が作られていた時代の前後に多くの異世界人が発見されていたと記す文献もある。


 まあそこら辺は正直眉唾物ではあるものの、異世界人が存在していたということと、その影響力が無視出来ないほどには大きかったこと、そして公的にはこの百年ほどはその存在が確認されていないということは、少なくとも事実だ。


「……公的に?」

「まるで実際には違う、みたいな言い方であるな……」

「ああ、それはねー……えっと……」


 一瞬どうしたものかと迷うが、別に構わないかと思い直す。

 どうせ公然の秘密というか、一応そんな事実はなかったとされているものの、実際どうだったのかなどは当時のことを少しでも知っている者は全員が知っているのだ。

 隠そうとしたところで、隠せるものでもない。


「実はベリタス王国が、今から十数年前勇者召喚を行なって、異世界から勇者を呼んだのよねー」

「……異世界から」

「勇者を……?」

「うん、魔王を討伐するためにねー」


 まあそのあと勇者のお供を選別しようとしたら、ついでに自国にも勇者が居た事が判明したとか。

 結局魔王を倒すことはなく、反乱起こされて独立されたとか。

 そんな醜聞の悪い事が重なったために、最初から全てなかったことにされたのだ。


 もっとも、国が興ってしまったことは確かなので、全てをなかったことには出来なかったようだが。

 特に当事国にとっては、大体のところが知られるようになっている。


「まあ、興味があるなら、調べてみるのもいいと思うわよー。何処にあったのかは忘れたけど、そういった本もどこかにあったはずだしー」


 この図書館にあるのは、ベリタス王国から持ってきたものだけではなく、新しい本が出たらそれもなるべく入るようになっているのだ。

 それらは当然どんな本なのか分かっているため、この周辺に置かれている、ということである。


「ふむ、ではそのうち暇ができたら読んでみるとするであるかな。……それにしても、先生は随分とそういったことに関して色々と詳しそうであるな?」

「まあねー。これでも魔導の講師になるか、考古学をやるかで悩んだぐらいだしー。ここ落ちてたら考古学をやってたでしょうし、いつかクビになったらまた考えるかもしれないわねー」


 だから古代神聖文字を読めるというのは、非常に羨ましいのだ。

 多分カリーネが読めていたら、迷うことなくそっちの道に進んでいただろう。


「そーいえば、何でソーマ君は古代神聖文字が読めるのよー?」

「何故と言われてもであるな……読めるから、以外に言いようはないのであるが……」

「ふーん……」


 その言葉を、カリーネは言いたくないのだろうと判断した。

 まあ何せ物が物だ。

 何かしらの言いにくい事情でもあるのだろう。


 幾ら講師とはいえ、まだ出会ってから一月も経っていない程度。

 全てを打ち明けてくれるわけがないのは、当然である。


 そのうち打ち明けて……くれなくてもいいから、古代神聖文字だけは教えてくれないかな、などと考えていると、ふとソーマの視線がこちらへと向けられた。


「ところで、昔のことに詳しいということは、ここにある迷宮のことも知っていたりするのであるか?」

「迷宮? そうねー、詳しいってほどかは分からないけど、ある程度は知っているかしらねー」

「ふむ……なら、何とかして我輩が今すぐ迷宮に潜れる方法を知っていたりしないであるか? こう、裏道的な意味で」

「……はいー?」


 事情を聞いてみると、なるほどと納得したし、そのために図書館に来たのかと把握もしたが……正直、相談する相手を間違えているにも程があるだろう。


「それを知っていたとして、わたしが教えると思うかしらー」

「ふーむ……まあ、普通に考えれば、教えてはくれないであるな」

「でしょうー?」


 熱意は凄い感じるのだが、どうにもその分若干空回りしている感がある。

 それだけ魔法が使いたく、深く考えるよりも先にとりあえず行動、ということになっているのだろうとは思うが――


「……まあでも、実のところ、一応方法がないわけじゃないわよー? しかも、ちゃんと正規の手続きを受けた上で、ねー」

「む……そんなものがあるのであるか?」

「……初耳」

「意外にも、というか、結構知られていない、教えていない規則っていうのは存在してるのよー?」


 それはある種の振るい落としだ。


 言ってはいないけど、調べれば分かること。

 調べても分からないけど、聞けば教えてくれること。

 聞いても教えてはくれないけど、その他の情報から推測できること。


 そういった、生徒の自主性を重んじる、などと言えば聞こえがいいようなことが、この学院にはそれなりに存在しているのだ。


 ちなみにソーマの聞いた情報は、その中でも聞けば分かることに該当している。

 ただ本来は、そのために裏技のようなものはないか、などとは聞いてこないし、そういった時の対処法も想定されてはいないのだが……まあ、少しぐらいのおまけは構わないだろう。

 どうせ迷宮探索の実習を行うようになれば、知らされることなのだし。


 そう思い、口を開こうとし――


「小等部の間は勝手に入ることを禁止されている迷宮なのじゃが、実は一つだけ例外があるのじゃよ。それが、引率の人間を連れて行った上で、専用の試験に合格すること、なのじゃ。引率の人間は、講師限定。試験の内容は講師によって異なるのじゃが、とりあえず迷宮に行きたいというのであれば、引率してくれる講師を探し試験を受け、それに合格する事が必須、というわけじゃな」


 それよりも先に響いたのは、聞き覚えのある声だった。


 だが同時に、ここでは聞くはずのない声だ。

 それでも反射的に振り返った先、視界に映ったのは、予想通りの、見覚えのある姿。


「が、学院長!?」


 王立学院学院長、ヒルデガルド・リントヴルムその人なのであった。

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