幕間 伽藍の瞳と愚者への幕引き
立ち去っていく少年の姿を、少女は窓に寄り添うようにして眺めていた。
次第に小さくなっていくその背へと手を伸ばすが如く、窓に指を滑らせながら、一つ溜息を吐き出す。
「今回もまた、彼とはろくに話せませんでしたねー……いえまあ、確かに何度かチャンスがありながらも、そのチャンスを拾わなかったのは私自身なんですがー。だ、だって、仕方ないじゃないですかー……何話していいのか、分からないですもん。……うるさいですよー、いいじゃないですか、正真正銘子供なんですからー」
唇を尖らせながら、少女はそうして言い訳めいた呟きを続け……やがて、少年の姿が完全に見えなくなった。
少女はそれを確認すると、再度溜息を吐き出し――
「というか、私は今回何で目覚めたんですかー? この前はともかく、今回は特に放っておいたらまずそうな何かは発生していませんよね? ……いえ、確かに彼は放っておいたら大変そうですがー。さすがにそれでは目覚めません、よね? ……分からないって、それじゃあ私はもっと分からないじゃないですかー」
そう言って少女は頬を膨らませるも、実際のところ、その理由が分かるのは少女以外にいまい。
大体――
「っと、誰か来ちゃったみたいですねー。今日のところはこれまで、というところで。さすがに、両方に対応するのは無理ですからねー。どっちを優先するのかなんて分かりきったことですしー……いやー、仕方ない、仕方ないですねー」
仕方ないと言いながら、その頬が緩んでいるのはどうしたものか。
だが確かに、その言葉は正しい。
或いは彼女が本来の役目を果たしている最中であれば、そんなことは言っていられないものの、何せ今回彼女が目覚めた理由は不明瞭なのである。
無駄に波風を立てる必要はなかった。
と。
「あれ? リナ? こんなところで何してるのよ?」
近寄ってきたのは、アイナという名の少女であった。
未だ窓の向こう側を見つめたままの彼女の姿を見やり、首を傾げる。
そしてそれに対し、彼女は――
「あれ、アイナさんなのです? こんなところで何してるのです?」
そう口を開いた少女は、纏っている雰囲気をガラリと変えた。
見事な偽装であり、見事な模倣と言わざるを得ない。
いくら自分自身とはいえ、よくそこまで出来るものだ。
「それを先に聞いたのはあたしでしょうが……まあいいけど。あたしはちょっと足りないものを見つけちゃったから、どこかにないか聞きに行くところよ」
「え……それ大丈夫なのです? 兄様はもう行っちゃったのですよ?」
「大丈夫じゃないから急いで、って何でそのことを知って……ああ、そこから見てたのね」
「そういうことなのです」
頷きながら、自然な様子で向き直るその姿は、誰がどう見てもリナ・ノイモントそのものだ。
本当に見事だと、それ以外言いようはなかった。
「随分余裕があるじゃないの……そっちはもう完璧ってこと?」
「いえ、実はわたしも足りないものに気付いて、今はそれを取りに向かう途中だったのです」
「駄目じゃないのよ……!」
咄嗟に作り出したでたらめの話にも思えるが、実のところそれは事実だ。
その途中のここで彼の姿に気付き、立ち止まっていたのである。
「ったくもう……じゃあ、急いで行きましょ。ソーマが出たんなら、あたし達ものんびりしてるわけにはいかないんだから」
「はいなのです!」
そうして少女は、もう完全に窓から離れると、歩き出したアイナの後を追って歩き出した。
しかし一瞬だけ立ち止まり、窓の方へと視線を向けたのは……おそらく、不安が理由だろう。
まあ、無理もない話だ。
いや……当たり前の話である。
目の前の少女は死なず、この国は蹂躙されず。
この世界は、既に正史とはかけ離れた歴史を辿っている。
そこで自分は一体、何をすればいいのか……そうやって不安を抱くのは、当然のことでしかなかった。
だが或いは、これでよかったのかもしれない。
これならば……彼女本来の役目が、果たせるかもしれないからだ。
むしろそのためにこそ、彼女はこの世界に生み出されたのだから。
その時、彼女の口元が、ほんの僅かに動いた。
それは音にはならず……しかし確かに、とある言葉を発していた。
――分かっていますよ。
そう答えた少女は、それを感じさせない様子で、少しだけ遅れたアイナの後ろに追いつくと、そのまま二人して廊下の向こう側へと歩いていくのであった。
激しく鈍い音が、その場を揺らした。
玉座に座る男が、その肘掛の部分に対し、拳を振り下ろした音であった。
「もう一度言ってみろ……!」
「ひっ……! で、ですから……! 今回の件により、我が軍の士気は最低にまで落ちてしまい……! そ、その……彼の国との休戦を、提案いたします……!」
「貴様……! 我が国が、あんな裏切り者共に屈しろというのか……!?」
「も、勿論我々とて、業腹でございます……! で、ですが、最早それ以外に道は……!」
「……っ!」
男が歯を食いしばり、再度激しく鈍い音が響く。
だがそれ以上反論することがなかったのは、男もそれを理解しているからだ。
男もさすがに、そこまで愚鈍ではなかった。
「…………分かった。致し方あるまい……その方向で進めろ……」
「はっ……! かしこまりました……!」
そう言って下がっていく姿には目もくれず、男は黙って歯を食いしばり、拳を握り締めていた。
やがて扉の閉まる音が聞こえ……三度、拳を叩き付ける。
「くそっ……! 役立たず共が……!」
本来であれば、今頃勝利の美酒に酔いしれているはずであったのだ。
だというのに……だというのに、何故……!
「何より一番役立たずなのは魔族だ……! 折角我が宝物庫から、やつらが必要だという資料を提供してやったというのに……!」
「――おいおい、オレ達はちゃんとやることはやってやっただろ? まあ失敗したのは事実だが、ちゃんと混乱は起こしてやったはずだ。そこで調子に乗って攻めきれなかったのをオレ達のせいにされても困るんだが?」
「――なっ!? だ、誰だ!?」
突如聞こえた声に、男――ベリタス十三世は酷くうろたえた声を出した。
しかしそれも当然だろう。
玉座のある間とは、この国の中で最も警備が厳しい場所の一つだ。
そんな場所に突然現れるなど――
「い、いや……貴様そうか……あの魔族か……!? よくもノコノコとやってこれたものだな……!?」
「あん? いや、オレはテメエと会うのは今日が初めてなんだが……つーか声で分かんだろ、声で。んなことも分かんねえとは、確かに聞いてた通り愚者だな、こりゃ」
「なっ……なんだと、貴様……!? 誰が愚かだと……いや、そもそも貴様、何処に居る……!? 姿を見せろ……!」
「やだよ面倒くせえ。大体オレは、わざわざテメエと話に来たわけじゃねえんだ」
「じゃあ何しに……! い、いや、そうか……詫びに来たんだな? ふんっ、魔族のくせに中々殊勝な心がけじゃないか……まあ、当たり前のことだがな」
そう言ってベリタス十三世は、落ち着きを取り戻すと、その場にふんぞり返るように胸を張った。
もっともそれに対して返ってきたのは、呆れたような溜息であったが。
「だからアレはオレ達のせいじゃねえっつってんだろ。ったく、これだから愚者は」
「なっ、貴様っ、また愚者と……!」
「愚者を愚者と言って何が悪い。そもそもオレが来たのは、後始末のためだっつの。本当はあいつの役目だったんだが……まあ、くたばっちまったみてえだしな。出来ないっつーんなら仕方ねえ」
「後始末……? 貴様、一体何を――」
「――んなの決まってんだろ。テメエを殺すことだよ」
「――ごっ……!?」
その瞬間、ベリタス十三世に認識出来たのは、唐突に胸から腕が生えてきた、ということであった。
後方にそれがいて、玉座ごと自身の胸を貫いた、ということにはすぐに気付くも、その時には既にまともな言葉すら発することは出来ない。
ごぶごぶと口からは、赤黒い液体が泡と共に吐き出されるだけであり――
「ま、悪く思うなよ……なんて言うつもりはねえが、魔族なんかと取引したテメエの自業自得だ。さすがのオレ達も、今回のことがバレたらただじゃ済まねえからな。証拠は根元から断つってのは、基本だろ?」
「ごっ、ごぶごっ……!」
「何言ってんのか分かんねえよ。とはいえ無駄に苦しませる趣味もねえし……これ以上言うこともねえ。じゃあな」
「ごっ、ごぶっ……!?」
胸を貫いていたのとは逆の腕が閃き、王冠を被ったその頭が、宙を舞う。
即座にそれがその場から退いたのは、噴き出す血飛沫をまともに浴びないためだ。
そうしてその姿が露になり……ベリタス十三世がそれを認識出来たとしたら、それに対してもきっと驚いていたことだろう。
何せその姿は、誰がどう見ても小さな子供――少年にしか見えなかったからだ。
「おーおー、流れてる血の色はオレ達と一緒なんだな。なんて、当たり前のことはどうでもいいとして……さて。今ならこの城を混乱に陥れた挙句半壊ぐらいならさせられそうだが……止めとくか。最初からこんな国、壊す価値もねえしな」
言いつつ、だが何か思うところはあるのか、血が収まり始めたのを確認すると、少年にしか見えないそれは玉座ごとその国王であった死体を蹴り飛ばした。
それから満足そうに頷くと、肩をグルリと回す。
「というわけでここは終わり、っと。次は……どうしたもんかね。邪龍を滅ぼしたやつをどうにかしろなんざ、また無茶言ってくれたもんだ。つーかそもそも誰なんだっつーの。それも調べるのも含めてとか無茶にもほどがあんだろ。大体邪龍が自滅以外の手段で死ぬっつーか、殺されるなんざ予定外にもほどがあんぞ? 備えなんて当然のようにしてねえし……」
そこで天井を見上げると、それはさてどうしたもんかと呟いた。
そこを見て何が分かるわけでもないだろうが、単純に癖なのだろう。
ぶつぶつとあーでもないこーでもないと、呟きを零していく。
「ったく、魔王……いや、元勇者っつーべきか? あいつら以外に障害になりそうなのが現れるなんざ、本当に予定外すぎんだろ。つーかもしかしたら、アルベルトの野郎を殺したのもそれか? 腐っても魔天将の四席にまで上り詰めたあいつが、何の手掛かりも残せず殺されたなんて妙な話だとは思っちゃあいたが……」
だがそこまで考えると、それは視線を下ろし、首を横に振った。
これ以上は考えても無駄だと、そう判断したのだろう。
「ま、とりあえずそれはそれっぽいのが見つかってからでいいだろ。どうせそのうち表舞台に顔を出すだろうしな。どうすっかは、その時に改めて考えりゃあいいことだ。こっちには他にもやることがあんだし、まずはあっちが先だな。……ったく、今更学院に行くなんざ面倒くせえが、仕方ねえか。さて、んじゃこれ以上ここに居たところで意味もねえし、とっとと戻るとすっかね」
そしてやりたいようにやっていったそれは、その言葉だけを残すと、現れた時と同じように、唐突にその姿を消す。
後に残されたのは、壊れ砕けた玉座。
それと、国王であった者の死体だけであった。




