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ファフニール

 眼前の光景を見て、クラウスは馬鹿なと、そう思った。

 空間転移は、一度始まれば余程のことがなければ干渉することすら出来ないはずなのだ。

 失敗するなど、それこそ同規模以上……いや、それを遥かに上回るほどの空間系魔法でも使わなければ、有り得ない――


『どうした? そのような呆けたような声を出して。まさとは思うが……この身からそう易々と逃れられると思っていたのではあるまいな?』

「――な!?」


 その声を聞いた瞬間、クラウスは先の比ではないほどの驚愕を覚え、つい叫んでいた。


 声が発したのが何であるのかなど、考えるまでもない。

 目の前の漆黒の龍だ。

 だがそれは、空間転移が失敗したことなどどうでもよくなるぐらい、有り得ないことであった。


 龍が喋ったのが驚きなのではない。

 龍が喋るのも、知能が高いのも、当たり前すぎることである。

 しかしだからこそ――


「嘘……あなた、死ぬつもりなの……!?」


 ソフィアの言葉は、決して大袈裟なことではない。

 どころか、紛うことなき事実だ。

 龍が喋るということは、そのまま死に向かうことと同義なのである。


 龍というのは、幻想種だ。

 即ち、空想上の生物であり、本来世界に存在していてはいけないものである。


 そんな龍が、幻想種がそれでも存在していられるのは、人類がそれらを存在していると認識しているからだ。

 存在していると認識しているからこそ、世界がそれを生み出しているのである。


 どちらが先なのかは、厳密には不明だ。

 人がそれを認識したから世界が生み出したのか、世界が何らかの理由により生み出したから人が認識するようになったのか。

 だが確かなのは、龍は人の認識によって生み出されたものであり、且つ本来存在してはならないということだ。


 人の想念によって生み出された龍は、基本的に何もしなければそのまま消滅する。

 あくまでも人からの想念によってのみ、その身体を維持することが出来るからだ。

 供給がなければ消耗し尽くしやがて消滅してしまうのは道理である。


 だからこそ、龍は時に人を、街を襲うのだ。

 自分達の存在維持のために、その想念を自らに向けさせるために。


 しかし同時に、龍は存在してはならない存在だ。

 故に、襲いすぎるということもしない。

 想念が高まりすぎて、自らの力が増し存在が明確になってしまえば、やはり世界から消されてしまうからである。


 それは矛盾の解消だ。

 存在していないはずのものがいるのはおかしいから、消滅させる。

 別に何の不思議もない。

 問題があるとしたら、それを生み出したのもまた世界だということだが……そういう理によりこの世界は回っているのだから、言っても仕方のないことだろう。


 そして龍が喋らないというのも、それが理由だ。

 ただ空を飛び、街を焼くだけでも、その威容は十分過ぎるほどなのに、言葉を発するとなればその存在への認識はより強固なものとなるだろう。

 それによって力は高まるだろうが、結果的には死に近づくことになってしまうのだ。

 普通の龍であれば、間違いなく行わないことである。


 特にこの場には、ベリタス王国の兵達も居るのだ。

 クラウス達だけならばともかく、こんな場でそんなことをしてしまえば――


『ふん、これから自分達が殺されそうだというのに、殺そうとしている相手の心配をするとは、随分と気楽なものだ。それとも、まさかとは思うが、殺されないと思っているのではあるまいな? 貴様達に何もしなかったのは、何やら面白そうなことをしようとしていたからだ。まあ所詮くだらないものではあった――』

「よし、ようやく倒し終わったか……ったく、このノロマ共め! この程度のやつら相手にどれだけ手間取ってるっていうんだ!? まあでも、これで残るはあいつらだけ……あ? 捕虜? んなもんそこら辺に投げ捨てとけ! どうせ後で殺すんだからな! そんなことより……おい、そこの龍!」


 と、龍の言葉を遮るように叫び、声を掛けたのは、敵国の兵士の一人であった。


 その顔に、クラウスは見覚えがある。

 確か、相手側の部隊長の一人だったはずだ。

 こちらを妙に敵視していたため、覚えていたのである。


 だがこの状況で今更何をするつもりだと訝しんでいると、それは続けて驚きの声を上げた。


「その二人を殺さないでいるなんて、ちゃんと分かってるじゃないか! そうだ、せめてそいつらだけは俺の手で殺さないとな! いいか、そこでちゃんと抑えとけよ!? 暴れたりしたら面倒だからな!」


 まるで龍を自分より下のもの、それこそ部下か、或いは奴隷にでも命令するような口調ではあったが、考えてみればあの国の貴族というのはああいうのが多かった。

 多分アレも、貴族の出か何かなのだろう。


 正直龍相手にあんな態度を取るなど、信じられるものではなかったが、これはある意味でチャンスだ。

 この間に、何か出来ることがないかを――


『この我が身へと、貴様程度が命令をする、だと……? ――図に乗るなよ、人間』


 瞬間、豪風が肌を撫でた。

 何が起こったのかをクラウスが咄嗟に判断出来たのは、それが覚えのあるものであったからだ。


 続いたのは轟音と、何かを潰したような音。

 それと、呻きと絶叫であった。


「な、な……な……!?」

『ふん……覚えておくがいい。我が名はファフニール! 恐怖と絶望の名を冠する古龍なり……!』

「さらには名乗りまで上げるか……ところで、ベリタス王国とは味方だったんじゃないのか?」

『さてな……やつらがどう認識しているのかは知らんが、我が封印を解いてくれた礼として、なるべくやつらには手を出さない、という約束をしただけだ。自らこちらの元へ向かってきて我が身を侮辱する場合などは、知ったことではない』


 その言葉を聞きながら、クラウスが後方へと僅かに視線を向けてみれば、そこに広がっていたのは酷い光景であった。

 死屍累々。

 まさにその言葉がピッタリだ。


 今この龍がしたことは、尻尾での薙ぎ払いだろう。

 あんなものを食らってしまえば、並の兵士では即死だ。

 しかも巨大であるため、その範囲も広大。

 その一撃だけで、この光景を作り出したということである。


 だがこれは、間違いなくやりすぎであった。

 確かに先ほどの言葉は、侮辱したも同然のものだ。

 怒るのも当然とも言えるが……おそらくは、そうではない。

 そんな理由で、今の一撃をこの龍は放ったのではない。


 何故ならば、問題の発言をした部隊長は、生きているからだ。

 その眼前スレスレに尻尾が過ぎ去り、ギリギリのところで生きているようだが……多分それは幸運ではなく、意図したものであった。


「……本当に、死ぬつもり?」


 ソフィアが再度問いかけたのも、クラウスと同じことを思ったからだろう。


 先の名乗りが事実ならば、この龍の元となった想念は恐怖と絶望。

 つまり人々がその感情をこの龍に向ければ向けるほど、この龍は強力になっていくのだ。


 それを考えれば、このやり方もある意味では間違っていないのかもしれない。

 これだけのことをやらかせば、過剰なほどの恐怖と絶望が向けられ、かなりの力を得ることが可能だろう。

 だが同時にそれは、明らかなやりすぎであった。


 それは、先ほどの空間転移への干渉もそうである。

 確かに龍ならば、それが出来ても不思議ではない。


 しかしやはりそれは、出来てもやらないのだ。

 やってしまえば、こうなるのは目に見えているから。


「ひ、ひ、ひ……!?」

「くそっ、どこが味方だって……!? 話が違うじゃねえか……!?」

「い、痛い痛い痛い……! いやだ、死にたくない……!」


 そこに満ちているのは、怨嗟と絶望の声だ。

 怒りすら、既に遠い。

 そんなものは抱いたところで無駄なのだということを、皆が知ってしまったからである。


 この場に居る者全ての想念がその身へと向かい、力となり……そしてその分だけ、死へと近づく。

 或いは、今すぐ消滅してしまっても、おかしくはないほどに。


 クラウスは、その場面を実際に見たことがあるわけではない。

 だがこれでもギフトホルダーだ。

 相応しい力の総量というものを、感覚で理解している。


 目の前のそれは、とうに限界を超えていた。


「……何故そこまでする? 世界に生み出されたとはいえ、生み出された以上は生命の一つ。死は忌避すべきものだと、そう聞いていたが……」

『ふん、貴様らには分かるまいが……折角だから教えてやろう。それが、我が主の……我が主だったものの願いだからだ』

「主……邪神、ということ?」

『……そうだな。貴様らにそう呼ばれ、壊されたもののことだ……!』

「……っ」


 それは龍にとって逆鱗だったのか、今まで感じたことのない明確な怒りを感じた。

 何処か無機質ですらあったその目に、初めて殺意が灯る。


「……ごめん、何か余計なことを言っちゃったみたい」

「……別に構わんさ。どうせ、結果は同じだ」


 どうあっても、脱出は不可能。

 それがクラウス達が下した判断であった。


 抵抗は、始めから無意味だ。

 この場に居るのは二人のみであり、クラウスが手に持つ剣はいつ砕けてもおかしくないほどにボロボロになっている。

 勿論それは身体もであり……よくぞここまで凌ぐことが出来たと言えるだろう。


 そしてだからこそ、次はもう耐えられない。

 怒りに染まり殺意を抱かれたというのならば、尚更だろう。


『そして故にこそ、我が身が滅びるというのであれば、本望だ……! 彼のお方が司っていたのは死と破壊。それをもたらした後で我が身も滅びるというのであれば、それを望みこそすれ厭う理由などあるはずがあるまい……!』


 その言葉に、クラウスはなるほどそういうことだったのかと納得した。

 要するにこの龍は、ただ全てを滅ぼしたいだけなのだ。

 自分も含めて。

 力を求めるのはそのためであるから、何一つ躊躇することはないのだ。


「……まるで子供が泣き叫んでいるみたい、って言ったらまた怒られるかしらね? まあそもそも、母親失格の私が言えた義理ではないかもしれないけど」

「俺もそう思ったが……まあ、親失格なのは俺もか」


 色々と気になることは言っていた。

 古龍、封印、邪神。

 だが聞いたところで答えてくれるわけがないだろうし、考えたところで今から死にゆく者には無意味だ。


 それでも。

 もう全てが無駄だと、分かってはいたが。

 クラウスは、それでも最後まで諦めるつもりはなかった。

 それはおそらく、ソフィアも同じだろう。


 死なないと思っているわけではない。

 間違いなく、この後クラウス達は死ぬ。

 呆気なく、無残に、無意味に。


 しかし眼前の龍がただ破壊だけを求めるというのならば、死を厭わぬというのならば。

 一分でも、一秒でもいい。

 時間を稼ぐことが出来たのならば、それは必ず、その分だけ誰かを助けることになるはずなのだ。


 それは義務であり、責務であった。

 死ぬまでそれを果たすと身に刻み、他の全てを切り捨てて来たのだから、今更それを諦める道理はないし、そんなこと許されるはずがない。

 たとえ誰が許しても、クラウス達自身が、それを許す事がないのだ。


 あとは、それと。

 ……見捨ててしまった、贖罪というわけではなかったが。

 こうすることで助けることも出来るのではないかと、そんなことを思った。


「……本当は、色々とあなたに伝えたかったことも、あったんだけどね」

「そうか……なら、向こうでの楽しみにしておくとしよう」


 ソフィアの手を握れば、握り返し、笑みを浮かべてくれた。

 それにクラウスも頷き返すと……何が出来るわけでもなかったが、それでも、睨みつけるように前方を見やる。

 そして。


『さあ、全てよ、滅び去るがいい……! あの方が望んだ、そのままにな……!』

「――そうであるか。じゃあ、まずはその前に貴様が滅んでろ、クソ爬虫類」


 次の瞬間、その巨体が吹き飛んでいった。

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