邪龍
咄嗟にソーマ達の方へと引き下がりながら、シーラは、邪龍と呼ばれたそれを睨みつけるように見つめた。
その存在の名に、聞き覚えがあったからだ。
というか、シーラ達エルフにとってみれば、忌むべき存在である。
何せその封印こそ、シーラ達の同胞が、かつて命を賭けて行ったものだからであった。
しかしそれはつまり、一つの事実をシーラに告げることとなる。
それを、解いてしまった……?
しかも、自らの手で。
「……嘘」
「はははっ、勿論嘘ではないとも……! 目の前のものがその証拠だ! くくっ、騙されていると勘付いたまではよかったようだが、まさかここまでのものとは思ってもいなかったようだな……大方、あからさまに怪しい人物が持ってくるような話が、そんな大それた話なわけがない、といったところか?」
その通りだった。
少なくともシーラは、そう思ったからこそ、あれらの話を受けたのだ。
ソーマも言ってはいたが、万が一の可能性が有り得るし……何かあったところで、どうとでもなるし、出来るだろうと。
それは慢心や過信ではなく、自信であり、事実だ。
実際シーラだけならばともかく、リナにアイナ、何よりもソーマが居るならば、何が来たところで、どうにだって出来たはずなのだ。
それが、龍でさえなければ。
龍。
それは最強の幻想種であり、最悪の象徴だ。
分類的には、最早天災の方が近い。
人の身ではどうすることも出来ず、ただその災厄が過ぎ去るのを祈るだけ。
厳密に言うならば、撃退した例が存在しないわけではない。
歳若い龍であったり、国中の戦力を集めれば、それも不可能ではないのだ。
ただしそれにしたって、可能なのは撃退のみである。
そう、退けることは出来ても、倒すことは出来ないのだ。
そしてだからこそ、かつて邪龍と呼ばれたそれも、封印することしか出来なかったのである。
「ふむ……邪龍という存在はちと聞いた事がないであるが、まあ響きからしてろくでもないものだというのは分かるのである。で、そんなものを復活させて何を企んでいるのか、とかは聞いてもいいのであるか?」
「まあ、幾らでも聞いてくれと言ったのはこちらだからな。勿論構わないさ。ただ、大したことじゃあない。ちょっとばかり好きに暴れてもらって、この世界に混乱を引き起こしてもらいたいだけだ」
「なるほど……ありきたりと言えばありきたりではあるが、それは可能なのであるか?」
「というと?」
「封印されていたということは、一度敗れたのであろう? 暴れようとしたところで、また封印されるだけな気がするのであるが」
「道理だな。だがその心配はない。邪龍が敗れたのは、単体で暴れたからだ。他にも暴れるものがいれば、さすがに手は足らないだろう。そもそも当時の記録によれば、邪龍が敗れたのは、当時英雄と呼ばれた者達が力を合わせたからだそうだ。今の世にも七天などという大仰な名を持つ者達はいるが……さて、彼らはかつての英雄達に引けを取らないのだろうか? まあ仮に引けを取らなかったとしても、結局封印は不可能だ」
「その直前まで持っていくことは出来るのに、封印することは出来ない……ふむ。当時の封印の仕方が現在にまで受け継がれていない、とかであるか?」
「惜しいな。厳密には、再現することが出来ないからだ。というのも、当時の邪龍は十二に分割され、それぞれで封印されることとなった。しかし十二に分割しても、その封印には命をかける必要があったのさ。エルフの、しかも王族であるハイエルフのものを、な。だが一度に十二人もの命を失われた彼らは、現在に至るまで当時の人数にまでハイエルフを増やす事が出来ていない。確か、今残っているハイエルフは六人だったか? だからどう頑張っても、封印は出来ないのさ」
それは事実であった。
現在エルフの国に居るハイエルフは六人……いや、エルフの国に居る、と言うのであれば五人か。
それしかいない。
つまり全員の命を使ったところで、半分しか封印出来ないのだ。
それは、もう……。
「なるほど……それは大変であるな。つまり、その前に封印を解こうとする者をどうにかするのが、最も手っ取り早い、ということであるな」
「……まあ、当然そこに行き着くだろうな。だがその心配をする必要はない。何故ならば、封印はここが最後だからな」
「ほぅ……? 他の封印は既に解いた、と?」
「そういうことだ。君達の戦いぶりは俺も見させてもらったからね。そんな君達の前に姿を見せるのに、危ない橋は渡れないさ。まああとは単純に、ここの封印が最も強固だったから、ということも理由ではあるんだが」
「……っ」
一瞬、その手があったかと浮上しかけた心が、瞬時に叩き落される。
それはそうだ。
こんな大それたことを考えるような人物が、そんな隙をそう簡単に晒すわけがない。
「ちなみに、少し話は戻るであるが、世界に混乱を起こしてどうするのである?」
「いや、別にそれでどうこうというわけではない。言うならば、混乱を引き起こすことそのものが理由だ。何せ我らが神は、死と破壊をこそ望むものだからな」
「……っ、何となくそうじゃないかって思ってたけど……やっぱり、邪教信者……!」
「ふむ……正直その言われ方は好きじゃあないんだが、まあ仕方ないか。今しばらくぐらいは、素直に受け入れよう。どうせ邪教の定義なんて、もうすぐ変わるのだからな」
「……随分と強気なのですね? 邪龍というのが暴れたところで、そこまでいくとは思わないのですが」
「それは勿論だ。こんなものは、手始めに過ぎない。今頃各地で同志達が、色々と手を打ってくれているはずさ。まあその一つは失敗してしまったみたいだが、そんなこともあるだろう。一つ二つ失敗した程度で、我々の計画には何の支障もない」
「うーむ……色々と納得できたであるが、最後に一つだけ聞いていいであるか?」
「最後と言わずまだまだ聞いてくれてもいいのだが……勿論、構わないとも」
「何故我輩達にここまで色々と教えてくれるのである?」
「ふっ……くくくっ、そんなの、決まっているじゃあないか。――ここで全員殺すから、さ!」
その言葉と同時、それの指が、パチンと、一つの音を立てた。
瞬間、それまで僅かに蠢くだけであった龍の瞳が、ぎょろりと動く。
それは今までまどろんでいただけだったのが、ようやく目を覚ましたかのようであり――それに見つめられただけで、心臓が鷲掴みされた如く、身体の全てが言うことを利かなくなった。
「っ……何これ……身体が……!?」
「動か、ないのです……!?」
「邪龍の目を見れば、そうなるのも当然だ。そして分かっただろう? 今までの話が全て事実だということが。とはいえ実のところ、ここまで全てが計画通りだった、というわけではないんだがね。正直なところ、君達がここまで来るというのは予想外だった。ここに居たアレを突破させるには、君達含め何組にも挑戦させ、少しずつ情報を集めた後での予定だったからね。まあ、嬉しい誤算だったというわけだ。そのせいで少しばかり計画を繰り上げる必要が出てきたが、それは望みこそすれ憂うことではない。っと、ああ、そうだ、折角だし、そのことで君達には褒美を与えよう」
「……褒美? ……そんなの、いらない」
言いつつ、身体を必死に動かそうとするが、それでもやはり動くことはなかった。
圧倒的な死だけを実感し……だが必死なのは、それが理由ではない。
だってこのままでは、かつて同胞がその命を以って行ったことが、無意味になる。
自分が、無意味にしてしまう。
しかもこれでもまだ、十二分の一なのだという。
そんなものが本来の力を取り戻し、暴れるとなれば、果たしてどれほどの被害となるだろう。
それにドリス達が巻き込まれてしまう可能性は高く……あの森だって、無関係ではいられないかもしれない。
それだけは絶対に、許せなかった。
「……っ」
「まあそう言わず、受け取ってくれ。これまでにも協力者には全員、与えているのだからな。まあ今までは話を持ちかけた一人にだけ、与えていたんだが……そうだな、君達は特別頑張ってくれたことだし、誰に褒美を与えるのか君達で選ぶといい。その人物だけ特別に、助けてあげようじゃないか」
「それの何処が、褒美なのよ……!」
「うん? このままだと確実に、全員が死ぬだけなんだ。それを見逃してもらえるなんて、これ以上ないほどの褒美だろう?」
「クソくらえ、なのです!」
戯言には耳を貸さず、ひたすらに自らの身体へと意識を向ける。
それでも指先一つ動きはしないが、諦めることはなかった。
ただ身体を動かすことだけを考え、それを続けていく。
仮に身体が動いたところで、龍をどうにか出来るなんて思い上がってはいない。
多分結果は変わらないだろう。
無残に死ぬことに、違いはない。
だからそれはきっと、ただの自己満足だ。
自分がやらかしてしまったことを素直に受け入れることが出来ず、足掻いた振りをしたいだけ。
――それでも。
それでも……例えこの身を捧げることになるのだとしても――
「ふむ……我輩とりあえず貰えるものは貰う主義であるが、さすがにそれはいらんであるな。というわけで、残念なことにここまでのようである」
「ああ、確かに残念だが、なに、悲しむことはない。君達のおかげで、俺達の計画は前に進む事が出来たんだ。その成果は、必ず伝え広めると誓おう。ところで、誰を助けるのかを決めなくても本当にいいのか? 俺達は別に、邪龍を従える事が出来るわけではない。さっさと決めてしまわないと、最悪誰も残らないことになってしまうが?」
「なに、無用の心配である。――その必要が、ないであるからな」
瞬間、視界の端でソーマの腕が動いたのを捉えた。
剣が煌き――
「――一刀両断」
それは、先ほどのアレを倒した一撃。
自分の技でもあるそれを……その結果を、だがシーラは、悲痛な思いで見つめていた。
この状況でそんなことができたことは、さすがだと思うし、驚嘆に値するが……それは、無意味でしかなかったからだ。
だって相手は、龍なのである。
確かにソーマは先ほどのアレを、それで以って倒した。
しかし同じことが、龍にも通用するはずがないだろう。
「くっ、はははっ……! なんだそれは? もしかすると、そんなもので、この龍をどうにか出来ると思ったのか? 一部とはいえ、かつてこの世界を恐怖で震え上がらせた邪龍だぞ!? 出来るわけがあるまい……!」
それの言葉は不快であったが、事実でもあった。
どうしようもない、それが現実なのだ。
自分も確かに、抵抗しようとはしていた。
でもそれは、無意味だと分かった上でのことなのだ。
或いはソーマも、承知の上だったのかもしれないけど……それでも、勝手だけど、ソーマでも無理だったという現実を知らされてしまうぐらいならば、せめて逃げてくれた方が――
「ふんっ、もう少し見込みのあるやつだと思っていたが、俺の目も曇ったか? ここまで愚かであったとは……或いは、恐怖のあまり狂ったか? まったく、そこそこ使えそうだから、従うのであれば同志にしても構わないと思っ、て……?」
「……え?」
だがそこまで思って、ふと、目の前で、よく分からない事が起こっていたことに気付いた。
だってそうだろう。
邪龍の一部と呼ばれたそれ、その中央に、一条の線が走っていたのだ。
まるで断ち斬られたみたいに。
「……は?」
そして黒いローブのそれが漏らした、呆然とした呟きに押されたかのように、その身体がずれ始めた。
その線を基準にして、上下にずれ……やがて左右へと分かたれ始める。
それはシーラの目には、妙にゆっくりに見え……ズシン、と。
小さな地響きを起こしながら、それは地面に倒れこんだのであった。
さらには、それだけでは終わらない。
二つになって倒れたそれは、まるで空気に溶けるように、少しずつその身体を解し……気がつけば、跡形もなく消えていたのだ。
その現象を、シーラは知っていた。
先ほどソーマが天使と呼んでいたアレの時にも起こったことではあるが……それは、幻想種の死だ。
人の想念によって星に生み出されたそれは、死と同時にその身体を星に返すのである。
つまり……つまり。
死ぬはずのない龍が、殺せるはずのない龍が、死んだということであった。
「馬鹿な……馬鹿な馬鹿な馬鹿な馬鹿な馬鹿な馬鹿な馬鹿な馬鹿な……馬鹿な……!」
呆然としながらも、声の聞こえた方へと視線を向けてみれば、黒いローブのそれが、そこで叫んでいた。
今あれに潰されたようにも見えたのだが、どうやらそうはならなかったらしい。
もっともそれが、どれほど意味があるのかは分からないが――
「龍……龍だぞ……!? 一部とはいえ、龍が、邪龍が、斬り殺された……!? そんなこと、有り得るわけがあるまい……!」
「ふむ……何を以って有り得んなどと言っているのかは分からんであるが、別に不思議なことでもあるまい。龍とは言っても、所詮は幻想種。生命を与えられてしまった存在である。ならば、その維持が不可能なほどの攻撃を受ければ、消えるしかない。議論する必要すらない、当たり前の道理であろう?」
その話は、理屈は分かった。
そして確かに、正しい。
ただ、一つだけ問題があった。
そんな攻撃は、人の身では不可能だということである。
「くっ……だからそれが有り得ないのだとっ…………いや、まあいい。そうだ、理屈などどうでもいいことだ。重要なのは、結果のみ。そして結果を言ってしまえば、十二個あるうちの一つが減っただけだ。それは確かに痛手だが、それでこれほどの脅威を知る事が出来たのだと思えば、安いものだろう。ちっ、計画を少し変更せねばならんか……」
「ふむ……それは大変そうであるが、なに、その心配も無用であろう。生憎と我輩、先ほどのような話を聞いて貴様を見逃すほど、慈悲の心を持ってはいないのでな」
「ふんっ、それは当然のことだが、こちらも生憎ながら、こんな場所に身体を晒すほど無用心では、がっ――!?」
瞬間、それの口元から、血が吐き出された。
いや、それどころではない。
その胴に線が走り、少しずつ上下に分かたれ始めたからだ。
そして驚愕を貼り付けたまま、その上半身が、床へと落ちる。
「ああ、すまんである。一つ言い忘れていたであるが……実は貴様もとっくに斬っていたのである。どうやら今ようやく貴様の身体はそれに気付いたようであるがな」
「ば、馬鹿なっ……お前達に見せているのは、俺の虚像だぞ? 空間を歪め、そこに居るように見せているだけで……だというのに、それを斬るだと……!?」
「こうして見えているのであるぞ? 本体が何処にあろうとも、斬れないわけがなかろう」
「……はっ……く、くくくっ……なるほど、な。真に愚かだったのは、俺の方だったか。……だが、俺の役目は、ほぼ終えた。それにこれはこれで……ありだろう。あとは……同志達に……任せる……だけ…………だ」
そう言って、それは動かなくなり……やがて、その姿が掻き消えた。
あの話しぶりからするに、この場にいたのはアレの影のようなものだったため、死んだことでその維持が出来なくなったのだろう。
斬られたのに気付いた時点で維持が切れてもおかしくはなかったが、最後の瞬間まで維持し続けたのは、意地か何かだろうか。
だが何にせよ、どうにかなったようだと、そっと息を吐き出した。
「なんていうか、本当はこんな言葉だけで終わらせちゃ駄目なんだろうけど……相変わらずね、以外の言葉は出てこないわ」
「さすがなのです!」
確かに、ソーマが今やったことは色々と有り得ないことだらけだったはずだが、驚きが許容量を超えてしまったのか、それともシーラも慣れてきたのか……最終的には、さすが、という感想しか浮かんでは来なかった。
まあ或いはもう少し落ち着けばまた別のことを思ったりするのかもしれないが……今はその余裕はないだろう。
「……ところで、どうする?」
「ふむ……どうせ騙されるならば色々情報を引き出してから潰したほうが最終的には手っ取り早い、的な感じだったのではあるが……予想外の代物を引き当ててしまったようであるな」
「……ま、さすがに放っておくわけにはいかないわよね。あたし達に何が出来るとも思わないけど……ソーマ以外」
「逆に言えば、兄様ならば何とか出来る可能性があるのですから、そこまで手助けするのはわたし達の役目なのです」
「さすがに龍相手であると、簡単に出来るとは言えんであるがな……あそこまで油断しきった状態というのは、早々ないであろうし。……まあだが、それでも、何とかなるであろう」
随分と気軽に言ってくれるが、先ほどの光景を見た後でならば、そうかもしれないと思えてしまうから不思議なものだ。
ともあれ。
「とはいえ、何処に行くべきなのかしらね?」
「具体的な場所とかは何も言ってなかったですからね……とりあえず情報集め、なのです?」
「……ん、それが無難。……でも、多分それだと遅い」
「なのよね……移動にも時間がかかることを考えると、あまりのんびりしてもいられないし」
「ふむ……いや、行く先に関しては考える必要はないのである」
「え、兄様、何か手がかり掴んでいるのです?」
「うむ。さっきのアレは、おそらくこの直後に何かを起こすつもりであったのだろう。ならばその何事かを起こす近くに居た可能性が高いのである」
「……ん、確かに。……でも、もうそれを知る術はない」
「いや、それを知る必要はないのである。アレの言によれば、そこの空間はつい先ほどまで、間接的にではあるがアレの居た場所と繋がっていたはずなのであるからな」
「……ちょっと待って。何でそんなことを言いながら、あんたは剣を構えてるの? 何か凄く嫌な予感がするんだけど……」
「気のせいであろう。さて、というわけで――行くであるぞ、皆」
「だから、ちょっと待――」
アイナの制止が間に合うよりも先に、ソーマの振るった刃が目の前の空間を斬り裂く。
そして――。




