エルフと冒険者
シーラ・レオンハルトはエルフである。
正確には森霊種と呼ばれる種族であり、かつて精霊であった者達が自我を確固たるものとし、種として定着した、その末裔の一人だ。
つまりシーラの中には、精霊の血が流れているといっても過言ではないのである。
だが正直に言ってしまえば、シーラがそれを実感したことはなかった。
エルフであれば誰でも当たり前のように、それこそ手足のように使用することの出来る魔法が、シーラには何一つ使うことが出来ないからである。
自分達の国であり、聖域であるその場所では、エルフは魔法の力が増幅され、精霊と同等と言われるほどの力を振るうことが可能だ。
下級のスキルしか持たずとも、そこであれば上級と同等の力を使うことが出来る、と言えば少しは分かりやすいだろうか。
エルフが希少種でありながらも、全種族の中で唯一中立を保っていられるのは、そういったことが背景にあるのだ。
そして聖域の中で力を増すその理由こそが、エルフが精霊の血を受け継いでいるその証である。
少なくともエルフの間ではそのように言われており、それを実感することこそがエルフのアイデンティティともなるのだ。
しかし魔法を使うことの出来ないシーラには、その増すべき力がない。
シーラには魔法の代わりとばかりに刀を扱う才能はあったが、それが増幅されることはなかったのだ。
実感出来ないというのは、そういうことであった。
だがシーラにとって最もこたえたのは、それが故に厚遇された、ということだろう。
迫害されていた方がマシだったと思ってしまうぐらい、それはシーラにとって望ましいものではなかったのである。
エルフは排他的ではあるが、仲間に対しては常に寛容で、博愛的だ。
たった一つの例外を除き、困っている仲間がいれば無条件で手を差し出すことは、彼女達にとって常識ですらあった。
だからシーラにとっての日常というのは、仲間達に助けてもらうということと同義だったのである。
或いは、助けてもらわなければ生活することすらも困難であったと言い換えることも出来るが。
エルフ達は、その国の中でならば強大な力を振るえるが故に、その場所を自分達にとって居心地のいい場所へと変えていた。
所定の場所へと赴けば、手をかざすだけで大した魔力の消費もなく水が溢れ火が灯り、時には擬似的な空間転移すらも可能とする。
生活に不便はなく、望む通りのものが手に入り、そしてそれはエルフであれば誰もが享受出来るものであったのだ。
ただの一人を除けば。
そしてその一人であるシーラにしてみれば、エルフの国というのは不便なことしかなかった。
水が欲しいと思えば、数キロ先の小川にまで汲みにいかなくてはならないし、火が欲しいと思えば、まず火種を作るところから始まる。
移動するには当然徒歩しか手段はないが、森に作られたその国はとにかく歩くには不便であった。
何せ大半の家が樹木の上に作られているのだ。
転移を使わないまでも、普段他のエルフ達は空を飛んで移動しているのである。
場所によっては、移動することそのものが不可能なことも珍しいことではなかった。
そんな状況であるが故に、シーラは他のエルフの手を借りるしかなかったのだ。
仲間達はそれを、誰であろうとも、いつであろうとも快く受けてくれ……シーラはそれが、たまらなく嫌だった。
だってシーラはそんな仲間たちに、何も返せはしないのだ。
どれだけ刀を扱うことが得意であっても、それを振るう機会がなければ意味がない。
そもそもエルフの森に近寄るような間抜けは、魔物ですらおらず、仮にいたところで誰かが簡単に魔法で以って撃退するだろう。
そんな一方的に恩を受けるしかない関係が、だからシーラは嫌だった。
皆がそんな自分でも、対等な関係なのだと思ってくれているのが分かっているからこそ、余計に。
シーラもまた、そんな彼女達を仲間だと思っているから……だから。
本当の意味で、心の底から仲間と呼びたいと思ったから、何としてでも魔法を覚えようと、そこを飛び出したのだ。
とある用事でエルフの森を訪れていたドリスに、頼み込むようにして。
それを彼女は、自分が連れ出したのだと感じているようだけれど。
ともあれ、そうして初めて森の外に出たシーラにとって、外の世界は驚きの連続であった。
まず魔法が使えなくとも日常生活を問題なく送れるという時点で驚きであったし、井戸というものを見た時には真剣にあの森にそれを設置しようかどうか迷ったものだ。
そういったことの大半はドリスによって教えられたものであり、随分と手も貸してもらったものだと思う。
だがあの森での生活と違ったのは、やがてそれが一人でも出来るようになったことだ。
井戸から一人で水を汲み、それを飲めた時の感動は、今でもはっきりと覚えている。
しかしそれでも、一方的に恩を受けるという意味では、ドリスもまた同様であった。
ドリスと共に冒険者をやるようになったが、刀を振るうほどのことはなく、そもそもドリスもまたそれなりの腕の冒険者であったのだ。
いつも助かると言ってくれはしたものの、それはシーラも同じである。
結局シーラだから出来たことなんて、一つもなく――
「ふむ、なるほど……ランクが上がりさえすれば、ギルドカードも身分証代わりとなったりもするのであるな」
「……ん、一人前の冒険者は、一人の市民として数えられるから」
「でもそのためには、何年もかかるのですよね? 冒険者って大変なのです」
「何他人事みたいに言ってるのよ。今はあたし達もその冒険者でしょうが。……まあ、大変だっていうのは、同感だけど」
「……ん、でも元を考えると、仕方ない」
「誰でもなれるものであるからなぁ……それを考えれば、むしろ何年か頑張れば市民になれる、というだけで十分すぎると思うのである。我輩最初はそれすら無理だと思っていたであるし」
「……昔の冒険者達の功績、らしい?」
「はー、昔の人も色々頑張ったのですねえ」
そうして自分の話を聞いて、感心したような顔を見せる三人から、シーラはそっと視線を外した。
今もフードは被っているため、向こうからこちらの顔は見えていないはずだが……何となく、見ていられなかったのだ。
そんなシーラの視界に映るのは、ここ数日の間ずっとお世話になっている木造の壁だ。
僅かに揺れているそれは足元から伝わるものであり、全体を揺らしているものでもある。
移動中なのだから当然ではあるのだが……つまるところここは、馬車の幌の中なのであった。
向かっている先は、アーベント男爵領最南端の街、トリアム。
しかしそれはこの馬車が向かう先であって、シーラ達の目的地ではない。
シーラ達が目指しているのは、そのさらに先、ヨードル男爵領の中央部に位置する、ヴァイオットだ。
というのも、それがあの時あの男から教えられた、次の古代遺跡のある場所だからである。
どうやらあの街の近くどころか、同じ領地の中ですらなかったらしい。
まあ古代遺跡の希少性から考えれば、ある意味当然ではあるのだが。
「ふむ……それにしても、我輩達は本当に冒険者のことについて何も知らんのであるな」
「まあそもそも冒険者として特にやっていこうと思ってはいなかったから、知ろうとしなかったってのもあるんだろうけど……それでも、普通ある程度はドリスさんが説明するものな気はするわね」
「……ん、ドリスは、お節介だけど、面倒くさがり」
「あー……失礼かもしれないのですけど、何となく分かる気がするのです」
「……確かに、言われると妙に納得するであるな」
自分しかやれる者がいない場合は、あれこれ率先して動くほどにお節介焼きなのだが、他にそれが出来る者がいれば、一方的にその相手に任せて自分は何もしないという面倒くさがり。
矛盾しそうなその二つが、ドリスの中では上手く共存しているのだ。
「まあ何にせよ、シーラに色々と教えてもらえて助かるわね。今後どっかの場面で使う事があるかもしれないし」
「うむ、色々と興味深いことがあったりもしたであるし、助かるのである」
「なのですね。ありがとうございますなのです」
「…………別に。馬車の中で、暇だっただけ」
それは本当といえば本当のことだ。
ルンブルクへの移動で一週間。
さらにそこからの移動で既に数日経っているので、いい加減話す話題も尽きてきたのである。
ならば折角だからと、冒険者のことを教えてほしいと頼まれ、教えていたところだったのだ。
「……そもそも、全部ドリスからの受け売り」
「それでも、教えてくれているのはシーラであるからな」
そう言って感謝の言葉を重ねるソーマ達から、シーラは逸らしたままであった視線を、さらに動かす。
何と言うか……それをどうやって受け止めたらいいのか、分からなかったのである。
だってシーラはいつも誰かに何かをしてもらう立場で、教えてもらう立場であったのだ。
こんな風に誰かに何かを教えることも、感謝されることも初めてなのである。
どうしたらいいのかなんて、知るわけがなかった。
知らないといえば、今この胸を占める、この感情もそうだ。
いや、それが何と呼ばれるものであるのか、ということは、勿論知ってはいるのだけれど。
誰かに何かをしてあげられて、それに感謝されるということが、こんなにも嬉しくなるものなのだということを、シーラは初めて知ったのだ。
同時に、ふと思う。
仲間のエルフ達が自分に色々なことをしてくれたのも、こんな想いを感じていたからなのだろうか、と。
それを知れただけでも、あそこから飛び出してきた意味はあったのかもしれないと……シーラは一瞬だけソーマ達へと視線を戻し、その口元を緩めるのであった。




