元最強、デートをする
フェリシアの前にそれが現れたのは、フェリシアが聖都を訪れたその日のことであった。
ソーマに用事があったのだが、生憎とソーマは不在らしく、知り合いでいるのはヒルデガルドだけらしい。
出直してもよかったのだが、それには少々不安もあった。
自分はもう限界に近いということを、誰に言われるでもなく理解していたからだ。
そしてだからこそ、聖都は都合がよかった。
神が住んでいるというのは眉唾ではあったものの、第五の王がいることは間違いない。
ならば、万が一の時でもきっと上手く対処してくれるだろうと思ったのだ。
しかし、肝心のソーマは不在と言われ……だがそれはある意味で都合がいいかもしれないとも思った。
ヒルデガルドしかいないというのも。
ヒルデガルドならばきっと自分の想いを理解し、決断を尊重してくれると思ったからだ。
ソーマに伝える前に相談するのであれば、あるいは最も相応しいかもしれない。
そんなことを思いながら、通された部屋の中でヒルデガルドのことを待ち……しかし、そんなフェリシアの前に現れたのは、ヒルデガルドではなかった。
名前は分からない。
名乗ることはなかった。
もしかしたら最初からそんなものはなかったのかもしれない。
確かだったのは、それは十歳ぐらいの少年だったということだ。
その顔には笑みが浮かんでおり、そうして現れるのが突然であったのならば、その言葉を告げてきたのも突然であった。
「――今のままでは、ほぼ間違いなく貴女の願いは叶わないでしょう。幾ら魔女といえども、貴女には既にそれだけの力がない。いえ……あるいは最初から無理だったかもしれません。ですが、この力を使えば、貴女の願いはきっと叶います。この僕の全てを賭けて、保証しましょう」
言葉の意味は半分程度しか分からなかった。
ただ一つだけ理解出来たのは、その言葉には、目には、どこまでも真摯な想いがあったということだけだ。
勿論疑わなかったといえば嘘になる。
あまりにも胡散臭く、何よりも都合が良すぎた。
疑問は山ほどにあり……だが自分でも驚くほどに逡巡することはしなかった。
何故だか心の底から信じられると、そう思ったのだ。
だから、その手を取った。
そして――
三日という時間は、瞬く間に過ぎた。
昼間は学校で平和な日常を過ごし、夜はまつろわぬものどもを探し、倒す。
大して代わり映えのない、だが掛け替えのない時間であった。
しかしそれももう終わりである。
今日は、この世界が終わる日であった。
そして、世界と共に一つの命も失われる日だ。
そんなことを考えながらリビングに向かうと、珍しいことにそこにはフェリシアだけがいた。
何をするでもなく、ボーっとテレビを眺めている。
心ここにあらずといった様子で、何かを考えているかのようでもあった。
「ふむ……フェリシアしかいないというのは、珍しいであるな」
「あっ……ソーマさん、おはようございます。そういうソーマさんも、今日は随分とゆっくりですね?」
「おはようである。まあ、日曜であるからな」
そう、今日は都合のいいことに日曜であった。
あるいは最初からそう決められていただけなのかもしれないが……まあ、どちらでも構うまい。
確かなのは、今日ならば余計なことに縛られることはないということである。
「それで、シーラや母上達はどうしたのである?」
「シーラは用事があるとかで、今日は最初から来ていません。ソフィアさんとクラウスさんはお出かけだそうですよ。揃ってお買い物だそうで、デートですね、って言ったらお二人とも恥ずかしそうにしていました」
「人の両親をからかうとは、フェリシアも中々やるであるな」
「いえ、それほどでも。……けれど、お二人は照れてはいましたけれど、幸せそうでもあって……正直なところ、少し羨ましかったです」
そう言ったフェリシアは、何かを思い出すように遠い目をしていた。
そこにあるのは羨望であり……諦観でもあるように見えたのは、果たして気のせいか。
そんなフェリシアを眺めながら、ソーマふむと一つ呟いた。
両親達が出かけたのは、あるいは万が一にも邪魔をされないようにと、排除されたからなのかもしれない。
あの悪魔曰く、この世界は舞台装置だという話である。
ならば、必要のない脇役を舞台の上に配置する必要はあるまい。
ただ、シーラがいないのは、意図的なものである。
今日が期限だということを、昨日エレオノーラから正式に告げられたからだ。
随分と苦悩していたようではあるが……今日ここに来ていないということは、受け入れることに決めたのだろう。
おそらく今頃は、アイナ達と共にとある場所で待機しているはずである。
そして今日のソーマには、その場所までフェリシアを連れて行くという役目が課されていた。
「では、フェリシアも我輩とするであるか?」
「え、何がですか?」
「無論、デートを、である」
ポカンと口を開け見つめてくるフェリシアに、ソーマは肩をすくめた。
その言葉は決して出鱈目というわけではない。
アイナ達が待機しているのは今までも幾度か訪れている公園なのだ。
公園に遊びに行くというのであれば、それは紛れもなくデートだろう。
遊びと言い切るには、少々物騒に過ぎるとしても、である。
しばしフェリシアはそうしてソーマのことを見つめていたが、やがて我に帰ると、何を思ったのかくすりと笑みを漏らした。
「ソーマさんがそういったことを口にするのは珍しいですね。いえ、もしかしたら初めてではありませんか?」
「ふむ……確かに、言われてみればそうかもしれんであるな」
「そうですか……それなら、十分ですね」
「何がである?」
「私がソーマさんとデートをする理由とするのに、です」
そう言ってフェリシアは、どこか楽しそうに笑みを浮かべた。
気取った言葉で取り繕ったところで、内容までが変わるわけではない。
特に着替えたりすることもなく、ソーマ達はそのままの格好で外を歩いていた。
日差しは柔らかく、風は暖かい。
今が何月なのかは知らなかったが、おそらくは春という設定なのだろう。
日向ぼっこでもしながらうつらうつらとしたら、きっと最高に気持ち良いに違いなかった。
と、ソーマは空を見上げながらそんなことを考えていたのだが、隣を歩くフェリシアはまったく違う事を考えていたらしい。
「そういえば、こうして二人だけで歩くのは、随分と久しぶりですね。五年ぶりぐらいでしょうか」
「そうであるか? つい数日前にも二人だけで登校したような気がするのであるが……」
「それはあくまでも、登校じゃないですか。……まあ、以前のもデートかと言われると、違う気がしますけれど」
「ふむ……」
五年前と言われたところで、当然のようにソーマにその記憶はない。
検索方法が悪いのか、該当する記憶が見つかることもなかった。
だが、敢えてそのことを口にする理由もあるまい。
「それはすまんかったであるな」
「どうして謝るんですか? 私は嬉しかったですよ? ……そこにどんな理由があったのだとしても、ソーマさんとこうして二人で歩く事が出来て、お喋りする事が出来て」
それはどういう意味かと、尋ねることは出来なかった。
視界に件の公園が映り、同時に足が止まったからだ。
そこに、一人の見知った姿が、アイナが立っていたからであった。
「アイナ……?」
無論ここにアイナがいるのはおかしなことではない。
しかし、あくまでもそれはここで待機をしているからである。
こうして待っているというのは、聞いてはいなかった。
「悪いわね、デートの邪魔をして」
「いえ……けれど、どうしてアイナさんが?」
「あたしがここにいるのは……そうね、説明役みたいなものかしら。あんたがこれからどういう目に遭って、どうしてそんな目に遭わなくちゃならないのかっていう、それを説明する役目」
「アイナ、それは……」
その役目は、てっきりソーマがやるものだと思っていた。
確かに知識的な意味で言うのならば、アイナやエレオノーラの方が適任ではある。
だがアイナはまだ会って数日であり、エレオノーラとはこの世界でまともに面識があるのか分かったものではない。
これから話すことを考えれば、あまりにも胡散臭く、信じてもらえる可能性は低いだろう。
となると最も適任なのはシーラであるが、昨日の様子を見る限りではフェリシアを前にして冷静に話が出来るのかは疑問だ。
ゆえに、必然的にソーマがその役を果たすことになると思っていたのだが――
「あたしがやるわ。これは……あたしのケジメだから」
真っ直ぐな目でそう言われてしまったら、引き下がる以外にあるまい。
フェリシアはアイナの様子に首を傾げていたが、その様子に只事ではないことは分かっただろう。
曖昧に頷くと、それを目にしたアイナが背を向けて公園に入っていき、ソーマ達も少し遅れて中へと入る。
そうしてアイナとフェリシアが公園の中央で向かい合うのを、ソーマは一歩離れた場所から眺めていた。
「さて、きっと今から言うことは信じられないとは思うけど、全て真実よ。そしてその上で先に結論だけを言っちゃうけど……あんたは、今日ここで死ぬ。いえ……殺されることになるわ」
まつろわぬものども。
それとフェリシアとの関係。
過去に起こった事実と、今の状況と、予測される未来のこと。
その全ての、日常からは程遠い言葉を、フェリシアはただ黙って聞いていた。
そして、全てを聞き終えた後で、何一つ否定することなく、たった一つの疑問を口にする。
「……なるほど。一つだけ疑問があるのですけれど……先ほどアイナさんは、私が殺される、と言いましたよね? では、私を殺すのは一体誰になるんですか?」
「それは、あたしが――」
「――いや、我輩がやるのである」
アイナが口にしようとしたのを遮って、ソーマが告げた。
アイナが驚いたような顔を向けてくるが、これは既に決めていたことである。
「ソーマ、別にあんたがそこまでする必要は……」
「必要があるとかないとか、そういうことではないのである。これは我輩にしか出来ないことであり、我輩がやると決めたことであるからな。他の誰も、何も関係はなく、ただ我輩の意思である」
先ほどアイナがそうしたように、真っ直ぐに告げると、今度はアイナが黙った。
それからフェリシアの方へと向き直り……僅かにソーマは目を見開く。
フェリシアの顔には、混乱もなければ悲嘆や諦観などもなく、ただ笑みだけがあったからだ。
「……フェリシア?」
「こんなことを言うのもどうかと思うのですけれど……正直、安心してしまいました」
「安心、であるか?」
「はい。私を殺すのがソーマさんで、よかった。それは……私の、望みでしたから」
フェリシアの様子も、その言葉も、妙であった。
そもそも、今の話を素直に聞き入れている時点で、普通ではない。
信じられるわけがあるまいし、もっと混乱してしかるべきだろう。
だがフェリシアの目は、明らかに正気であった。
そして同時に、気付く。
フェリシアの目に灯る光は、向けられる瞳は……間違いなくソーマのよく知るフェリシアのものであった。
そのことを口にしようとし、だが止める。
いつからかは分からないが、フェリシアもまた記憶を取り戻していたのだろう。
しかしそれを告げなかったということは、その必要がないとフェリシアが思っていたということである。
ならばここで何を言ったところで、無意味に違いあるまい。
ここで必要な事実は、一つだけだ。
フェリシアは全てを受け入れたという、それだけのことである。
だからこそ、ソーマは黙って腕を振り抜いた。
その手の中には、見慣れた愛剣が握られている。
フェリシアも、黙って笑みを深め、だがその顔を一度だけ、公園の端へと向けた。
「……シーラ、ごめんなさい。そして、ありがとうございました」
その言葉にどれだけの想いがこめられているのか。
ソーマには分からなかったが、きっとシーラには届いたのだろう。
僅かに気配が揺れ、しかしそれだけだった。
こちらに向き直ったフェリシアが、一歩を踏み出す。
ソーマもそれに合わせて踏み出し……腕を、突き出した。
肉を突き刺し貫く感触に僅かに顔を顰めるが、最後まで力を緩めることなく、違うことなくフェリシアの胸を、心臓を貫く。
血が流れ、だがフェリシアの口から苦痛や悲鳴が漏れることはなかった。
最期まで、フェリシアは笑みを絶やすことなく……糸が途切れたかのように、その身体から力が抜けた。
倒れこんできた身体を受け止めるが、既にその身体は人形のようになっており、人形でないと分かるのは胸から血を流しているということだけだ。
剣を抜くと血が溢れたが、それでもやはりその身体が動くことはない。
黙ってその身体を地面へと横たえると、ただ赤黒い液体だけがその場に広がった。
その光景をジッと見つめていたアイナの身体は僅かに震えており、同じく僅かに震えている声が発される。
「……まつろわぬものどもが現れる様子はない、わね? 懸念は外れた、ってこと?」
「いや……どうやら、そういうわけではなさそうであるぞ?」
言った瞬間であった。
地面に横たえていたフェリシアの身体から、溢れるようにして闇が爆ぜたのだ。
闇はその場で吹き上がり、十メートルほどの高さになるも、霧散して消えるようなことはない。
否、むしろ徐々にその存在を濃くし、確かなモノへと成り始めていた。
「っ……これって、やっぱり、まつろわぬものどもが……!?」
「――いや」
アイナの悲鳴にも似た叫びを、ソーマははっきりと否定した。
ソレは、まつろわぬものどもとかいう、曖昧なものではなかったからだ。
何よりも、ソーマにはその存在の気配に、覚えがあった。
「これは、悪魔である」
その言葉に、人型を取り始めたその顔が、動く。
それは、まったく似ても似つかなかったものの、どことなくあの少年の笑みを彷彿とさせるように、ソーマには感じられたのであった。




