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すぐそこにある悪夢

 部屋に、声が響いていた。


 それはどことなく苦しげであり、だが同時に快楽も含んでいる。

 いや、あるいは快楽の方が大きいかもしれない。


 それは嬌声に似ていた。


 そしてそれに紛れるようにして、歯を食いしばるような音が響く。


「っ……どうして、であります……どうして、こんなことを……!」


 呻くようにセシーリアが呟き、しかし耳に届く声が止む事はない。

 粘り気の混じった音にも埋もれ、ただセシーリアは嘆くことしか出来なかった。


 広い部屋であった。

 セシーリアが横になっている地面よりも一段高いものが部屋の奥には存在しており、その上には豪華な椅子がある。


 だが本来そこに座るべき人物は、そこに座ってはいなかった。

 セシーリアのすぐ傍で、楽しげな笑みを浮かべながら腕を小刻みに動かしているからだ。


 それと共に嬌声に似た声が響き、セシーリアは拳を強く握り締めた。


 と。


「なんだ、一体何が不満だってんだ?」


 腕の動きを止めることなくそんな言葉を放ってきたイザークを、セシーリアは強く睨みつけた。


 しかしイザークが、怖い怖いとでも言いたげに肩をすくめながらもやはり腕を止める事がないのは、セシーリアが何も出来ないということを知っているからだろう。

 何せ両手両足が縛られているのだ。

 イザークを殴ったりするのは勿論のこと、この場から移動することすらろくに出来ない。


 もっとも、両手両足が自由に動いたところで、イザークを殴る事が出来るのかはまた別の話ではあるが。


「っ……そんなこと、決まっているのであります……! 何故、こんなことをするのでありますか……!?」

「こんなこと、などと言われてもな。見れば分かるだろう? オレ達はただ、互いを楽しませてるだけだってな」


 言いながら、イザークは強く腕を打ちつけ、一際大きな声が響く。

 粘り気のある赤黒い血が周囲へと飛び散るのを眺め、セシーリアは強く歯を食いしばりながら――


「っ……互いを楽しませてるなどと、よくそんなことを……!」

「くくっ……まあ、あまり妹を苛めるのは止めておくか。嫌われちまったら元も子もないんだからな」

「何を今更、であります……!」

「んん? 今更? おかしいな、オレはお前に喜ばれることこそすれ、嫌われるようなことをした覚えはないんだが……?」


 首を傾げている姿は、とぼけているようにも、本気で言っているようにも見える。


 だがどちらであろうと、セシーリアの口にすることは一つだ。


「皆さんにこんなことをしておいて、何を言っているでありますか……!」


 その部屋――玉座の間には、セシーリアとイザークの他にも数名の女性が寝転がされていた。


 しかもその全ては身体中の至るところから血を流しており、五体が満足な者は一人としていない。

 中には四肢の全てを失っている者もいて……だが何よりも問題だったのは、セシーリアは彼女達のことを知っていた、ということだ。

 無論、イザークが今跨り、嬌声のような声を上げさせている少女も、である。


 彼女達は……各地の拠点で殺され、あるいは餓死してしまったと思っていた、仲間であった。


「こんなこと、とか言われてもな……お前とは感動の再会が出来て、さらにこうして喜んでるんだぞ? 一体何が不満だって言うんだ?」

「喜んでいる、など……どこが、でありますか……!」

「おいおい、いくら否定したいからって、嘘はよくねえぜ? こんなに喜んで、だらしなく涎まで垂れ流してるじゃねえか。まったく、男冥利に尽きるとはこのことだ、なっ!」


 確かに、一見すると喜んでいるようにも見えるかもしれない。

 少女の顔に笑みが浮かんでいるというのも事実だ。


 だが。


「それは、都合のいい幻覚を見せているから、ではありませんか……!」


 セシーリアの叫びに、イザークは口の端を吊り上げる。


 そう、彼女達がセシーリアを気にしている様子がないのも、イザークに身体中を切り刻まれているというのに喜んでしまっているのも、全てはイザークが彼女達へとそういう幻覚を見せているからだ。

 あの少女達の中では、今目の前にいるのは大好きな誰かで、喜ぶようなことをされている、ということになっているのである。


 そんなこと――


「許されることではない、であります……!」

「はっ……どこがだ? こいつらは喜んでるし、オレも楽しい上に気持ちいいときた。嫌がるやつらを嬲ったりするのもそれで楽しいんだが、正直すぐに飽きてくるからな。だがこうすることで全員が平等に幸せになれる。何の問題もありはしねえだろう?」


 あるいはその言葉には一理あるのかもしれない。

 しかしその実体は、自分に都合のいい言葉を並べているだけだ。


 そしてつまりは、街の人達にもかけているという幻術もこれと同じことなのである。

 一見皆が幸せでいるようにも見えるが、それは本当にそう見えるだけ。

 無意識のうちに全員が現実逃避をしているようなものだ。


 やはりあの時に感じたことは正しかった。

 こんなものは、どう考えたって間違っている。


「ったく……我が妹ながら中々の頭の固さだな。皆が幸せになってんだ。それでいいじゃねえか」

「……皆が幸せだというでありますが、それでは自分のもう一人の兄……第一王子はどうなのでありますか? あの人は……」

「いや、あいつだって幸せになれたはずだぜ? だってすげえ楽しそうだったからな。まあ、自分が殴られてるってことを認識せず、痛みも感じず、オレのことを一方的に殴り続けるって夢を見続ける事が出来たんだ。きっと最後の瞬間まで幸せだったに違いねえさ」

「っ……なるほど。やはり自分は正しかったようでありますね」

「あん? 何がだ?」

「自分の目の前にいるのは、クソ野郎だということであります……!」

「はっ、クソ野郎、か……やれやれ、妹にそんな呼ばれ方をされるなんてな。ま、だがいいさ。お前も直に幸せを感じる事が出来れば、その時こそはオレの言ってることの意味が分かるだろうからな」


 言いながら、イザークがゆっくりと立ち上がった。

 少女はいつの間にかぐったりとし、痙攣を繰り返している。


 だがその顔は、確かに幸せそうであった。

 そしてだからこそ、セシーリアは目の前のクソ野郎を睨みつける。


「くくっ、んな怖い顔すんじゃねえよ。まあその顔がどう蕩けるのかってことを考えれば、逆に楽しみでもあるがな」

「っ……そんなことには、絶対にならないのであります。そもそもこれから幻覚を見せられるということを知っている以上、何を見せられたところで無意味なのであります」

「はっ……そいつぁ考えが浅はかってもんだぜ? オレの力が何から借り受けてるもんなのか、忘れたのかよ? そんな認識すら騙すからこそ、こいつらだって楽しんでたんだろ?」

「それでも自分は、絶対そうならないであります……!」

「そりゃ楽しみだ。あいつはちょっと途中で鬱陶しくなってぶっ殺しちまったからな……お前はどんな風になるのか、本当に楽しみだぜ」


 イザークは唇の端を吊り上げ、心の底から楽しみだ、といった表情でそんなことを告げてくる。


 しかし何を言われようとも、セシーリアの気持ちに変わりはないし、これからも変わるはずはない。

 僅かに震える身体を拳を握り締めることで抑え、ただ睨みつける。


 イザークがゆっくりと近付き、セシーリアの身体へと手を伸ばし――


「くくっ……その強がりがどこまで続くか、見ものだな? まあ、どうせ――」


 その手がセシーリアに触れようかという瞬間、イザークは勢いよく後方へと飛び退いた。


 それを何故と思うよりも先に、結果が現れる。

 轟音と共に、直前までイザークの立っていた場所に火柱が上がったのだ。


 それは即ちセシーリアのすぐ傍に、ということではあるが、不思議と熱くはなかった。

 そして。


「汚い手で触ろうとしてんじゃないわよ、クソ野郎」

「……ん、これ以上クソ野郎の好きにはさせない」


 そんな言葉と共に、立ち塞がるようにして、セシーリアの目の前へと、見知った二人の少女が現れたのであった。

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