皇国からの親書と悪魔の光
手元の羊皮紙を眺めながら、ヒルデガルドは目を細めた。
その視線は羊皮紙に書かれた文字を追っており、進むごとに段々とヒルデガルドの表情は険しくなっていく。
とはいえ、実のところヒルデガルドがその羊皮紙を見るのはこれで二度目だ。
つまり何が書かれているのかは既に分かっているということであり……だがそれでも、平静ではいられなかったのである。
最後まで読み終えた瞬間、思わず羊皮紙を握っていた手に力が入り――
「はいはい、ボクもしっかり読んだわけじゃないんだから、勝手に握り潰そうとしないでくれるかな?」
しかし握り潰す直前で、そんな言葉と共に羊皮紙を取り上げられた。
「ぬあっ……!? 貴様、何をするのじゃ……!?」
反射的に取り上げられた先へと視線を向け、睨み付ける。
だが睨み付けた相手は、相変わらずの飄々とした様子で肩をすくめるだけだ。
「だからそれはこっちの台詞だって。そもそもこれ、一応扱い的には親書になるんだから、乱暴に扱われると困るんだよね」
「ふんっ、貴様が困るかどうかなど知ったことではないのじゃ。それよりも我のこの行き場のない苛立ちを解消するほうが先なのじゃ……!」
「ボクからすれば、そっちこそ知ったことではないんだけど? というか――ソーマ君から置いてけぼりにされたからって、親書に八つ当たりするのはよくないと思うよ?」
「っ……!」
言われた瞬間、それ――サティアをさらに強く睨むも、やはりその様子は変わらない。
どころか、やれやれとばかりに首を横に振りだす始末である。
その姿に、ついカッとなって叫んだ。
「我は置いてけぼりになどされていないのじゃ……! というか、そもそもそこに書かれていることが本当なのかという時点で怪しいのじゃ……!」
「えぇ……そこを疑っちゃうと、親書ってものの存在意義が揺らいじゃうんだけど?」
「ふんっ……何を今更。親書などとは言いつつも、そんなものは互いの都合が良いような言葉が書かれただけのものじゃろうが」
「ま、そうなんだけどさ」
国家の間で友情が成り立たないように、国同士の間で優先されるのは、結局のところ自国の利益だ。
ゆえにこそ、手紙一つとってもそこに本音が書かれるということは有り得ない。
どれだけ真摯に、こちらのことを思って書かれているように見えたところで、それは自国のためになるからでしかないのだ。
まあ、もっとも――
「とはいえ、これがそれだけのものじゃないってことは、キミが一番よく分かってるんじゃないかと思うけど? 何せこれは一応親書の体を取ってはいるけど、実際にはソーマ君が書いたものだろうしね」
サティアの言っていることは事実であった。
少なくとも、ヒルデガルドは先ほどまで読んでいたものがソーマが書いたものだと思っている。
理由は単純で、明らかに筆跡がソーマのものであったからだ。
だからこそ、もしや何か見落としていたり、あるいは暗号にでもなっているのではないかと思い読み返したのである。
ちなみに書かれていた内容とは、端的に言ってしまえば二つだ。
懸念していた事が解決し皇国がこちらに付いたということと、ソーマ達がまだ向こうに留まるということ。
無論のこと、親書としての体裁を整えて書かれたものであるため長々と馬鹿丁寧に書かれてはいたものの、余計なものを除いてしまえば書かれていたことはそれだけであった。
ソーマが親書を書けるということは、別にそれほど不思議なことではない。
ソーマは途中までとはいえ公爵家嫡男としての教育を受けている上、公爵家としての教育そのものは最後まで行われているのだ。
公爵家は国の代表として立つ事も多いため、教育の中には親書の書き方などというものも存在している。
ゆえにソーマが親書を書けたということに疑問を挟む余地はなく……だが、それはそれだ。
書けるからといって、書かれている内容がソーマの本心とは限らないのである。
「つまりそこに書かれているものは、きっとソーマが強制されて書かれたに違いないのじゃ……!」
「へー、そうなんだー」
「なんじゃそのやる気のない返事は……!?」
「いやだってさ、ソーマ君だよ? あのソーマ君が誰かに強制されて何かをするなんて、本当にそんなことが起こるなんて思ってるのかい?」
「っ……それは……」
その言葉に、ヒルデガルドは反論することが出来なかった。
その通りであり……しかしそれを認めるということは、自分が置いてけぼりにされてしまったということを認めることでもある。
皇国から届けられたという親書の中に、ヒルデガルドに関する記述は一つたりともなかったのだ。
その上でソーマ達は聖都にはまだ戻らないのだという。
置いてけぼりにされたというのは、そういうことであり――
「いや、ごめんごめん、悪ふざけが過ぎたね。だからそんな泣きそうな顔をしないでくれるかい? まるでボクがキミのことを泣かそうとしてるみたいじゃないか」
「な、泣きそうになどなっていないのじゃ……!」
ただ、ちょっとだけ……そう、本当に少しだけ、ソーマから必要ないと言われてしまったような気がしてしまっただけだ。
ずっと考えまいとしていたのだけれど、ソーマにしてみれば自分などいてもいなくても構わない存在なのではないかと――
「……まったく。キミって意外と面倒くさいやつだよね」
「な、何がなのじゃ……!?」
「とはいえまあ、これはボクにも責任があることだし、ちゃんと責任は果たすとしようかな」
「だから何がなのじゃ……!?」
「どうしてこれの中でキミに一言も言及していないのか、ってことさ」
「っ……それはやはり、我の事を――」
「うん、そうだね……やっぱり、それだけキミのことを信頼してるってことなんだろうね」
「……へ?」
予想していなかったことを言われ、思わず間抜けな声が漏れる。
何を言ってるんだとばかりに視線を向けるも、サティアはお構いなしに続けた。
「だってそうだろう? 自分で言うのもなんだけど、ボクやエレオノーラは今のところ彼に味方してはいるけれど、あくまでも今のところはだ。所属している先が違うし、状況によっては彼と敵対するようなことだってないとは言い切れない。まあ出来ればそんなことにはなって欲しくないけどね。でもキミはそうじゃない。それとも、キミもまた状況次第では彼の敵に回るのかな?」
「――そんなことは有り得んのじゃ。文字通りの意味で世界の全てが敵に回ろうとも、あやつの傍に居続けるということを、我は既に決めているのじゃからな」
「まあ、だろうね。そしてそのことは多分ソーマ君も分かってる。つまり、ここにいる中で確実に味方だといえる存在はキミしかいないというわけさ」
「……結局貴様は何が言いたいのじゃ?」
「分からないかい? この状況でキミに何も言わないのは普通有り得ないってことさ。でもだからこそ、キミに一言も言及していないということは、それだけ信頼しているということになる。何も言わずともキミなら分かるだろう、ってね。そうじゃないかい?」
言われた瞬間、まるで目の前が開けたような気分であった。
確かにその通りだったからだ。
ソーマの現状は、世界が敵になり、誰が敵かも分からないといったようなものである。
そんな状況で、遠方にいる確実に味方だと分かる相手に何も伝えないなどということがあるだろうか。
いや、有り得まい。
つまり――
「うむ……うむ、確かに言われてみればその通りじゃな! まあ我が信頼されてるなど当然のことなのじゃがな……!」
「……ちょろいなぁ。まあボクとしてはその方が助かるんだけど。……別に嘘を吐いたわけじゃないしね」
「む? 何か言ったのじゃ?」
「ただの独り言さ。何でもないよ。それよりも――」
そう言いながら、サティアは手元の羊皮紙を眺めた。
元々はサティアに届けられたものであるため、既に一度見ているはずだが、改めての確認といったところか。
ただし同じ二度目でもヒルデガルドとは異なり、その顔に浮かんでいるのは呆れであった。
「それにしても、彼は一体向こうで何をやったんだろうねえ……」
「まあ、詳しい事情どころか結果しか書いてないのじゃからな。想像すら出来ぬのじゃが……」
さらっと書かれてはいるが、ほぼ宣戦布告と同等の宣言まで行った皇国が一転して味方になったというのだ。
何がどうなればそうなるのかまるで分からない。
しかもソーマ達が姿を消してからまだ一月も経っていないのだ。
普通ならば罠か何かと疑うところだろう。
「とはいえ、ソーマじゃからな……まあ、そういうこともあるじゃろう」
「まあ同感ではあるんだけど。多分近いうちに正式な宣言がまたされるんだろうね」
「むしろ大変なのは周辺各国じゃろうな」
「気が早いところは色々と備え始めたりしてた頃だろうからね。そういう意味でも彼は本当にさすがだよ。っと、おや? これは……」
「む? どうかしたのじゃ?」
唐突に虚空を眺め目を細めだしたサティアに、ヒルデガルドは首を傾げる。
どう見ても何かがあったという様子だが、特にヒルデガルドの感覚に引っかかっているものはない。
だがその疑問はすぐに晴れることとなった。
直後に部屋の扉がノックされ、エレオノーラが姿を見せたからだ。
「失礼しますの」
「ふむ……何か厄介事でも起こった、ということなのじゃ?」
皇国は矛を収めることとなったが、元々聖都というのは危ういバランスの上で成り立っている場所だ。
その皇国が動いたということで、どこぞの国が先んじて動いたとしても不思議はない。
しかし、どうやらそういうわけではないようであった。
「いえ、厄介事は厄介事でも……そうですね、この中で最も関係があるのはヒルデガルドさんだと思いますわ」
「む? 我なのじゃ?」
「ええ、来客ですの。もっとも、本来は――」
エレオノーラが何かを口にしようとした、その瞬間であった。
反射的にエレオノーラがとある方角へと顔を向けたのと、ヒルデガルドが身構えたのはほぼ同時だ。
何があっても……それこそ敵襲があったところで対処出来るように一瞬で気を引き締め、だが実際に襲撃があったというわけではない。
あくまでもそれに匹敵するようなことが起こったというだけであり……直後に、声を震わせながらエレオノーラが叫んだ。
「な……なんですの、今の光は……!?」
「光……そうか、貴様はそう感じたのじゃな……」
「みたいだね……なるほど、そういうことか……」
「え……ど、どういう意味ですの……?」
「何でもないのじゃ。それよりも今の方角は……」
「うん、ベリタスのある方角だね。しかも、今感じたのは間違いない……悪魔の力だ」
つまり、ベリタスの方で悪魔が何かをした、ということらしい。
ヒルデガルドが感じられたのは強大な力の波動だけではあったが、サティアがそう言うのであれば正しいのだろう。
しかし。
「……悪魔が動き出すのはもっと後だと言っていた気がするのじゃが?」
「うーん……それに関しては弁明のしようもないかな。言い訳にしかならないけど、向こうもこっちの動きを読んだ上で動いてる、ってことなのかもしれない」
「まあ、ここで貴様を責めたところでどうにかなるものでもないのじゃしな。それよりも、今は急ぐべきじゃろう」
ベリタスで何かが起こった、というのは間違いないだろう。
そして皇国とベリタスは国境を接している。
何らかの影響がないとは言い切れず、少なくともソーマはこのことは知っておくべきだ。
さらに言うならば、明らかにこれは最優先事項であり、ソーマに最も早く知らせる手段はヒルデガルドが直接向かうことである。
というわけで――
「ああ、ちょっと待った。ヒルデガルドは行かなくていいよ。この親書の返答ってことで、今のこともそれとなく報せることにしよう」
「それだと時間がかかるじゃろうが……! その間に何かあったらどうするのじゃ……!?」
「うん、一理あるけど、でもキミの本音としてはこれでソーマ君に会いに行く口実が出来たってところだよね?」
「そ、そんなことは……!」
思いっきりあったが、一刻も早く知らせるべきことであるのも事実である。
だが睨みつけたところで、サティアは首を横に振るだけであった。
「何かあったってことは向こうでも気付くだろうし、ソーマ君のことだから悪魔だって想定して動くだろうさ。焦って報せに行く必要はないよ」
「そ、それは……確かにソーマならそう動く気もするのじゃが……」
「それに、キミはたった今来客があったって言われたばかりだろう?」
「言われはしたのじゃが……それよりもソーマの方が大事じゃろう」
「――いいや?」
そう言って向けられたサティアの目は、思った以上に真剣なものであった。
明らかに冗談を言っている様子ではなく、そのことにヒルデガルドは眉をひそめる。
「……どういうことなのじゃ? 我の客人とやらがそれほど重要なこと、じゃと? 確かに先ほど厄介事のようなことは言っていたのじゃが……」
「あ、いえ、正確にはヒルデガルドさんではなくソーマさんへの来客ですの。ソーマさんがいないからヒルデガルドへ、ということですわ」
「む? 元はソーマの、じゃと?」
そこでヒルデガルドになるということは、共通の知り合いということか。
つまりラディウスの関係者である可能性が高く……しかも、皇国に宣戦布告されたような状況だと認識されている聖都へとやってきたのだ。
なるほど確かに、少なくともただ事ではなさそうであった。
「……確かに、会った方がよさそうなのじゃな」
「うん、そうした方がいいよ。……正直なところ、ボクにもどうなるか分からないしね」
何やら意味深なことを言ってくるが、いつも通りのサティアでもある。
気にはなるが特に言及したりはせず、扉の方へと身体を向けた。
ソーマやベリタスのことは気になるが、仕方があるまい。
一つ息を吐き出すと、わざわざ聖都へとやってきたという誰かに会うために、ヒルデガルドは歩き出すのであった。




