一つの結末と一つの示唆
――ユピテル皇国から皇帝が失脚し、早五日が経とうとしていた。
当初は色々と混乱もあったものの、特に何かが変わるわけでもない、ということが周知されるようになってからは、少しずつ落ち着きを取り戻してきた……と、伝え聞いている。
実際のところソーマは混乱していたということも落ち着いてきたということも自分の目で見てはいないので、実感としては薄いのだ。
まあ、さすがにこの状況で他国の人間が堂々と街中を歩くわけにはいかないので、仕方なくはあるのだろうが。
どんな理由や経緯があったところで、自分達が皇帝として戴いていた人物がいなくなってしまったことに違いはないのだ。
不安もあるだろうことを考えれば、余計な刺激を与えないということでソーマ達に閉じこもっているよう命じるのは間違いではあるまい。
そしてソーマ達も皇国にこれ以上無駄な混乱を与えたいわけではないし、今回の一件にはソーマ達も関わってしまった以上は黙って従う以外になかった。
ちなみに、皇帝の扱いが失脚ということになっているのは、皇国を解体するわけではないからである。
その辺が誤って伝わってしまった結果、民達は混乱してしまったわけだが、これからも皇国は続いていく予定だ。
皇帝を継げる者はいなくなってしまったが、本当の意味で血が絶えてしまったわけではないのである。
しばらくは空位ということにして、皆で頑張って皇国を支えていくのだそうだ。
勿論と言うべきか、その先頭を走るのはランベルトである。
皇位を継ぐ資格こそないものの、皇族の血を引き、何よりも今回の件で最も責任を感じているからだ。
あるいは、そのうち資格など関係ないと皇位を継ぐに至るのではないか、という話も耳にしてはいるものの……どうなるかはこれからの皇国の皆次第といったところだろう。
少なくとも、それはソーマが関わることでないことだけは確かだ。
尚、ソーマ達が未だ皇国に留まっているのは、先の他にもう一つある。
むしろ理由としてはこっちの方が大きいのだが――
「―よし、五日も経ったのだし、もうよかろう……! 妾は街に赴くとする……!」
と、これまでとこれからのことを考えていたら、不意にそんな声が聞こえた。
視線を向けてみれば、そこにいるのは当然のように紫紺の髪と瞳を持つ女性であるが……ほぼ同時に、複数の溜息が吐き出される。
「皇帝代行、任せたのである」
「そうね、任せたわ、皇帝代行」
「任されたくはないんだが……まあ、任されるしかない、か。というわけで、愚妹」
「む? どうしたのだ、兄上? 妾はこれから街に行くゆえ忙しいのだが?」
「その予定は今すぐ破棄しろ。お前は今日もここで待機だ」
瞬間愕然とした表情を浮かべる女性――ヴィクトリアであるが、皇帝代行ということになったランベルトは情け容赦なく言葉を重ねていく。
駄目だ、と。
「何故なのだ兄上……!? 妾五日も我慢したのだぞ……!?」
「五日程度でお前が現れたら再び街は大混乱になるに決まっているだろう? 何のためにお前は表向きは失脚、裏向きは死亡、ということになってると思ってるんだ? まあ大半の人達はどうせ分かってはいるだろうが、せめて一月は待て」
「一月……!? そんな待てぬ……! 妾は今行きたいのだ……!」
そんなやり取りを横目に、ソーマは暇潰しを兼ねてどうしてこんなことになっているのかについて思いを巡らせることにした。
どうせこのやり取りはしばらく続くのだ、そのぐらいやらなければ暇で仕方ないに決まっている。
何せこれはもう、四日も前から定番のやり取りとなっているのだから。
見ての通り、ヴィクトリアは生きてるどころかピンピンしているものの、対外的な扱いとしては死んだことになっている。
これはこの方が色々な意味で都合がいいからだ。
今までのことを皇帝の独断で行ってきたこととし、さらには責任を取らせる形で処刑することで、諸外国からの反発を少しでも弱め、方針転換も容易にする。
それに何より――
「まだ『アレ』がこちらのことをどう認識しているのか、どう動くのかが分かっていない。下手をすればまた……いや、今までよりも悪化した状況に民達を放り込むことになるんだぞ? それが嫌なら言うことを聞け」
「む、むぅ、それは……」
「それに関しては、こっちにも少し責任があるのであるからなぁ。状況を確認したりせず、問答無用で『斬った』であるからな。あの時はあれが最善と思ったであるし、とりあえず早急に現状を解決させる必要があると思ったのであるが……まさか居場所を知らないとか思わなかったのである」
「まあそれは仕方ないんじゃないの? 少なくともあの状況を早く終わらせようってした判断は間違ってないでしょ……それとは別にあたしは言いたいことがあるけど」
「む? 何がである?」
「決まってんでしょ! ああいうことをするなら先に言いなさいよね!? こっちがどれだけあの時焦ったと思ってんのよ!?」
アイナが言っていることは、おそらくランベルトを止め、ヴィクトリアの治療を行った後、ヴィクトリアを斬り裂いたことのことなのだろう。
確かに説明する暇もなく突然ではあったが……あれは仕方あるまい。
「とはいえ、あの場で説明するわけにもいかなかったであろう?」
「それは分かってるけど、それでもよ……!」
「理不尽であるなぁ」
「まあ、言いたいことも分かるがな。妾もまさかあんなことが出来るとは思ってもおらぬかったし。……いや、正直今でも信じられぬ。まさか妾と悪魔との契約を断ち切ってしまうなど」
「しかも、全部分かってたわけでもないんだろ?」
「そうではあるが、軽く『視た』だけでも明らかによくない感じがしたであるからな。少なくとも事態の好転程度ならばするだろうとは思っていたであるし、それで十分だったでもある」
「まあ結果として、ランベルトさん含めた皆が正常に戻ったわけだけど……」
それでも不満があることに変わりはないのか、ジト目で睨んでくるアイナに肩をすくめる。
言われてもどうしようもなかった。
ちなみに皆が正常に戻ったというのは、そのままの意味である。
あの日のランベルトの行動、というわけではなく、それ以前を含めた全てだ。
即ち、武官達がヴィクトリアに嫌悪を抱いていたのも、文官達がヴィクトリアに好意的だったのも、そして民達がヴィクトリアのことを慕っていたことも、である。
今ではヴィクトリアが食堂にいったところで文官達が集まってくることはないし、そもそもヴィクトリアに会いに朝の食堂にやってくることそのものがない。
あれから一度も外に出てはいないが、きっと街でも同様のことになるはずだ。
ヴィクトリアが出歩いても人が集まってくることはなく、どころか露骨に顔を顰められるかもしれない。
だがそれこそが、正常なのだ。
本来ヴィクトリアは、文官や民達からは嫌われていたのだから。
そしてそれが、今回の件の発端であった。
ヴィクトリアの行動は全て民達のためにやっていたのだ。
だというのにその民達からは嫌われてしまい、だからヴィクトリアは願い望んだのである。
民達から好かれることを。
それを可能にする術を、ヴィクトリアは持っていた。
皇帝にのみ継がれるスキル、縁の理だ。
契約を結び遵守させるための力だと認識されていたようだが、あくまでもそれは副次的な要素である。
強固な縁が結ばれるために契約や約束を破れなくなってしまうのであって、本来はその名の通り人同士の縁を司るための力なのだ。
とはいえ、そのままではあまりに強すぎたために、どうやらある種のプロテクトもかかっていたようだ。
副次的な効果であるはずの契約でしかその力を使えないようになっていたのである。
ヴィクトリアと契約を結んだという悪魔は、どうやらそこを突いたようであった。
悪魔と契約を結ぶ対価として、民達からの感情を好意的なものとする、ということにしたのである。
無論、実際にそれを行うのはヴィクトリアの持つスキルだが、結果が同じであればヴィクトリアは構わなかったようだ。
そうして契約が結ばれ、理の力が発動し……だが、裏技的な使い方をしようとしたためか、完全に思った通りにはいかなかった。
民達からの好意は得られたものの、それは結果的な話であり、現実に起こったのは自分に向けられる感情が反転するというものであった。
だからヴィクトリアは民や文官からは好かれ、武官達に嫌われていたのである。
が、理の力を使ったとはいえ、結局それは裏技的な使用法だ。
悪魔との契約さえなくなれば、理による効果も消え去る。
故にソーマはその契約を斬り裂き、こうして全ては元通りとなった、というわけであった。
ヴィクトリアとランベルトが普通に接しているのも、基本的にはそのせいだ。
ランベルトが兄上と呼ばれているのは、既に皇帝ではないため、とのことらしいが……その辺は皇族の話なのでソーマ達には関係のない話である。
ともあれ。
「俺達は向ける感情こそ裏返ってはいたが、思っていたこと自体は変わっていなかった。魔王と手を組み世界を滅ぼすことには賛成だったし、民達はそれそのものよりも、自分達のためにヴィクトリアが苦しむ選択をしたのが許せなかった。文官達は世界を滅ぼさないで済むことを選択したかったようだが、その可能性が高いとは思えなかったしな。で、感情が裏返ったせいか色々と捻じ曲がった結果が五日前のアレなわけだが……その根本を断ち切る、か。これが魔王……いや、君の力ってわけだな。俺達が、信じることの出来なかったモノ」
そんな言葉と共に向けられた視線には、様々な感情が乗せられていたようであった。
おそらくは謝罪や羨望などであり、だがソーマは何も言わずに肩をすくめる。
よく知りもしない人物を信じるなど、そうそう出来ることではあるまい。
ならば彼らの判断は正しくなかったかもしれないが、きっと間違ってもいなかったのだ。
「ま、結局我輩達に協力してくれるということになったのであるし、それで十分であろうよ」
「そうね。あたし達も被害は……受けなかったわけじゃないけど、それほどのことでもなかったし。まあ、気にするほどのことじゃないわ」
「うむ。この結果を得られたことを考えれば、問題ないであろう」
「そう言ってくれると助かるな」
この辺の話は先ほどの皇国の方針が転換された、ということにも関わってくるのだが……要するに、端的に言ってしまえば皇国は世界を滅ぼす側に立つのをやめた、というわけである。
世界は滅びない可能性に賭けることにした、というか、実質ソーマを信じることにした、ということらしいが――
「まったく、責任重大であるな」
「どうせあんたのことだからやることは変わらないんでしょ?」
「ま、その通りなのではあるが」
どちらにせよ死ぬつもりもなければ世界を滅ぼさせるつもりもないのだ。
ならば今までと何の違いもなかった。
「その強さは妾からすれば羨ましいものだがな。妾もそうあれれば……いや、今更言ったところで詮無きことか」
「ま、とりあえず今はそれよりも建設的な話をするべきだと思うではあるな。そもそも今日ここに我輩達が集まったのは、そのためであるし」
今更と言えば今更ではあるが、ソーマ達が今いるのは皇城の一室であった。
ランベルトが執務室として使っている部屋である。
そしてわざわざそんな場所に集まっているのは、無論雑談をするためなどではない。
先ほども言った、ソーマ達がここに留まっている理由の中で最大のもの。
即ち。
ここにいるはずの悪魔のことを話すためであった。
「で、何か分かったのであるか?」
「……そうだな。結論から言ってしまうが、何も分からなかった。アレに繋がりそうなのは、本当に何一つとして、な」
「痕跡一つ見つからず、か……うぅむ、妾が確かに声を聞いていたことを考えれば、どこかに身を隠しているものとばかり思っていたのだがな。アレもそのようなことを言っておったし」
「……そういえば、その声って、確か玉座の間と謁見の間でしか聞こえなかったのよね? それって何か意味があったの?」
「ふむ? ……いや、どうなのだろうな? 妾は単純にそこでしか交流することが出来ぬ、と聞いていただけであったので、てっきりそういうものだと思っていたのだが……」
「……そういや、玉座の間でヴィクトリアを殺すよう言ったのも、火を放つよう言ったのもアレだったな」
「ほぅ、そうだったのであるか……つまり当初の予定では、そこでヴィクトリアの肉体を奪うつもりだった、というわけであるか?」
ヴィクトリアが悪魔と交わした契約に関してだが、契約ということは無論一方通行の要求であったわけではない。
ヴィクトリアが民達からの好意を得ようとしていたように、悪魔がヴィクトリアへと要求していたものもあった。
それが、ヴィクトリアの肉体だ。
ただ、受け渡すのは悪魔側の準備が終わった後のことで、まだまだ先のことであり、また理で縛った以上は何もしなくともその時が来れば自動的にその契約は果たされるはずなのだが――
「そう考えれば、やはりあそこには何かがあった、と考えるべきであるか。まあ既になくなっているであろうが」
「そうだな。あそこは既に捜索済みで、何もなかったのは確認済みだ。おそらく無理だと悟った時点で火に紛れて証拠を消したんだろうな」
「証拠を消した証拠……ってのはあれだけど、そういうのは見つからなかったの?」
「残念ながら、な。多分簡単にどうにか出来るようなもんでしかなかったんだろう」
「まあ、話を聞いている限りでは、随分と用心深い悪魔だったようであるしな。ただ、それにしては幾つか腑に落ちないこともあるわけであるが」
ランベルトが動いたのは、悪魔に唆されたからだ、という話は既に聞いているものの、それだって妙に行き当たりばったりだ。
用心深いかと思えば雑だったり、どうにも話に聞く悪魔の印象が一定ではない感じである。
「ふーむ……妙にソーマのことを警戒していたようであったが、それが関係しているのか……あるいは、方針の変更でもあったのかもしれぬな。他の悪魔の、かもしれぬが」
「他の悪魔の方針、であるか?」
「うむ。……そういえば、これはまだ話していなかったか? 詳細は聞いてはいないのだが、どうにも悪魔達は各々別の方針の下に動いているらしいのだ。最終的な目的は同じではあるが、その過程が違う、とでも言うのか。たとえば妾達に近づいてきた悪魔は、満足しながら滅ぶことの出来るように、であったか?」
「……俺はほとんど接してないからその辺の話は聞いてないが、確かに俺に囁いてきた言葉は、そのままで満足しながら滅ぶことが出来るのか、だったな」
「ただそもそもそれは誰の方針が最も良いかを決められるがゆえに、ということだったため、互いにその方針の下で争いつつも最終的には一人に絞るつもりではあるようだが」
「……なにそれ。まるでいいことをしてるみたいじゃない」
「向こうからすればそのつもりなのであろうよ。そしてそれは、実際間違っていないであるからな」
少なくとも、世界という観点から見れば間違っているのはソーマ達の方なのだ。
悪魔などと呼ばれてはいるものの、それらは確実に世界のために動いている。
ならば、出来ればその経過をよりよいものにしたい、というのは、そう不思議なことでもあるまい。
「……そう言われてみればその通りなんだけど」
「ま、無理に納得する必要はないと思うであるぞ? 結局は相容れられないことに違いはないのであるし。それよりも、それで他の悪魔の方針が変わったからといって何なのである? 別にやることに変わりはないと思うのであるが」
「アレが言うには、どうしても受け入れられぬものがある、とか言っていたからな。もしやそれ関係で何かがあったのではないか、と思っただけであるため、正直根拠があるわけではないのだ」
「ふむ、そうであるか……まあ何にせよ、何かがあった、と考えるのが無難なのであろうが……それが何かを考えるには、少々判断材料が少なすぎるであるな」
「だな。ただ、それも近いうちに解決するかもしれないぞ? それがいいことなのかはまた別の話だがな」
「何か手がかりのあてでもあるのであるか?」
「まあな。といってもアレの言葉からの推測だが……アレが俺に具体的な指示を出したのは、三つだ。一つ、ヴィクトリアを殺すこと。二つ、それは玉座の間で、炎で焼きながら行うこと。そして三つ目が……ベリタス方面へと全軍を動かすこと」
「……それはまた随分とあからさまね。あからさま過ぎて別の目的があるんじゃないかって疑いたくなるぐらいだわ。でもなるほど、だからあの部屋に来た兵はあれだけしかいなかったのね。あまり強い人はいなかったし、大半がどこにいったんだろうと思ってはいたけど……」
「ふむ……確かに兵達の姿をまったく見かけないと思ってはいたであるが……そのまま戻さなかったのであるか?」
「言った相手が相手だからな。それに実際に動かしたのは城にいたやつらだけだ。本当に全軍動かしてたら何もなかった場合向こうを刺激するだろうが、そのぐらいなら偵察でまだ済むだろうしな」
現在のベリタスは内乱中だと聞いている。
国境を接する皇国が様子を見るのは、むしろ普通だ。
だが逆に内乱中だからこそ、他にちょっかいを出す余裕はないと思うのだが――
「落ち着くには十年はかかるとか言われてた気がするであるし……いや、もしやそういうことなのであるか……?」
「悪魔が気にするような何か、ということを考えれば限られているが……最大限に気にするべき魔王は既にここにおり、聖都はまさかベリタスに介入すまい。となれば……」
「……残る警戒するような相手は、互いに争っているっていう悪魔、ってことね」
悪魔達が動き出すのはまだ先だという話だった気がするが……それも既に今更か。
いや、あるいは悪魔そのものは動き出さず、ちょっかいを出すというだけなのかもしれないが、何にせよどうやらまだここを離れるわけにはいかないようだ。
さすがにここで聖都に戻るわけにはいくまい。
「ふむ……一つが完全に片付く前に次の可能性、であるか。ま、言っても仕方のないことであるな」
そもそも悪魔がいるということは近くに邪神の封印があったということであり、少々近すぎではないだろうかという気がする。
だがそれもまた、言っても仕方のないことだ。
「ちなみに、そっちからはどれぐらいで連絡があるのである?」
「さて……何とも言えないところだな。何かがあればもうすぐにでも来たところでおかしくはないし、何もなければもっとかかるだろうからな」
「まあそんなもんよね」
「資源は限られておる以上は、緊急事態でなくとも変わらぬ速度で連絡しろというのは無理な話であるからな」
「ふむ……」
それは理解出来る話ではあったが、理解出来たからといって現状がどうなるわけでもない。
何となく窓の外へと視線を向ければ、そこには何事もないかのような青空が広がっている。
そんな光景を眺めながら、さてどうなるものやらと、ソーマはこの先のことを考えながら、一つ息を吐き出すのであった。




