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せめて皇帝らしく

「っ……其方は――」


 いつの間にか部屋の入り口に現れていた新たな人影に、ヴィクトリアは思わず息を呑んでいた。

 その人物は色々な意味で、この場に現れるはずがない者だからだ。


 だが何せ状況が状況である。

 もしや、という淡い希望のようなものが湧き上がってきてしまうのは止めようがなかった。


「……何のつもりだ? ――魔王」


 同じようなことを思ったのか、ランベルトは鋭い視線と共に敵意すら込めた言葉をその人物――ソーマへと投げた。


 しかし対するソーマは、まるで散歩の途中とでも言うかのごとく、どことなく暢気な様子で肩をすくめる。


「何のつもりと言われても、無論用事があるからやってきたのであるぞ? まあ、危うく間に合わなかったところではあったであるがな。ギリギリのところで間に合ったようで何よりである」


 その言葉に、ランベルトはその目をさらに鋭く細めた。

 槍を握る手に力がこもる。


「……それはつまり、コレを助けに来た、ということか?」


 返答次第では今すぐにでも飛び掛かり、自らの槍で以て串刺しにしてくれる、とでも言いたげな形相であった。


 いや、間違いなくそのつもりなのだろう。

 さりげなさを装ってはいるものの、身体をソーマの方へと向けており、その全身に力を溜めているのがすぐ傍で見上げる格好となっているヴィクトリアにはよく分かった。


 まるで限界まで引き絞られた弓だ。

 ソーマの次の一言次第では、解き放たれたその身が、一片の容赦もなくソーマへと襲い掛かることだろう。


 そしてそれは――


「――いや、全然違うであるが?」

「………………なに?」


 その返答は予想外だったのか、ランベルトの口から出た言葉は呆けたようなものであった。

 肯定が返るのだろうと思っていたのだろう、その身体は動こうとした途中で強制的に止められたような妙な体勢となっている。


 まあ正直なところ、ヴィクトリアもソーマが頷くとばかり思っていたのだ。

 ランベルトの気持ちはよく分かった。


「別に我輩助けを求められたわけではないであるしな。助けを求められたわけでもないのに勝手に助けようとするなど、皇帝相手に失礼であろう?」

「……ならば、貴様は一体何をしにこの場に現れた?」

「だから、言ったであろう? 用事があって来た、と。なに、別に大したことではないのである。――ただ、お届けものを運んで来ただけであるからな」


 言った瞬間、ソーマが何かを振り被った。


 そしてそこで初めて気付いたのだが、どうやらソーマは布のようなもので包まれた何かを持っていたようだ。

 細長いものであり、大きさとしてはヴィクトリアの背と同じぐらいだろうか。

 引き絞られたソーマの腕が振り抜かれると同時、それがそのまま投げ放たれ――


「っ……!?」


 瞬間、慌ててランベルトがその場を飛び退いたのは、その場にいたらその何かが当たっていたからである。


 弾くことがなかったのは、布のようなものに包まれているせいで具体的に何なのかが分からなかったからだろう。

 万が一のために、避けることを選択したのだ。


 その結果、ランベルトの立っていた場所を通過し、それはヴィクトリアのすぐ傍の地面に突き立つことになった。

 直後に布のようなものが解け、包まれていた物の姿が顕になる。


 ――ひゅっ、と息を呑んだヴィクトリアの目が釘付けになり、まるで時間が止まったように感じられた。


「っ……魔王、貴様……! やはり――」

「いや、何がやはりなのかは知らんのであるが、今のは単にお届けものをしただけであろう? まあ少々手元が狂って汝に当たりそうになってしまったであるが……それに関しては謝っておくのである。すまなかったであるな」

「ちっ、白々しい……! そもそも、この状況で届け物など、一体何を――」


 何かを口にしようとしていたランベルトが言葉を止めたのは、ソーマが届けたものが一体何であったのかを理解したからだろうか。


 だがヴィクトリアにとっては、既にどうでもいいことであった。

 自分が死に掛けているという状況すらもが、どうでもいい。

 それほどまでに、目の前のモノに目を奪われていた。


 ――それは、槍であった。


 見覚えはない。

 しかし同時に、どこかで見た覚えのあるような槍でもあった。


 ……いや、そんなことは関係がない。

 見覚えがあるとかないとか、そんなことは重要ではないのだ。


 とても美しく、何物にも代えがたいと思えるほどの、素晴らしき槍。

 他の者の目にどう映るのかは分からないが、少なくともヴィクトリアにとってはその槍はそう見えるものであり……大切なのは、それだけでしかなかった。


「完成したから、届けて欲しい。そう言っていたのである。まあ、物凄く嫌そうに、だったではあるがな」


 呆然とした思考の隙間を縫うように、そんなソーマの言葉が届く。


 だがそれは、おかしな話であった。

 そもそもの話、どうしてこれを託されるような状況にいたのか、ということになるからだ。

 しかもギリギリもギリギリのタイミングで届けに現れるなど、出来すぎにも程があるだろう。


 しかし思うことは沢山あるというのに、ヴィクトリアの頭を過ったのは先ほど耳にした言葉であった。


 助けを求めてもいないというのに、助けられるなど皇帝に相応しくはない。

 まったくその通りであった。


 自分を殺そうとしているのは、世界最強の一角である。

 だがそれがどうしたというのか。

 何もせずに諦め、受け入れるなど、それこそ皇帝に相応しくはあるまい。


 気が付けば、ヴィクトリアは槍へと手を伸ばしていた。

 腹部に激痛が走るが、構わず掴み、少しずつ力を込めていく。

 体重をかけ、寄りかかるようにしながら、ゆっくりと起き上がった。


「……何のつもりだ?」


 邪魔をしようと思えば出来たはずだ。

 しかし何か思うところでもあるのか、あるいはソーマのことを警戒しているのか、険しい顔を向けてくるだけのランベルトへと、ヴィクトリアはなるべくいつも通りに見えるよう、唇の端を吊り上げた。


「ふっ……見ての通りよ。考えてみれば、何もせずに諦めるなど、皇帝らしくはないであろ?」

「貴様は既に皇帝ではない。我らは既に皇帝は不要と決を出したのだからな」

「それを受け入れるか決めるのは妾よ。決められてしまったからといって大人しく従うなど、それこそ皇帝失格だからな。……何よりもそれは、妾らしくない」


 ソーマがどんなことを思って、これを届けてくれたのかは分からない。


 だがどんなつもりであれ、抗うための理由があり、抗うための手段がある。

 ならば、大人しく諦めてしまうなど論外だろう。


「……それはつまり、俺に勝てると思っている、ということか?」

「誰もそんなことは言っておらぬであろ? ただ……それとこれとは別の話というだけのことよ」


 実際のところ、勝ち目だというのであれば、万が一にも有り得まい。


 自身が瀕死の重傷だということは、この際無関係だ。

 万全であったとしても、勝ち目などはないに決まっている。


 何せランベルトは特級スキルを持つ、この国でも……否、この世界でも随一の使い手だ。

 第二の王たる資格を持つという時点で、世界最強の一角だということに異論のある者はいまい。


 随一であり資格を持つのに第二の王ではないのは、本人が拒絶したからだ。

 ただし聖都に隔意があるわけではなく、自分はまだその器にないというのがその理由であった。


 ……本当は別の理由もあったということをヴィクトリアは知っていたが、その想いを心の底に封じ込め、構える。

 その姿を見て、ランベルトが鼻を鳴らした。


「……潔い死よりも惨めな死を選ぶか。まあ、いい。ある意味ではその方が最後の皇帝らしくもあるだろうからな」


 言いながらも、ランベルトの目はヴィクトリアではなくソーマの方を見ていた。

 ヴィクトリアよりもソーマがどう動くつもりなのか、ということの方が遥かに気になるというのだろう。


 それは理解出来る話だ。

 だが。


「余所見をしながらで、妾とこの槍の相手が務まると思うでないぞ……!」


 理解出来るのと納得出来るのは別の話であり……また、正しいのかも別の話だ。


 ――槍術上級・精神集中・一念通天・心眼:轟雷閃。


 踏み込みと同時に一瞬で距離を詰め、腕を突き出す。


 直後に腕に伝わってきたのは硬質な手応えではあったが、眼前の相手の目は僅かな驚きと共にヴィクトリアへと向いていた。


「……なるほど。燃え尽きるロウソクは、その直前が最も光り輝く、か」

「さて、燃え尽きるロウソクかどうか、其方の身で存分に味わってみるが良い……!」


 ――槍術上級・精神集中・一念通天・心眼:轟雷閃・三連。


 瞬きする暇も与えないほどの、一瞬で三つの連撃。

 その全てで硬質な手応えが返ってくるが、そのまま腕を止めることはない。

 止めた瞬間、ランベルトの槍に自分の身体が貫かれているだろうことが分かっているからだ。


 それぐらい、ヴィクトリアとランベルトの間には差がある。


 しかし、それにも関わらずヴィクトリアが一方的に攻撃出来ているのは、ランベルトが手を抜いているから……では、ない。

 こうして打ち合っているからこそよく分かるが、ランベルトは単純に受けに回るのが精一杯で、攻撃に回れるほどの余裕がないだけなのだ。


 無論、互いに万全の状態で同時に動いていればこんなことは起こり得なかっただろう。

 だがヴィクトリアに味方する要素が、ここには三つもあった。


 一つが、体調。

 ヴィクトリアは瀕死の状態で、だからランベルトは甘く見ていたのだ。

 その一撃など大したことはない、と。


 しかし、瀕死であるがゆえに後先考えずに繰り出した一撃は、ランベルトの予想を上回ったのだ。

 これに関してはランベルトの言葉が正しかった。


 そしてこれは二つ目の理由にも繋がっている。

 先に攻撃を仕掛けることが出来たということだ。


 ランベルトは超一流の腕を持ってはいるが、基本的には攻撃側に偏っている。

 攻撃を受けさせ、その状態を保たせているからこそ、腕に差があるにも関わらず、ある種の拮抗状態を作り出すことが出来ているのだ。


 だが、何よりも大きいのは、やはり三番目の要素だろう。

 それは……武器の差であった。


 ランベルトの使用している武器は、一般の兵が使っているのよりも頑丈なだけの槍である。

 超一流の鍛冶師がランベルトのために作ったりしたものでは、ない。


 無論、それだけと言えばそれだけのことだ。

 超一流の腕を持つランベルトは、本来ならばどんな槍を使っていようとも、格下のヴィクトリアなど寄せ付けることなどなかったに違いない。


 ヴィクトリアが使っているのが、この槍でなければ。


 ――かつて、皇帝に相応しい槍を打ちたい、と言った者がいた。

 人類の敵となり、世界を滅ぼそうというのならば、それに相応しい武器が必要だろうと、そう言って。


 どんな敵、どんな困難が目の前に現れようとも、共に力を合わせ、打ち砕くための、槍が。

 寄り添い、何者にも負けない槍を作るのだと、そう言ってくれた者がいたのだ。


 見た瞬間に誰が打ったものであったのかは分かった。

 握り、振るった瞬間に、確信した。

 これは間違いなく、自分だけのために打たれたものであると。


 この槍よりも素晴らしい槍というのは、あるのかもしれない。

 しかしヴィクトリアから最高以上の力を引き出させ、ヴィクトリアが最高以上の力を引き出すことの出来る槍は、これしかないに違いなかった。


 だから、圧倒的不利であるにも関わらず、ヴィクトリアはランベルトと未だ打ち合うことが出来ているのであり――


「そうか……其方は、約束を守ってくれたのだな」


 呟き、腕を振るい……ああ、だが、その胸に湧き上がってくるのが苦いものでしかないのは。

 結局のところ、自分の方こそが、約束を破ってしまったからだろう。


 いや、それを言ってしまえば……そもそもそれがなければ、ランベルトとこんなことになるなんてことも、なかったのだろうけれど。

 ヴィクトリアが世界を滅ぼす側につくことに、最も強く賛同してくれていたのが、他でもないランベルトだったのだから。


 だがそんなランベルトが今や、自分に向ける目は憎しみの篭ったものだ。

 何故こんなことになってしまったのだろうかとふと思うも、そんなことは決まっていた。


 自分が間違えてしまったからだ。

 間違って……文官達や民達からも理解されたい、などと思ってしまったからである。

 だから契約を結んでしまって、その果てにあるのが今だ。


 ならば……と、腕を振るい続けながら、そこまで考え、不意に思った。

 あるいは、ようやく思い至れた、ということなのかもしれないけれど――


「……なるほど。これは……道理だ」


 どうして、ヴィクトリアがユピテルの名を名乗ることが許されなかったのか。

 単純な話であった。

 こんな結末を迎えるような人間だから、だ。


 つまるところ――


「……どうやら妾は、最初から皇帝の器などではなかったらしい」


 きっと、ただの心弱い人間でしかなかった。

 そのことを自分以外の皆は理解していたからこそ、真の意味で皇帝と認められることがなかったのだ。


 ……だが、それはそれでもある。

 この結末に至ってしまったのを、今更否定するつもりはない。


 ――それでも。


「妾は……!」


 皇帝であり、ここまで進んできてしまったことに違いはないのだ。

 ならば――


 ――槍術特級・精神集中・一念通天・心眼・明鏡止水:轟雷閃・極。


 それは間違いなく、今までで一番の一撃であった。

 その確信と共に一歩を踏み込み――


「……まあ、悪くはなかったがな」


 瞬間、握っていた槍の感触が、ふっと消失した。

 僅かに残っている腕の痺れから、弾き飛ばされた、ということを直後に理解するも、眼前には既に憎悪に濁った瞳が迫っている。


 その瞬間に何を言おうとしたのかは、ヴィクトリア自身認識してはいなかった。

 ただ、反射的に何か言おうと口を開き……分かったのは、それが手遅れだったということだけ。


「やはり、所詮貴様はここまでだ」


 終わりだ、という言葉をランベルトの唇が形作り。

 その腕が、ヴィクトリアの死を届けるために、振り抜かれた。

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