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突き立てられた刃

 ソーマがその場所にやってきたのは、ただの偶然であった。

 今日の兵達の訓練を終え、少しずつ見え始めてきた皇帝の、ひいては皇国の抱える問題について考えながら歩いていたら、いつの間にか辿り着いていたのである。


 眼前に遮るものはなく、頭上には青く晴れ渡った空が広がっている。

 地面までの距離は五メートルといったところか。

 視界の端には先ほども足を運んでいた中庭だろう場所が見え、遠くには皇都の街並みが見える。


 見晴らしの良い、開けた場所であった。


「おお……ここにこんな場所があったのであるな」


 正直なところ、皇城でのソーマの行動範囲というのは狭い。

 別に制限されているわけではないのだが、逆に制限されていないからこそ、中々他の場所にまで足を運びづらいのである。

 城の中では客室と食堂と中庭ぐらいしか行かず、外に出る方が圧倒的に多いほどであった。


 故に、こうして上から皇都を眺めるのは当然のように初めてであり――


「――む? ほぅ……随分と珍しい顔があるものだな」


 と、何となく街並みを眺めていると、後方から声を投げられた。


 それに驚く事がなかったのは、予め誰かが近寄って来ているということを認識していたからである。

 ついでに言うならば、それが誰なのかということも分かっており……首だけで振り返れば、そこにいたのはやはり見知った姿であった。


「まあ、確かに珍しいのは否定しないであるが……むしろ我輩としては汝がこんなところに来るということの方が意外なのであるが? 少なくともここは、皇帝が来るようなところではないであろう?」


 その人物――ヴィクトリアは、ソーマの言葉に肩をすくめて返した。


 そして何も言わずに足を進めると、そのまま肩が触れ合うほどにまで近寄ってくる。

 真横に並び、ソーマと同じように皇都の方へと視線を向けながら、目を細めた。


「なに、妾も稀には気分転換をしたくなる時もある、ということよ」

「街に行くのは気分転換ではないのであるか?」


 一緒に行ったのは初日だけではあるが、あの時の様子やそれ以後もちょくちょく話を聞くことを考えれば、ほぼ毎日のように行っているはずだ。

 だがヴィクトリア曰くアレは気分転換ではないらしい。


「民の生活を見守るのは、妾の義務だからな。アレもまた妾の仕事の一部よ」

「文官達が聞いたら文句が噴出しそうな発言であるな」


 幾ら文官達が皇帝に対し好意を持っていようとも、仕事は仕事だ。

 皇帝が街に行くことによって仕事が滞り被害を被りそうなのは間違いなく文官であることを考えれば、間違いなく受け入れがたい発言である。


 ……ただ、実際にはその辺も若干怪しいのだが。

 考えれば、そういった文句を聞いた覚えがないのだ。

 文官達と直接交流する機会がないせいもあるのかもしれないが……。


 と、そんなことを考えていると、ヴィクトリアが横目を向けてきた。


「まあしかし、ここで会えたのはある意味ちょうどよくはあったな」

「何がである?」

「ここ最近ろくに話せていなかったからな。気にはなっていたのだが……壮健そうでなりよりだ」

「とはいえ、食堂で毎日顔を合わせてはいるであろう?」


 確かに、最後にまともに話したのは兵達への訓練を頼まれた時であるから、数日前のことではある。


 だが話はしなくとも、食堂で顔を合わせてはいるのだ。

 それだけでもこちらが元気なのは十分分かるはずである。


「まあそうなのだがな、顔を合わせるだけと話をするのとでは随分違いがあるであろ? ……ところで、珍しいと言えば、今日は一人なのだな?」

「ん? ああ、一人で考え事をしたいからアイナには先に部屋に戻ってもらったのである。で、そうして考え事をしていたらここに来てしまった、というわけであるが」


 考え事をするだけならば部屋でも出来るが、気分を変える意味も込めて一人で考えたかったのである。

 おかげである程度思考はまとまってきたが……そこにヴィクトリアが現れたのは、ある意味でタイミングがいいと言うべきだろうか。


「ふむ……随分過保護にしていると思っていたのだが……もしやそれは我が国ではそんな必要はないと受け入れてくれた、ということか?」

「まあ、当たらずとも遠からず、といったところであるな」

「ほぅほぅ……!」


 何やら目を輝かせてきたヴィクトリアには悪いが、たとえ何かあってもアイナならばすぐにどうにかなることはないし、その間に自分が駆けつけどうとでも出来る、という意味だ。

 安全だと判断したというよりは対処可能だと判断しただけなので、国を治める者としては嬉しいことではあるまい。


 もっとも、余計なことを言うつもりはないし……それに、ここに来た当初と比べれば、多少は安全だと思うようになってきたのも事実ではある。


「うむうむ、どうやらここが素晴らしい国だということを、其方も少しずつ理解出来るようになってきたようだな……!」


 そう言って、嬉しそうに笑みを浮かべるヴィクトリアの姿に、ソーマは目を細める。

 そのまま遠方に広がる皇都の光景を眺め、一つ息を吐き出した。


「……そうであるな。実際悪くない……いや、良い国だと思うのである」


 ソーマが目にしてきたものは、まだまだこの国の一部でしかないのだというのは理解している。

 だがそれは、間違いなくソーマの本音であった。


 そしてだからこそ、やはりどうしても疑問が湧きあがる。


「ここは良い国であるし、そんな国を、民を、汝が心底愛しているというのも伝わってくるのである。――しかしならば何故、それを滅ぼそうというのである?」


 言った瞬間、ヴィクトリアの表情から笑みが消えた。

 一瞬だけこちらに横目を向けてくるも、すぐに前方へと戻される。


「……其方の言っていることは、間違ってはいない。だが同時に、正しくもないな」

「どういうことである……?」

「確かに妾はこの国を、民を愛している。しかしだからこそ、妾は滅ぼさねばならぬのだ。ここが皇国であり、妾が皇帝であるが故にな」


 言っている意味がよく分からないが、そんなこちらの表情を察したのか。

 口の端を吊り上げると、ヴィクトリアはさらに言葉を重ねていく。


「妾達はこの世界で最も長い時を積み上げ、結果最も栄えるに至った。なればこそ、妾は手本とならねばならぬ。人の上に立つべき妾だからこそ、正しいことを正しく行わねばならぬのだ」

「愛する国を壊し、愛する民を殺し、世界を滅ぼす事が、正しいことであるか?」

「無論、本来ならば間違いではあるな。だが、他ならぬ世界がそれを是と叫ぶのだ。ならば……間違っているのは、妾達の方なのであろうよ」


 その顔に少しでも狂気の色があれば、また別だったかもしれない。

 だがそこには正気の色しかなく、だからこそヴィクトリアが本気でそう思い、従うつもりなのだという事が分かった。


 ヴィクトリアは間違っていることを理解しながらも、世界にとって正しいことを選択したのだ。


「それに……何よりもそれは、契約だ」

「契約……? 悪魔との、であるか?」

「いいや? ――神とのだ」

「神との契約……?」


 そんなことをサティアは一言も言ってはいなかった。

 ということは、サティアも知らないもの……つまりは、邪神との契約である可能性が高いということか。


 とはいえ、それがどう世界を滅ぼすことに関係してくるのかは分からないが――


「民達は皆、そのことを忘れてしまった。だが、その契約があるからこそ、妾達は今ここでこうしていることが出来るのだ。その恩に報いるために……そして何よりも、誓いを果たすことの出来なかった祖先達のためにも。妾が今度こそやらねばならんのだ」


 その言葉には力があった。

 生半可な言葉では、どうすることも出来ないと思えるような力が。


 最初から分かっていたことではあるが……どうやらこの皇帝をどうにかするのは、簡単なことではないようだ。

 その横顔を眺めながら、ソーマはさてどうしたものかと溜息を吐き出したのであった。












 執務室までへの道のりを、ヴィクトリアは軽い足取りで進んでいた。


 これから書類仕事が待ってはいるのだが、その身体に力が漲っているのは、つい先ほど行われた話が原因である。

 確かにソーマはまだまだ理解しがたいといった顔をしてはいたものの――


「そう簡単にいくとは最初から思っておらぬからな。この国の良さを理解してくれはしたようだし、まだまだこれからよ。それに何よりも、やはり自身の想いを再認識出来たことが大きいな」


 この世界を滅ぼす。

 それはヴィクトリアがこの世界を愛しているからこそであり、何よりもきっとずっと前から決まっていることであった。


 今から五百年以上前。

 皇国が神に力を乞い、契約が結ばれた時から。


 その時に与えられた力こそが、皇国を皇国たらしめんとしてきた力だ。

 皇国は、皇国として相手と結んだ契約や約束を必ず履行させることが出来る。

 今では国としての影響力として認識されているが、実際のところそれは神から与えられた力なのであった。


 契約から五百年以上経った今も有効なその力は、邪神がまだ女神と呼ばれていた頃に持っていた理の力である。

 それがあったからこそ皇国は他国同士の間を繋ぐことで重宝され、争いに巻き込まれることがなかったのだ。


 故に、今の皇国があるのも、全ては神のおかげであり――


「む……?」


 と、そんなことを考えながら歩いていると、通路の先に見知った姿を見かけた。


 だがすぐに顔を背けたのは、嫌われているということを知っているからである。

 近衛の隊長であった。


 こんなところを歩いているのは珍しいものの、何か用事でもあったのだろう。

 少しずつ近付いてくるその姿を一瞬だけ横目で眺め、すぐに視線を戻す。


 思えば、随分と色々あったものであった。

 手に入れたものもあれば、失ったものもある。


 しかしそれも、あと少しだ。

 あと少しだと……そう思いながら、唇を噛みつつ、かつては最も自分の近くにいただろう人物の横を通り過ぎる。


 と、その瞬間であった。


「あ、皇帝閣下、ちょっといいか?」


 一瞬耳を疑ったのは、その声が、言い方が、耳慣れたものであったからだ。

 それはかつてよく聞いたもので、今ではまったく聞けなくなってしまったもので、正直幻聴なのではないかと思ってしまったぐらいであった。

 あるいは夢だと言われた方が、まだ現実味があったかもしれない。


 だがそうではないのだということは、すぐに分かった。

 現実なのだと嫌でも認識させられるモノが、そこにあったからだ。


「………………は? 其方――」


 呆然とした声を出し、呆然とした表情を浮かべ、ヴィクトリアは自身の腹を見つめた。

 鈍い切っ先が突き出しているそこを、だ。


 瞬間感じたのは痛みではなく熱であり、しかしそれ以上思考が続くことはなかった。

 その前に身体が真横へと吹き飛ばされ、壁に叩きつけられたからだ。


「が、はっ……!?」

「散々悩んだんだけどな……実際やってみると、何で悩んでたんだろうって馬鹿らしくなるぐらいだな。ったく……言われた通り、さっさとやるべきだったぜ」


 視界に映っていたのは、近寄ってこようとする足元だけではあったが、上から憎悪に満ちた目で見られているというのは、見るまでもなく分かっていた。


 しかしそれでもやはり、何故、という思考が浮かんでくる。

 何故、なぜ――


「さあ――終わりだ」


 だが疑問に答える声はなく、ヴィクトリアの意識は鈍い音と共に闇の底へと沈んでいくのであった。

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