元最強、想定外の人物に遭遇する
早いもので、アイナが聖都へとやってきてから十日ほどの時間が過ぎた。
最初の頃は色々と不慣れな上に緊張でもしていたのか、随分と苦労していた様子のアイナではあったが、最近では慣れてきたのかそんなこともなくなっている。
授業を受けた後に部屋で休むこともなくなったし、エレオノーラとも普通に会話を交わす事が出来ているようだ。
自由時間にはアイナもまた本を読み過ごすことに決めたようで、すっかりソーマ達と変わらぬ生活を送っていた。
特に問題らしい問題も発生していないようで……むしろ今となってはソーマの方が厳しい状況にあるかもしれない。
ソーマがそこにいるのも、まさにそれが理由だからだ。
「いや、なんか深刻な問題が発生した、みたいなこと言ってるけど、単にあんたが読む本がなくなったってだけのことでしょ?」
「まあそうなのではあるが」
呆れたような目を向けてくるアイナに肩をすくめつつ、ソーマはその場を軽く見渡す。
視界に映っている光景は、見覚えはあるものの、見慣れてはいないものだ。
聖都の街中であった。
そしてそんな場所を今ソーマ達が歩いているのは、基本的にはアイナが言った通りだ。
自由時間に読むための本がなくなってしまったため、新しいものを探しにやって来たのである。
ソーマは以前にも同様の理由で聖都の街中へとやってきたことがあるが、厳密にはあの時とは違う。
あの時はまだ神殿に読んだことのない本が存在している可能性があったが、今回はその可能性がないことを知っているからだ。
より正確には、読み尽くしてしまったから、ではあるが。
そもそもソーマが読む本がなくなってからすぐにエレオノーラへと追加の本を頼まなかったのは、何だかんだでエレオノーラが忙しいということを知っていたからである。
それを無視して自分の都合を優先するほどソーマは利己的ではない。
が、ここで注目すべきは、本を必要としていたのがソーマだけではない、ということだ。
そう、先に述べたようにアイナも本を読むことに決めたため、アイナにも必要だったのである。
しかも、アイナの公的な立場は客人だ。
仲間であることを望み、こちらもそれを受け入れ、扱いとしてはそうなってはいるものの、彼女はディメントからの使者なのだということを忘れてはいけない。
エレオノーラはディメントと正式に協調していきたいようだが、無論そのための話し合いやすり合わせなどは必要である。
一朝一夕に終わるものではないことを考えれば、少なくともそれらのことが終わり、歩調を合わせられるようになるまでは、アイナの公的な扱いは使者のままなのだ。
で、というわけであるため、その世話をするのはエレオノーラ達の義務でもある。
何かを望まれたら、余程理不尽なことでも言われたのでなければ叶えなければならないし、出来なかったら無能扱いされても止むを得まい。
ついでに言うならば、客人の手を煩わせてしまうのも、同じぐらい無能扱いされて然るべき状況だ。
要するに何が言いたいのかと言えば、アイナが本を望んでいるのならば、それがたとえ暇つぶしのためであったとしてもエレオノーラは揃えなければならないのである。
街中に買いにでも行かれてしまったら、エレオノーラ側が困ってしまうのだ。
そういったわけで、少なくとも初回はエレオノーラに用立ててもらわなければならなかったのだが……結果的にソーマの分も用意してもらえることになってしまったのである。
本のある場所を教えてもらいそこの使用許可でももらえればと思い、ついでにそう言ってみただけなのだが、一応ソーマ達も公的には客人扱いのためそういうわけにはいかないらしい。
そして改めて確認するまでもないことだが、ソーマ達が世話になっている場所は神殿だ。
図書館ではない。
本を読むための場所ではないということであり、聖典などならばともかくとしてそれ以外の書物となると数は限られてしまう。
ソーマの知らない情報の書かれたものとなれば、尚更だ。
その結果、昨日ついに読み尽くしてしまった、というわけであった。
「ふーむ……しかし、それで本を買いに来たのはいいのであるが、どこで売ってるのであろうな。何か目印になるようなものでもあると助かるのであるが」
「……ちょっと待って」
「ん? どうしたのである?」
「確かにさっきから妙にきょろきょろと周囲を見回してるな、とは思ってたけど……あんた何処で売ってるのか知らないの?」
「むしろ何故知っていると思ったのである?」
「偉そうに言うことじゃないでしょうが……!」
確かにその通りではあるが、実際仕方なくあれば、当然でもある。
これまでソーマは数回聖都の街中を歩いたことはあるが、その全てで何らかの理由により中断させられているのだ。
そもそもここにどんなものがあるのか、ということもろくに知らないのである。
「え……そうなの?」
「うん……? だから、新しい本を探しがてら街に何があるのかを見に行かないであるか、と言って誘ったのであろう?」
「あたしが、って意味にしか捉えられないわよそんなもん……」
「それは失敬したのである」
実際のところ、ソーマとしては本気でそういう意味で言っていたのだが、言葉というものは難しいものである。
ちなみに、そうしてアイナを誘ったのは、アイナがここにやってきてから外を出歩いている様子を見たことがなかったのと、単純に一人で見て回るのもどうかと思ったからだ。
あまり知らない街を一人で歩くのは虚しすぎるし、アイナもここのことはろくに知らないだろうから一石二鳥、というわけである。
そうなると色々な意味でヒルデガルドが一人残されるが、まあ良い大人なのだから一人でどうとでもするだろう。
尚、いつも何も言わずとも付いてくるそのヒルデガルドは、今日に限ってエレオノーラの手伝いに駆り出されていた。
何でもヒルデガルドにしか手伝えない少々面倒な案件があるのだそうだ。
普段世話になっていることを考えれば断るわけにもいかず、手伝いへと行くことになったのである。
ともあれ。
「まあ、どうせ街を一周してみるつもりだったから構わんであろう。そうしているうちにそれらしい店も見つかるで……あろう……し?」
「ちょっと……? なに思いも寄らなかったことに気付いた、みたいな顔してんのよ……?」
「いや、実際その通りなのであるが……そういえば、本を売ってる店というものを我輩見たことがないのである。というか、そもそも本を売っている店というものは存在しているのであるか?」
「え……?」
本が商品として存在しているというのは間違いない。
だが同時に、本というものは相応に高価な代物である。
周囲に当たり前にあったので忘れていたが、実家は小国のとはいえ公爵家であり、王立学院にあった図書館は元々当時世界で最も栄えていたとされるベリタスから持ち出されたものだ。
どちらかと言えばそれらの方が例外なのであって、普通は一般市民には中々手が出せないものなのである。
常識的に考えれば、店先に並べておくなど怖くて出来まい。
「以前旅をしていた時も、本を売っている店を見た覚えはないであるしな」
「……言われてみたらそうよね。なんか当たり前にあったから勘違いしちゃったけど……っていうか、そもそも知らないなら誰かに聞きなさいよ。そうすればその時に分かったでしょうに」
「と言われても、これ以上エレオノーラの手を煩わせるわけにはいかんであるしな」
「使用人の人達に聞いたらよかったじゃないのよ……」
それは盲点だったと感心すれば、アイナは疲労と呆れを混ぜたような顔で溜息を吐き出した。
ただそれはソーマに向けただけではなく、自分にも向けたものであったようだ。
「まあ、あたしも気付くべきだったし、予め尋ねとくべきだったんだけど。あんたが知ってるんだとばかり思ってたから情報集めすらしてなかったとか……ちょっと気を抜きすぎてたかもしれないわね。一応今ここは、何があっても不思議じゃないってのに」
「ふむ……そうであるな」
頷きながら目を細め、一つ息を吐き出す。
確かに、少し気を抜きすぎていたかもしれない。
「とりあえず、何にせよこの場から移動するであるか。元々本を探すのは目的の一つでしかなかったわけであるし、それと関係なく散策もするつもりであったしな。それに売っていないと決まったわけではないであるし」
「こっちはまだ残ってるし、あんたがそれでいいならあたしも構わないけど……」
気が付けば止まっていた足の動きを再開し、二人してその場から歩き出す。
どことなくアイナは怪訝そうな顔をしていたが、構わず先へと進んでいく。
そうして周囲へと視線を向けてみれば、今日も聖都の街中は、相変わらずの人の流れであった。
聖都に来る者達の大半は遊びに来ているのではなく、いわば巡礼のために来ている。
となれば、向かう先は必然的に神殿だ。
しかしソーマ達は逆に神殿からやってきてるわけであり、これまた必然的に流れに逆行する形となる。
面倒くさいことになるのは目に見えており、それを回避するようにソーマは脇道へと足を向けた。
瞬間、背中から視線が突き刺さるのを感じたが、敢えて何も口にすることはない。
それで何かこちらにも考えがあると分かってくれたのだろう。
アイナも何も言わず後に続く。
確かに、街の様子を眺めるのが目的であったことを考えれば、脇道に入ってしまうのは下策も下策だ。
人波に巻き込まれることはないだろうが、肝心の街の何処に何があるのか、ということが分からないのである。
脇道の確認はそれはそれで必要ではあるものの、まずは表通りを確認するのが先と考えるのが普通だ。
だから当然ソーマはそのことを分かった上でそこを歩いているのである。
しかもソーマの足は脇道のさらに奥、人の姿どころか気配すらも遠くなり始めたような場所へと向かっていく。
「あ、あの……ソーマ? ちょっと……何処向かってんのよ……? そんな……人目のつかないように向かうみたいに……」
その状況にさすがにアイナが声をかけてくるも、声に含まれているのは不安よりも緊張の方が大きそうに思える。
だが何にせよソーマはそれに応えることなく、さらに奥へと進んでいく。
「ね、ねえ、あの……もしかして、なんだけど……もしかして、二人きりになろうとして、なんてわけじゃないわよね? い、いや、分かってるのよ? 唐突過ぎるし、そんなことする理由がないし……? で、でもほら、その、分かってはいるんだけど……いえ、嫌ってわけでもないんだけどね……!?」
言葉を重ねるアイナに、それでもソーマは応えることなく、やがて足を止めた。
そこは今までの狭い道とは違い、少しだけ広くなっている場所だ。
広場とは言えないまでも、二人の人間がくつろいだり、寝転がったりする程度のことは可能かもしれない程度の広さがある。
そして後ろを振り返ると、反射的にか肩をビクリと跳ねさせたアイナの手を握った。
「――アイナ」
「ちょっ、ソーマ……!? あの、あたし、こ、心の準備が……!?」
「……すまんのである。それと、決して離れるでないであるぞ?」
「えっ、へ……? ソーマ、何――っ!?」
瞬間、状況を理解したのか、アイナが目を見開いたが、やはりソーマが応えることはない。
その余裕がない。
代わりとばかりに手を握る力を少しだけ増やすと、ポツリと呟く。
「――もう構わんであるぞ?」
直後にその場に響いたのは、ガラスの砕けたような音であった。
周囲の空間が一斉に砕け散り、その奥から見たことがないような景色が現れる。
それは直前までいた場所とは似ても似つかないようなものであり、しかし何よりも印象的だったのは、その場に存在している一人の女性の姿であった。
紫紺の髪に同色の瞳。
真っ直ぐにこちらのことを見つめてきているその瞳は力強く、一目見たら忘れることは出来ないだろう光を宿している。
自分が世界で一番偉く、そのことを微塵も疑ってはいない。
そんなことを全身で主張しながら、その顔に浮かんでいるのは、不敵でありつつも楽しげな笑みだ。
初めて見る顔であった。
それは間違いがない。
だが。
「……皇帝自らの出迎えであるか。随分と恐れ多いことをされたものであるな」
「なに、そう自らを卑下する必要はあるまいて。魔王を出迎えるとなれば、妾が直接相手をせねばならぬ、というのは当然であろ?」
そう言って、女性は――ユピテル皇国現皇帝、ヴィクトリア・Y・アルカナムは、楽しげな顔のまま、その口の端を吊り上げてみせたのであった。




