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公爵領と魔物

 そこは薄暗い洞窟の中であった。

 周囲を森に囲まれた、人の目につかぬ場所。

 訪れた者など久しく現れていないだろうそこに、不意に人の声が響いた。


「ふむ、中々悪くはない……いや、不慣れながらに上出来だと言うべきか? くくっ、さすがは俺よ……」


 そうして満足気に呟きながら、男は――魔王は、頷いた。

 眼前にある壁を眺め、その先を見通すように目を細めながら、口元を吊り上げる。


「まあ、多少予想外だったのは事実だが……それも含めて、さすがと言うべきだろう。まさかこんな力が手に入るとは、中々幸先がよさそうだ。……未だ大々的に公表するわけにはいかないのは、ちとしゃくだがな」


 そう言って鼻を鳴らす魔王は、楽しさを感じさせる笑みの中に、僅かな不満も感じさせた。

 もっともそれも、当然のことではあろうが。


 隠れるようにしてこんな場所にいるのは、事実隠れているからなのだ。

 勿論不本意ではある。

 あるが……だからといって猪突猛進するほどの間抜けでなければ、自分の力を過信し何の考えもなしに暴れるほど愚かでもない。


 いや……そうではなくなった、と言うべきか。


「ふんっ……それもまた、業腹だがな」


 学習と言えば聞こえはいいが、要はそれだけ恐れるようになってしまった、ということでもある。

 魔王ともあろうモノが、だ。


「だが、その甲斐はあった。そしてこの借りは、何倍にもして返してくれる。……まあまずは、貴様の元仲間達や、それにまつわる者達から、だがな」


 それを、これから起こるだろう事を想像し、魔王はさらに口の端を吊り上げる。

 狙い通りにいけば、そろそろ面白いことになるだろう。


 しかし魔王がそれを見ることはない。

 それはそれで楽しそうではあるのだが……今はそれよりもやらなければならないことがあるのだ。


 それは、この力をもっと十全に使えるようになること。

 ひいては、自らの力をさらに高めるということだ。


 未だ痛む片腕へと視線を向け、僅かに眉を潜めるも、鼻を鳴らす。

 かつて以上の力が振るえるようになる可能性があるということは、十分過ぎるほどに分かった。

 その代償がこの程度で済むのであれば、許容範囲内だろう。


 だが、どれだけ力を振るえようとも、それに振り回されていては、何の意味もないのだ。


「今度はさすがに失敗するわけにはいかぬからな……まあ、するわけもないが」


 呟きと共に握り締めていた拳を緩めつつ、壁の先を眺める。

 これから起こるだろう事、起こす事。

 それらのことを想像し、考えながら、魔王は口元を楽しげに、あるいは獰猛そうに歪めるのであった。








 あれからの旅は、順調そのものだと言って構わないものだろう。

 特に障害となるようなことも起こらず、予定通りに進んでいた。


 ただしその順調というのは、何事もなかった、という意味ではない。

 あくまでも障害となるようなことが起こらなかった、というだけであり――


「……ま、ソーマがいる時点で、障害になるようなことが起こるわけもないんだけど」


 呆れ混じりに呟きつつ、アイナは眼前の光景を眺めた。

 数十という魔物の群れと、それらが一瞬で消し飛ぶそれを、である。


「確かに……これでは何が起こったところで障害とは言えませんね。まあ、分かりきってたことではありますが」

「そうね。何もすることがなくて、正直少し不満もあるけど」

「それもまた、分かりきってたことではありませんか?」

「ま、そうなんだけどね」


 と、そんな雑談を交わしていると、魔物の姿がなくなってからもその場に残っていたソーマが、こちらへと戻ってきた。

 どうやら念のために警戒をしていたようだが、他に敵影はない、ということらしい。


 それでもその顔が晴れないのは、ここがまだノイモント領だからだろう。


「うーむ……楽観視してたつもりはないのであるが、これは思ってたよりも問題かもしれんであるな」

「……? そうなんですか? 確かに、思っていたよりも魔物との遭遇率が高いですが……そういう意味じゃありませんよね?」

「ああ……そっか。そういえば、フェリシアにはここのことは話したことはなかったわね」


 フェリシアのその反応に、なるほど道理でと、アイナは納得した。

 道中で魔物に襲われても、フェリシアの反応が鈍かったのが少し気になっていたのだが、それならばむしろ当然である。


 ソーマも同じようなことを考えていたのか、頷いており……しかし当たり前のように、当の本人にはその理由は分からない。

 物問いたげな、何処となく不満そうな視線をフェリシアから向けられ、苦笑を浮かべた。


「ここは公爵領……というよりは、単にソフィアさんが代行として治めているから、かしらね。領地内には魔物が出ないはずなのよ。厳密には、出てもすぐに倒されてしまう。だからこんな風に魔物に襲われるってことは、その時点で有り得ないし、想定外の問題が起こってる証拠ってこと」

「すぐに倒される、ですか……それは、さすがに常に見張っている、ということではないのですよね? 大変なうえに、それでは休息はおろかろくに寝ることも出来ませんし」

「あたしも詳しくは聞いてはいないんだけど、確か領地中に魔方陣を展開していて、半ば自動的に迎撃するようになっている、ということだったかしら? 魔方陣の様子を見たり魔力を補充しなくちゃならないから、定期的に見回ってはいたらしいけど」

「まあ、大体そんな感じのはずであるな。本人としては直接巡回した方が早いとか言っていたであるが」

「どちらにせよ凄い話ですね……どうすればそんなことが出来るのか、想像も出来ません」


 同感であった。

 さすがは七王の一人と言うべきか……質では魔天将と同格だとか言われているが、正直本当かは怪しいぐらいである。


 同じ魔導の特級を持っているからこそ、尚更アイナはそう思った。


「そういえば、スキルだけで考えれば、アイナさんと同等なんですよね……ということは、アイナさんもそんなことが出来るんですか?」

「無茶言わないでよ、出来るわけないでしょ。正直なところ、ソフィアさんと同じ歳になってもそんなことが出来るようになってるかは自信がないわ」

「はぁ……そうなんだろうとは思ってましたが、やはり凄い方なんですね」

「まあでも、相手はソーマの母親なのよ? そう考えれば、むしろ当然って気もするわ」


 そう言ってソーマへと視線を向けてみれば、肩をすくめて返された。

 その様子にはこちらの言葉をまったく気にしている素振りも感じられず、こちらの考えていることがどれだけ通じているのやらという感じである。


 まあ、そういったところも含めて、ソーマらしいと言えばらしいのだが。


「ま、ともあれ、しかしそのはずなのに、先ほどのように魔物が襲い掛かってきた……迎撃されていないということであり……」

「……なるほど。ですから、思っていたよりも問題かもしれない、ということですか」

「そういうことね。魔方陣の魔力は一日や二日で切れることはないはずよ。だから何かが起こってから既にそれ以上の日数が経っているか……あるいは魔方陣か本人に何かがあった可能性が高い、ということね」


 そのどれであるのかは、敢えて口に出すことはない。

 分からないというのもあるが、何よりもろくな想像が出来ないからだ。


 何せここまで寄り道などをせず最短でノイモント領を抜けるために進んできたが、それでも幾つかの村を通り過ぎることはあった。

 だがそこを素通りしてきたのは、急いでいたからでもあるが……同時に、それらが無人であったからでもあるのだ。

 屋敷で見たのと同じように、人だけが忽然と消えたような感じだったのである。


 そして当然のように、それらでも手がかりを見つけることは出来ていない。

 つまり今のところ、まだ何一つとして手がかりは得られていない状況なのであった。

 今更過ぎて改めて言うまでもないことであるが、明らかに異常である。


 しかしそれに関しては、ソーマはそれほど気にしていないようであった。

 魔物に関してはともかく、そっちは想定内だった、ということなのだろう。

 どちらかと言えば、その状況を確認し、歩を進めるごとに落ち着きをなくし始めているのは別の人物だ。


「……シーラ、大丈夫ですか?」

「…………ん、大丈夫」


 誰がどう見ても大丈夫ではないだろうに、そう答えたその姿を横目に、アイナは小さく息を吐き出す。


 先ほどからまったく喋っていないシーラは、フェリシアの問いかけにこそ答えたものの、ろくに顔すら向けてはいない。

 確かにフードを被ったままであれば、顔は見えないのだから意味はあまりないだろうが……そういう理由によるものではないだろう。


 フェリシアが困ったように視線を向けてくるも、こちらとしてはソーマと揃って肩をすくめるだけだ。

 今は出来ることはなければ、かけられる言葉もないのである。


 シーラがそんなことになっている理由は、単純だ。

 ここが既にノイモント領の外れに差し掛かっているからである。


 なのに住人の一人の姿も今のところ見かけることはなく……それはつまり、この先でもこの異常が起こっている可能性が高いということだ。

 この先――アーベント男爵領ヤースターでも、である。


 シーラがかつて住み、今もドリスのいるはずの場所であった。


 大丈夫だと言うのは簡単だが、気休めにすらならないだろう。

 だからフェリシアも何度目かになる溜息を吐き出すと、こちらへと向き直る。


 それはきっと、これまでと同じようにこちらと会話をするためだ。

 もちろん自分のためでもあるのだろうが……それ以上に、シーラの気を少しでも紛らわすことが出来るように。


 まったく、いじらしいぐらいの姉っぷりである。


 だがしかし、その気遣いを無碍にしてしまう理由もあるまい。

 それにきっと、気を紛らわせる必要があるのは、一人だけではない。


 だからアイナもフェリシアへと視線を向けると、苦笑じみたものを口元に浮かべるのであった。

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