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幕間 王都の異常

 ラディウス王国、王立学院、学院長室。

 自分以外に人の気配のないそこで、ヒルデガルドは一人唸っていた。


「ぬぅ……」


 とはいえそれは、ソーマが原因ではない。

 ソーマがいなくなってから、早一月以上。

 さすがに、ソーマはそのうち戻ってくるだろうと、何とか自分の中で折り合いを付ける事が出来たからだ。

 ゆえに今唸っているのは、別の理由によるものであり……それは、ヒルデガルドの手元にある一枚の紙片に書かれているものであった。


 それは、報告書だ。

 ただし普通の、というわけではないのは、真っ白い紙が用いられている時点で明らかである。


 通常報告書というのは、余程のことでなければ羊皮紙を使うものだからだ。

 つまりそれはその余程のものであると、そういうことである。


 もっともそれは、その報告書をさらによく見れば一目で分かっただろうが。

 そこにはとある文様が描かれており……それは、この国の王族にしか使うことを許されていない印章だったからだ。


 とはいえ、実際のところそれそのものにはヒルデガルドは思うところはない。

 多ければ二日に一度は、少なくとも一週間に一度は見るのだから、当然の反応だろう。


 何故そんなことになっているのかと言えば、ヒルデガルドはこの国の王族……より厳密に言えば、王の相談役のようなものもやっているからだ。


 ヒルデガルドはこう見えて、この世界で五十年ほどの月日を生きている。

 エルフなどを始めとして、この世界にはそれ以上に生きている者も珍しくはないが、前世のことも合わせれば、その知識量などは相当なものだ。

 そんなことをやっていたところで、別に不思議はないだろう。


 もっとも、ヒルデガルドが龍人だということを知っている者は限られているが、この国の今の王はその一人である。

 というか、自分から教えたというか、この国を建国する際にも力を貸し、その縁もあってこうして相談役のようなものをやることとなっているのだが……それは大して重要なことではない。

 そういうわけで、こうしたものが届くのは珍しいわけではないということと……何よりも今回のはいつものとは違うものであったということが重要なのだ。


 頻繁に来ることからも分かる通り、相談役のようなものとはいっても、送られてくる内容は些細なことがほとんどである。

 まあ、国の大事なことを、王立学院の学院長とはいえ、外部の者に話すわけにはいかないだろうから当然のことではあるが……だからこそ、今回ヒルデガルドは余計に唸るようなことになっているのだ。

 手にした紙に書かれていることは、普通部外者に話すようなものではなかったからである。


「王都の周辺で魔物の様子に異常が見られる、か……まったく、一学院長に知らせていい情報ではないじゃろうに……」


 その内容を反芻するように呟きながら、溜息を吐き出す。


 この世界に住んでいる者達にとって、最も身近に危険を覚えるものは何かと問われれば、それは魔物ということになるだろう。

 隣国と戦争をしている場合などはそれも気に留めるだろうが……それでも、国境付近の街にでも住んでいなければ、そうそう気にすることはあるまい。

 やはり魔物こそが、人々が最も気にすべき存在なのである。


 とはいえその上で、人々が魔物のことを意識することはあまりない。

 魔物などは何処にでもいるのだ。

 常に意識していたら普通の生活すら送れなくなってしまうし、そもそもその必要があるようなことは滅多にない。

 冒険者であったり兵士であったりが、その辺はきちんと対処してくれているからだ。


 しかしだからこそ、そこに異常があったなどということが人々に知られてしまえば、どうなるか分かったものではない。

 言ってしまえば、国家機密に準ずるような情報なのだ。

 相談役のようなものをやっているとはいえ、所詮ヒルデガルドは外部の人間。

 万が一のことを考えれば、教えるべきではない、ということであった。


「しかも、だからどうした、ということが一切書かれてないときたものなのじゃ。何かしてくれというわけでなければ、どうしたらいいか相談したいというわけでもない……まあつまりは、より厄介だということなのじゃが」


 要するに、これをどうするのかはこっちに任せると、そう言っているのだ。

 完全な丸投げである。

 国王が一学院長相手にしていいことではないだろうに……だがそれも致し方ないと思えてしまうからこそ、溜息を吐き出すだけなのだ。


 何せ異常とは言ったものの、具体的に魔物が何かをしたというわけではないのである。

 周囲に魔物による異常なほどの被害が生じたというわけでもなければ……むしろ、実際に起こっていることはその逆だ。

 魔物の数が減っている、というものなのである。


 普通に考えればそれはいいことではあるが、そうではないということをヒルデガルドは知っていた。

 魔物の数が減るなどということは、起こり得ないからだ。

 それは世界の理により管理されているものであるがゆえ、絶対なのである。


 もっとも、常識ではないし、それどころか神の知識の一つであるので、それを異常とは認識しないはずだが……かつて彼らには語った事があったはずなので、それを覚えていたのだろう。

 ヒルデガルドに丸投げしたのも、同じ理由によるものか。


「……ま、軽く概要を語っただけで、対処法などは特に語ってなかったのじゃからな。仕方ないというか、ある意味我の自業自得なのじゃ」


 とはいえ、そもそも対処法などはない、とも言うが。


 世界の理によって管理されている以上、そこに異常が発する理由などそう幾つもない。

 大体は世界そのものに異常があったか、それを管理する権能を持つ誰かが意図的にそうしたかのどちらかだろう。


 だが前者であったならばそれはヒルデガルドの手にすら余るし、後者もまた考え辛い。

 魔物に関する権能は、人の手に渡ってしまえば危険すぎるため、魔導具のようなものに宿らせた後で封印したという話だからだ。


 何故封印という形にしたかといえば、それ以外に対処のしようがないからである。

 権能をなくせれば手っ取り早かったのだろうが、権能がなくなることなど有り得ない話だ。


 権能というのは世界の理であり、それがなくなるということは世界が崩壊するということと同義である。

 全ての理が揃っていて初めて世界足りえるのであり、一つでも足りなければそれは世界として成り立つことは出来ないのだ。


 そのため、権能を所持している誰かが死んだところで、その権能は直後に別の誰かに引き継がれるだけとなる。

 現存する中で最もそれを使用する素質の高い者がその対象であり、仮にいなかったとしても、その場合は魔導具のような物に宿ることでやはり維持されるのだ。

 別に最低限存在していればいいので、それが必ずしも所有される必要も、使用される必要もないのである。


 しかしだからこそ、誰かに託さず封印という形を取ったのだ。

 託した者が信用出来たとしても、その者が死んでしまえば次はどうなるか分からないからである。


 ちなみにそういった法則で成り立っているがゆえに、より上の素養を持つ者が生まれたとしても、権能がそのまま移行してしまうということはない。

 これは例え、神であったものが転生してきたとしてもである。

 例外はソーマぐらいであり、ヒルデガルドも譲ってもらえたからこそ今の権能を有しているのだ。


 ともあれそういったわけで、権能が使われているという可能性は低いものの――


「だからこそ我が現場に向かう必要がある、というわけじゃな。つまり何が起こってるのか、まるで分かっていないということなのじゃし……」


 とはいえ、現場と一言で言ったところで、それは広い。

 報告書によれば、魔物の数が少なくなっているのは王都の周辺全てだというのだ。


 しかも今のところは、見る人が見れば異常だと気付くが、普通はそう思わないだろうギリギリのところだというのである。

 国王が気付けたのも、半ば偶然だという話だ。

 見て回るにしても少々骨が折れそうだし、範囲が広すぎて狙い通りに何か手掛かりを掴めるかは何とも言えないところである。


「丸投げしてきたのはそれも理由の一つなのじゃろうがなぁ……」


 しかしだとしても、放っておくという選択肢はない。

 何となく自分の勘が、これは放っておいてはまずいと告げているし、王都に何かがあれば当然のように自分達も巻き込まれる。

 他人事ではいられないのだ。


 それにここに何かがあれば、ソーマが戻ってきた時に困るだろう。

 ……まあ、その時はその時で、そのままソーマが何とかしてしまいそうな気もするが――


「……これでも、元神としての矜持ぐらいはあるのじゃ」


 そういうことであった。

 むしろここでヒルデガルドがこれを解決すれば、ソーマが戻って来た時にいい話のネタになるかもしれない。

 そう思えば、やる気も出てこようというものだ。


 問題があるとすれば、さすがに自分一人では厳しそうだということだが……それは何とかなるだろう。

 授業が始まるまで二週間をきり、ボチボチと人も戻り始めているのだ。

 使える人材は幾らでもいた。


 どちらかといえば、ここで仕事を放り出してしまうと、いい加減関係各所からお叱りの言葉が飛んできそうだということの方が問題な気もするのだが……それも何とかなる、はずである。


「ま、王都の危機かもしれんのじゃし、その程度のことは仕方ないと受け入れてくれるはずなのじゃ」


 そう言って呟くと、ヒルデガルドは立ち上がった。


 手元の報告書は念のために焼き尽くし、灰すらも残さない。

 これで色々な意味で懸念はなく、つい最近までだらけていたせいで積み上げられているものからは視線を外す。


 そうして歩き出しながら、さて何からやったものかと、考え始めるのであった。

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